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2015-03-09 15:09 | カテゴリ:断酒会
(※5度目のスリップから21日目)
 昨夜の午前2時近く。日記を書いていたら、木曜の自助参加と外泊申請を忘れないか無性に不安になってきた。外泊は前日正午までに申請しないといけない。この頃うっかり忘れが多いうえ、外出ができないと行動プランが大きく狂ってしまう。既に夜勤の看護師さんも仮眠をとる時間なのだが、デイルームから詰所の窓を覗くと夜勤当番の前上さんと丹羽さんがまだ起きているのが見えた。

 ドアをノックしてノブを回すが、施錠されている。看護師さんの仮眠中に患者が侵入するのを防ぐためだろう。ときどき忘れてしまうが、ここは精神科病棟なのだ。
 丹羽看護師がドアを開けて、僕を詰所に入れてくれた。
「こんな時間に申し訳ないんですが…」
 と、恐る恐る外泊届を渡し、記入方法について分からないことを尋ねた。
「ほかに分からないことはないですか?」
 外泊届は受け取ってもらえたので、これ以上手間を取らせてはと思い「また分からないことがあればそのとき伺います」と答えた。お礼を言って詰所を出ようとしたら、丹羽さんに呼び止められた。
「今回は受け取りますが、次からこういうことは夜中じゃなくて昼間に来てもらえますか?」
 笑顔で柔和な表情だが、言葉に舌打ちが混じっているように感じた。ヤバい。前上さんに目をやると、困ったような顔で「そうですね、できればお昼に…」とすまなそうに小声で言った。
 この時間、看護師さんが普段仮眠をとっていることは知っている。これからも事あるごとに看護師さんを叩き起こして外泊届を突き出すとでも思われたか。それとも「分からないことがあればまた訊く」というのは「今夜また来ます」と受け止められたか。
 いずれにしても僕は、非常識でイタい行動を取ってしまった。心理検査でも指摘された、僕の思考のズレがここにある。慌てた僕はパニックになり、
「すいません、じゃあ明日もう一度持って来ますっ」
 と、既に受け取ってもらった外泊届を取り戻そうとして余計イタい行動を取る。
「今回はこれでいいから、次から気をつけてくれる? 心配で眠れないときもあるよね」
 幼い子供をなだめるように丹羽看護師に言われ、自分のイタさにへこむ。
 何度もお詫びをして詰所を出たあとも、こういうことでヘコんだ自分にさらにヘコむ。これが僕なのだ。僕は結局、何も変わっていないのではないか。

 今日の朝、前上看護師が病室に訪ねて来てくれた。外泊から戻ったあとの食事の有無について確認したいとのことだったが、明らかに僕の様子を心配して見に来てくれたようだった。
「昨晩のことで考え込んじゃったりしてませんか?」
 思いきり動揺しながら「大丈夫です」と答えた。一夜明けても看護師さんに気を遣わせている自分が情けなかった。


 水曜日のARPは午後3時からのサードミーティングだけだが、テキストを使ったセカンドミーティング以降、僕の最も気が進まないプログラムになってしまった。
 ワークブック形式のテキストに書かれてある内容はもっともなのだが、当たり前と言えば当たり前で、患者に書き込みをさせる質問もなんだか微妙だ。サードミーティングに入っても、書いたことを順に発表し、それに対して進行役のソーシャルワーカーが差し障りのないコメントをしていくだけで、50分という短い時間はあっという間に終わってしまう。
 いつも煮え切らない、残念な気持ちになるのだ。
 今日は第⑦回『回復に向けて(自助グループについて)』というチャプターだ。タイトルから既に結論ありきのような気もするが、以下の設問があった。

*Q:あなたには素直にアルコールの問題を打ち明けられる友人や援助者、関係者はいますか?

「はい」か「いいえ」のどちらかを丸で囲む形式だ。
 僕の回答は「いるといえばいるし、いないといえばいない」だ。僕は貧弱過ぎるくらい貧弱な人間で、今さら人に弱味を見せまい、などとは思っていない。家族にも、あまり多くはない友人にも、アルコールの問題を打ち明けることに抵抗はない。
 ただ、打ち明けたところでどんなレスポンスがあるというのか。打ち明けられた相手を困らせるだけで、何も前進しないのではないか。現に父からは「俺にどうしろというんだ」と言われてしまった。経済的な面で負担を強いていることは心底申し訳ないと思うし、感謝しきれないほど感謝している。ただ、このミーティングで取り上げているのはそうした物理的な援助の話に限らない。
 かと言って、この問題を理解しろというのも無理がある。依存症がいくら病気でも、自業自得と言われればその通りだ。打ち明けることはできても、それはそこまでの話なのだ。
 ―― という流れで、自助グループへ行きましょう、そして仲間をつくりましょう、という提案になってくるのだが、少なくとも僕の場合、自助グループで「俺なんかの話をしていいのか」という思いがある。手短かに話さないと、ほかの人が思いを吐き出す時間がなくなってしまう。仲間の話の時間を奪ってまで自分の話に終始したくない。同じように考える人は、割と多いのではないだろうか。
 僕の回答に対して、進行役のソーシャルワーカーの男性がコメントする。
「でも、そうした配慮ができるのは大事なことだと思います。なるべくたくさんの人に打ち明けられるといいですね」
 ピントがずれているが、ほかに答えようもないのだろう。ひと通り全員の回答を拾ったあと、最終的に「焦らず、気長に」という呑気なまとめで締めくくられてしまった。
 テキストではそのあと自助グループのメリットについて触れ、こうしたグループへの参加が苦手な人にも活用を促す内容になっているのだが、残り5分で要点箇所だけ輪読してミーティングは終わった。
 今日も煮え切らない、残念な気分になってしまった。こんなふうに感じるのは、僕の捉え方がおかしいのだろうか。


 夕食後初めて、院外で行われる中央町の断酒会へ足を運んだ。普段フリーで参加している草刈さんにお願いして、一緒に連れて行ってもらったのだ。いつもはAAに行く優二さんも一緒で、彼はもともと断酒会には度々参加していたのだという。
 西町駅から数駅で電車を降り、会場の中央町民センターの3階集会室へ入った。ひと足早く到着していた和代さんが、
「サトウくーん、来たわね。ようこそ」
 と僕に手を振ってくれた。和代さんは既にこの中央町断酒会の正式な会員で、会長さんの隣の席に陣取っていた。
 会長の赤崎さんは60代後半くらいの男性で、初対面の僕を見るなり「いやあ、よく来たね」と親しげに握手して歓迎してくれた。
『断酒の誓』を唱和して始まった会合には、20人ほどは集まっていただろうか。西町断酒会による柏ノ丘病院の例会と同じく、司会者によりランダムに指名され話をしていく。僕は会の後半、涙ながらにとても重い話をされた女性のあとに指名されて少し戸惑ったが、初めての場でいつもするように簡単な自己紹介を含めて喋らせていただいた。
 断酒会の印象としては、AAに比べて「かちっとしてる」感じがした。会の終了後はメンバーの方から名刺をいただき、「あなたもぜひ入会して一緒に頑張りましょう」という圧力を感じた。
 柏ノ丘例会でもお見かけした、五十嵐さんという別の断酒会所属の年輩男性に車で送っていただいて、8時半には病院に戻ることができた。
 一緒に送ってもらった和代さんは、相変わらず元気そうだった。


 夜。特番のテレビドラマのせいか、喫煙室が施錠される11時近くなっても、デイルームにはいつもより患者の姿が多かった。
 高津さんから、迫さんが4回のスリップで強制退院になったと聞かされた。
「今はアレやね、厳しくなったっちゃね」
 昔は院内飲酒のケースも珍しくなかったそうだが、現在のルールでは院内飲酒は即退院だ。院外飲酒については、強制退院となるスリップの回数が具体的に決められているわけではない。そのときの状況によるのだろう。
 迫さんが以前にスリップしたことは、どこかの病棟へ一時的に移されていたようなので僕も知っていた。ただ、今回の退院に至るまで何度やらかしたのかは知る由もなかった。僕の場合、4回の自己申告を含めて都合5回スリップしている。自己申告とはいえ、4回まとめて、しかも外泊禁止を恐れての事後申告だ。悪質と取られても仕方がない。僕が強制退院にならなかったのは、やはり牛本主任を始め僕を擁護してくれた看護師さんがいたということなのか。
「あの人、結構いろいろ悪態ついてたからなあ…」
 米窪さんが言っていた。
 一見おとなしくて気の弱そうな迫さんは、口を開くと見た目と違って少し乱暴な物言いをする人だと感じたことはあった。以前は建設関係の仕事をしていたそうだが、請け負った仕事にクレームをつけた顧客がたまたまNHKの職員だったとかで、NHKの悪口を散々聞かされたことがある。詳しくは知らないが、過去にドクターにもいろいろ面倒な注文をつけたことがあるという話も、本人から断片的に聞いた。柏ノ丘例会にはコンスタントに出席しており、少なくとも僕が例会に参加したときはすべて一緒だった気がする。
「結局、最後は人対人だからね。態度の問題じゃないか」
 というのが米窪さんの意見だ。そういうことなら、僕は羊のように従順で、卑屈なくらいに無風を好む。もっとも、そういう人間ほど厄介なのかもしれないが。
「でも、サトウさんは変わったよ」
 米窪さんにそう言われた。先日優二さんにも同じことを言われたばかりだ。
「最初は、エラいのが入って来たと思った」
 入院当所、僕は怯えていた。確かにその頃に比べて、僕はモノの考えかたが変わったのかもしれない。というよりこの3ヶ月で、アルコールに代表される依存症という病気について、僕自身の捉えかたに変化があったような気がする。入院を通して知り合った5ーB病棟の患者と病院スタッフ。そして、苦しむ患者を支援する様々な方とグループ ―― その人たちを見て、この病気がもたらす問題は何か、どう向き合うべきなのかを毎日考えさせられている。
 僕自身は、相変わらず打たれ弱い臆病な僕のままだ。ただ、このとき呟いた米窪さんの言葉が何より嬉しかった。

「入院してからサトウさんが行動してきたことが、今の変化に確実に結びついてると思うよ」


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2015-03-06 18:44 | カテゴリ:AA
(※5度目のスリップから18日目)
 午前中に起きて、母が茹でてくれたざるそばを食べたあと、髪を切りに行った。平嶋さんが行ったという、スーパー柏ノ丘店近くの床屋が1,000円という話が病棟内に口コミで広がっているが、僕にしてみれば実家周辺の行きつけの店のほうがはるかにいい。
 とはいえ日曜日の午後ということで、子供ばかりで混んでいて、1時間半ほど待たされてしまった。
 父には散髪代を含めた当面のお金と、5月分の入院費を工面してもらった。5月分請求、105,000円余り。
 次の外泊は木曜日、南町教会でのAA「オオタカ」に参加して、そのまま徒歩で実家へ帰ることにした。家へ着くのは夜9時近くになると思うし、翌日は昼までに帰院する。仕事に復帰したあとの時間帯を想定した訓練だ。両親にもその旨を伝えた。
 プロ野球のデーゲーム中継が終わったところで、父に車で送ってもらい病院に戻った。母からはとうもろこしを1本持たされた。


 ゆっくり休む間もなく、早出しの夕食を済ませて優二さんと院外AAへ出かけた。今日は北東教会での「オオタカ」で、初めての会場だ。日曜日のこのミーティングは参加者も多いと聞いていて、僕が行きたいと言っていたのを優二さんが誘ってくれたのだ。
 西町駅まで病院バスで行き、電車で数駅移動する。会場となる北東教会の集会室は話に聞いていた通り広く、20~30人くらいが集まっていた。優二さんによると、中間施設の関係者も来ているという。
 日曜の「オオタカ」でのミーティングは、AAの書籍『ビックブック』を使ったミーティングだ。今日はAAの理念や精神について綴った『AAの12の概念』というチャプターを取り上げていたので、僕にはその内容が難しくて挙手をする余地もなかったのだが、司会を務めていたヤマさんの配慮で、「自由に話していいですよ」と突然僕が指名された。いつもは挙手制で発言するこのグループで、司会者から指名されるのはとても異例なことだ。
 僕はいつもの通り簡単な自己紹介と、集団が苦手なことを話したが、初めて自分のアノニマス・ネームを「サトゥー」と名乗った。「サトゥー」は大阪時代、僕が泥酔したときに現れるもうひとりの自分 ―― 芝居仲間から「邪悪の化身」と揶揄されて呼ばれたものだ。この名前を僕は、あえて僕のアノニマス・ネームにすることにした。「サトゥー」はもう邪悪でも何でもない、僕は僕だと自分に言い聞かせるためにだ。
 緊張すると掌から異常に汗が噴き出す、手掌多汗症のことも話した。僕を知ってもらえるいい機会だった。
 僕の話を受けて、初対面の仲間が温かく迎えてくれた。ナホさんからは、髪を切りましたねと声をかけてもらった。
 足を運んで正解だった。

 帰り道、優二さんに言われた。
「俺はどれだけ家から遠くても、自分に合う仲間がいるグループがいいと思っていろいろ回ってるんだよね。最終的には自分で決めることだけど、サトウさんもまだ行ったことのない会場やグループに、今のうちに行くのもいいと思うよ。ひとりじゃ行きづらいだろうし、声かけてくれたら一緒に行くから」
 僕は今日まで、3つのAAグループと4つの会場のミーティングへ足を運んだ。病院で貰ったAAの会場案内には、まだ9つのグループと12の会場が掲載されている。なるほど、まだまだ行けるところがあるはずだ。
「遠慮しないで言ってよ。俺もそうやって慣れていったんだし」
 優二さんはその気遣いを、見返りを求めない無償のギブアンドテイクだとして、それが自分への自信、ひいてはお酒を断つことにつながるのだと話す。
 もうひとつ、彼が僕に打ち明けてくれたのだが、優二さんは生まれつき『クローン病』という難病にかかっているそうだ。これは小腸や大腸などの消化管に潰瘍をつくる慢性の病気で、腹痛や下痢、血便などの症状や、体重減少、発熱、肛門病変などを伴うのだという。AA会場へ向かう際も、優二さんは頻繁にコンビニなどのトイレに寄って行くことが多い。
 こうした難病と向き合うことも、優二さんは「神様の試練だ」と言い切る。僕は神様がどうとかについては無関心だが、苦しいときだけ神頼みをする自己中心的な輩だ。それでも先日のバースデー・ミーティングで『1day メダル』を貰ったときには素直に嬉しかった。ただそれだけのことで、難しく考える必要はない。
 駅を降りて病院への道を歩きながら、優二さんがさらに言った。
「それにしても、サトウさんは変わったね」
 僕は嬉しくて、優二さんに心から感謝した。


 いい週末だった。夜、自分のベッドで母が持たせてくれたとうもろこしにかぶり付き、そんなふうに思った。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2015-02-24 13:53 | カテゴリ:AA
(※5度目のスリップから15日目)
 今日は渡辺先生の回診がお休みのため、午前10時半からのレクまでのんびり過ごした。レクでは今日もミニバレーで汗をかいた。途中、牛本主任や沼畑師長も加わって楽しかったが、ほぼ1時間ぶっ通しでゲームをするのはさすがにしんどい。とはいえ患者の中では僕がいちばん若いのだが。

 昼食前、麻友美さんから連絡があった。いま外来に来ているという。顔を見に1階玄関前まで降りて行くと、やつれた様子の彼女がいた。生活のサイクルが昼夜逆転して、昼間はとても眠いのだという。火曜に予定していた外来も、起きられずに行けなかったそうだ。
 左手首に大きな絆創膏がしてあり、カッターで自傷したのだという。傷痕を見せてくれたが、元の夫と自分、それから息子のイニシャルを彫ろうとしたらしい。太腿にも青アザが至るところにあり、爪で息子の名前を引っかいた、と言っていた。
 元気どころか、どんどん悪くなっているのが素人目にも分かる。一日中引き籠っていて、AAに行く気にはとてもなれないそうだ。
 話を聴いてあげるだけで、何もできないことにもどかしさを感じた。何を言っても、彼女の気持ちを余計に傷つけたり、逆なでしてしまう気がする。僕が彼女にしてあげられることとは何なのだろう。そんなことを考えているうちに、看護師さんが彼女を呼びにやって来た。


 昼食後、1時の病院バスで料理の買い出しに行った。洋子さん、山形さんのほか中山さんも加わって4人での買い物だ。
 今回は患者8人、スタッフ4人の計12人と聞いていたが、洋子さんが大田看護師から渡されたお金は1人300円×11の3,300円だった。会計前にそれに気づいた僕は、念のため5ーB病棟の詰所に電話して確認しようとしたが、洋子さんに「渡されたのはこの金額なんだから、電話なんかしなくていい」と言われ、ムッときてしまった。
 前回の料理の買い出しの際、研修生と一緒にイレギュラーで参加する勝瀬さんの分がカウントされていなかった。今回も、漏れている誰かがいるといけないので確認しようと思っただけなのだが、次第に売り言葉に買い言葉になってきて、「そんなに言うなら電話してよ」「いや、じゃあいいですよ」とこちらもムキになって確認をしなかった。会計はほぼ3,300円で収まったのだが、僕は自分が腹を立てたことで空気を悪くしたことに、すっかり気落ちしてしまった。
 病院に戻ったあとで大田看護師に確認すると、やっぱりひとり分が抜けていたことが分かった。今度は洋子さんが、本来使えるはずだった 300円を「今から買い物に行って来る」と譲らない。僕はそれ以上言うのをやめ、洋子さんに判断を任せた。その後どうなったかは、まだ聞いていない。


 3時からのSSTは、ウォーミングアップでいきなり一宮OTが「演劇のトレーニングで応用できるものがあるみたいです」と口火を切った。嫌な予感がした。先日一宮OTからデイルームで、劇団の基礎トレーニングで行うウォームアップについて質問された。僕はいくつか例を挙げて簡単に説明した。そのとき「SSTに必ずしも応用できるとは限りませんよ」と念押ししたはずだったが、嫌な予感は当たった。
「サトウさんから説明して貰ったほうがいいと思うんですが…」
 一宮OTにしてみれば、場が盛り上がると思ったのか、僕の個性なのか何なのかを活かせると考えてくれたのかもしれない。ただ、僕にとってこんなムチャ振りはない。確かに芝居の基礎トレはいろいろあるが、SSTのウォーミングアップにそのまま使えるわけではない。事前に聞いていないので何がどう使えるかも分からないし、実際にやってみて、かえって雰囲気が悪くなる可能性だってある。そう簡単に「そうですか、分かりました。ではとっておきの ―― 」とはならないのだ。
 僕の必死な拒否ぶりを見かねた牛本主任が、「じゃあ今日は通常バージョンの『お絵描きしりとり』でいきましょう」と拾ってくれた。手汗が噴き出して止まらない。一宮さんからは「無理言ってすみませんでした」と謝られた。
 7、8人が教室にいたが、みんな無言だ。シラけた空気に、ヘコんだ。
 そのあとの本題は相変わらずノープランで進んで行き、先日登った父親の話になった。僕はこの話題が苦手だ。優しい父親、厳しい父親、だらしのない父親、無口な父親。みんなそれぞれの父親について話すが、どれもそれぞれにとっての、懐かしくて感謝の記憶だ。
 僕は自分が苦手な話題、ついていけない話題、嫌な話題になると、途端に孤立する。
 話を振られる前に、僕はSSTを中座した。


 4時からの3回目のカウンセリングで、田村心理士に今日のバレーのこと、買い出しのこと、SSTのことを話した。カウンセリングがなければ、それこそ飲酒欲求に負けていたかもしれない。今日この時間、カウンセリングがあったおかげで僕はスリップせずに済んだ。ミニバレーにしても、このカウンセリングがあったからこそ、僕は自分の背中を押してもらうことができた。
「田村さんにはいろいろ助けられています」
 僕としては本心のつもりだったが、田村さんは心理士らしい見解を言った。
「そうなんですか? 私は別に何もしてませんよ。サトウさんがご自身でできたことや、飲まずにいられたことを、そうやって自分以外の誰かのおかげにしているのも、自信の無さからくる自己防衛なんでしょうか。前回も言いましたが、私はサトウさんの中に凄いギャップを感じます。自分に自信を持てず、他人や集団とうまく交われないことでご自身を責めて自己防衛に走るサトウさんと、あれだけ抵抗のあったバレーやカーテンの件を次の週までにさらっとやってのける、積極的なサトウさんとのギャップです。これは一体、何なのでしょうか」
 何なのだろうか。自分でもそのギャップを感じることがある。いつからこんなふうになったのか、中学、高校の頃か。芝居をしていた大阪でも、自分でも驚くほど積極的にオーディションや入団テスト、稽古場見学に足を運んだこともあった。

「ご自身の、ついていけない話題になるとシャッターを降ろしてしまうというのは、カウンセリングでアドバイスすることはできません。それこそSSTで相談してみたらいかがですか?」
 またひとつ、宿題を貰った。次週のカウンセリングは同じく木曜だが、SSTの終わる時間を考慮して4時10分からにしてもらった。


 カウンセリングから戻ったあと、早出し夕食を済ませて南町教会の「オオタカ」へ向かった。今日は利根川さん、優二さん、植中さん、関根さん、山形さんと僕、6人での参加だ。
 教会に着いて分かったのだが、今日は「ヤマ」さんという60代くらいのAAメンバーの男性が、断酒から4年という節目を祝う「バースデー・ミーティング」だった。このグループでは毎月最終週の木曜がこのミーティングにあたるらしく、最後に飲酒した日からを自己申告で換算した、いわゆる「誕生日」を迎えた人をお祝いするのだ。ヤマさんにはAAメンバーや、今日このミーティングに参加した一同からの寄せ書きと記念メダルが贈られ、僕もお祝いメッセージを一筆書かせてもらった。
 ミーティングでは順番にひとりずつ、ヤマさんへのお祝いや想い出なんかをコメントしていくのだが、当然僕には積もる話などはまだないわけで、ありきたりではあるけれど率直なお祝いの言葉と、これからよろしくお願いしますという挨拶だけを伝えた。
 話が廻るなか、今日改めて抱いた僕の心の歪みが頭から離れない。些細なことでムキになり、直後に自己嫌悪に落ち込む自分。ついていけない話題に勝手に孤独を感じ、自らシャッターを降ろす自分。ヤマさんと旧知のメンバーの方々が、心の込もったコメントや想い出を口にするのを、素直に聴けない。
 僕は身勝手で、孤独だ。AAに来ても、結局何も変わらないのかもしれない ――

 そう思っていたら、グループから突然僕にメダルが贈られた。今日初めて「オオタカ」のミーティングに参加した関根さんに加えて、ヤマさんが「サトウさんもでしょ」と促してくれたのだ。最後のスリップからまだたったの15日の僕だが、初めの一歩という意味で頂いた『1day メダル』。例えこの先またスリップしてしまっても、また1日断酒をすれば、またこのメダルを貰える資格が生まれる。いきなり4年、10年を目指すのではなく、「今日1日」の積み重ねで1週間、1ヶ月、半年…と継続していくのだ。




 その日集まった、メダルを受け取る人を除いたすべての参加者の手にそのメダルを回し、断酒継続の祈りを込めて贈呈するのが習わしだそうだ。フクロウのストラップの副賞も頂いた。フクロウはアイヌ神話では神様の化身だ。お酒との関連はよく知らないけれど。
 小さな、プラスチックのメダルに過ぎないが、嬉しかった。「飲まないこと」を祝って貰えたのは、人生で初めてかもしれない。

 病院へ戻ったあと、優二さんから日曜に北東教会で行われる「オオタカ」のミーティングに誘われた。日曜日のミーティングだけあって、参加者も多いらしい。病院から公共交通機関を利用するため少し遠いが、僕が前から行ってみたいと言っていたところだ。僕はもちろん行くことにした。


 散々な思いもした一日だったけれど、最後に実感できた。僕は孤独なんかじゃない。自分で孤独だなんて思い込むな。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-08-03 00:13 | カテゴリ:AA
(※3度目のスリップ翌日)
 昨晩は明け方4時頃までデイルームで起きていた。夕食後の薬は飲まなかったが、眠れなかったのではなく、起きていたのだ。その日の出来事や感じたことをノートに書き、誰が読むでもないブログをひと月以上のタイムラグでアップする。ほとんど死にかけたスマホで文字入力するため、なかなかはかどらない。これでけっこう忙しいのだ。

 朝食は取り置きぎりぎりの8時半過ぎに食べた。牛本主任に相談して、今日から薬を一時止めてもらうようお願いした。渡辺先生の許可も得られ、院外の自助グループに出かける際など必要なときにジアゼパムを貰うことになった。
 日曜はすることがないので、今日も例の公園で飲んでやろうと思ったが、外はあいにくの雨だった。昼になってもやむ気配がないので2時間散歩での外出は諦め、利根川さんが夕方から行く院外のAAに僕も行くことにした。
 西町カトリック教会でのAA「カッコー」のミーティングは、先週の月曜日に植中さんと一緒に参加している。今日は日曜なので開始時刻は午後6時15分からと少し早めだ。利根川さんはAAのメンバーと雑談する時間を持ちたいと、いつもの5時40分発よりも1本早い5時15分発の病院バスで向かうそうだが、5時に早出しされる夕食を済ませてバスに間に合わせる自信などとてもない僕は、40分発のバスでひとりで出かけることにした。利根川さんが先に行っているとはいえ、ひとりで院外自助へ向かうのはこれが初めてだ。
 出かける前にジアゼパムを2錠貰い、早速1錠を飲んだ。バスには優二さんも乗り合わせた。優二さんは市街地に近い北東教会でのAA「オオタカ」に参加するという。日曜日の「オオタカ」のミーティングは地の利があるせいか、木曜に僕も2度参加した南町教会でのミーティングよりも参加者が多く、多いときで30人ほどは集まるという。
「そのうちこっちも参加してみるといいよ」
 と、優二さんに誘われた。
 西町駅で優二さんと別れ、ひとりで西町カトリック教会へ向かう。雨はすでにやんでいたが、開始までまだ30分近くあり、早く着いてしまうことへの抵抗はまだ拭えない。途中、会場近くのスーパーでウーロン茶を買ってわずかに時間を稼ぎ、とろとろと教会を目指した。
 会場へ着いたのは開始10分前くらいで、ちょうどタバコを吸いに外へ出て来た利根川さんと入れ替わりに、ひとりで中に入った。10人ほどは集まっていただろうか、どこかのAAで見かけた人もいるが、やはり知らない人のほうが多いのだろう。というのも、実は顔をよく覚えていないのだ。
 僕は今日、公園でお酒を飲むつもりだったが天気に救われたことをそのまま話した。ミーティング終了後、早速メンバーの方から「また来てくださいね」と声をかけていただいた。
 しばらく、できるだけ院外のAAに通いたいと思った。と同時に、そろそろ外泊で「やらかしてやろう」という気持ちも湧き上がってくる。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-07-23 00:34 | カテゴリ:AA
(※スリップから12日目)
 6月が始まった。そんなこととは関係なく、今日こそはどこへも行かず、何もない一日だ。
 夕方、金曜から自宅へ外泊していた勝瀬さんが戻って来たが、「俺の居場所はなかった」と相当な気の落としようだった。
 午後6時からのAA「アカゲラ」のミーティングには参加した勝瀬さんだったが、とても話をする気分ではないと発言を辞退していた。また、米窪さんは体調不良で中座した。点滴の薬が合わず、なんでも血糖値が急低下したらしい。

 そんな今日のAAミーティングのテーマは『最初の1杯』についてだ。僕は自慢じゃないが「今日は1杯でやめておこう」などと思ってお酒を飲んだことなんかない。最初から、終点なんて考えずに飲むのだ。「1杯でやめようと思っても、やめられない」というスーダラ節そのままの、依存症者のスリップとは一見違うようだが、コントロールが利かないことが分かっていて開き直っているだけなので、本質的には何も違いはない。

 僕はテーマから離れて、父と母のことを話した。
 退院後に僕が帰る場所は、両親のいる実家だ。僕が大阪からこの街の両親のもとへ戻ったのは4年前だが、現在の実家は僕が大阪にいる間に父と母が老後のために買って移り住んだマンションで、僕には何の思い出もない。実質的に居候している状態だ。一日も早く実家を出て、近くのワンルームあたりで独り暮らしをしたいが、お酒に依存して経済的にも自立していない僕は、恥ずかしながら当面は今まで通り実家に世話にならなくてないけない。
 父の健康は心配だが、僕のために父がお酒をやめることを強いるのは見当違いだし、父が僕に気を使う必要もない。僕の入院費用を負担してくれているのは父だし、自分が飲んでいても父が僕に「飲むな」と言うことは許されるはずだ。そもそも父もアルコールに依存しているのは間違いない。僕がお酒と距離を置いたからといって、父も簡単にそれに合わせられるものではないだろう。
 ただ、父は父なりに、自分がお酒を飲むことが僕の依存症回復の妨げになるのではないか、と悩んでいるのではないだろうか。

 少しずつ1クールの終了が近づいてきた患者は、退院後の生活の不安が如実になってくる。そんな患者にとっての課題は「いま飲まないこと」ではなく、「退院後にどう飲まずにいられるか」だ。家族の中で、職場の中で、あるいはまったく新しい環境の中で、それが試される。そして残念ながら、多くの人がスリップを繰り返してしまうのが現実だ。
 少なくとも僕の場合は、父と母のいる実家に帰り仕事に復帰して、一見元の生活に戻ったとき、「お酒に依存しない」という新しい生活を始めなければならない。そのためには、僕の弱すぎるココロを少しでも強くしていく鍛練が必要なのだと思う。

 AA終了後、グループの方から声をかけていただいた。
「ご家族がお酒を飲まれるのは大変な環境ですが、頑張ってください」
 改めて思った。やっぱりこれは、僕の問題なのだ。勝瀬さんも米窪さんも、この病棟のすべての患者が、それぞれ自分の問題に悩み、苦しんでいる。麻友美さんもそのひとりだ。
 ひとりで背負い込み過ぎないよう、自助グループで胸の内を吐き出すのは意味があることだけれど、誰も答えを示すことなんかできない。

 でも、悩みを共有することはできる。AAで言うところの『分かち合い』だ。
 ミーティングの最後に、進行役の60歳前後の男性が言った。
「私は酒のことで兄との喧嘩が絶えません。兄は1杯でちゃんとやめられます。ところが私は、その1杯から始まるんです」
 僕も「その1杯」から始まるクチだ。痛いほど理解できる。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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