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2014-07-25 14:30 | カテゴリ:診察・診断・回診
(※スリップから13日目)
 入院して初めて、朝の瞑想を寝過ごした。今日から瞑想タイムを仕切る患者会新会長の植中さんの声で目が覚めたが、そのままベッドで耳だけで参加した。ちなみに、患者会の新しい副会長は米窪さんだ。

 このところ散歩にも出ていなかったので、米窪さんと勝瀬さんと僕の3人で、午前中に2時間散歩へ出た。徒歩で坂を下って駅前ショッピングモールの100円ショップへ行き、ベッドに取り付けるLEDライトを買ったが、眩しすぎて使えそうにない。
 そのあとぶらぶら歩きながら来た道を戻り、バリカンを買いたいという米窪さんに付き合いスーパー柏ノ丘店へ立ち寄った。今日は風もなく、気温も30℃近かったようだ。それでも湿度は低く、みんなは暑い暑いと言っていたが、僕は耐えられないほどでもなかった。
 本当に問題なのは、クーラーのないこの病棟で、間もなくやって来る本格的な夏をどう過ごすかだ。業務用の扇風機がデイルームに運ばれていたが、あんなもので暑さを凌げるのだろうか。

 柏ノ丘店で買い物を終えた時点で、2時間散歩のリミットを10分ほど過ぎ、既に昼食の時間になっていた。詰所に心配をかけるのも忍びないので、とりあえず「米窪さんが暑さで少しバテた」ということにして、僕が病院へ電話を入れた。それがかえって心配をかけてしまい、牛本看護師主任が坂を下りて迎えに来る始末だった。
 実際、米窪さんの体調はあまり良いとはいえない。この病院の内科への不信感や反発もあるようだ。アルコール依存症といっても、米窪さんのように身体のあちこちに重い疾病を抱えた患者は多い。この病気に関しては本来、内科の領域とは密接に関わってくるはずだし、精神科の依存症病棟と内科の両方を持った柏ノ丘病院は理想的に思える。けれども米窪さんに言わせれば、
「内科の水準が低くて設備も乏しい。そのうえ精神科との連携もできていない。看護師は残業したくないから、申し送りでもきちんと情報伝達がされない。みんな所詮、仕事だからやってるんだ、ってことが分かってきたよ」
 米窪さんが物事に冷めた見方をしがちだとはいえ、こんなにも辛辣な物言いをするには理由がある。以前、別の病院で内科の診察を受けた米窪さんは、担当医から「あなたは大勢いる患者のひとりでしかないと思ってますから」と言われたことがあるそうだ。その医師の真意は分からないが、この柏ノ丘病院でも、内科があるのに転院せざるを得なくなったり、食事制限の指示があったと思えば、点滴のせいで血糖値が下がったから今度は甘いものを食べろと言われたり、そういう経緯が不信感を募る結果になっているようだ。
 僕にはこれについてあれこれ言えた立場ではないが、どんな病気やケガの場合でもはっきりしているのは、患者が医師や看護師、ひいては病院を信頼できなくなってしまえば医療行為は成り立たない。入院する意味などなくなってしまう。それは患者にとっても病院にとっても不幸なことだ。
 先月初旬、薬物依存症で入院していた丸谷さんが言っていた言葉が思い出される。
「大事なのは、病院のスタッフに『自分を任せることができるか』だと思うよ」――


 午後2時からの学習会は6回目を迎えた。今日は『⑪ 依存症とリハビリテーション』というタイトルで、作業療法士(OT)の一宮さんが担当した。僕は今日も先週と同じく、最前列中央の席に座って学習会に臨んだ。
 内容としては、依存症とはどのような病気か、どのような人が陥りやすい傾向にあるかということを簡単にさらったうえで、ミーティングやレク、SSTなどのARPの重要性や、デイケアや自助グループについて改めて説明したものだ。正直「今さら度」が高く、申し訳ないけれども後半はほとんど寝てしまった。
 ただ、ひとつ気になったのは、回復していくための段階として第Ⅰ期~Ⅳ期に分けて示したところだ。回復へのステップについてはミーティングやAAでも必ず取り上げられるが、それぞれ微妙に内容が異なる。先日のセカンドミーティングのテキストで示されたのは数年周期のプロセスで、何をもって「回復」といえるのかが定かでないため、どう捉えていいのかが分からなくなってしまう。お酒に依存するに至った理由も、患者を取り巻く環境も人によって様々だ。
 退院後、それほど時間も労力もかけずにお酒を断つことに成功する人もいれば、何度もスリップ(再飲酒)を繰り返す人もいる。また、1年でも10年でも断酒が続いていたのに、たった一度飲んでしまったがために、依存がぶり返して振り出しに戻るケースもある。つまり、回復へのステップといっても一概に断定できないのだ。

 今日の学習会で、一宮OTは次のような4段階を示した。

○第Ⅰ期…相談や援助の場に来て、アルコール依存の自分を認める。
○第Ⅱ期…明日のことは考えず、今日一日を飲まないで過ごす。
○第Ⅲ期…なぜ飲酒に頼らざるを得なかったのか、自分を「見つめる」。
→親子、夫婦、職場などの、自分の対人関係を見つめる。
○第Ⅳ期…自分がどう変わりたいかを考える。
→対人関係のパターンを「より生きやすく、楽な関係」へ。人とのつながりの中で、「心地よい体験」や「共感」を重ねる。

 このあと入院中にできることとして、ARPの具体的な説明へと移るのだが、第Ⅰ期とⅡ期が簡潔で分かりやすいのに対し、第Ⅲ期、Ⅳ期が何だか抽象的でいきなりハードルも上がる。対人関係が絡むと、自分ひとりでの解決はほぼ不可能に思える。また、よく「ひとりで悩まないで」とか言われるが、家庭や職場の対人関係の問題に、誰がどこまで踏み込んでくれるというのだろう。
 僕の場合、退院後に順序立てて第Ⅱ期からⅢ期へ移るということはできない気がする。第Ⅲ期で示された『対人関係を見つめる』前に、お酒を飲まずにいられるだろうか。同じことの繰り返しにはならないだろうか。第Ⅱ期とⅢ期のステップを同時に進めていくことは可能なのだろうか。

 いちど湧いた疑問は止まらず、混沌としてきた。一宮さんに質問しても、かえって困らせてしまうだけのような気がして、何も訊けなかった。
 ただ、彼女の患者を見る視線はとても優しい。職務上当たり前といえばそれまでだが、彼女は僕ら依存症者を「精神科にいるココロの病んだ連中」とは決して見ず、僕らと一緒に考え、悩んでくれている。

 誰をもってしても答えなんか出ない。そういう病気だということは間違いない。


 学習会から戻ると、沼畑師長から担当医師の交替が唐突に告げられた。森岡先生が体調を崩したため、5ーB病棟の受け持ち患者は当面すべて渡辺先生という別の医師が担当になるというのだ。
 渡辺先生は5人いる担当医のうちのひとりで、先月12日の学習会『⑧ アルコールがつくる身体の病気』を担当した、落ち着きのない喋りかたをするドクターだ。あとで聞いたのだが、あの落ち着きのなさは『チック症』と呼ばれる一種の障害なのだそうだ。40代前半くらいの若い先生だが、防衛医大出身というからさぞかし優秀なのだろう、とあれこれ詮索したくなる。回診日は森岡先生と同じ木曜だが、午前9時45分からの診察のため、開始時間がこれまでより早くなる。さらに、現在主治医を務めている患者に加えて受け持ちが増えるのだから、回診にかかる全体の時間も大幅に長くなることが予想されるため、10時半からのレクにかかってしまう可能性がある。
 それはそれで仕方がないのだが、それよりも僕は正直、主治医が変わったことに安心を覚えてしまった。渡辺医師は先の学習会で見た程度で、どんな先生なのかは当然知らない。ただ、これまで森岡先生の回診では、相性というのか、僕はどうもものを言いづらい雰囲気を感じていたからだ。

「森岡先生、大丈夫なんですか?」
 話の流れ上、いちおう師長に尋ねた。森岡先生が復帰までどれくらいかかりそうか、さりげなく確認したいこともあった。
「知らなーい。私身内じゃないから」
 そりゃそうだ。


 今日は久しぶりに1時間早い夕食を摂って、植中さんと院外AAのミーティングに足を運んだ。「カッコー」という、院内ではミーティングを開いていないグループで、初めての参加になる。西町駅まで病院バスまで向かい、そこから徒歩で10分ほどの西町カトリック教会が会場だ。午後7時開始なのに、1時間近く前に着いてしまった。ミーティング開始までのこの時間が、雑談で仲間との親睦を深めるフェローシップの意味があるそうだが、親睦も何も、居場所のない今の僕には苦痛でしかない。
 今日はAAのいくつかあるテキストのうち、『どうやって飲まないでいるか』という冊子を使った『リビングソーバー・ミーティング』と呼ばれるミーティングだ。通常どこのAAでも、必要なテキストはグループによって数冊ほど用意されていて、ミーティングに際して僕のように自前のテキストを持っていない参加者にも貸してもらえる。テキスト本文のうち、その日さらうチャプターを輪読したあと、例によってひとりずつ順番に自らの体験談や考え、最近感じたことなどを話していく。本文の内容と直接関係なくても、飲酒に関わることならどんな内容でもOKだ。
「どうやって飲まないでいるか」―― そんなこと、僕には分からない。僕はシラフで集団に交われないこと、そして実家の父と母のことを簡単に話し、退院後にスリップしないかという不安を口にした。「どうやって飲まないでいるか」の答えは、もちん誰からも貰えるものではなかった。


 明日からまた、看護実習の学生さんが2週間ほどやって来るそうだ。学生さんは実習の期間中、それぞれ誰かひとりの患者の受け持ちとなる。師長から要請を受けた患者は、あくまで協力というかたちで、学生さんとできるだけ行動を共にし、話し相手になることで、学生さんが患者に直接接する機会とするのだ。
 対象の患者は、もちろん誰でもいいというわけではない。比較的症状が落ち着いていて、学生の看護実習に理解を示していないといけないだろう。20代の女子学生が多いため、50代後半以上の男性患者に要請される傾向が強い気がする。子供の有無も関係しているのかもしれない。

 そんなことを推測していたが、今回はよりによって学生さんのひとりが、勝瀬さんの受け持ちとなるというのだ。
 勝瀬さんは50代前半で子供はいない。僕が予想する「実習生がつく患者の条件」の対象から外れてしまうが、そんなことよりも、自宅へ外泊するたびに気落ちして戻って来る勝瀬さんは、このところ憔悴しているようにも見える。ストレスからなのか、米窪さんと僕との会話の中では信じられないようなエロ発言が飛び出すこともしばしばだ。「俺につけばいろいろお世話してやるのに」と危険な笑みを浮かべる米窪さんよりははるかにマシだが、それにしても師長のミスチョイスではないのか、心配だ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-06-20 13:01 | カテゴリ:診察・診断・回診

 丸谷さんが退院した。午前10時半の病院バスで出発するということだったが、僕は10時から2回目の心理検査か入っていたので、10時前に喫煙室でお別れをした。散歩の際やデイルームで聴かせてもらったことは、僕とはまったく違うプロセスを辿った丸谷さんの、貴重な話ばかりだった。


 2回目の心理検査は適性能力を診るということで、図形を並べたり口答の計算をさせられたりと、僕が特に苦手とする数学的な出題が多かった。昨夜は遅くまで日記を書いていて4時間ほどしか寝ていなかったが、たっぷり寝ていたところで結果はあまり変わらない気がする。

 心理士の田村さんから1時間半にわたって様々な出題をされたあと、最後に無地の画用紙と鉛筆を渡され「実のなる木」を描いてください、と言われた。
 僕は根の部分から真っすぐに伸びる高い木を1本描いた。
 牛本看護師主任から聴いた『アディクション・ツリー』が一瞬頭をよぎったが、どうしてもふんだんに実るという光景が浮かばず、木の高いところに伸びた枝にぶら下がる果実をひとつだけ描いた。果実はリンゴでも柿でもドリアンでも何でもいいが、それはとても大切な何かのイメージで、その実を木の下から見上げて立つ人物を加えた。何となく、大事に育てた木に実った柿を見つめるカニ ――
 昔話にあった、そんなシーンを想像した。サルがもっと親切だったなら、自分で木に登れないカニのために、柿の実を摘んであげられたはずなのに。
 僕の描いた木には、親切なサルも意地悪なサルもいない。木の下から果実を仰ぎ見る無機質なタッチの人物は、ただ実が落ちるのをじっと待っているだけだ。


 ひと通り絵を描き終えると、田村心理士が僕に細かい質問をする。
「この木はどれくらいの高さですか?」
「ビルの5階から…10階くらいでしょうか」
「けっこう幅がありますね?」
「具体的な高さは分かりません。でも高い木です」
「幹の太さはどれくらいですか?」
「両手を回して届くほど細くはないですが、それほど太くもないです」
「この人物の身長はどれくらいですか?」
「僕くらいでしょうか」
「木の樹齢はどうですか?」
「せいぜい40年くらい…陽射しと水があればすくすく育ちます」
「ここはどんな場所ですか?」
「周囲にも木はありますが、鬱蒼とした森ではないんです。陽射しが届く、ちょっとした林みたいな」
「地面に草のようなものも描かれていますが、これは何ですか?」
「草でも花でも構いません。ただ、地面にも陽射しが当たってるので、小さな植物も生えてるかなあ、と」

 最後のほうの質問の答えは完全に適当で、単に「陽射し」という言葉が気に入ったから何度も使ってみただけだ。それも含めての心理検査なのだろうか。

「絵はよく描かれるんですか?」
 と、田村心理士に訊かれた。僕と同い年で物言いがとても丁寧だ。思わず訊かれてもいないことまで喋ってしまった。
「小学生の頃は、兄と一緒に絵画教室に通ってました。でも絵は圧倒的に兄のほうが上手くて。先生はきっと、兄の才能を伸ばしたかったんで、僕はついでにくっついて来ただけなんでしょうね。負けたくないというのはあったけど、途中でこりゃ無理だと分かってやめました。それ以来、絵をまともに描いたことはありません」
 中学や高校の美術の授業で、少なからず絵を描くことはあったはずだが、僕にはその記憶がない。あの絵画教室が、僕がまともに絵を描いていた最後だ。
 来週、もう1回検査を行うという。


 あまり寝ていなかったうえ、予想以上に心理検査に脳みそを使ったため、ベッドに戻ると爆睡していた。午後1時半頃、シーツ交換に来たおばちゃんに叩き起こされた。毎週月曜日は1時から、順次すべての病室のシーツ交換があるため、本来この時間はベッドを空けていなければいけないのだ。

 午後2時からは恒例の学習会に参加した。先週は連休でお休みだったため、僕は今日が3回目となる。今回は『⑧ アルコールがつくる身体の病気』がタイトルで、渡辺先生というドクターが担当した。
 5ーB病棟の患者を受け持つ医師は、院長を含めて5名いるが、このうち僕の主治医の森岡先生以外の医師の姿を見たのは初めてだ。40代前半~半ばくらいだろうか、何だか喋りかたに落ち着きがなく、おどおどしているような感じの先生だ。精神科医には見えないが、緊張しているのだろうか。
 いざ学習会に入ると先生はやや落ち着きを取り戻したようで、タイトルの通り、アルコールによる肝臓、膵(すい)臓の疾患や、消化管、神経、循環器系その他、障害のリスクと症状について、スライドや資料を使ってのレクチャーが行われた。
 なかでも、初期段階では無症状のため、俗に「もの言わぬ臓器」と呼ばれる肝臓の疾患のなれの果てが、いわゆる肝硬変で、5年生存率が50%と聞けば到底穏やかでない話だが、直ちに飲酒をやめるとその数字は、なんと85%にまで上がるのだという。
 とは言え、どうも素人相手に数字のデータを持ち出されると、プレゼンする側のやりようでいくらでも説得の材料にできてしまう気がしてならない。要は「コノママデハ死ニマス。デモ今ナラチャンスハアリマス」感が見えすいているのだ。
 そんなふうに思ってしまう僕は、やっぱりひねくれ過ぎているのだろうか。


 僕の気持ちの浮き沈みは相変わらず激しい。
 今日は夜半から雨の予報だったが、降らずに済んだ。雨さえ降らなければ、ベランダ越しの桜はもうあと数日で満開になる。
 この遅咲きの桜が枝いっぱいに咲くのを見たとき、僕は何を思うのだろうか。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-05-27 07:42 | カテゴリ:診察・診断・回診

 入院からちょうど1週間。今日は午前10時からフレッシュミーティングに参加した。
 柏ノ丘病院に初めて入院する患者を対象としたプログラムで、それぞれ入院生活の不安や不満、悩みなどを挙げて話し合う。昨日のビギナーミーティングと違って、ほかの患者の発言に対して感想や意見を言っても構わない。4回の参加が必要で、これも沼畑師長が担当する。

 ミーティングルームに集まったのは、見たところ30~60代くらいの患者が6、7人ほどだが、意外だったのは薬物やギャンブル依存症の患者も一緒に参加していることだ。
 アルコールのみならず、複数の依存が絡まって負のスパイラルに陥っている患者もいるようだが、詳しいことはまだよく分からない。
 何にせよ、様々なケースで入院を余儀なくされている人たちが、ここにはいる。

 ミーティングでは、共同生活のストレスから極度の不眠を訴える声や、入院ではなく外来での治療を望む声、また処方薬についての注文など、患者それぞれの思いの丈が率直に語られた。
 どの患者も自分の症状をよく理解していて、どこがフレッシュなんだと思うほど、治療のステップや薬についても詳しかった。
 僕の番になった。特に話すべきこともなかったが、仕方がないので、集団に馴染めず人と距離を置いてしまう自分が、周囲を不快にさせているのではないかという不安を打ち明け、そして詫びた。
「そんなことは、全然ないですけどね」
 同じ53号室の勝瀬さんという、50歳を少し越えたくらいの男性がぽつりと言った。
 康平くんという、やはり同室の若い患者が「そうですよ」と賛同する。
 僕のこういう発言に始まるこういう流れでは、こういう優しいフォローしか返って来ないであろうことはおおよそ分かっている。分かっていても、気持ちは少し軽くなる。
 つまるところ僕は、優しくされたいのだ。

 ミーティングは予定の1時間より10分ほど早く終わった。
「私、いつもミーティング早く終わらせ過ぎちゃうんですよねー」
 と、沼畑師長はよく分からない自慢をして笑っていたが、僕には少し物足りないミーティングのような気がした。

 退席際に、河原さんという男性に声をかけられた。隣の54号室の患者で、僕より少し歳上に見える。彼は入院から4週目ということで、フレッシュミーティングは今日が最後だそうだ。
「11時半まで体育館でレクやってるから。あと40分くらいだけど、行ってみたら?」
「はあ…ありがとうございます」


 僕はその「体育館」がいったいどこにあるのか、まだ知らなかった。すぐに訊けばいいのに、困ったことにそれができない。
 また今度でいいか ―― と思いつつ、喫煙室でひとりタバコを吸っていると、麻友美さんが入って来た。
 患者会の会長を務める彼女は、平日朝の例の瞑想の時間を仕切っているのだが、今朝は開始直前になって看護師詰所からひどい過呼吸状態で飛び出して来ると、そのまま自分の病室に駆け込んで行った。すぐに掛川看護師があとを追いかけて病室へ入って行ったが、デイルーム前の廊下で円椅子に座って瞑想待ちをしていた僕は、その様子をただ唖然として見ているだけだった。
 何だかよく分からないが、みんなそれぞれいろんな事情を抱えている。

 いつもはそんなことないのだが、喫煙室の沈黙に耐えかねて何となく声をかけてみた。
「体育館って、どこにあるんですか?」
 答えはすぐに返ってきた。
「同じ階。一緒に行く?」
「見学だけなら、サンダルのままでも大丈夫ですか?」
「あー全然大丈夫」
 そう言うと彼女は、吸いかけのタバコをせわしなく揉み消して立ち上がった。

 5ーB病棟をさらに奥へ進んだ突き当たりに、体育館はあった。市民センターなんかにありそうな、少し狭いけれど普通の体育館だ。
 入口側にはエアロバイクが数台置いてあり、既に何人かが快調にペダルを漕いでいる。エアロバイクの利用は中高年層の患者が多いようだ。
 体育館奥はステージになっていて、降りている緞帳の向こうからドラムの演奏が聴こえる。緞帳をくぐってステージに上がってみると、上手袖にはドラムセット、下手袖には電子ピアノが置いてあり、自由に弾いて構わないらしい。
 ドラムを叩いているのは康平くんで、僕に気づくとスティックを揃えて差し出し「やりますか?」の合図をくれたが、演奏なんてとてもできない僕はもちろん遠慮した。

 ステージ前にはミニバレーのネットが張られ、6人対6人でゲームをしている最中だった。1ゲームが終わったところで、患者に混じって一緒に参加していた葉山さんという若い女性看護師が、僕に気を遣い「サトウさん、入りませんか?」と交代を持ちかけたが、やっぱり遠慮した。
 ピアノを弾くのにゲームから抜けた丸谷さんという男性患者に代わり、麻友美さんがバレーに加わった。僕はステージサイドから腰を降ろし、次の1ゲームを見守った。必然的に、かつ自動的に、おんぼろの得点スタンドをめくるのは僕の役目になっていた。

 そのゲームが終わったところで僕は、見学はここまでと、ひとり体育館を出た。出た途端、最後までみんなと一緒にいればよかったと後悔した。
 ―― どうせほかにすることもないのだ。見学であれ何であれ、できるだけみんなと一緒にいて、仲間に入る努力をすることが、今の僕には大事なんだ。せっかくいい流れだったじゃないか。
 今さら後悔してみたところで、わざわざ戻って行く気にもなれなかった。


 レクリエーションのすぐあと、木曜日の午前11時半からは、主治医の森岡先生の回診がある。
 病院から貰った資料を見ると、5ーB病棟の入院患者を担当するドクターは合わせて5名おり、この中で患者の担当が決められている。森岡医師が僕を含めた何人の患者の主治医になっているのかは知らないが、とにかく僕は初回診ということで、昨日、一昨日の検査結果について説明があった。

 結果結果によると、心電図は極めて正常、レントゲンも気になるところはなし。期待していた脳のCTは、前頭葉付近にやや萎縮が疑われるという程度で、僕は思いのほか健康だった。
 ただ脳波については、やはり精神的に不安定な傾向にあり、引き続き療養が必要との診断だ。そのあと眠剤やら向精神薬やら『各種取り揃えております』的にそれぞれの効能やリスクについて説明を受けたが、萎縮した僕の前頭葉ではよく分からない。
 要するに、薬物依存を避けるため、できるだけ薬に頼らず経過を見ていくことを奨められている、と僕は理解したのでそれに従うことにした。

 午後からも森岡先生との面談で、改めて主治医の立場からアルコール依存症についての基本的な説明を受けた。
 森岡先生は割と紋切り型の口調が印象的で、有名人の実際の症例や、デンゼル・ワシントンがアル中のパイロットを演じた映画『フライト』の話題などを盛り込みながら、アルコール依存症が治療を要する立派な精神疾患であることを重ねて説明してくれたが、
「僕もこの街の精神科医の中でも指折りの酒好きなんですよ」
 と、患者に言うべきことなのかよく分からないカミングアウトまでされたので、正直なところ戸惑った。
 ただ、今はジム通いにハマっているとかで、他に健全な楽しみを持つことが大切なんだと、独特の口調ではあるが懇切丁寧に説いてくれた。
 僕は先生の話をしおらしく聴きながら、ペンを持つその指が小刻みに震えているのをできるだけ見ないようにしていた。
 ジム通いにハマっても、お酒をやめたわけではないらしい。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-05-18 00:35 | カテゴリ:診察・診断・回診

 午前8時10分。へろへろでの出勤だった。
 前日に会社を欠勤し、体調不良だというのに昼間から酎ハイをあおり、夜も気持ちが悪いことを承知で午後11時くらいまで飲んでそのまま落ちた、と思う。
 この木曜、金曜をなんとか耐えればまた2連休、と奮い立たせて電車に乗った。頑張れ俺、と満員の車内の吊革に力を込めたのはいいが、途端にその力がコントロールできなくなった。体がフラフラと揺れ始め、そのうち志村けんの酔っ払いみたいに、ぐらぐらぐりーんともんどり打つ。条件反射のように、目の前に座っていた乗客がさーっと席を空けてくれた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫…」なんとか座席に腰を下ろして答えながらも、上半身が真横に傾く。大丈夫じゃねえだろ、と突っ込まれる代わりに真横の席がさらに空いた。
 誰かが乗務員を呼んでいる。無線で事態を知らせるやりとりが遠くで聞こえる。意識はある。が、動けない。というより、手や足や肩がぶるぶるぴこぴこ、変な感じで震えている。乗客の誰かが僕の脚を持って臥位の姿勢にしてくれた。先を急ぐ満員の乗客をよそに、完全なシート独占だ。
 たまたま乗り合わせた医療関係者と覚しき男性が、僕に大声で質問したり脈をとる。
「お名前言えますかあー?」
「…サトウ…です」
 靴を脱がされた。「…マズい、俺の足臭い…」朦朧とした頭でもそんなことを考える。というより、そんなことくらいしか浮かばないのだ。
 電車のドアが開き、乗客をかき分けて救急隊員が飛び込んで来た。「バイタル正常です。あとをお願いします」と先ほどの男性が、テレビドラマそのままの口ぶりで隊員に状況を手短かに説明する。車内が狭いため、隊員に担がれて外へ運ばれ、そこでストレッチャーに乗せられた。
 バタン、ガッタンという慎重かつ緊迫した震動が背中に伝わり、次に目を開けたときに見たのは、初めて見る救急車の天井と、必死の眼差しをこちらに向ける救急隊員の姿だった。

 この日僕は、この平日朝の30分ほどの間に、いったいどれだけの人に迷惑をかけたのだろう。途中下車するはめになった電車の片道料金も、結局のところ支払っていない。


 いくつかの病院に断られた挙げ句、救急車で5分ほどのところにある中規模病院に搬送された。僕は救急隊員の勧めで、内科で診てもらうことに同意した。
 病院へ運ばれた頃にはだいぶ落ち着いていたが、自分で手を動かそうとすると、情けないことにわなわなと震えが起こる始末で、看護師さんに身体を触れられただけで勝手に激しく反応してしまう。丸い顔をした初老の男性医師がそのたびに「おお、震え来たど、震え来たどー!」と漁師みたいな口調で叫んでいた。

 けれどもすぐに、心肺停止の重篤患者が運ばれて来ることになったとかで、当然僕なんかにゆっくり構ってもいられない事態になってしまった。僕の心電図にも血圧にも脈にも異常は見られないため、血液検査と点滴で帰ってもらおうということになり、僕はストレッチャーの上でずっと天井を見上げたまま、処置室から点滴室へガラガラと移された。
 ここまでで僕は、自身のアルコール依存とひどい鬱症状のことをひととおり伝えた。すると丸い顔の先生から、この病院に精神科がないという実に明快な理由でアルコール外来を扱う柏ノ丘病院を勧められ、そして実家の両親が呼ばれた。


 柏ノ丘病院へは、父が電話で交渉してくれた。早速今日の午後から診てもらえることになり、父の車で病院へ向かった。母も一緒だった。

 午後1時半。実家からそう遠くない柏ノ丘病院の駐車場へ着くと、一気に緊張が襲ってきた。精神科へは、大阪に住んでいた頃に2回ほど行ったことがあるが、初めて訪れる病院に不安がつきまとう。
 父に促され、受付で保険証と、丸顔の先生に書いてもらった紹介状を恐る恐る差し出すと、問診票を渡された。テンパっているので今年が平成何年だったか、今日が何日だったかよく分からない。手が震えて字がうまく書けない。
 ―― 俺、字を書くときに震えるコトが多くなったなあ。ふと思った。

 ロビーで待つ間、たくさんの不安がよぎる。ちょうど数日前、父に柏ノ丘病院のことを話した。酒の上での失態から去年、前の仕事をクビになる直前に、この病院の存在は調べて知っていた。入院も含めてアルコール依存の治療をしたい、外来について来て欲しいと相談し、父も同意してくれたが、いかんせんお互いお酒を飲んでの話だったものだから、結局行かずじまいで、今日、こんなことになってしまった。
 ―― あのとき話したように、入院して治療に専念するのがベストなんだろうけれど、ホントにそれでいいのか? とりあえず明日のシゴトはどうする? 今日は救急隊の方から会社へ一報を入れてもらったが、どのみちあとで連絡は必要だ。明日は何とか踏みとどまって会社へ向かうとして、また今朝みたいな大騒ぎになったらどうする? それは絶対に嫌だ。というより、恐ろしすぎる。

 止まらない手汗を、既に水が搾れるくらいになったハンドタオルでひたすら拭いていると、ソーシャルワーカーの女性がやって来た。
「サトウさんですか? ドクターの診察前に、私のほうから別室で少しお話を伺いたいのですが…ご両親も同席されますか?」
「いえ、結構です」
 僕にどうしたいか訊くこともなく、父が即答した。
 大阪で初めてアルコール外来へ行ったときは、不安でたまらずワーカーとの面談も当時の彼女に付き添ってもらったが、今回はひとりで僕も構わない。親に聞かれたくない話もある。
 あのときもそうだったが、担当のソーシャルワーカーさんは僕よりも若く、仕事が仕事だけあってとても真摯で包容的だ。巷で話題のスイーツあたりを気のおけない友人と食べるとき、間違っても「ヤーベこれ、オニウマくね?」などとは言わないタイプだ。
 そういう真摯で包容的な人に、僕のとても残念な半生を聴いてもらい、あまつさえこまごまとメモまで取らせているのは、もうそれだけでやるせなく、何だかとても申し訳ない。この時点で既に僕は、叢でじっと息を殺す手負いの小動物のようになっているのだ。


 午後2時半の予定を押して、いよいよ診察が始まった。外来の男性医師は僕にいくつか質問したあと、やはり入院治療を勧めた。
 しかも今日から。しかも3ヶ月。
 これはさすがに僕にも父にも唐突で、会社はどうせクビだろうし、保険証やら社員証やらは返しに行かなきゃいけないし、着替えだの何だの準備もあるし…と、ふたりしてうろたえたが、
「入院は任意ですから、こちらはいつでも構わないんです。でも今日帰宅したことで気持ちが変わっちゃって、サトウさんが次に来るのに消極的になってしまったら、せっかくのチャンスを潰すことになりかねないんですよ」
 高価な美術品でも売りつけるような文句だが、これは効いた。ましてや白衣を纏った精神科医に目の前で言われると、有無を言わせない説得力がある。
 会社の諸手続きについては、いずれ外出許可も降りるだろうということもあり、結局は父自ら「いざとなったら俺がやってくる」と言ったことで、2014年4月17日、僕のこのポンコツの身体は、38歳にして初めての入院という運びとなった。
 ―― 病名『アルコール依存症』――


『5ーB病棟』。ここの53号室が僕の入る部屋だ。
 この病室にはベッドが8床あり、僕が入ったことで53号室は埋まった。想像したよりもはるかに昭和の臭いを感じさせる病棟で、病室のベッド枕元の真上に取り付けられた読書灯は、単なる普通のヒモ式蛍光灯だ。
 ベッドに向かって左脇には個人用の棚があり、上段は洋服などをかけておくための高さ 120㎝くらいの開き戸になっていて、中にはハンガーをかけるつっかえ棒が固定されている。奥行きは70㎝程度で、クローゼットとしての容積はそこそこあるのだが、なぜか奥から幅15㎝くらいの小棚がせり出しているため、服をかけるとこの小棚は完全に隠れてしまい、置かれたものを取り出すのに服が邪魔してほぼ使えなくなる。
 クローゼットの下には、食事トレーなどを置く収納式の引き板テーブルと引き出し、いちばん下に高さ60㎝ほどの引き戸で、中は2段になっている。いずれも蝶番だけはついているが、鍵はない。自己責任なのだそうだ。
 僕のイメージとは違い、なかなかシビアな精神科だ。もっとも売店で南京錠を 600円で販売しているらしいが、それもまたシビアだ。

 掛川さんという女性看護師の案内で、病棟をひととおり見て回った。冷蔵庫もテレビも、個人用はなし。エレベーター前なんかに置かれた自販機でチャージして『がっちゃん』する、あんなシステムも当然なし。風呂やトイレ、洗面所はもちろんだが、冷蔵庫もテレビも共用。ここはいわゆる、社会復帰のための「共同生活空間」なのだ。
 ヒトの環になんかとても入って行けない精神構造のいまの僕にとっては、越えなければならない障害だらけで、監禁されるほうがよっぽど楽だ。

 両親が心配しながらも帰ったあと、会社へ連絡した。時刻は既に夕方4時を過ぎていた。病院内で、携帯通話可能なエリアは限られている。
 職場マネージャーの話では、入院費の5~6割を会社で負担してくれる制度があるらしい。この場合、雇用契約はそのまま継続されるため、保険証もそのままだ。ただし欠勤扱いだから社会保険料は全額自己負担になるとのこと。
 もうひとつ。いったん退職して保険証を返却、国保へ戻して退院後に復職する方法もあるとの説明だった。
 ありがたい話ではあるが、要するにどっちが得なのかさっぱり分からない。何となく後者のほうが面倒な臭いは感じて取れる。そもそも「アルコール依存症」なんて病気で、会社で入院費負担だの復職だの、そんな寛大な恩情にあやかれるものなんだろうか。
 いずれにしても、月末にはまた会社へ連絡することになった。
 ここで本当にクビかが決まる。


『5ーB病棟』だが、ほかに何の何病棟があるのかは知らない。またこの病棟に、僕の入った53号室以外いくつの病室があるのかも知らない。
 掛川看護師によれば、トイレと洗面所のほかに共用のシャワー室があり、3階のどこやらに『大浴場』なるものがあり、有料の洗濯機や無料の乾燥機があり、その他訊いてくれれば何でもお答えします、とのことだった。受付ロビーから病棟へ来る途中に、小さな売店も発見した。
 ただ、とにかく今は病院のわくわく探検なんか到底する気にはなれない。病棟廊下の共用本棚に大量に収められた小説や漫画や断酒に関する書籍の中から、さいとう・たかをの劇画『鬼平犯科帳』の数巻をチョイスし、早速ベッドに横になり、カーテンを閉じて引き籠った。

 こうして僕の、引き籠り入院生活が始まった ――
 と思ったが、そうはさせじとばかりに折を見て看護師さんが入れ替わり立ち替わりやって来る。皆さん「初めまして」の挨拶に来るのだが、どの看護師さんも怖いくらい優しくて温かい。だってここはそういうところなのだから、それはそれでそうなのだろう。でも、入院初体験が精神科になってしまった僕には、優しくされることがたまらなく申し訳なくて、ああ俺は『入院弱者』なんだなあ…と、何だか無性に切なくなるのだ。どの看護師さんともまったく同じ話に終始するのも正直、滅入る。

 また、この日木曜は、僕の主治医となった森岡先生の回診日で在勤だったため、早速先生と面談を行った。リズミカルに喋るベテランの男性医師だが、笑顔で話していても眼鏡の奥の目が笑っていない気がしたのが第一印象だった。


 入院初日の夕食のおかずは餃子だった。餃子も、和え物のタケノコも固かった。食欲は皆無で、申し訳ないとは思いながら3分の1ほど残してしまった。
 夜、何人かの患者さんに声をかけられたが、愛想笑いで返すのが精一杯だ。ここは病院なんだと分かっていても、マイナス印象は否めない。ここにいるすべての人が怖かった。
 けれど、それもすぐにどうでもよくなった。勇気を出して喫煙室へ行き、タバコを1本吸ったことで、長かった1日目はもう充分だと思った。




※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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