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2015-03-09 15:09 | カテゴリ:断酒会
(※5度目のスリップから21日目)
 昨夜の午前2時近く。日記を書いていたら、木曜の自助参加と外泊申請を忘れないか無性に不安になってきた。外泊は前日正午までに申請しないといけない。この頃うっかり忘れが多いうえ、外出ができないと行動プランが大きく狂ってしまう。既に夜勤の看護師さんも仮眠をとる時間なのだが、デイルームから詰所の窓を覗くと夜勤当番の前上さんと丹羽さんがまだ起きているのが見えた。

 ドアをノックしてノブを回すが、施錠されている。看護師さんの仮眠中に患者が侵入するのを防ぐためだろう。ときどき忘れてしまうが、ここは精神科病棟なのだ。
 丹羽看護師がドアを開けて、僕を詰所に入れてくれた。
「こんな時間に申し訳ないんですが…」
 と、恐る恐る外泊届を渡し、記入方法について分からないことを尋ねた。
「ほかに分からないことはないですか?」
 外泊届は受け取ってもらえたので、これ以上手間を取らせてはと思い「また分からないことがあればそのとき伺います」と答えた。お礼を言って詰所を出ようとしたら、丹羽さんに呼び止められた。
「今回は受け取りますが、次からこういうことは夜中じゃなくて昼間に来てもらえますか?」
 笑顔で柔和な表情だが、言葉に舌打ちが混じっているように感じた。ヤバい。前上さんに目をやると、困ったような顔で「そうですね、できればお昼に…」とすまなそうに小声で言った。
 この時間、看護師さんが普段仮眠をとっていることは知っている。これからも事あるごとに看護師さんを叩き起こして外泊届を突き出すとでも思われたか。それとも「分からないことがあればまた訊く」というのは「今夜また来ます」と受け止められたか。
 いずれにしても僕は、非常識でイタい行動を取ってしまった。心理検査でも指摘された、僕の思考のズレがここにある。慌てた僕はパニックになり、
「すいません、じゃあ明日もう一度持って来ますっ」
 と、既に受け取ってもらった外泊届を取り戻そうとして余計イタい行動を取る。
「今回はこれでいいから、次から気をつけてくれる? 心配で眠れないときもあるよね」
 幼い子供をなだめるように丹羽看護師に言われ、自分のイタさにへこむ。
 何度もお詫びをして詰所を出たあとも、こういうことでヘコんだ自分にさらにヘコむ。これが僕なのだ。僕は結局、何も変わっていないのではないか。

 今日の朝、前上看護師が病室に訪ねて来てくれた。外泊から戻ったあとの食事の有無について確認したいとのことだったが、明らかに僕の様子を心配して見に来てくれたようだった。
「昨晩のことで考え込んじゃったりしてませんか?」
 思いきり動揺しながら「大丈夫です」と答えた。一夜明けても看護師さんに気を遣わせている自分が情けなかった。


 水曜日のARPは午後3時からのサードミーティングだけだが、テキストを使ったセカンドミーティング以降、僕の最も気が進まないプログラムになってしまった。
 ワークブック形式のテキストに書かれてある内容はもっともなのだが、当たり前と言えば当たり前で、患者に書き込みをさせる質問もなんだか微妙だ。サードミーティングに入っても、書いたことを順に発表し、それに対して進行役のソーシャルワーカーが差し障りのないコメントをしていくだけで、50分という短い時間はあっという間に終わってしまう。
 いつも煮え切らない、残念な気持ちになるのだ。
 今日は第⑦回『回復に向けて(自助グループについて)』というチャプターだ。タイトルから既に結論ありきのような気もするが、以下の設問があった。

*Q:あなたには素直にアルコールの問題を打ち明けられる友人や援助者、関係者はいますか?

「はい」か「いいえ」のどちらかを丸で囲む形式だ。
 僕の回答は「いるといえばいるし、いないといえばいない」だ。僕は貧弱過ぎるくらい貧弱な人間で、今さら人に弱味を見せまい、などとは思っていない。家族にも、あまり多くはない友人にも、アルコールの問題を打ち明けることに抵抗はない。
 ただ、打ち明けたところでどんなレスポンスがあるというのか。打ち明けられた相手を困らせるだけで、何も前進しないのではないか。現に父からは「俺にどうしろというんだ」と言われてしまった。経済的な面で負担を強いていることは心底申し訳ないと思うし、感謝しきれないほど感謝している。ただ、このミーティングで取り上げているのはそうした物理的な援助の話に限らない。
 かと言って、この問題を理解しろというのも無理がある。依存症がいくら病気でも、自業自得と言われればその通りだ。打ち明けることはできても、それはそこまでの話なのだ。
 ―― という流れで、自助グループへ行きましょう、そして仲間をつくりましょう、という提案になってくるのだが、少なくとも僕の場合、自助グループで「俺なんかの話をしていいのか」という思いがある。手短かに話さないと、ほかの人が思いを吐き出す時間がなくなってしまう。仲間の話の時間を奪ってまで自分の話に終始したくない。同じように考える人は、割と多いのではないだろうか。
 僕の回答に対して、進行役のソーシャルワーカーの男性がコメントする。
「でも、そうした配慮ができるのは大事なことだと思います。なるべくたくさんの人に打ち明けられるといいですね」
 ピントがずれているが、ほかに答えようもないのだろう。ひと通り全員の回答を拾ったあと、最終的に「焦らず、気長に」という呑気なまとめで締めくくられてしまった。
 テキストではそのあと自助グループのメリットについて触れ、こうしたグループへの参加が苦手な人にも活用を促す内容になっているのだが、残り5分で要点箇所だけ輪読してミーティングは終わった。
 今日も煮え切らない、残念な気分になってしまった。こんなふうに感じるのは、僕の捉え方がおかしいのだろうか。


 夕食後初めて、院外で行われる中央町の断酒会へ足を運んだ。普段フリーで参加している草刈さんにお願いして、一緒に連れて行ってもらったのだ。いつもはAAに行く優二さんも一緒で、彼はもともと断酒会には度々参加していたのだという。
 西町駅から数駅で電車を降り、会場の中央町民センターの3階集会室へ入った。ひと足早く到着していた和代さんが、
「サトウくーん、来たわね。ようこそ」
 と僕に手を振ってくれた。和代さんは既にこの中央町断酒会の正式な会員で、会長さんの隣の席に陣取っていた。
 会長の赤崎さんは60代後半くらいの男性で、初対面の僕を見るなり「いやあ、よく来たね」と親しげに握手して歓迎してくれた。
『断酒の誓』を唱和して始まった会合には、20人ほどは集まっていただろうか。西町断酒会による柏ノ丘病院の例会と同じく、司会者によりランダムに指名され話をしていく。僕は会の後半、涙ながらにとても重い話をされた女性のあとに指名されて少し戸惑ったが、初めての場でいつもするように簡単な自己紹介を含めて喋らせていただいた。
 断酒会の印象としては、AAに比べて「かちっとしてる」感じがした。会の終了後はメンバーの方から名刺をいただき、「あなたもぜひ入会して一緒に頑張りましょう」という圧力を感じた。
 柏ノ丘例会でもお見かけした、五十嵐さんという別の断酒会所属の年輩男性に車で送っていただいて、8時半には病院に戻ることができた。
 一緒に送ってもらった和代さんは、相変わらず元気そうだった。


 夜。特番のテレビドラマのせいか、喫煙室が施錠される11時近くなっても、デイルームにはいつもより患者の姿が多かった。
 高津さんから、迫さんが4回のスリップで強制退院になったと聞かされた。
「今はアレやね、厳しくなったっちゃね」
 昔は院内飲酒のケースも珍しくなかったそうだが、現在のルールでは院内飲酒は即退院だ。院外飲酒については、強制退院となるスリップの回数が具体的に決められているわけではない。そのときの状況によるのだろう。
 迫さんが以前にスリップしたことは、どこかの病棟へ一時的に移されていたようなので僕も知っていた。ただ、今回の退院に至るまで何度やらかしたのかは知る由もなかった。僕の場合、4回の自己申告を含めて都合5回スリップしている。自己申告とはいえ、4回まとめて、しかも外泊禁止を恐れての事後申告だ。悪質と取られても仕方がない。僕が強制退院にならなかったのは、やはり牛本主任を始め僕を擁護してくれた看護師さんがいたということなのか。
「あの人、結構いろいろ悪態ついてたからなあ…」
 米窪さんが言っていた。
 一見おとなしくて気の弱そうな迫さんは、口を開くと見た目と違って少し乱暴な物言いをする人だと感じたことはあった。以前は建設関係の仕事をしていたそうだが、請け負った仕事にクレームをつけた顧客がたまたまNHKの職員だったとかで、NHKの悪口を散々聞かされたことがある。詳しくは知らないが、過去にドクターにもいろいろ面倒な注文をつけたことがあるという話も、本人から断片的に聞いた。柏ノ丘例会にはコンスタントに出席しており、少なくとも僕が例会に参加したときはすべて一緒だった気がする。
「結局、最後は人対人だからね。態度の問題じゃないか」
 というのが米窪さんの意見だ。そういうことなら、僕は羊のように従順で、卑屈なくらいに無風を好む。もっとも、そういう人間ほど厄介なのかもしれないが。
「でも、サトウさんは変わったよ」
 米窪さんにそう言われた。先日優二さんにも同じことを言われたばかりだ。
「最初は、エラいのが入って来たと思った」
 入院当所、僕は怯えていた。確かにその頃に比べて、僕はモノの考えかたが変わったのかもしれない。というよりこの3ヶ月で、アルコールに代表される依存症という病気について、僕自身の捉えかたに変化があったような気がする。入院を通して知り合った5ーB病棟の患者と病院スタッフ。そして、苦しむ患者を支援する様々な方とグループ ―― その人たちを見て、この病気がもたらす問題は何か、どう向き合うべきなのかを毎日考えさせられている。
 僕自身は、相変わらず打たれ弱い臆病な僕のままだ。ただ、このとき呟いた米窪さんの言葉が何より嬉しかった。

「入院してからサトウさんが行動してきたことが、今の変化に確実に結びついてると思うよ」


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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