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2014-05-25 23:44 | カテゴリ:ミーティング

 いつからか、朝の瞑想が1分間になった。これまでは20~30秒くらいだったと思う。
 瞑想の正しい定義について僕は知らないが、少なくともこれくらいで晴れて「瞑想」と呼んでいい最低所要時間のラインに達したんじゃないかとは思う。


 今朝、僕の食事だけワゴンに載っていなかった。
 結局のところ僕は今日、CT検査が朝から入っていたので、検査前の飲食ができず、当然いつもの時間に朝食は用意されなかった。ただそれを、前もって看護師さんが僕に伝え忘れただけのことだ。
 経緯が分かってしまえば「だけのことだ」で済む話なのだが、被害妄想と強迫観念に病みきっている僕は、自分の朝食がないことに気づいた瞬間、激しく動揺する。
 ―― やっぱり俺、病院のスタッフにも相手にされてないのか。いや、いいもん別に。
 心の中で勃発した革命的なパニックを悟られないよう平静を装うのに必死で、ましてや周囲に訴えでもしてひと騒ぎなんか起きたら大変だ。挙げ句、回れ右して自分のベッドへ直帰する。
 苛められた子供が泣きながら家へ帰るように、カーテンで仕切られた僕だけの安全地帯に、一目散に逃げ帰って来るのだ。
 ―― 大丈夫、別にお腹はすいてないから。大丈夫、大丈夫。
 人に忘れられている淋しさを打ち消すため、何度も「大丈夫」と自分に言い聞かせる。でも、誰か気づいて欲しいとどこかで願いながら。

 まもなく、ミスに気づいた看護師さんのほうからやって来て、CT検査の連絡が漏れていたこと、朝食は検査後になることを説明して僕に詫びた。これだけ患者がいて対応も多様なのだから、仕方のないことだと思う。僕はもちろん納得、了承した。

 こんなことは、誰にでもよくあることだ。
 ファミレスで自分の注文したメニューだけ来ない。コンビニで会計のレジに立っても店員に気づいてもらえない。チーズバーガーなのにチーズが入っていない ――
 普通、そういうときは当たり前の主張をするものなのだろう。中には普通じゃない主張をする人もあろうが、とにかく主張することは普通のことだ。普通のことができない僕は、目的を放棄して一刻も早くその場を離れ、自分だけの安全空間に避難する。そこで膝を抱えて丸くなり、ひたすら「大丈夫」と言い聞かせるのだ。
 そんな僕の姿は、周囲の目にはただ「すねてる」としか映らない。


 CT検査を受けるのは初めてで、看護師さんからは「サトウさんは、腹部CTとレントゲンを撮ります」と言われた。
 ―― あの…、腹部もいいけどアタマも撮ってください。学習会でも説明してたでしょう。僕の脳ミソがいまどれだけ縮こまってるのか教えて欲しい。
 もちろんそんな思いは口にできず、1階のレントゲン室とCT室でそれぞれ撮影をした。
 僕はCTとMRIを混同していたが、大雑把にいうとどちらも似たようなものらしい。いわゆる輪切り。CTはX線を使い、MRIは使わない。検査する身体の部位によって、それぞれ向き不向きがあるらしい。

 ズボンを半分くらい下ろして、CTのベッドに仰向けになる。頭をベルトで固定して、例のドーナツ状のトンネルみたいなのにベッドごとスライドしていく ―― あれ、アタマで止まった。何やら小刻みに動いている。なんだ、脳のCTも撮ってくれてるのか。
 続いて腹部撮影のため、ベッドがさらにスライドする。
 BGMやら効果音があればちょっとしたアトラクションになると思うのだが、ここは病院なので当然そんな演出はされない。演出も何も、ここは精神病院なのだ。
 ときどき僕は、自分がどこにいるのかうっかりすることがある。


 午前11時。今日からミーティングが始まった。ミーティングは大きくビギナー、セカンド、サードの3ステップに分かれており、それぞれ4回ずつ、ARP(アルコール・リハビリテーション・プログラム)の一環として組まれている。
 僕はもちろんビギナーからスタートで、5ーB病棟の看護師長が50分のミーティングを担当する。
 当たり前だが、患者によって入院時期はばらばらなので、「前回の続き」という体では行われない。担当の沼畑看護師長は毎回その場で自らテーマをひとつ、患者からもテーマをひとつ出してもらい、それについて思うこと、感じることを順番に発言していく。患者の発言については、すべて師長が回答やフォローをし、ほかの患者が反論や質問をするのはNGというのがルールだ。

 ミーティングルームに集まったのは、別の病棟の患者も含めて10人ほど。まず師長から『この1週間を振り返って』とのテーマが出された。沼畑師長は40歳を少し過ぎた、ざっくばらんな感じの女性だ。
 彼女はまず「仕事以外のことですが、ゲームにハマり過ぎて、受験生の子供に注意されちゃいました」と、自身のことを挙げてミーティングをリードした。それから順番に、この1週間を振り返って発言する。
 再入院でこうしたミーティングに慣れているのか、僕を除く全員、とてもビギナーとは思えない。
 僕はいちばん最後に、外来からその日のうちに入院が決まった経緯と、お酒の力を借りないと人のコミュニティに入っていけない現状だけを短く話した。

 次に『焦りについて』というテーマが、患者のひとりから挙がった。「早く仕事に戻りたい」「今回こそ依存から抜け出したい」といった焦りを口にした患者のほか、焦りはないという患者もいた。
 僕も、あの日あんなことがあって入院に至る、それまでの毎日がまさに『焦り』の日々だったので、「今はほっとしている」と正直に答えた。
 もちろん、ほっとしている反面、自分では何ひとつできない情けなさ、申し訳なさ、後ろめたさから来る自己嫌悪や、これから先のことについては不安でお腹いっぱいだが、それはここでは言わなかった。


 正午の昼食は、あんかけ焼きそば以来密かに目をつけていたビーフカレーだ。朝食の件やら検査やらですっかり忘れていた。
 朝食は検査後に遅れて摂ったが、お昼になると食欲は戻っていた。
 ビーフカレー。
『洋食』という日本語が実によく似合う。「海鮮五目炒飯」や「和風手ごねハンバーグ」などにはない、ど真ん中ストレートのメニューであり、誰しもが思い浮かべる正解はただひとつ ――
 ビーフカレーとはそういうメニューだと僕は思っていたが、入院食のそれはやはりひと味違っていた。
『ひと味』といっても、それは文字通りの味のことではない。いや、味はフツーに美味しかった。ただ入院食のビーフカレーは、自らが入院食という本分を決して見失うことなく、ライスはいつもの丼に、カレーはメインのおかず用の器に盛り分けられていた。その他、サラダの小鉢、福神漬けとらっきょうが入った小鉢、そしてトレーにごろんと転がる入院食の王道、バナナだ。
 一見しただけでは、いつもの食事と変わらない。これはひとつのフェイクだ。銀食器とは言わずとも、いわゆるカレー皿に盛られた姿を素直に想像した自分を思わず呪った。
 またしても迂闊だった。入院食とは『丼ごはんとカレーシチューのセット』を指して「ビーフカレー」と言わしめるものなのだ。

 でもまあ…本格を気取ったカレー屋なんか、ルーはライスとは別に魔法のランプみたいなやつに入って出て来るし、丼めしとカレーというのも見様によっては、和の威厳に満ちた高尚なお膳、という気がしないでもない。
 丼にカレーをかけるか、カレーに白ごはんを放り込むか、ちょっとした悩みどころもまた愛嬌だ。そう考えると今日の昼食は「当たり」な気がして、僕は迷わずごはんのほうをカレーにぶち込んだ。
 そしてお箸でそれをかき込み、またひとつ学んだのだ。
 ―― スプーンを用意しよう。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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