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2014-05-24 19:54 | カテゴリ:院内生活

 入院からまもなく1週間。
 看護師さんから僕にかけられる言葉は「眠れましたか」と「慣れましたか」のふたつにほぼ絞られる。ほかの患者さんからもだ。
 もっとも、僕のほうから話しかけることがないわけだから、向こうとしてもそれくらいしか話の振りようがないのだが、合い言葉のように登場するテンプレートである。
 そしてそれがときどき僕には、僕に対して何となく「生きていますか」と訊かれているように思える。

「眠れましたか」の問いかけには「はい」と答えればいいので問題ない。実際、周囲のイビキがどんなに大音量でもさほど気にせず眠れているし、夜中に何度も目が覚めることも、3日目くらいからなくなった。
「お休み前のおクスリ」のおかげだろうが、少なくともお酒を飲んで寝ていたときよりも大きな変化だ。ただし「はい、眠れました」とただ答えても、「そうですか」となるだけで、それ以上話は続かない。

 困るのは「慣れましたか」という難問だ。
 訊くほうにしてみれば「今日は暖かいですね」ほどじゃないにしても、ある種のご挨拶程度の何げなさを含む問いかけなのだろうが、これにはおいそれと「はい」と答えるわけにはいかない。
 なぜなら、慣れてないんだもん。
 慣れるどころか、どんどん不安になっていくんだもん。
 いや、確かに「あー、やかんのお茶は自由に飲んでいいのか」「朝刊はここにあんのね、ふーん」など、細かい経験値を重ねて自然に得られる『慣れ』はある。そういう意味であれば「だいぶ慣れてきやした。へい、おかげさんで」とも答えられよう。しかしそれは所詮〈きょうボクは、ひとりでばいてんへいけるようになったよ。〉という類の「慣れてきました」でしかないのだ。
 誰の目から見ても集団生活に溶け込めていない僕が、こんな危険な誤解をはらんだ「慣れてきました」を安易に口にすることは決してできない。

 ―― では、何と答えればいいのか?
 いちど、看護師さんに「そろそろ慣れました?」と訊かれて、だいぶ食い気味に「慣れません」と即答した。途端に「そんなに早く慣れるワケねーだろバカ、なんて暴言吐いちゃったよ」的な後味の悪さに包まれた。
 以後僕は、「慣れましたか?」が出るたびに「いやあ、まあ…」という、曖昧でじれったく、答えになっていない答えを口にするようになった。


 今日は午前9時40分、脳波と心電図の検査を行った。脳波測定は初めてだと思う。頭のあちこちに電極をつけて、びろーんとしたクラゲみたいにさせられる例のアレだ。
 臨床検査技師とかいう人なのかそれとも医師なのか知らないが、とにかく担当にあたった男性の先生から、頭にジェルを塗りたくられてクラゲにされ、検査室のベッドに仰向けになった。目を閉じて10分ほど計測している間、過去の出来事がなぜか頭を駆け抜けて行った。

 大阪の大学へ入って間もない頃の新鮮な記憶。演劇に夢中になり、その後留年して大学を辞めたが、それでも芝居を続けた。
 多くの仲間と出逢い、お酒を飲んだ。僕のお酒のせいで、多くの人が離れていった。それでも、ぎりぎりまで僕を助けようとしてくれた人がいた。僕はそんな人たちまで裏切り、最後には愛想をつかされた。
 僕の大阪での16年は何だったのだろう。いつから誤ったのか。いつからやり直せばよかったのか。違う。チャンスはいつでもあったんだ。頼むから、お願いだから、時間を戻して欲しい ――

 ちょっとだけ涙が出た。仰向けになっているから、そのまま目尻を滑りこぼれた。検査の先生はモニターでも凝視しているのか、そんなことには気づかず「サトウさん、けっこう緊張してる?」と訊いてきた。
 僕はまた「いやあ、まあ…」と曖昧に答えた。


 毎週火曜日の午後1時半からはレクリエーション、略して『レク』の時間だ。未だどこにあるのか僕は知らないが、院内の体育館でミニバレーやエアロバイクなどをして汗を流す。
 食べてミーティングして寝るのが基本の生活サイクルだから、こういう時間は当然必要だろうが、僕にはそんなプログラムに参加する余裕はまだない。
 運動については、外出申請をして散歩やジョギングを日課にする人もいるようだが、入院から1週間は外出禁止のため、この病院に隣接する唯一のコンビニにすら、僕はまだ行くことができない。

 カーテンを完全に閉めきった自分のベッドからもそもそと抜け出て、僕が向かうのは喫煙室だけだ。
 デイルームの隅に間仕切りで分けられた喫煙室には、ふたつのスタンド灰皿と7脚の丸椅子が置かれ、それだけの人数が入れば満員という狭いスペースだが、病院の施設内で、しかも僕の病室のすぐ真向いのデイルームの中にあるのはとてもありがたい。
 デイルームにはベランダへ出られる引き戸がふたつあり、ひとつが喫煙室内の奥に位置している。ガラス窓からベランダ越しに1本だけ、幹の細い桜の木が立っていて、備え付けの白熱外灯で夜はライトアップされるが、春の訪れが遅いこの街ではまだこの時期、桜の蕾が変化を見せる兆しはない。

 この喫煙室でも今日、例によって「慣れました?」と声をかけられた。雪絵さんという40代前半くらいの、ショートヘアで小柄な女性だ。
「いやあ、まあ…」
 僕は愛想笑いで答え、いつものように会話が途切れる。ふと、自分でも意外な言葉が口をついて出た。
「すいません。なんか僕、暗くて」
 僕の唐突なお詫びにほんの一瞬、驚いたような間が空いた。
「僕、飲んでないと喋れないんです」
「全然、全然そんな。みんな最初はそうだし、ねえ?」
 彼女は懸命にフォローしつつ、隣でタバコを吸っていた峰口さんという男性に同意を求めた。このふたりはどういう関係なのか、デイルームでいつも一緒にいる。
 50代前半くらいで小太りの峰口さんは、僕に特に目をやるわけでもなく、小さく頭を振りながら「…俺もシラフじゃ、日本語ワカリマセーン」と、分かるような分からないような相槌を打った。
 このときはこれまで。
 僕の人との接し方はぎこちないにも程があるが、まだ3ヶ月の時間的余裕があることに、初めて楽観的になれた気がした。
 ほんの少しだけれど。


 夕方、両親が着替えを持って来てくれた。
 僕は一昨年、僕のアルコール依存を理解し、心配してくれた唯一の女友達が住むマンションの玄関ガラスを、泥酔して粉々に割ってしまった。その件については管理会社へ謝罪して、僕が分割して全額弁償することで話がついたのだが、このところ支払いが滞っていた。
 もちろんこんな話は両親には言っていなかったが、保険会社から届いた督促請求を見られてしまったのだ。
 父にとっては寝耳に水だったろうが、お酒にもお金にもルーズ過ぎるバカ息子の、新たに判った事実について、もう僕にあれこれ訊くことはしなかった。
 去年の暮れ、無職になって加入した国保未払い金の督促についてもそうだ。父はこのふたつの督促状をバッグにしまい「これは俺が持っておく」とだけ言い、現在会社で加入している社会保険がどうなるのか、至急確認するよう念押しして帰って行った。
 38歳にもなって経済的に親に依存し、やるべきことが何ひとつできない自分。ただ情けなく、恥ずかしい。それでいて、今僕はここにいる。


 脳波検査で頭に付けられたジェルが、髪にねとついて気持ちが悪かったので、両親を見送りがてら3階大浴場へ向かった。
 火曜日は男性入浴日で、午後1時半~4時半まで利用可能だ。まだ4時前くらいだったと思うが、2~3人ほどしか入っていなかった。

 ふと見ると、サウナやスーパー銭湯では必ず入場お断りの背中をお持ちの人が隣で体を洗っていた。5ーB病棟で見かけた、清水さんという患者だ。60代後半くらいに見えるが、もっと若いかもしれない。ガスを止められ、大阪・富田林の銭湯へ自転車通いをしていた頃を思い出した。


 夕食後、洗面所で歯を磨いていたら、僕の右隣で誰かが髪を洗い始めた。麻友美さんという髪の長い女性で、歳は僕と同じくらいか、もう少し上にも見える。入院初日の夜にも洗面所で声をかけられ挨拶した人だ。患者会の会長もしている。
 しばらくすると今度は、左隣で長身の男性が髪を洗い出した。優二さんという、54号室の患者だ。目つきの鋭さが姜尚中とかいう政治学者に似ている。
 左右で洗髪。洗面所の中央で歯ブラシを口に突っ込んだまま棒立ちの僕の両脇で、男と女が競うように髪を洗っている。
 何か変な画が、正面鏡に映っている。
 特に女性がその長い髪を振り上げ、決してその用途に向いているとは言えない共用洗面所のステンレス排水槽へ不自然な低さで頭を押しやり、シャンプーで髪を揉みしだす様は正直、怖い。

 それでもタオルを頭に巻き、素っぴんであることなど意にも介さない様子で顔を上げた麻友美さんと鏡越しに目が合った途端、また思いがけない言葉が出た。
「…僕もシャンプーしよっかな」
「あ、する? シャンプーもリンスも私のこれ、使え使え」
 既に風呂あがりだ。別に本気で髪を洗いたいわけじゃない。ただ『3人並んでシャンプー祭り』の光景を想像しただけだ。
「ドライヤーもあるよ」
 優二さんが言った。

 結局僕は、シャンプーとトリートメントとドライヤーを借り、この日2度目の洗髪をした。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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