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2014-06-22 11:32 | カテゴリ:AA

 朝から何となく気分が重たい。朝食のあと、詰所へ薬を貰いに行くことなく喫煙室で桜を眺めていた。今日は雨の予報だ。
 薬を貰いに行かなかったのはわざとで、そんなもの飲んでも飲まなくてもどっちでもいい気がした。
 昨日から夜勤で詰めていた千葉看護師が、僕を呼びに来てくれた。実のところ、僕はそれを待っていた。どんどん詰所へ行きづらくなっているという話をかねてからしていた僕は昨夜、千葉看護師から「ここは、患者さんがただ待っていても回復していけるようなやりかたはとってないから」と、はっきり言い切られてしまった。自分でも駄々っ子みたいだと思うが、何か世話を焼かせたかった。
 千葉看護師は夜勤専門なのか、日勤で夕方帰宅する姿を見たことがない。子供さんも既に独立しているとかいないとか、とにかくそのくらいの年齢らしい。ただ、あとで高津さんから聞いた話だと、末のお子さんはダウン症なのだそうだ。5ーB病棟担当では数少ない、タバコを吸う看護師さんで、休憩時間にデイルームの喫煙室で患者に混じって一服している。

「薬、飲みたくないの?」
 素直に薬の小袋を受け取る僕に千葉看護師が訊く。小袋の中はジアゼパムとデパケンRという錠剤が1錠ずつ、どちらもいわゆる安定剤だ。
「…分かりません」
 自分でもどう答えていいか分からず、そう答えた。
「飲みたいか飲みたくないかが分からないんだ?」
「…そうですね」
 千葉看護師は、そうかぁ、と溜め息をつくような間を置いたあと、すべての看護師さんが一貫して口にすることを言った。
「どの看護師もお話を聴けるようにしてるから、いつでも詰所に来てちょうだいね」
 薬を飲んだ僕は、お礼を言ってベッドへ戻った。

 これ以上、看護師さんに何を言わせたいのだろう。僕は何をしたいのだろう。このまま引き籠り続けたいなら、一日中カーテンを閉ざしたままベッドに籠っていればいい。AAにも参加しなければいい。もとより強制されて入院しているわけではない。今すぐ退院すればいいのだ。
 でも僕は、ここにいる。ここにいてARPを通して感じ、考え、学び、実践して何かを得ることで、お酒に頼らず人と接し、集団を怖がらない自分になるための始まりにしたい。僕はそれが、雪絵さんの言っていた「自分を好きになる」ことにつながると信じる。だから僕は、ここにいるはずだ。
 今、ベッドのカーテンは閉め切ったままだ。だけど僕は、時折病室を出ては、看護師さんの視界に入ろうとしている。拒絶なんかしていない。自分がここにいることを知って欲しい。構ってくれ。
 残念なことに今の僕は、ただそれだけなんじゃないか。

 午前9時を過ぎ、日勤の前上看護師がベッドへ訪ねて来た。この病棟では基本的に毎日、出勤した看護師さんは申し送り(業務引き継ぎ会議)を済ませると各病室を回って患者ひとりひとりに挨拶を交わす。その際、患者の体調に変わりがないかを確認し、必要に応じて世間話をしたり、患者の相談に耳を傾ける。
 退院した野間さんの担当だった前上看護師は僕と同世代か、もう少し上だろうか。人当たりがよく優しい女性で、康平くんの担当看護師でもある。
 僕は前上さんに、この数日考えていたことを喋った。人とコミュニケーションをとるためのお酒、自分を大きく見せるためのお酒。楽しいことを増すためのお酒、淋しさを紛らわすためのお酒。そして、現実から逃げ出すためのお酒。僕はお酒を飲むことでしか自分を保ってこられなかった。それしか知らず、大人として成熟しない子供のまま今日まで来てしまった。失った時間は取り戻せないし、もう修復が困難な人間関係もある。だったら、今からでも新しい生きかたを見つけたい。創り直したい。
 自分から前に踏み出さないといけないことは分かっている。でもその1歩が出ない。出せないのか、出そうとしないのか、出しかたが分からないのか。いずれにしても、すべては僕のココロの中の問題だ。
 父のこと、母のことも話した。
 僕の両親も、明らかにアルコールに依存していた。子供の頃、近所の酒屋へ『サントリーレッド』を買いにお使いへ行くのは僕の日常だった。
 父は決して昼間から飲むようなことはなかったが、シラフの父とまともに会話をした記憶はまったくと言っていいほどない。夜、お酒を飲んで酔いが回った父は突然饒舌になり、そこからほとんど絡みに近い説教を続け、逆らえない僕はただじっと我慢するしかなかった。母とはよく喧嘩もしたが話もした。けれども僕が中学、高校の頃になると、母の酔いかたも尋常ではなくなってきた。父も母も、楽しいお酒を飲んでいるようにはとても見えなかった。
 母が50代で、いわゆる若年性認知症になったとき、大阪で堕落した暮らしをしていた僕は何もすることができなかった。僕自身が既にお酒に溺れていた。酔ったときの絡みかたが、父そっくりになっていることに気がついた。

 前上看護師は、ひたすら僕の話を聴いてくれた。掃除のおばちゃんにベッドを追い出されると、廊下に出て話を聴いてくれた。廊下にモップをかけるからどいてくれと言われると、デイルームに場所を移した。朝は掃除のおばちゃんの天下だが、そんなことは構わず僕は話を続けた。聴いて欲しいことが一気に溢れ出していた。

「ご両親への恨みはありますか?」
「それはありません」
 実際、両親を恨んだことなんかない。それよりも、こんな息子で申し訳ない、という後ろめたさでいっぱいだ。芝居という特殊な世界を見せてくれて、その魅力を教えてくれた父と母には感謝している。ただ、僕は両親の影響を受けて芝居に夢中になると共に、お酒との付き合いかたまで手本にしてしまったのは確かなのだろう。そしてその結果、親以上にお酒に依存するようになってしまった。
 けれどもこうなったのは結局のところ、僕のココロの問題なのだ。僕は未成熟なまま、お酒という便利な道具を知り、使いかたを誤り、それなしには何もできなくなった。見直すチャンスは何度もあったし、支えてくれる人もいたが、僕は常に問題を先送りし、せっかくの機会をことごとく、自ら潰してきた。
 ふたつ学年の離れた兄は、僕のようにはなっていない。しんどいことや悩みは当然あっても、少なくとも何かに依存したり逃げたりせずにしっかり向き合っているように、僕には見える。
 いっぽう僕は今、その酔った姿が嫌で仕方がなかった父の援助で、この病院にいる。僕がこうなったのは自業自得なのにも関わらずだ。


 正午前になって、両親がロビーに来ていると知らされた。入院費の限度額適用認定証の申請書が会社から届いたのだろう。昨日病院の事務局から渡された請求書を持って、僕は下へ降りて行った。4月分請求、97,000円弱。入院初月なので諸々の検査費用も含まれるのだろうが、半月でこれだけかかるとはさすがに気が重い。請求金額を見て、父が溜め息を隠さなかったのも無理はない。
 申請書は明日にでも会社へ返送すると父に伝え、そのまま玄関ロビーで両親を見送った。


 病棟へ戻ると、洗面所で麻友美さんに声をかけられた。
「今日、一緒に自助グループ行かない? 私も初めてのところなんだけどさ」
 病院外で定期的に行われているAAや断酒会を総称して自助グループと呼んでおり、『院外SHG(セルフヘルプグループ)』ともいう。AAや断酒会のメンバーが病院に来て行うARPとは違って、基本的に社会復帰している人たちが断酒継続のために集まるミーティングの場に、僕ら入院患者が自ら出向いて参加するのだ。退院後はこうした自助グループへの参加が必要になってくるので、それに向けてのトレーニングの意味も合わせ持っている。
 ミーティングの内容も、例えば院内のAAでは、テーマに沿って自分の経験や思いを順番に話し、ほかの人の話を聴くことを目的としたテーマミーティングのみだが、院外AAでは討論や議論をしたり、『ビックブック』と呼ばれるAAプログラムの基本テキストとなる書籍を使ったミーティングなど、多種におよぶそうだ。

 様々な自助グループが様々な場所でスケジュールを組んで活動していて、AAでは大半が夕方6時半ないし7時から1時間半程度、この街でも毎日どこかのグループがどこかの会場でミーティングを実施している。麻友美さんは今回の入院で、頻繁に院外AAに出かけていた。
 僕は院内で行われるAAや断酒会にひと通り参加したところで、ぜひ院外の自助グループにも足を運んでみたいと思っていたので、彼女のほうから誘ってくれたのは絶好の機会だった。迷うことなく、一緒に行くことにした。
「今日は植中さんも行くから。サトウさんも晩ごはんの申請しといて」
 移動を伴うため、いつもの午後6時に夕食を摂って病院を出ていては間に合わない。だから自助グループの参加で外出するときは、当日の午後2時までにデイルームにある専用のホワイトボードに名前を書いておけば、みんなに先立っていつもより1時間早い5時に夕食を出してもらえるのだ。
 病院から徒歩で行ける距離の会場もあれば、公共の交通機関を利用して向かう会場もある。親しいメンバーに車で送り迎えしてもらっている患者もいるようだ。ちなみに通常の交通機関を利用する場合、生活保護を受けていなければ交通費は自己負担だという。

 今日は西町の19丁目教会で、ここをホームに活動するAAグループ「つぐみ」のテーマミーティングに参加するという。病院の専用バスで西町駅まで行き、そこから1駅分徒歩で向かうそうだ。
「夕食後に呼びに行くから、準備しといてね」
 麻友美さんにそう約束され、僕はホワイトボードに自分の名前を書くためデイルームへ行った。


 午後1時半。体育館でのレクでは、みんなが相変わらずミニバレーに夢中になっていた。楽しそうではあるが、丸谷さんや米窪さんら比較的若い患者が減り、明らかにくたびれた中年患者の姿が目立つゲームを眺めながら、僕は今日もひとり、負荷をかけたエアロバイクで30分、10㎞を走って汗だくになった。


 午後5時。早めの夕食が来ても、病棟に麻友美さんの姿はなかった。
 一緒にAAへ行く植中さんが、彼女は2時間散歩に出てそのまま直接会場へ向かうのでふたりで行こう、と教えてくれた。
 AAは7時からとのことで、食事のあとも比較的のんびりしていたら、5時40分のバスに乗るというので、慌てて準備して病院を出た。食後の薬を飲み忘れたと気付いたが、まあいいか、とバスに乗り込んだ。

 54号室の植中さんは40代半ばくらいの男性患者で、東京の飲食店で働いていたが、連続飲酒の影響のためか、一時期白血球の数が異常に増えたことから、白血病の疑いがあると診断を受け、そのほか肝機能は丈夫だっただの、過去に大腸癌の摘出をしていたりだので、アルコール依存症の結論に辿り着くまで時間を費やしたという。アルコールが抜けると気分が悪くなる離脱症状に苦しめられ、地元のこの街へ戻って保護入院を含めた入退院を繰り返してきたらしい。本来なら今月下旬にも退院の予定だったが、もう少し延長を考えていて、今のところいつ退院するかは決めていないという。
 この病棟には治す気があるのかないのか、居心地の良さを理由に退院したがらない患者も多い。だけど植中さんに関しては、今回の入院で本当にお酒を断たなければいけないと考え、退院はまだ早いと判断しているようだ。だから麻友美さんなどと一緒に、院外AAには積極的に足を運んでいる。

「麻友美ちゃん、飲んじゃったらしいよ」
 駅前でバスを降り、会場へ向かって歩きがてら植中さんが言った。
「え? 外出先でですか?」
 昼間、彼女のほうから僕を誘ってくれたのに、何で、という思いでわけが分からなくなった。というより僕はこの時点で、それがどういうことを意味するのか理解していなかった。
「うん、さっき連絡があった。どうせバレるから詰所へ電話して、いちおう直接こっちへ来る許可は貰ったみたいだけど…ちゃんと来るかな?」
 ミーティングの開始までまだ時間があるので、僕らは会場近くの交差点で彼女を待つことにした。しばらくすると、麻友美さんが遠くから歩いてやって来るのが見えた。僕らの姿に気付くと、彼女は何に気兼ねしているのかバッグからマスクを出してつけ始めた。

 AAや断酒会などの自助グループは、もちろん断酒を続けることが目的だが、飲んだら来てはいけない、というルールが明文化されているわけではない。ペナルティがあるわけでもない。ミーティングの進行に支障をきたすほど泥酔していれば別だが、あくまで常識の範囲内での話だ。失敗をやらかしても、それを受け入れて前進していきましょう、という考えかたなのだ。

「やっちゃった。ごめんねー」
 開口一番、はにかんだ笑顔で麻友美さんが謝る。自分で誘っておいて申し訳ないと思ったのか、ことさら僕に謝ってくるのでこっちが恐縮してしまう。

 会場となる19丁目教会は、誰もが想像する教会とははるかにかけ離れた外観で、ほとんど貸し事務所に近い建物だった。ふたりに続いて中に入ると、既に4、5人の男女が集まっていて、会議テーブルに並べた椅子に座ってくつろいでいた。窓際の壁に付けられたテーブルには、電気ポットにインスタントコーヒー、マグカップが置かれ、明らかに「ご自由にどうぞ」と言っている。どこに座っていいか分からず隅っこに棒立ちでいると、メンバーのひとりがようやく「あ、どこでもいいから座ってください」と促してくれた。
 植中さんは席に着くや慣れた様子で自分用のコーヒーを淹れながら、見知ったメンバーと早速談笑している。麻友美さんも早々トイレを探したり、飲み物を買いに出たりと忙しない。集団に馴染めない僕の、いちばん辛い時間だ。
 思い出したように植中さんが「あ、コーヒーとか自由に飲んでね」と僕に言うが、ようやく着席した僕の半径30㎝のスペースから自由に動くことは自殺行為に等しい。ただ下を向き、先週のあの料理の見学のときのようにじっと存在を殺して、時間が過ぎるのを待つ。薬を飲むのを忘れたことを後悔した。
 麻友美さんが、冷えた飲み物を僕の分まで買って戻って来た。開始までまだ時間があるので、タバコを吸おうと僕を外へ連れ出す。親鳥のあとを雛ペンギンがぺたぺた追いかけて歩くように、僕は頭の悪さ丸出しで麻友美さんについて行く。
 教会の外、隣の建物との間の側溝のような狭い一画が喫煙スペースで、灰皿代わりの空き缶がひとつ置いてあるだけだ。ここでタバコを吸っている間にも参加者は徐々に集まって来る。
 ことアルコール依存症の入院に関しては僕なんかより格上の麻友美さんは、過去の入院で知り合ったと覚しき人との立ち話で早くも盛り上がっている。多少お酒が入っているとはいえ、初めて来たとは到底思えない貫禄ぶりだ。途中何度も「私マズいよねー。帰ろっかな」と言っては引き留められていた。
 僕にしてみれば心の中で、
「飲んじゃったのは仕方ないですけど、どうか私を置いて行かないでくだせえませ ――」 と、ヘタレ全開で懇願している有り様だ。

 まもなくミーティングということで、野ざらしにされた空き缶に吸い殻を捨てて、みんなぞろぞろと中へ入って行った。麻友美さんもそれに続いてタバコを揉み消しながら、
「ちょっと嫌なことあってさあ…もっと飲みたいんだよね」
 と、呟いた。
「じゃあ、このあと行こっか」
 反射的にそう答えると、彼女は「行く? ふふふ」と笑った。僕は一瞬、このまま全部忘れて飲みに行って騒ぎたい、と本気で思った。愚かで、浅はかな衝動。僕はこの衝動をコントロールできず、何度となく失敗を繰り返してきたはずなのに。
 麻友美さんが飲んでしまった「嫌なこと」には、決して単純ではない背景があるはずだ。僕はその複雑な事情を知らない。
 彼女にそんなつもりは毛頭ないだろうが、仮に万にひとつ、このまま彼女と飲みに行ったとしても、僕には何もすることができないし、かける言葉もない。ただお互いに傷をなめ合うだけだ。
 いま僕は、中途半端な同情をしようとしている。結局は僕も彼女と同じ、ただの患者なのだ。

 ミーティングが始まった。参加者は僕ら入院中の3人を含め、見たところ30代~60代の男女12人だ。一見した限りアルコール依存症とはとても思えない、おとなしそうな女性もいる。テーマは今日の麻友美さんにちなんで『スリップ』となった。
 アルコール依存症でいうところの『スリップ』とは「再飲酒」という意味で、入院中に飲酒欲求に耐えきれず、外出先などで飲んでしまったり、退院後一定期間お酒を断ち続けていたのに、何かのきっかけで再びお酒に手を出すケースを指す。

 この時点で僕は、麻友美さんに貰った飲み物をすっかり飲み干していた。麻友美さんは僕の隣に座り、あからさまに緊張している僕に「使う?」とハンカチを貸してくれたり、「飲む?」と自分の飲み物を差し出してくれて、ずいぶんとかいがいしく世話を焼く。お酒の臭いがした。どれくらい飲んだか小声で訊くと、500mlの缶ビールを3本と答えた。

 テーマミーティングは麻友美さんの挙手で、彼女の話から始まった。
「アル中のマユミです。今日はすいませんでした。今日病院で…ちょっと嫌なこと言われて…最近自助グループとかよく行ってんですけど、それがなんかどーしたこーしたとか、でもその人は、自助なんか行っても意味ないから行かないとか。行ってもないのにそんなこと言われて、なんかイラついて。今日は母の誕生日だったんですけど…そんで電話して。…うーん、元旦那は別れないでやっていこうって言ってくれたんですけど…向こうの親が絶対離婚しろって…それで、アレだったら、今も元旦那と、息子とも一緒に暮らしてるのかなって…あーダメだ、話まとまんねー。すいません! 以上です」

 まとまんないどころではない散らかりようだが、本人も整理がついていない様子なのだから仕方がない。
 ただ、彼女が足繁く自助グループに通うのを「どーしたこーしたとか」言われた、というくだりには思い当たる節があった。僕もその場に居合わせていた、あのときのやり取りだ、と直感した。麻友美さんと話していた相手に悪意があったわけではないとは思う。彼女はそのとき、相手の無神経な言葉をただ黙って聞いていた。でも、彼女は自分の努力を否定されたと感じて傷ついたに違いない。
 麻友美さんが自助グループに出向くのは、本気でお酒と訣別したいからだ。これまで何度もやめようと思っても、やめられなかった自分が許せない。失ったものの中で、取り戻したくてもどうしても取り戻せないものがある。それは分かっているけれど、後悔はいつでも押し寄せてくる。それでも、二度と同じ過ちをしないよう自分ができることを模索した結果、辿り着いたのが自助グループに行くことだったのではないか。
 今日、実際に行ってみて分かったことだが、自助グループのミーティングに足を運ぶのは、それなりに時間も労力もかかる。そこに価値を見出せなければ参加し続けることなんか絶対にできない。
 それを、行ったことのない人にとやかく言われたくない ――

 ともあれ、麻友美さんは今日お酒に口をつけてしまった。AAメンバーの誰ひとり、彼女を責めたりはしない。
 このあと、ミーティングはほかのメンバーの話へ移っていった。麻友美さんの携帯が何度か鳴った。メールだろうか。何人かが話を終えたところで、彼女は僕の手を取って挙手をさせ、僕に話を促した。
 話す側と聴く側の役割が決まっていれば、それは芝居の舞台と同じで、緊張の場は心地よい表現の空間に変わる。僕は基本的に、これまでに参加した院内AAで話していることを話した。

 僕はアルコール依存症はもとより、入院自体が初めての経験だ。一度だけ大阪で専門外来へ行ったことを除けば、アルコールが原因で医療機関の世話になったことは、電車で倒れたあの日まで一度もなかった。19歳で連続飲酒が始まってから、比較的早い段階で自分がアルコール依存症だと自認していたが、6年ほど前に当時の彼女に付き添われて初めて専門外来へ行き、晴れて医師から正式に依存症とお墨付きを貰った。
 結局病院へはそれっきり行かず、親身になって支えてくれた彼女も、当たり前だが僕の前から去っていった。
 それでも飲み続けた僕が、これまで倒れたことがなかったというのは、幸いにして身体が丈夫だったということなのだろうが、それは不幸にして強制されてでも断酒の機会を与えられなかったということにもなる。
 去っていった元彼女との関係を修復したいがために、自らひと月お酒を断つことに成功したが、それを記念して1ヶ月目にひとり焼酎でお祝いした。本末転倒の所業で、アホ丸出しというしかない。そして既に彼女との関係を取り戻すことができないところへ来てしまったことが分かると、再びもとの酒飲みに戻った。
 すべてを失くしてこの街へ逃げ帰ってからも、しばらくは実家でニート状態が続いたが、何とか仕事に就くことができた。それでも酒で失敗を繰り返し、さすがにこのままではまずいと思った。毎日のように「明日からは禁酒しよう」だの「せめて明日一日は飲まずにいよう」と飲みながら誓ったが、実行できるはずもなかった。そういう意味では、僕は毎日スリップしていたことになる。

 僕の話が終わると、麻友美さんはそそくさと帰り支度を始め、
「ちょっと呼ばれたから、先帰るわ。ごめんね」
 と、逃げるようにして出て行った。箍(たが)が外れれば歯止めは利かない。何せアルコール依存症なのだ。飲み直しに行ったか。
 あとで彼女を責めるのは、彼女自身だ。

 1時間半のミーティングを終え、植中さんとふたりで歩いて病院へ戻った。道すがら聴いたのだが、植中さんはもうかれこれ1年ほど飲んでいなかったのだそうだ。それなのに、何の気なしに「少しくらいいいだろう」と飲んだお酒が引き金になって、連続飲酒の再発につながったのだという。AAではよく耳にする話だが、それでもやはり「せっかく1年もやめてたのに」と思ってしまう。
 それにしても僕にとっては、1年間断酒に成功していることがまず驚きだ。
「断酒してるあいだ、友達どうしで居酒屋とか行く機会はありました?」
 興味深いので尋ねてみた。
「あったよ。でもずっとウーロン茶飲んでた」
「それで楽しかったですか?」
「うん、楽しかったよ。全然嫌じゃなかったなあ。カラオケ以外はね」
 カラオケはともかく、だったらなぜスリップするかね。1年飲まずに平気でも、ふとしたことで再飲酒し、以前の依存状態に戻ってしまう。
 完治不可能な「依存症」。この病気の問題はそれほど難しく、根深いのだ。


 午後9時半に病院へ戻ったが、麻友美さんはやっぱり戻っていなかった。
 今日の夜勤担当は石橋看護師と、長浜さんという女性看護師だ。子供みたいに小柄で年齢不詳の長浜さんは、高津さん情報によると50歳前後ということだが、とてもそうは見えない。柏ノ丘病院の過去に詳しい高津さんいわく、
「前にここ入院しとったとき、あん人看護師なりたてだったばい。あれいつ頃やったろなあ…そんときもうあん人、けっこう歳いっとったっちゃろうね」
 と、ひと言余計に付け加えて教えてくれた。
 飲み忘れた夕食後の薬を、僕が詰所へ貰いに行くと、その長浜看護師から自助グループの感想を訊かれた。僕は真面目に、テーマミーティングもいいが、もっと様々な自助グループへ出向いてディスカッションもしたい、と答えた。もちろんまだそんなところへひとりで行く勇気などない。ちなみに植中さんは、木曜の院外SHGにも誘ってくれた。
 それから僕は、今日の朝、前上看護師に話したこととほぼ同じことを喋った。「お休み前のおクスリ」を貰いに来る患者の出入りも多い時間で、長くなるので両親の話こそしなかったものの、入院以来いちばん多く喋った日だった。

 詰所の奥の席で、僕が長浜看護師に話しているのをじっと聴いていた石橋看護師が、衝撃的なことを言った。
「サトウさんは、鬱じゃないと思うよ」
「そうですか? じゃあ、何だと思います?」
「うーん、ただの…恥ずかしがりや」
「…え?」
 ―― 俺は鬱じゃないのか? じゃあこの気持ちの浮き沈みの激しさは何なんだ?
 ―― ただの、恥ずかしがりや。
 ―― 確かに俺は恥ずかしがりやだよ。でも、恥ずかしがって電車でぶっ倒れますか?
 ―― タダノ、ハズカシガリヤ。
 ―― 「ただの」とは何だ「ただの」とは。人がこんなに悩んでるのに。
 ―― タダノ、ハズカシガリヤ。

 だんだん恥ずかしくなってきたので、もう寝ることにした。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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