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2014-06-17 02:07 | カテゴリ:断酒会

 目覚めると午前7時を過ぎていた。ラジオ体操に間に合わなかった。入院して以来、7時過ぎまで目を覚まさなかったのは初めてのことだ。
 朝の瞑想は、患者会の新会長となった54号室の町坂さんが今日から進行を担当する。副会長は52号室の利根川さんが務めることになった。


 午前9時半。心理士の田村さんが僕を呼びに来た。僕の性格とか能力とかの傾向を診る心理検査を行うためで、連休前にあらかじめ今日の日程を聞いていたのだが、すっかり忘れていた。
 心理検査を実施することについては、入院当初から説明を受けていたにも関わらず、いつまで経っても実施する気配がなかった。僕にしてみてもたかが心理検査、放っとけばそのうち声がかかるだろうとは思いつつ、何だか面白そうなのでちょっと楽しみにしている向きもあった。
 やがて、僕より遅く入院した迫さんなどが先に済ませたという話を聞いて、ひょっとして忘れられているのではと、それはそれで心配になり、何かの折にそれとなく看護師さんに訊いてみたところ、田村心理士から今日の実施を伝えられる運びとなったのだ。
 田村心理士は僕が最初に参加した学習会でレクチャーを担当した女性で、あとで訊いたのだが僕と同い年だそうだ。彼女が心理士の資格を取るべく勉強していたまさにその頃、僕は大阪で芝居にハマり、既に飲んだくれていたわけで、我ながら自分の人生の無駄遣いぶりに溜め息がでる。

 3階の『心理面接室』という狭い部屋のソファーに対面に座り、まずはいくつかの質問をされた。飲酒時の自分とそうでない自分についてだとか、どういうときに飲むかだとか、これまで何度も訊かれた質問の類だ。カルテを共有していないのか、それともこれも心理検査の一環なのかは知らないが、僕はこれまでミーティングや面談でしてきた話をそっくりそのまま繰り返して話した。
 1対1で、話す側と聴く側の分担がはっきりしていれば、芝居の舞台と同じ要領だ。そんなとき、僕はシラフでも実によく喋る。思った通り飛び出した「慣れましたか?」の問いにも、それを訊かれて僕がいかに戸惑うかを懇々と語り、自分のひねくれぶりを存分にアピールした。
 そのあとは、質問項目の書かれた用紙を渡され、チェック方式の性格傾向検査を行った。質問は100以上にのぼり、今日の検査は面談を合わせ1時間を越えて終了した。週明けの月曜日に2回目の心理検査、次回は能力傾向の検査を行うという。


 5ーB病棟へ戻ると、既に10時45分になっていた。昨日大田看護師に誘われた、10時半からの料理グループへ参加するため、会場の教室へ向かう。
 教室では、エプロンにヘアキャップをつけた康平くんたちメンバーが、せわしなくがちゃがちゃと動き回っていた。僕も大田看護師に促され、同じ装備に身を包む。
 2、3日前あたりから看護実習で病棟へ来るようになった学生の女の子ふたりも、ARP体験のため料理に参加していた。慣れない手つきで、デザートに使うフルーツ缶を缶切りで開けている。プルトップ式の缶詰が主流になって、缶切りを使ったことがほとんどないらしい。

 それはそれとして、僕はものの10分でここへ来たことを後悔し始めた。
 みんなで賑やかに楽しそうにやっている、その中へ入れない。僕が声をかけることで、しらけた雰囲気にならないか。何だか無性に怖くなり、ひとりで勝手に疎外感に襲われて、挙げ句に悲しくなってくる。
 ―― ここに来るのはまだ早い。調子に乗って安易に誘いを受けたのは間違いだった。
 かといって、今すぐエプロンを脱いで出て行くのも感じが悪いものだ。そういうときは、できるだけ存在を殺して時間が経つのをひたすら待つ。そして、逃げるのにちょうどいいタイミングを探すのだ。
「どうですか? だいたいいつも、こんな感じでわいわいやってるんですよ」
 大田看護師に声をかけられ、小声で正直に答えた。
「すいません、ちょっとまだ僕には無理みたいです」
「今日は見学ですし、ただ見てるだけで大丈夫ですよ。メンバーになってくれたら、どんどん手伝ってもらいますから」
 僕が役に立ってないので、恐縮していると思ったのだろう。大田看護師は明るくそう言ってくれたが、居心地の悪さは変わらない。
「でも、ただ突っ立ってるのもアホみたいですよね」
 思わず本音が口をついた。言動がそもそもひねくれている。
「じゃあすいません、まな板を洗って片付けてもらっていいですか?」
 不快な表情ひとつ見せずに、大田看護師が僕を手招きする。

 僕は結局、フルーツ缶をひとつ開け、まな板を2枚洗って戻し、ホワイトボードに書かれたレシピの分量通りに、合わせ調味料を作った。その間、大田看護師や作業療法士さんら病院スタッフは、まるでテレビの料理コーナーにゲスト出演した大物俳優に接するように「わざやざすみません」「ありがとうございます」などとしきりに僕を気遣うので、今度は何だか申し訳なくなってきた。

 最後の仕上げ前にタバコ休憩に入ったあと、いったん会場教室へ戻ったものの、限界を感じて大田看護師にエプロンを返した。
 せっかく誘ってくれたのに、途中で出て行くことを詫びると彼女は、
「大丈夫、私何度でも誘いますから」
 と明るく言って笑った。

 料理の見学が完全なフライングに終わったことに、僕はすっかりヘコんでしまった。
 このとき僕は知らなかったのだが、料理のメンバーは昼食を自分たちでつくって食べるため、事前に看護師さんの手配で、病院から出す通常の昼食をキャンセルしなければならない。それをしていない見学者はあくまで見学者であって、文字通りただ見ているのが原則だ。そして例え1回きりと分かっていても、前もって参加の意思表明をしたメンバーの人数でその回のメニユーの予算が決まる。つまり、今日僕がどれだけ酢豚をつくるのに貢献しても、見学者の僕は酢豚を食べられないのだ。病院スタッフしてみれば、そんな僕に手伝わせるのが忍びなくて「すいません」「ありがとうございます」と気遣う言葉が、必然的にでてくるのだ。
 そんなことなど知る由もない僕は、ただヘコんだ気持ちで通常の昼食を摂り、今日は大成功だったとあとで聞いても、ただ情けないのと申し訳ないだけで、酢豚の出来なんかどうでもよかった。1時半からの創作も見学に行こうと思っていたが、正直怖くなった。



 勝瀬さんにも勧められた創作ARPの革細工。考えてみればひとりでの作業だし、これなら大丈夫かと必死で気を持ち直して、7階のアトリエへ初めて足を運んだ。
 アトリエと聞くと、最近は小洒落た展示場のイメージを浮かべる人もいるかもしれないが、7階のそこはまさしくアトリエで、要するに作業場だ。
 5ーB病棟の患者数人が作業に勤しみ、大理石に載せた牛革に木槌で刻印を打ち込む音がゴンゴンと響いている。さっきまで酢豚やフルーツゼリーを作っていた康平くんや丸谷さんも既に作業中で、康平くんはキーケースを、来週退院で創作は今日が最後となる丸谷さんは「凝った何か」の仕上げに取りかかっていた。ほかにも勝瀬さんが黙々と手を動かし、福井さんは「オレァこの道何十年でよォ…」と相変わらす口を動かしていた。

 僕のような初心者向けに市販のキットも用意されているのだが、指導にあたる作業療法士の一宮さんに、過去に患者が仕上げた作品をお手本として見せてもらった。僕はその中のひとつを参考に、ちょっとした理由もあって、比較的簡単なカード入れを作ってみることにした。
 型紙に沿って牛革を切り取り、刻印で模様を打ち込んでいくのだが、ここでいきなりセンスを問われる。花や星や葉っぱといった絵柄のついた、いくつかある刻印の中から適当なものを選んで、犬が駈けているシンプルなデザインにしてみたが、木槌を叩く力加減やまっすぐ打ち込むのはなかなか難しい。離脱症状で手が震えてなんかいては、とてもできない作業だ。
 僕のイメージとしては、ベースはシンプルでも、裏面から折り返して留め口になる部分は独創的で、少し凝った模様にしたい。中央にボタンがつくことを加味してデザインを考える。失敗を恐れて何事にも慎重な僕は、余った牛革にいろいろと刻印の試し打ちをしてみる。そんなところで今週は時間となった。
 ―― これなら、俺でも参加できるかもしれない。
 そう思った。出来はともかくとして。


 午後3時半からは、断酒会の『柏ノ丘例会』に参加した。以前から和代さんに誘われていたもので、柏ノ丘病院のある西町の断酒会が週に1回、定例会合としてこの病院で行っている集会だ。西町地区だけでなく、この街にあるいくつかの断酒会のメンバーも参加している。
 アメリカ発祥のAAを参考に日本で創られたのが断酒会だが、AAとは対照的に会員制だったり会費の負担があったりと、内と外の線引きがはっきりしているようで、こちらはこちらでまたずいぶんと日本的な匂いがする。
 会員制といっても、ARPの一環でもある例会に参加する患者は会員じゃなくてももちろん構わない。今日は僕を含めて12名が参加していたが、5ーB病棟の患者は僕と和代さん、迫さんの3人だけだ。会員の座る席のテーブルには、三角柱の名札が立てられ、名前の横には所属の断酒会の名称が書かれている。本名を明かすところもAAとは異なる点だ。
 ちなみに和代さんは中央町の断酒会に既に入会済みで、彼女の席にも何だか誇らしげに名札が立てられている。また、5ーB病棟の入院患者ではないのに名札のない席に座っている女性もいるが、一般で非会員、つまりまだ入会に至っていないフリーの参加もOKなのだろう。

 会場となる教室の壁には断酒会の会旗が掲げられ、窓には『断酒の誓(ちかい)』という、6ヶ条の宣誓の文言を記した横断幕が吊るしてある。例会は一同起立して、この『断酒の誓』の唱和から始まるのだ。

 会長の進行で、ひとりずつ話をしていくのはAAと変わらない。議論の場ではないので、他人の話を否定したり、反論するのもAAと同じくNGだ。ただテーマは特になく、参加者は各自思い思いの話をしていた。
 和代さんは断酒会とAAの違いについて、
「断酒会では人の話が終わると拍手するでしょ? AAはそれがないから。だから私は断酒会のほうがいいのよ」
 と力説していたが、僕にはどうでもいいことだった。

 西町断酒会の北股会長は、60代前半~半ばくらいの上品な雰囲の男性で、一見するととてもアルコール依存症とは思えない。喉頭摘出をされたのだろう、いわゆる電気喉頭の装置を首に当てて食道発声し、会の進行を務めていた。
 僕はこの席でもまた同じ話を繰り返したが、僕が話し終えると北股会長は、
「あなたの年齢からすると、今がお酒を断ついちばんいいタイミングですから」
 と、声をかけてくれた。穏やかな表情の割に、何だか妙に迫力を感じた。


 夕食後、6番目となるAA「ちかぷ」に行ってみた。この病院では毎月第2金曜日のみミーティングを行っているグループだ。
 少し時間を過ぎていたが、会場教室のドアをノックして開けると、メッセンジャーの男性がひとりで待っていた。患者は誰も来ていない。いちばん恐れていた展開だ。わざわざ病院まで足を運んでいただいて、非常に気まずい思いがしたが、この際だから洗いざらい話して僕の独演会にしてやることにした。
「イザワ」さんというこのメッセンジャーの男性は50代だろうか。自身の話の中でこんなことを言っていた。
「アサヒの『スーパードライ』発売直前にお酒を断ったので、僕はあれを飲んだことがないんです。せめて一口飲んでからやめれば良かったですね、ははは」
 アサヒの『スーパードライ』が出て、世の中がドライブームになったのは、確か僕が小学校高学年の頃だ。30年近くも前だから、この男性はもっと年輩なのかもしれない。何にせよ、それだけ断酒を続けているのは凄いことだ。
 話の途中で勝瀬さんが入って来たため、結局僕は、またいつもと同じ話をした。テーマが『正直』だったので、かつて僕の断酒を支えてくれた人に「飲んでない」と飲みながら嘘をついたり、親元を離れてまさかアルコール浸けになっているとは言えるはずもなかったりと、正直でない自分について力点を置いたただけで、話の大筋は変わらない。

 AA「ちかぷ」のイザワさんは最後に、ある先輩の患者さんから聞いたこととして、次のような話をして結んだ。
「アルコール依存症は、入院1回で済むかが重要なんです。2回目があれば、10回入院するのも一緒だと。退院して家へ帰っても、まだ荷ほどきもしないうちに飲んでしまって、また病院に運ばれて来る。そういうことを繰り返してしまう人が、たくさんいるんです」

 今、既に何度目かの入院を余儀なくされている患者にとっては元も子もない話だが、勝瀬さんも僕もアルコール依存症の入院初心者だ。2度目の入院なんてあり得ない。例え断酒に失敗したとしても。

 AAのあと、喫煙室で勝瀬さんに話を聴いた。
 勝瀬さんは現役の美容師で、現在この街で奥さんとお店をやっている。営業中も焼酎が欠かせなくなってしまった勝瀬さんは、飲みながらマスクをしてお客さんに接していたという。どう考えても稚拙でかなり無理があるが、まともな思考を許さないところまでアルコール依存が進行していたということだ。
 子供はいないそうだが、今ひとりでお店を守っている奥さんのためにも「早くここを出たい」と話していた。そのために勝瀬さんは、AAに積極的に参加している。


 疲れた。
 今日1日で、心理検査と料理、創作、断酒会にAAと、駆け足で回り過ぎた感もある。ただこれで、この病院のARPで実施しているAAについては、6グループすべてに参加できた。このほかにも、断酒会の連合会や諸々のミーティングもあれば、院外の自助グループもある。AAにしても、1度や2度参加した程度ではよく分からない。
 正直僕の頭の中では、何がどれやらとっ散らかってきているのも事実だ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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