-------- --:-- | カテゴリ:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2014-05-18 00:35 | カテゴリ:診察・診断・回診

 午前8時10分。へろへろでの出勤だった。
 前日に会社を欠勤し、体調不良だというのに昼間から酎ハイをあおり、夜も気持ちが悪いことを承知で午後11時くらいまで飲んでそのまま落ちた、と思う。
 この木曜、金曜をなんとか耐えればまた2連休、と奮い立たせて電車に乗った。頑張れ俺、と満員の車内の吊革に力を込めたのはいいが、途端にその力がコントロールできなくなった。体がフラフラと揺れ始め、そのうち志村けんの酔っ払いみたいに、ぐらぐらぐりーんともんどり打つ。条件反射のように、目の前に座っていた乗客がさーっと席を空けてくれた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫…」なんとか座席に腰を下ろして答えながらも、上半身が真横に傾く。大丈夫じゃねえだろ、と突っ込まれる代わりに真横の席がさらに空いた。
 誰かが乗務員を呼んでいる。無線で事態を知らせるやりとりが遠くで聞こえる。意識はある。が、動けない。というより、手や足や肩がぶるぶるぴこぴこ、変な感じで震えている。乗客の誰かが僕の脚を持って臥位の姿勢にしてくれた。先を急ぐ満員の乗客をよそに、完全なシート独占だ。
 たまたま乗り合わせた医療関係者と覚しき男性が、僕に大声で質問したり脈をとる。
「お名前言えますかあー?」
「…サトウ…です」
 靴を脱がされた。「…マズい、俺の足臭い…」朦朧とした頭でもそんなことを考える。というより、そんなことくらいしか浮かばないのだ。
 電車のドアが開き、乗客をかき分けて救急隊員が飛び込んで来た。「バイタル正常です。あとをお願いします」と先ほどの男性が、テレビドラマそのままの口ぶりで隊員に状況を手短かに説明する。車内が狭いため、隊員に担がれて外へ運ばれ、そこでストレッチャーに乗せられた。
 バタン、ガッタンという慎重かつ緊迫した震動が背中に伝わり、次に目を開けたときに見たのは、初めて見る救急車の天井と、必死の眼差しをこちらに向ける救急隊員の姿だった。

 この日僕は、この平日朝の30分ほどの間に、いったいどれだけの人に迷惑をかけたのだろう。途中下車するはめになった電車の片道料金も、結局のところ支払っていない。


 いくつかの病院に断られた挙げ句、救急車で5分ほどのところにある中規模病院に搬送された。僕は救急隊員の勧めで、内科で診てもらうことに同意した。
 病院へ運ばれた頃にはだいぶ落ち着いていたが、自分で手を動かそうとすると、情けないことにわなわなと震えが起こる始末で、看護師さんに身体を触れられただけで勝手に激しく反応してしまう。丸い顔をした初老の男性医師がそのたびに「おお、震え来たど、震え来たどー!」と漁師みたいな口調で叫んでいた。

 けれどもすぐに、心肺停止の重篤患者が運ばれて来ることになったとかで、当然僕なんかにゆっくり構ってもいられない事態になってしまった。僕の心電図にも血圧にも脈にも異常は見られないため、血液検査と点滴で帰ってもらおうということになり、僕はストレッチャーの上でずっと天井を見上げたまま、処置室から点滴室へガラガラと移された。
 ここまでで僕は、自身のアルコール依存とひどい鬱症状のことをひととおり伝えた。すると丸い顔の先生から、この病院に精神科がないという実に明快な理由でアルコール外来を扱う柏ノ丘病院を勧められ、そして実家の両親が呼ばれた。


 柏ノ丘病院へは、父が電話で交渉してくれた。早速今日の午後から診てもらえることになり、父の車で病院へ向かった。母も一緒だった。

 午後1時半。実家からそう遠くない柏ノ丘病院の駐車場へ着くと、一気に緊張が襲ってきた。精神科へは、大阪に住んでいた頃に2回ほど行ったことがあるが、初めて訪れる病院に不安がつきまとう。
 父に促され、受付で保険証と、丸顔の先生に書いてもらった紹介状を恐る恐る差し出すと、問診票を渡された。テンパっているので今年が平成何年だったか、今日が何日だったかよく分からない。手が震えて字がうまく書けない。
 ―― 俺、字を書くときに震えるコトが多くなったなあ。ふと思った。

 ロビーで待つ間、たくさんの不安がよぎる。ちょうど数日前、父に柏ノ丘病院のことを話した。酒の上での失態から去年、前の仕事をクビになる直前に、この病院の存在は調べて知っていた。入院も含めてアルコール依存の治療をしたい、外来について来て欲しいと相談し、父も同意してくれたが、いかんせんお互いお酒を飲んでの話だったものだから、結局行かずじまいで、今日、こんなことになってしまった。
 ―― あのとき話したように、入院して治療に専念するのがベストなんだろうけれど、ホントにそれでいいのか? とりあえず明日のシゴトはどうする? 今日は救急隊の方から会社へ一報を入れてもらったが、どのみちあとで連絡は必要だ。明日は何とか踏みとどまって会社へ向かうとして、また今朝みたいな大騒ぎになったらどうする? それは絶対に嫌だ。というより、恐ろしすぎる。

 止まらない手汗を、既に水が搾れるくらいになったハンドタオルでひたすら拭いていると、ソーシャルワーカーの女性がやって来た。
「サトウさんですか? ドクターの診察前に、私のほうから別室で少しお話を伺いたいのですが…ご両親も同席されますか?」
「いえ、結構です」
 僕にどうしたいか訊くこともなく、父が即答した。
 大阪で初めてアルコール外来へ行ったときは、不安でたまらずワーカーとの面談も当時の彼女に付き添ってもらったが、今回はひとりで僕も構わない。親に聞かれたくない話もある。
 あのときもそうだったが、担当のソーシャルワーカーさんは僕よりも若く、仕事が仕事だけあってとても真摯で包容的だ。巷で話題のスイーツあたりを気のおけない友人と食べるとき、間違っても「ヤーベこれ、オニウマくね?」などとは言わないタイプだ。
 そういう真摯で包容的な人に、僕のとても残念な半生を聴いてもらい、あまつさえこまごまとメモまで取らせているのは、もうそれだけでやるせなく、何だかとても申し訳ない。この時点で既に僕は、叢でじっと息を殺す手負いの小動物のようになっているのだ。


 午後2時半の予定を押して、いよいよ診察が始まった。外来の男性医師は僕にいくつか質問したあと、やはり入院治療を勧めた。
 しかも今日から。しかも3ヶ月。
 これはさすがに僕にも父にも唐突で、会社はどうせクビだろうし、保険証やら社員証やらは返しに行かなきゃいけないし、着替えだの何だの準備もあるし…と、ふたりしてうろたえたが、
「入院は任意ですから、こちらはいつでも構わないんです。でも今日帰宅したことで気持ちが変わっちゃって、サトウさんが次に来るのに消極的になってしまったら、せっかくのチャンスを潰すことになりかねないんですよ」
 高価な美術品でも売りつけるような文句だが、これは効いた。ましてや白衣を纏った精神科医に目の前で言われると、有無を言わせない説得力がある。
 会社の諸手続きについては、いずれ外出許可も降りるだろうということもあり、結局は父自ら「いざとなったら俺がやってくる」と言ったことで、2014年4月17日、僕のこのポンコツの身体は、38歳にして初めての入院という運びとなった。
 ―― 病名『アルコール依存症』――


『5ーB病棟』。ここの53号室が僕の入る部屋だ。
 この病室にはベッドが8床あり、僕が入ったことで53号室は埋まった。想像したよりもはるかに昭和の臭いを感じさせる病棟で、病室のベッド枕元の真上に取り付けられた読書灯は、単なる普通のヒモ式蛍光灯だ。
 ベッドに向かって左脇には個人用の棚があり、上段は洋服などをかけておくための高さ 120㎝くらいの開き戸になっていて、中にはハンガーをかけるつっかえ棒が固定されている。奥行きは70㎝程度で、クローゼットとしての容積はそこそこあるのだが、なぜか奥から幅15㎝くらいの小棚がせり出しているため、服をかけるとこの小棚は完全に隠れてしまい、置かれたものを取り出すのに服が邪魔してほぼ使えなくなる。
 クローゼットの下には、食事トレーなどを置く収納式の引き板テーブルと引き出し、いちばん下に高さ60㎝ほどの引き戸で、中は2段になっている。いずれも蝶番だけはついているが、鍵はない。自己責任なのだそうだ。
 僕のイメージとは違い、なかなかシビアな精神科だ。もっとも売店で南京錠を 600円で販売しているらしいが、それもまたシビアだ。

 掛川さんという女性看護師の案内で、病棟をひととおり見て回った。冷蔵庫もテレビも、個人用はなし。エレベーター前なんかに置かれた自販機でチャージして『がっちゃん』する、あんなシステムも当然なし。風呂やトイレ、洗面所はもちろんだが、冷蔵庫もテレビも共用。ここはいわゆる、社会復帰のための「共同生活空間」なのだ。
 ヒトの環になんかとても入って行けない精神構造のいまの僕にとっては、越えなければならない障害だらけで、監禁されるほうがよっぽど楽だ。

 両親が心配しながらも帰ったあと、会社へ連絡した。時刻は既に夕方4時を過ぎていた。病院内で、携帯通話可能なエリアは限られている。
 職場マネージャーの話では、入院費の5~6割を会社で負担してくれる制度があるらしい。この場合、雇用契約はそのまま継続されるため、保険証もそのままだ。ただし欠勤扱いだから社会保険料は全額自己負担になるとのこと。
 もうひとつ。いったん退職して保険証を返却、国保へ戻して退院後に復職する方法もあるとの説明だった。
 ありがたい話ではあるが、要するにどっちが得なのかさっぱり分からない。何となく後者のほうが面倒な臭いは感じて取れる。そもそも「アルコール依存症」なんて病気で、会社で入院費負担だの復職だの、そんな寛大な恩情にあやかれるものなんだろうか。
 いずれにしても、月末にはまた会社へ連絡することになった。
 ここで本当にクビかが決まる。


『5ーB病棟』だが、ほかに何の何病棟があるのかは知らない。またこの病棟に、僕の入った53号室以外いくつの病室があるのかも知らない。
 掛川看護師によれば、トイレと洗面所のほかに共用のシャワー室があり、3階のどこやらに『大浴場』なるものがあり、有料の洗濯機や無料の乾燥機があり、その他訊いてくれれば何でもお答えします、とのことだった。受付ロビーから病棟へ来る途中に、小さな売店も発見した。
 ただ、とにかく今は病院のわくわく探検なんか到底する気にはなれない。病棟廊下の共用本棚に大量に収められた小説や漫画や断酒に関する書籍の中から、さいとう・たかをの劇画『鬼平犯科帳』の数巻をチョイスし、早速ベッドに横になり、カーテンを閉じて引き籠った。

 こうして僕の、引き籠り入院生活が始まった ――
 と思ったが、そうはさせじとばかりに折を見て看護師さんが入れ替わり立ち替わりやって来る。皆さん「初めまして」の挨拶に来るのだが、どの看護師さんも怖いくらい優しくて温かい。だってここはそういうところなのだから、それはそれでそうなのだろう。でも、入院初体験が精神科になってしまった僕には、優しくされることがたまらなく申し訳なくて、ああ俺は『入院弱者』なんだなあ…と、何だか無性に切なくなるのだ。どの看護師さんともまったく同じ話に終始するのも正直、滅入る。

 また、この日木曜は、僕の主治医となった森岡先生の回診日で在勤だったため、早速先生と面談を行った。リズミカルに喋るベテランの男性医師だが、笑顔で話していても眼鏡の奥の目が笑っていない気がしたのが第一印象だった。


 入院初日の夕食のおかずは餃子だった。餃子も、和え物のタケノコも固かった。食欲は皆無で、申し訳ないとは思いながら3分の1ほど残してしまった。
 夜、何人かの患者さんに声をかけられたが、愛想笑いで返すのが精一杯だ。ここは病院なんだと分かっていても、マイナス印象は否めない。ここにいるすべての人が怖かった。
 けれど、それもすぐにどうでもよくなった。勇気を出して喫煙室へ行き、タバコを1本吸ったことで、長かった1日目はもう充分だと思った。




※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


関連記事
スポンサーサイト
【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
コメント(0) | トラックバック(0)

管理者のみに表示する

トラックバックURL
→http://nyuin3months.blog.fc2.com/tb.php/1-2d96d5ac
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。