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2015-04-15 15:15 | カテゴリ:AA
(※断酒36日目/退院まであと7日)
 通勤中の電車でぶっ倒れてこの病院に入院することになったあの日から、今日でちょうど3ヶ月になる。生まれて初めての入院、しかも精神科というなかなか厳しい入院デビューだったが、何はともあれ僕は、この春から夏にかけてとても貴重な経験をさせてもらった。
 そんな入院生活も、残すところあと1週間だ。

 午前の回診の間に、平嶋さんが退院した。挨拶することはできなかったが、あとで聞いたところによると、迎えに来た奥さんは看護師さんの前で号泣していたそうだ。退院を前にして、最後は院内のAAにもこつこつ通うようになっていた平嶋さんだが、どんな思いで奥さんの涙を受け止めたのだろうか。この病棟には、誰かが退院してもなお何かを考えさせられる、目に見えないけれどもとてつもなく重い扉がそこかしこに立ちはだかっている。僕にはそんな気がするのだ。

 レクのミニバレーは3人対3人と、少し淋しいゲームだった。その後昼食を挟んで、稲村さん、木下さんと明日の炒飯祭りの買い出しに向かう。
 病院へ戻るバスを待つ間、少し話を聴いた。ふたりとも、AAや断酒会には積極的ではない様子だ。木下さんは、医者に行けと言われる範囲では仕方なく足を運んでみるという感じだったが、稲村さんに至っては「自力で断酒します」と強気だった。どちらもそもそも、自分がアルコール依存症と診断されたことに納得していないように見えた。

 夕方。カウンセリングの最終回は、田村心理士との雑談に終始した。最後に、これから僕が柏ノ丘病院で引き続きカウンセリングを受けるための登録手続きをして終了時間となった。退院後のカウンセリングは外来とは別に、病院内のカウンセリングセンターへ直接連絡して予約するシステムになる。もちろん有料なので、そうそう頻繁に利用できるものではないだろう。とはいえ、僕が健全なココロを取り戻すまでには、まだもう少し心理士さんの助けが必要かもしれない。


 夕食後のAAは、南町教会の「オオタカ」に参加した。僕は先日「ちかぷ」のミーティングで「あんたは依存症じゃない」と指摘され、困惑したことを話した。
 カイさんが挙手をした。僕の発言に答える格好で意見を言う。
「アルコールに支配されたことがあれば、それはもうアル中ですよ」
 大阪でひとり暮らしをしていた頃、あまりの極貧でガスや電気を止められ明日の生活に困っても、小銭をかき集めて1本のお酒を買うことをやめられなかった。そんな僕がアルコールに支配されていたのは間違いない。誰がなんと言おうと、僕はアルコール依存症であり、いわゆる「アル中」なのだ。
 山岳グループに所属していたというカイさんは、山登りに例えてこう続けた。
「普通の人は、山に登りたくて登りますよね。でもアル中は、山の頂上で飲みたくて、だから山に登るんです」
 その通りだ。アル中はいつも目的を履き違えている。僕はどうか。
 自分に自信が持てない僕は、人とコミュニケーションをとるためにお酒を飲んだ。そのうち飲酒は日常に入り込み、例えば映画を観るときも、料理をするときも、飲むことで楽しみを増したり、気分を乗せる手段として、いよいよ飲酒が欠かせなくなった。
 だけどいつしか、手段は目的に変わった。気がつくと、お酒がないと何もできず何も楽しめない、ただの病人になってしまった。山に登るという本来の目的は、どこかへ失くしてしまったらしい。

 僕は自分の行動について、個々の目的を見失ってしまった。すべてが「お酒を飲む」という短絡的な目的にすり変わり、目の前の、本来自分がやるべき行動を見誤ってしまっている。そしてそれは、周囲と共有できるはずの『愉しさ』の本質を奪っていく。
 みんなが笑い、豊かさを共有している間、僕はただ「飲んでいる」だけだったのだ。僕だけが別行動をとり、自ら周囲との距離を広げていったのだ。
 不安を覚えた。お酒ではない「本来の目的」を見つめられる自分にならなけらば。でも、退院までもう時間がない。いきなりそんなふうに自分を変えられるわけがない ――
 
「それでもいいと思う」
 誰かの言葉がよぎった。僕が初めてSSTに参加したときの、葉山看護師の言葉だ。
 あのとき、患者からいろいろネガティブな意見が出るなか、ホワイトボードにそれらを要約して書き出していた葉山看護師は言った。
「お酒に頼る理由として、自信がないとか弱いとか指摘できないとか、皆さん悪い部分を挙げてるけど、そういう悪いところも含めて、私はそれでもいいと思うんです」

 本当のところ、「それでもいい」の真意は今でもよく分からない。でも、少なくとも今日の時点では「焦らず、今の自分と向き合えればそれでもいい」と受け止めることにした。アル中の自分でも、今の自分としっかり向き合えれば、それでいい。


 午後9時前。優二さんと徒歩で病院に戻った。1階の正面玄関を警備員さんに解錠してもらい、中へ入る。ロビー横の廊下を抜けて病棟へ続くエレベーターで3階まで行き、さらに廊下を進んで5階へ向かうエレベーターに乗り、5ーB病棟へと戻る。この時間、院外AAから戻るときは何度となく、この人気のない薄暗い廊下を通ったものだ。
 途中、1階から3階へ向かうエレベーターに乗ったとき、優二さんが降りる階のボタンを押し間違えた。何のことはない、ただそれだけのことだが、にわかに優二さんがヘコみだした。
「やべえ、間違えた。オレ何やってんだろ、オレ…」
 意外だった。こんなことで、突然落ち込み始めるとは。僕がそばにいたから、格好悪いところを見せたことがその原因なのだろうか。だとしても、あまりに過剰ではないか。
「ごめん。オレ、こういうのダメなんだよ…。こういう失敗ですぐヘコむんだ」
 何がダメなものか。僕なんか、エレベーターのボタンどころではない。人生の選択を間違えてばかりだ。
「うっかりミスをするのは、人間らしくていいじゃないですか」
 これは本心だった。なぜなら僕は優二さんが落ち込むほど迷惑していないし、こんなちょっとした間違いは、むしろ微笑ましいとさえ感じるからだ。
「人間らしいか…。ありがとう、元気でたよ」

 やっぱりここは、面倒な人ばかりだ。でも、それがまた面白い。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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2015-04-03 17:59 | カテゴリ:入院生活
(※断酒35日目/退院まであと8日)
 だんだんと退院へ向けてココロの照準を合わせていく毎日。同時に、まだやっていないことをひたすらやり、まだ行っていないAAのミーティングへひたすら足を運ぶしかない毎日。やるべきことは決まっているのだ。

 デイルームの喫煙室での顔ぶれも、入院当初と比べて様変わりした。それなのに、なぜか2階病棟に入院しているはずの峰口さんが頻繁にここへやって来る。デイケアに参加するついでに寄ったという口実だが、早朝から顔を出す始末だ。
 先月3日に5ーB病棟を退院した峰口さんだったが、ひと月もしないうちに2階病棟へ再入院となった。なんでも自宅で殺虫剤を撒いていて、中毒で倒れたらしい。この人の話はどこまで本当なのだろうか。
 2階病棟では、というか峰口さん自身がタバコを止められているのか、キャンディの袋にタバコとライターを隠して、5ーB病棟の喫煙室にしれっと紛れ込んで来る。本来、他病棟の患者や部外者の利用は禁止されているので、看護師さんに見つかっては注意されているが、まるでどこ吹く風の様子だ。
 そんな姿を見るにつけ、僕にはなんだか峰口さんが自分の居場所を求めているような気がしてならない。少なくとも、もうここは峰口さんの居場所ではないのに。でも、もちろん僕にはそんなこと言えない。


 午後3時からのサードミーティングで、いちおう参加必須のARPはすべて終了した。利根川さんの重たい告白や黒部さんの開き直りなど、いろいろ発言は出るのだが、それらを丁寧に拾い集めることもなく言わせるだけ言わせておいて、消化不良のまま時間が来て終わるという流れは最後まで変わらなかった。テキストのチャプターもラストまで進めず「あとは各自で読んでおいてください」的な終わりかたになってしまった。
 退院までにもう1回、このミーティングの時間がやって来る。既にサードミーティングの最終日程までを終えた患者は、もう一度セカンドかサードのどちらかを選んで出席しなければならないのだが、テキストを使ったこのミーティングに参加するのは、なんだかとても時間のムダのような気がした。それなら、最初に戻ってビギナーミーティングに参加したい。僕は師長にお願いしてみた。
「うーん。ビギナーミーティングは、あくまで入院して間もない患者さんのためのものだから…」
 渋る師長に食い下がった。
「それは分かります。でも最後の回でビギナーに参加して、もう一度入院当初の気持ちを思い起こしたいんです。ほかの患者さんに支障があるなら、発言しないでただ同席するだけでもいいです。お願いします」
 自分でもよく分からないが、必死で師長に頼み込んだ。師長はしばらく考えたあと、
「分かりました。特別に許可します」
 僕のわがままは受け入れられた。来週の最終回は、僕はビギナーミーティングに参加する。


 4時からはデイルームで料理打ち合わせを行った。料理も今回が最後だ。メニューは王道の炒飯で、節子さんが腕を振るうスタンダード炒飯のほか、カレー、シーフードの3種類を作ることになった。
 実習の学生さんは3人とも参加するのに、結局黒部さんは料理に加わることを拒んだ。頑固親父だなあ、と思ったが、考えてみれば僕だっていろんなことを拒み続けていたわけだから、人のことは言えない。
 買い出しは明日、僕と稲村さん、木下さんの3人で行くことになった。

 打ち合わせに同席していた一宮OTにも、例の色紙を渡して一筆をお願いした。色紙には既にひと通り看護師さんから寄せ書きをいただいていた。看護師さん同様、一宮さんにもずいぶんとお世話になった。彼女からもぜひひと言をいただいて、お礼のメッセージカードを手渡したかった。一宮さんは、
「分かりました。明後日の勤務のときにまたお持ちしますね」
 と、嫌な表情ひとつ見せずに色紙を預かってくれた。


 夕方。早出しの夕方を済ませ、昨日に続いて「ちかぷ」のミーティングに参加するため病院を出た。今日の会場は東町地区会館で、ひとりで病院バスに乗り込む。車内で一緒になった師長に、メッセージカードを手渡した。なんだかひとりひとりにお別れの挨拶をしているみたいだった。
 AA会場へ向かう電車では、一宮さんと途中まで一緒になった。僕は彼女に、いつ頃から作業療法士(OT)になろうと思ったのか尋ねてみた。
「中学の頃には、なりたいと決めてました」
 僕なんか、今回の入院で初めてこういう職業が存在することを知ったというのに。
 作業療法士になるには国家試験資格が必要だ。相当な努力をして進みたい道へ進むことができたのだろう。彼女のようなひた向きなエネルギーを、僕も取り戻すことができるだろうか。
「サトウさん。サトウさんがこれまでの人生でいちばん輝いていたのはいつですか?」
 唐突な質問だった。輝いていた頃。そんなの、僕にあっただろうか。
 大阪で芝居を初めてから、僕は本当に多くの人に出会い、貴重な舞台の経験をさせてもらった。それは普通に会社勤めをしている人にはなかなかできない経験かもしれない。でも、僕の足元はいつも不安定で、当時の僕もそれを感じていた。
 それでも、20代の自分にはまだまだ時間があるような気がして、僕はその不安定さと向き合うことをしなかった。30代になってからは、半ば現実から目をそらすようになっていた。
 そんな僕のどこが「輝いて」いたというのか。
「ええっと…いつだろうなあ。やっぱ大阪で芝居してた頃かなあ」
 本音を言っても虚しくなるだけなので、まるっきりでまかせがこぼれた。一宮さんが笑顔で僕を励ます。
「退院したら、また輝いた毎日を過ごしてくださいね」
 ―― 輝いた毎日か…。
 この街へ帰ってからは、僕はすっかり自信を失い、下を向いて生きていた。輝いた毎日を過ごすためには、あともう少し、空を見上げて歩かないと。


 AA「ちかぷ」では、昨日僕を「あんたは依存症じゃない」と決めつけた例の男性が今日も参加していたため、少し身構えていたが、ミーティングの前にイザワさんからAAの書籍『ビックブック』をいただいた。この本は古いバージョンを優二さんから一冊貰っていたのだが、ミーティングでは改訂版を使うのでページが合わなかったり、記述や構成じたいが異なっているときがあり、改訂版の『ビックブック』をいただいたのは正直ありがたかった。とはいえ、せっかくの優二さんの好意になんだか悪いような気がして、僕が改訂版を持っていることを優二さんには知られないようにしなければ、などとまた余計な心配をしてしまう始末だった。
 会場には参加者の差し入れで豆大福やらバウムクーヘンやら、なかなか豪勢なおやつがたくさん並べられていた。僕が病院から来ているということで、ミーティング後にはそれらをお土産に持って帰るよう皆さんから勧められた。例の男性からも「たくさん持って行きな」と声をかけられた。昨日のようなことは言われなかったが、それでも僕は警戒を解かなかった。

 帰り道。駅でたまたまほかのミーティングへ行っていた優二さん、利根川さんと合流し、一緒に帰院した。
 退院が近い。その実感がいま、僕の背中をゆっくりと押している。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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