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2015-03-17 15:18 | カテゴリ:AA
(※断酒24日目/退院まであと19日)
 夕方に自助へ出かけるまで、何もない1日。今日はAA「はましぎ」で、院外でのミーティング参加は初めてとなる。普段は北町の12丁目カトリック教会で行われているのだが、都合により急遽東町にある地区会館に変更になった。
 優二さんが自助参加のあと自宅へ外泊するというので、ひとりでの帰院は飲酒欲求との闘いになるかも、と身構えたが、それでは訓練にならない。
 …などとと思っていたら、足のケガが癒えない植中さんが「はましぎ」のメンバーの方に車で送り迎えしてもらうとかで、同乗させていただけることになった。迎えに来た「はましぎ」のユウさんは院内AAでよくメッセンジャーとして来られている大柄の男性で、植中さんとはかつての入院仲間だそうだ。
 歯磨きもそこそこに準備もままならず出発することになったが、車に同乗させてもらったことが結果的に裏目に出た。
 会話に入れない。喋れない。またいつものように、存在を殺してじっと耐える。何も聞こえなくなり、孤立した状況に自ら転がり落ちていく。
 ミーティングでそんな自分について話してみたが、主旨とズレているような気がした。お酒での失敗や反省を話すのではなく、お酒を飲んでいないときの自分について話しているわけだから、果たしてどうなのだろうか。
 頓服のジアゼパムを3錠飲んでも、気分の落ち込みは止まらない。AAに行く自信がなくなった。僕はダメな人間だ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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2015-03-16 19:47 | カテゴリ:院内生活
(※断酒23日目/退院まであと20日)
 朝食は実家でひとり、レトルトカレーを食べた。熱いものを食べると、今度は上の歯が痛むようになった。
 昼前、スーパー柏ノ丘店まで父に車で送ってもらい、インスタントコーヒーと砂糖を買って病院バスで帰院した。今週は料理には参加しなかった。

 午後1時半。来週が夏祭りでお休みとなる創作は、退院まで今日を含めてあと2回ということになる。
 猛スピードでカードケースを仕上げた。お世辞にも上出来とはいえないが、一宮OTはしきりに「いい感じですよー」と褒めてくれた。これはこれで、彼女の本心なのだろう。再来週の最後の回では、100円ショップで買ったイルカの木工クラフトを作って遊ぶつもりだ。



 今日は柏ノ丘例会には行かず、夕方の自助参加まで休むことにした。デイルームで薬剤師の室戸さんに、久しぶりに声をかけられた。僕は退院日を伝え、不安ではあるけれど比較的落ち着いている、と近況を話した。
 とはいえ、薬が必要な生活がこの先いつまで続くのかは気になるところだ。エビリファイは前日の効果が残る可能性があるから一度くらい飲み忘れても大きな支障はない、と渡辺先生は言っていたが、退院して仕事に戻ったとき、僕がどんな精神状態でいられるのかは分からない。眠剤も必要になるかもしれない。いずれにせよ、退院後も外来で様子を見なければ何とも言えないというのが実情だ。
 以前先生にも訊いた、飲酒欲求を抑える薬についても尋ねてみた。新しい薬のため臨床データが少なく、不確定な部分も多いそうだが、考えられる副作用は下痢の可能性で、町坂さんが言っていたような「何もしたくなくなる」「死にたくなる」という症例は、少なくとも室戸薬剤師は聞いたことがないという。ほかの薬との併用も問題ないとのことで、頓服薬としての利用が可能かどうかについては調べてくれるそうだ。費用負担についても確認をお願いしたところ、室戸さんは快く引き受けてくれた。

 その後、職場へ連絡して担当マネージャーに退院が決まったことを伝えた。直接の上司にあたるマネージャーからは「おめでとう」という、この病棟ではあまりかけられない言葉をかけてもらった。退院後も今月いっぱいは静養して、8月から復帰ということで了承をとった。
 この3ヶ月で職場のスタッフも20人ほど増えたという。1月から研修を始めて2月から現場についたばかりの仕事のため、まだまだスキルがないうえに、このブランクは不安でお腹いっぱいになる。それでもここまでの入院生活で僕がやってきたことは間違っていないはずだ。自分を信じて、とにかく前へ進むしかない。


 今日は西町のAA「ちかぷ」へ行った。院内AAではメッセンジャーの方が来ているグループなので何度か参加したが、病院外のミーティングへ出向くのは初めてだ。
 知らないメンバーばかりだったが、5月の連休明け、初めてこのグループの院内AAに参加したとき「アサヒの『スーパードライ』が飲みたい」と話してくれたイザワさんがいた。別のAAメンバーの方も来ていた。少しずつ、顔見知りが増えていけばいい。そのためには、とにかく足を運ぶことだ。

 西町教会へは優二さんと向かったが、少し早かったので駅前のショッピングモール3階の喫煙室で時間を潰すことにした。さっきまで病院バスで一緒だった、勤務終わりの沼畑師長がタバコを吸っていた。デイルームの患者用喫煙室では見たことがないが、実はかなりの愛煙家らしい。
 師長が最近ハマっているというスマホのゲームの説明をあれこれ僕にしてくれた。ただ、
「バアーッとやって、ぽんってなったら、すーっといくの」
 と長嶋さんみたいな説明なので、面白さがさっぱり伝わらない。それ以前に僕のポンコツ端末には非対応なので、楽しそうに話す姿で「ああ、面白いんだろうな」と理解するしかなかった。
 いろいろ苦労の多い職場だろうが、それを見せない。「私、短気なの」と呑気に語る。僕とは対照的な人で、なんだか考えさせられる。僕は人に対して壁をつくるが、本当は人が好きだ。
 患者だけではなく、病院のスタッフからも、たくさんの大切な何かを貰っている気がした。

 優二さんが珍しく沈んでいた。退院後の生活のために当てにしていた、作業所での仕事を断られたそうだ。詳しい理由は僕にはよく分からないが、なんでも「デイケアへの通所やAAの参加実績が足りない」らしい。これまで優二さんは、バーテンなどお酒を提供する飲食店での仕事や、やはりお酒を飲む機会が多い技術系の職場にいたため、スキルをうまく活かせられないこともネックのようだ。
「就活なんて3年もしてないし、面接用のスーツ買うカネもないんだよなあ…」
 180㎝の長身では、僕のスーツなんか役に立たない。
 こういうときは、気休めの言葉はかえって傷つけるだけだ。不安で焦る気持ちは、僕には痛いほど分かる。
「でもこうやって、サトウさんにグチ聞いてもらえるだけでも助かるよ」
 普段の素っ気ない優二さんにしては珍しい物言いだ。長い脚でいつもさくさく歩くが、今日はAA会場へ向かう足取りが重いのが如実に伺える。
「試練ですね」
 僕はそれだけ言った。彼がいつも口にする、自分を奮い立たせる言葉だ。
「そうだな。試練だよな」
 自分に言い聞かせるように呟いた。教会へ向かう足が、少し早くなった。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2015-03-15 13:44 | カテゴリ:診察・診断・回診
(※5度目のスリップから22日目)
 今日からちょうど2週間後の今月17日の木曜、僕は入院からきっかり1クールを迎える。午前の渡辺先生の回診で、退院の日取りについて質問すると、先生から逆に訊き返された。
「さ、サードミーティングは終わりましたか?」
「あと2回ありますが、17日までには終わります」
「あ、そうですか。そ、それでしたら、ぐす、病院としてはですね、1クール終了をもって退院ということで問題ありません、ぐす」
 ぐす、ひっく、ひー、と鼻なのかどこなのか分からないところを鳴らしながら、先生はあっさりと退院を認めた。
「こちらで決めて構わないんですか?」
 はい、と先生は答えた。
 優二さんが唐突に退院を告げられたことに関して、ベッド待ちの患者が多いことが関係しているのでは、と言っていた。優二さんと僕とでは主治医が違うとはいえ、僕が抱いていた不安との温度差に拍子抜けしてしまった。
「いちおう、ARPでできることはすべてやったつもりです。でもやっぱり、不安が拭えないというか…」
「退院を前にして不安になるのは、ぐす、皆さん同じですよ。た、ただ、もしどうしてもということであれば、ぐす、1週間でも2週間でも延ばしていただいても、あの、結構です」

 父にも会社にも相談しなければならないが、最終的には僕が決めることだ。退院の日をどうするか、僕は来週の回診までに結論を出すことで先生の了解を得た。

「それから、今服用しているエビリファイなんですが、朝食後にときどき飲むのを忘れてしまうことがあるんです。でも、飲むのを忘れてもそれに気づかないくらい調子がいいときもあるので、頓服薬だけにしたほうがいいのかなって思うんですが…」
 できることなら、薬にはあまり頼りたくない。経済的な負担を少しでも減らしたいという思いも正直ある。実際のところどうなのか、医師の意見が欲しかった。
「エビリファイは、い、いちおう、72時間は残りますので、あの、1回飲み忘れても前日のが効いているケースもあります。でも、ぐす…そ、そうですか。じゃあちょっと、お薬切ってみますか?」
 訊き返されて、どうしたらいいか途端に分からなくなった。診察室に同席していた千葉看護師が口を挟んだ。
「普段の生活に大きな支障がないなら、いきなりお薬切っちゃうんじゃなくて、もう少し服用を続けてみたらどうですか?」
 うん、それがいい。そうしよう。僕はもうしばらくエビリファイの服用を続けることにした。


 診察を終えて体育館へ向かうと、ミニバレーが既に始まっていた。今日は人数が少なく、4対4のゲームだ。優二さんや町坂さんら常連の姿がない。患者は利根川さん、草刈さんなど4人だけ、あとの半分は牛本主任や大田看護師ら病院スタッフだ。植中さんは先日登山をしていたら足を痛めたそうで、ゲームには参加せず得点係をしていた。
 僕は主任と交代して11時半のレク終了まで汗を流し、シャワーを浴びた。


 3時からのSSTまでの間、デイルームで牛本主任に退院の日について相談した。勝瀬さんは退院後のデイケア参加に積極的な様子だったが、あれは病院側から勧められたことらしい。僕にもデイケアは必要なんじゃないだろうか。
「デイケアは生活保護で求職中の人向きのもので、空いている時間を飲まないようにする意味合いが強いんです。サトウさんにはデイケアよりも、とにかく今まで通り自助グループへ通うことが何よりだと思いますよ」
 生活保護受給者には助成金や免除があるのだろうが、デイケアにはもちろん費用がかかる。勝瀬さんは生活保護でも求職中でもなく立派な美容師さんなのだが、とにかく僕の場合、そういうことらしい。

 患者からの話だけでは、とかく情報が偏りがちだ。僕はこの入院生活でほかの患者からの話を聴くうち、病院というものはどこも一律利益主義に走るものだという見方に感化されていたようで、この柏ノ丘病院も本当のところは、

①やたらと薬を出して診療報酬を増やす
②有料のプログラムやリハビリを必要以上に勧める
③何でも依存症にしてしまい入院させる
④金にならない入院患者は早めに出て行ってもらう

 …などという傾向にあるんじゃなかろうか、と疑心暗鬼になっていなかったわけではない。もちろん病院といえど経営が成立しなければやっていけないのだろうが、もう少し病院を信頼してもいいと、今さらながらに思い、同時にちょっぴり反省もした。

 牛本主任が続けた。
「前に、サトウさんはもう少し入院したほうがいいって言いましたけど、あれは僕の個人的な意見ですし、サトウさんのお仕事のこともあるでしょう。17日に退院して、ご自宅で少し休んで8月からお仕事を再スタートさせるのもいいタイミングですよ」
 入院を来月まで先延ばしにはしたくない。かといって、1クールきっかりの17日に退院するのも不安だ。でも、仮に8月1日から仕事に戻れるとして、退院と仕事復帰の間のインターバルは欲しい。
「1週間ほど延ばして、24日か25日に退院というのは中途半端ですか?」
「それでもいいと思いますよ。ただ、25日の金曜よりも24日の木曜日をお勧めします」
「どうしてですか?」
「退院当日というのは、最初にスリップしてしまうリスクが高い日なんです。そこに週末が重なると、ちょっと危ないですね」
 なるほど、そういうものか。特に僕のケースを見透かしたようなアドバイスだ。

 もうひとつ、お願いしてみた。
「あの…実家の父を呼んで、面接というか、説明をお願いしたいんです。1クールが終了しても、僕が完璧にお酒と縁が切れたわけじゃないですよね。家族が依存症っていう病気に誤解を持ったままで、退院後に万一僕がスリップして『治ってねえじゃねーか』ってことになってもマズいですし…。でもそれを僕の口から説明しても、再飲酒する言い訳にしか聞こえないんじゃないかと。それで、やっぱりそういうことは病院の方から説明していただいたほうが助かります」
 これは、かねてから僕が頼みたかったことだ。
「それは構いません。先生の回診の日に合わせるのがいいと思います。17日がちょうどいいですが、僕が休みなので…来週の木曜、10日はいかがですか?」
 病院での僕の様子を間近で見ている、担当看護師の牛本主任が同席しているほうがありがたい。それに主任は、僕が最初に実家へ外泊した際に電話で直接父と話している。

 こうして僕は、退院の日を7月24日で調整することに決めた。4月17日の入院から数えて、99日目での退院だ。


 今日のSSTは、これまで参加していた勝瀬さんと周さんが退院したため、患者4、5人ほどの淋しいものだった。新聞紙の上に立ってじゃんけんをし、負けるたびに新聞を半分に折っていくというゲームでウォームアップしたあと、飲酒欲求を招くシチュエーションでいきなりロールプレイをすることになった。
 僕は自分のついていけない話、苦手な話になると勝手に孤立感や劣等感、疎外感を強めて自分の殻に閉じ籠ってしまい、それが飲酒欲求の引き金になることが多い。シラフで他人とコミュニケーションをとることができない大きな問題なのだが、先週のカウンセリングで田村心理士から「それこそSSTで相談してみたら」とアドバイスされたのを受けて、金曜の深夜に夜勤だった牛本主任にもそのことを話していた。ところがいきなりロールプレイをやってみるというので、勝手が分からず戸惑ってしまった。
 意図してなのかどうか、飲酒欲求が起こるシチュエーションを最初に尋ねられた僕は、ロールプレイで再現するのは微妙だな、とは思いながらも僕の問題を話した。
 疎外感や劣等感を感じる卑屈さをどうにかしたい、と切実に思うが、「飲酒欲求に打ち勝つ」という今日のSSTの主旨とは少し違う気がする。とにかく、牛本主任と米窪さんと僕が3人で雑談しているというシチュエーションで、即興のロールプレイが始まった。僕がついていけない車の話題になり、僕が孤立を感じたところで、葉山看護師扮する「欲求さん」が僕に飲酒を勧める言葉を囁く。
 なんともしょっぱい寸劇になってしまった。ただ、僕が話題を変えようとあれこれ喋りだしたことで、葉山さんは「飲酒欲求が口を挟む余地がなかった」と感想を言った。また、ついていけない話題でも知らないなりに乗っかろうとしたところ、米窪さんから「好きなものの話題に合わせてくれて、嫌な気がする人はいない。相手を引き込もうとするもんだよ」と言われた。
 僕にとって、ヒントは案外簡単なところにあるような気がした。

 SSTは今日も4時を回ったので、中座して4時10分からカウンセリングを行った。僕は田村心理士に先ほどのSSTの件と、それから先日火曜の深夜に外泊届を詰所へ持って行って注意され、ヘコんだ件を話した。カウンセリングに具体的な回答などない。田村心理士は「そうなんですか?」と相槌を打ちながら、ただ僕の話を聴いてくれた。
「次回までの課題はありますか?」
 ひと通り話し終えて、僕が尋ねた。
「サトウさんは、何か課題が欲しいですか?」
 笑顔で訊き返された。
「いえ。また来週、1週間で起きた事件の報告をします」
「事件ですね、ふふ。分かりました」


 夕食後。優二さん、利根川さん、関根さん、山形さんと南町教会の「オオタカ」へ行った。ミーティング前に父へ電話で24日の退院を伝えて、10日の回診に同席してもらうようお願いした。会社にも連絡したが、担当マネージャーが休みのため改めることにした。
 今日のミーティングで、優二さんが正式にこのグループのメンバーになると発表した。これで男性5名、女性7名となる「オオタカ」は、これまで50代のカイさんが男性陣の最年少だったそうだが、優二さんの加入で男性陣の平均年齢は大きく下がることになる。
 今月10日に退院して地元へ帰るという関根さんは、今日を入院中の院外自助参加の最後にすると決めていて、そのことをミーティングでみんなに伝えた。
 10年近く断酒していた関根さんが今回スリップした直接の原因は、数十年ぶりに偶然再会した高校時代の彼女との浮気だったという。奥さんとはなかなかの修羅場だったそうで、浮気についてはいちおうかたが着いたとのことだが、これからまだまだ肩身の狭い思いが続くのは間違いない。
 それでも関根さんは、ミーティングの場でこう語った。
「地元の町では、AAで活動しているのはふたりしかいないそうなので、これからは嫁とミーティングしようと思います。そのことを話したら『今さら別れる気なんかないから、何でも相談して』と言ってくれました」
 今日はこの町で暮らす、前の奥さんとの間の娘さんと一緒に食事をしてきたそうだ。家族にも、仕事にも、そしてお酒の問題にも正面から向き合う関根さんが、地元の豊かな自然を背景に大好きな釣りを心から満喫できる日は、そんなに遠くない気がする。

 僕は僕で、退院が今月24日の見通しとなったことを報告し、遅ればせながら入院中のスリップについて、余すところなく話した。いわゆる『棚卸し』というやつだ。


 AA終了後、僕はみんなと別れてひとり実家へ帰った。ひとりで夜の道を歩くときにこそ缶酎ハイの1本でも飲みたくなるのだが、堪えることができた。実家に着いたのは9時前、思っていたよりも早かった。
 父も母もまだ起きていたが、母はなんだかぼーっとした様子で、父は父で神経質そうだった。時おりつく父の溜め息で、僕は自分の気分が一気に下降していくのが分かった。

 退院すると、これが日常なのだ。誰も悪くないし、誰のせいにしてもいけない。ここで負けては、絶対にいけないのだ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2015-03-09 15:09 | カテゴリ:断酒会
(※5度目のスリップから21日目)
 昨夜の午前2時近く。日記を書いていたら、木曜の自助参加と外泊申請を忘れないか無性に不安になってきた。外泊は前日正午までに申請しないといけない。この頃うっかり忘れが多いうえ、外出ができないと行動プランが大きく狂ってしまう。既に夜勤の看護師さんも仮眠をとる時間なのだが、デイルームから詰所の窓を覗くと夜勤当番の前上さんと丹羽さんがまだ起きているのが見えた。

 ドアをノックしてノブを回すが、施錠されている。看護師さんの仮眠中に患者が侵入するのを防ぐためだろう。ときどき忘れてしまうが、ここは精神科病棟なのだ。
 丹羽看護師がドアを開けて、僕を詰所に入れてくれた。
「こんな時間に申し訳ないんですが…」
 と、恐る恐る外泊届を渡し、記入方法について分からないことを尋ねた。
「ほかに分からないことはないですか?」
 外泊届は受け取ってもらえたので、これ以上手間を取らせてはと思い「また分からないことがあればそのとき伺います」と答えた。お礼を言って詰所を出ようとしたら、丹羽さんに呼び止められた。
「今回は受け取りますが、次からこういうことは夜中じゃなくて昼間に来てもらえますか?」
 笑顔で柔和な表情だが、言葉に舌打ちが混じっているように感じた。ヤバい。前上さんに目をやると、困ったような顔で「そうですね、できればお昼に…」とすまなそうに小声で言った。
 この時間、看護師さんが普段仮眠をとっていることは知っている。これからも事あるごとに看護師さんを叩き起こして外泊届を突き出すとでも思われたか。それとも「分からないことがあればまた訊く」というのは「今夜また来ます」と受け止められたか。
 いずれにしても僕は、非常識でイタい行動を取ってしまった。心理検査でも指摘された、僕の思考のズレがここにある。慌てた僕はパニックになり、
「すいません、じゃあ明日もう一度持って来ますっ」
 と、既に受け取ってもらった外泊届を取り戻そうとして余計イタい行動を取る。
「今回はこれでいいから、次から気をつけてくれる? 心配で眠れないときもあるよね」
 幼い子供をなだめるように丹羽看護師に言われ、自分のイタさにへこむ。
 何度もお詫びをして詰所を出たあとも、こういうことでヘコんだ自分にさらにヘコむ。これが僕なのだ。僕は結局、何も変わっていないのではないか。

 今日の朝、前上看護師が病室に訪ねて来てくれた。外泊から戻ったあとの食事の有無について確認したいとのことだったが、明らかに僕の様子を心配して見に来てくれたようだった。
「昨晩のことで考え込んじゃったりしてませんか?」
 思いきり動揺しながら「大丈夫です」と答えた。一夜明けても看護師さんに気を遣わせている自分が情けなかった。


 水曜日のARPは午後3時からのサードミーティングだけだが、テキストを使ったセカンドミーティング以降、僕の最も気が進まないプログラムになってしまった。
 ワークブック形式のテキストに書かれてある内容はもっともなのだが、当たり前と言えば当たり前で、患者に書き込みをさせる質問もなんだか微妙だ。サードミーティングに入っても、書いたことを順に発表し、それに対して進行役のソーシャルワーカーが差し障りのないコメントをしていくだけで、50分という短い時間はあっという間に終わってしまう。
 いつも煮え切らない、残念な気持ちになるのだ。
 今日は第⑦回『回復に向けて(自助グループについて)』というチャプターだ。タイトルから既に結論ありきのような気もするが、以下の設問があった。

*Q:あなたには素直にアルコールの問題を打ち明けられる友人や援助者、関係者はいますか?

「はい」か「いいえ」のどちらかを丸で囲む形式だ。
 僕の回答は「いるといえばいるし、いないといえばいない」だ。僕は貧弱過ぎるくらい貧弱な人間で、今さら人に弱味を見せまい、などとは思っていない。家族にも、あまり多くはない友人にも、アルコールの問題を打ち明けることに抵抗はない。
 ただ、打ち明けたところでどんなレスポンスがあるというのか。打ち明けられた相手を困らせるだけで、何も前進しないのではないか。現に父からは「俺にどうしろというんだ」と言われてしまった。経済的な面で負担を強いていることは心底申し訳ないと思うし、感謝しきれないほど感謝している。ただ、このミーティングで取り上げているのはそうした物理的な援助の話に限らない。
 かと言って、この問題を理解しろというのも無理がある。依存症がいくら病気でも、自業自得と言われればその通りだ。打ち明けることはできても、それはそこまでの話なのだ。
 ―― という流れで、自助グループへ行きましょう、そして仲間をつくりましょう、という提案になってくるのだが、少なくとも僕の場合、自助グループで「俺なんかの話をしていいのか」という思いがある。手短かに話さないと、ほかの人が思いを吐き出す時間がなくなってしまう。仲間の話の時間を奪ってまで自分の話に終始したくない。同じように考える人は、割と多いのではないだろうか。
 僕の回答に対して、進行役のソーシャルワーカーの男性がコメントする。
「でも、そうした配慮ができるのは大事なことだと思います。なるべくたくさんの人に打ち明けられるといいですね」
 ピントがずれているが、ほかに答えようもないのだろう。ひと通り全員の回答を拾ったあと、最終的に「焦らず、気長に」という呑気なまとめで締めくくられてしまった。
 テキストではそのあと自助グループのメリットについて触れ、こうしたグループへの参加が苦手な人にも活用を促す内容になっているのだが、残り5分で要点箇所だけ輪読してミーティングは終わった。
 今日も煮え切らない、残念な気分になってしまった。こんなふうに感じるのは、僕の捉え方がおかしいのだろうか。


 夕食後初めて、院外で行われる中央町の断酒会へ足を運んだ。普段フリーで参加している草刈さんにお願いして、一緒に連れて行ってもらったのだ。いつもはAAに行く優二さんも一緒で、彼はもともと断酒会には度々参加していたのだという。
 西町駅から数駅で電車を降り、会場の中央町民センターの3階集会室へ入った。ひと足早く到着していた和代さんが、
「サトウくーん、来たわね。ようこそ」
 と僕に手を振ってくれた。和代さんは既にこの中央町断酒会の正式な会員で、会長さんの隣の席に陣取っていた。
 会長の赤崎さんは60代後半くらいの男性で、初対面の僕を見るなり「いやあ、よく来たね」と親しげに握手して歓迎してくれた。
『断酒の誓』を唱和して始まった会合には、20人ほどは集まっていただろうか。西町断酒会による柏ノ丘病院の例会と同じく、司会者によりランダムに指名され話をしていく。僕は会の後半、涙ながらにとても重い話をされた女性のあとに指名されて少し戸惑ったが、初めての場でいつもするように簡単な自己紹介を含めて喋らせていただいた。
 断酒会の印象としては、AAに比べて「かちっとしてる」感じがした。会の終了後はメンバーの方から名刺をいただき、「あなたもぜひ入会して一緒に頑張りましょう」という圧力を感じた。
 柏ノ丘例会でもお見かけした、五十嵐さんという別の断酒会所属の年輩男性に車で送っていただいて、8時半には病院に戻ることができた。
 一緒に送ってもらった和代さんは、相変わらず元気そうだった。


 夜。特番のテレビドラマのせいか、喫煙室が施錠される11時近くなっても、デイルームにはいつもより患者の姿が多かった。
 高津さんから、迫さんが4回のスリップで強制退院になったと聞かされた。
「今はアレやね、厳しくなったっちゃね」
 昔は院内飲酒のケースも珍しくなかったそうだが、現在のルールでは院内飲酒は即退院だ。院外飲酒については、強制退院となるスリップの回数が具体的に決められているわけではない。そのときの状況によるのだろう。
 迫さんが以前にスリップしたことは、どこかの病棟へ一時的に移されていたようなので僕も知っていた。ただ、今回の退院に至るまで何度やらかしたのかは知る由もなかった。僕の場合、4回の自己申告を含めて都合5回スリップしている。自己申告とはいえ、4回まとめて、しかも外泊禁止を恐れての事後申告だ。悪質と取られても仕方がない。僕が強制退院にならなかったのは、やはり牛本主任を始め僕を擁護してくれた看護師さんがいたということなのか。
「あの人、結構いろいろ悪態ついてたからなあ…」
 米窪さんが言っていた。
 一見おとなしくて気の弱そうな迫さんは、口を開くと見た目と違って少し乱暴な物言いをする人だと感じたことはあった。以前は建設関係の仕事をしていたそうだが、請け負った仕事にクレームをつけた顧客がたまたまNHKの職員だったとかで、NHKの悪口を散々聞かされたことがある。詳しくは知らないが、過去にドクターにもいろいろ面倒な注文をつけたことがあるという話も、本人から断片的に聞いた。柏ノ丘例会にはコンスタントに出席しており、少なくとも僕が例会に参加したときはすべて一緒だった気がする。
「結局、最後は人対人だからね。態度の問題じゃないか」
 というのが米窪さんの意見だ。そういうことなら、僕は羊のように従順で、卑屈なくらいに無風を好む。もっとも、そういう人間ほど厄介なのかもしれないが。
「でも、サトウさんは変わったよ」
 米窪さんにそう言われた。先日優二さんにも同じことを言われたばかりだ。
「最初は、エラいのが入って来たと思った」
 入院当所、僕は怯えていた。確かにその頃に比べて、僕はモノの考えかたが変わったのかもしれない。というよりこの3ヶ月で、アルコールに代表される依存症という病気について、僕自身の捉えかたに変化があったような気がする。入院を通して知り合った5ーB病棟の患者と病院スタッフ。そして、苦しむ患者を支援する様々な方とグループ ―― その人たちを見て、この病気がもたらす問題は何か、どう向き合うべきなのかを毎日考えさせられている。
 僕自身は、相変わらず打たれ弱い臆病な僕のままだ。ただ、このとき呟いた米窪さんの言葉が何より嬉しかった。

「入院してからサトウさんが行動してきたことが、今の変化に確実に結びついてると思うよ」


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2015-03-07 16:37 | カテゴリ:院内生活
(※5度目のスリップから20日目)
 ベッドを廊下側へ移して最初の朝。寝覚めは良好だ。
 昨日、午前中にベランダに干した洗濯物を取り込むのを忘れていたので、深夜にベランダから出してそのままデイルームで日記を書いて寝たのだが、洗濯物をベッドに持って行くのを忘れてしまった。早朝、喫煙室でタバコを吸っていて、デイルームに見覚えのあるTシャツが放置されているのに気がつき思い出した。
 寝覚めは良くても、こういうところは相変わらずだ。

 今日から7月。今年も半分が過ぎたが、僕はさらにその半分をこの病院で過ごしている。1日が恐ろしいほど速く駆け抜けていく。

 患者会の役員も新しい顔触れになり、新会長の山形さん、副会長の優二さんが今月最初の瞑想タイムを仕切った。
 朝の苦手な優二さんは、毎日早起きの山形さんに起こしてもらうよう頼んでいるそうだが、早朝一発目から山形さんの顔と声というのは、こちらは寝覚めが悪そうだ。


 火曜の午前は院長の回診日だ。院長が主治医の患者には、利根川さん、山形さん、優二さん、植中さん、関根さんなどがいる。
 正午前、昨日に続いて53号室に新しい患者が入った。木下さんという僕よりひとつ歳上の男性で、もちろんベッドは僕が昨日まで使っていたスペースだ。
 院長の回診を終えた優二さんが僕のところへやって来て、急遽退院が来週の水曜になったことを教えてくれた。優二さんは前回1クールの入院をしたが、退院からわずかひと月でスリップして今回の入院となった。院長からは当初、今度は半年はかかると言われて本人もそのつもりでいただけに、寝耳に水の話だったようだ。
「それだけ入院待ちが多いってことだろうなあ。俺は先生に任せているから」
 そうは言うものの、不安は隠せない様子だ。
 あと1週間というのも確かに急だが、とすれば僕の退院もきっかり1クールで間違いないということだろうか。いずれにしても優二さんとは、退院後も連絡を取り合って自助グループに行きたいと思う。

 昼食後のミニバレーに参加することは、だんだん当たり前になってきた。活躍こそしないが、みんなとゲームをしている実感が楽しくて、僕にはレクの時間が待ち遠しくもある。
 不安が完全に消えたわけではないが、バレーに加わるなんて想像もつかなかった入院当初の僕にしてみれば、大きな変化なのだろう。

 午後3時の病院バスでスーパー柏ノ丘店へ行き、文具売り場でいろいろと買い物をした。いくぶん躊躇したが、僕が退院するにあたって、看護師さんへあることをお願いするためだ。かなり恥ずかしいのだが、この際そんなことは言ってられない。あとで後悔しないためにも、とりあえず準備だけはしておこうと思った。


 今日の自助は、西町19丁目の「つぐみ」だ。病院バスに同乗していた利根川さんや山形さんたちがスーパー柏ノ丘店前で途中下車したため、つい一緒に降りてしまった。みんなは南町教会の別のAAグループへ行くという。僕は優二さんと西町駅まで行くのだ。慌てて戻り、再度乗車させてもらった。いつもぼけっとしてみんなの後ろにくっついているだけだと、こういうことになる。バスに戻れたのはラッキーだった。

 AA「つぐみ」はまだ3回目だが、僕のことはある程度覚えてもらえたと思う。先週もこのグループに参加したあと、日曜に北東教会のAA「オオタカ」で再度顔を合わせた人がいたことも大きかった。
 帰り道に優二さんから、やっぱり次の木曜は松ノ宮町ではなく、南町教会へ行こうと言われた。
「予定がコロコロ変わって申し訳ないね」
 退院がいきなり決まったわけだし、事情が変わったのだから予定が変わっておかしいことはない。優二さんが続けた。
「俺、南町の『オオタカ』に正式に入るから」
 もしかすると、入るならこことある程度決めていたのかもしれない。あくまで僕の印象だが、慌てて決めたというよりも、決断するのに何かがふっ切れた、という感じに思えた。

 明日は草刈さんと中央町の断酒会へ足を運ぶ予定だ。1クール終了まで残りわずかだが、まだまだ初めてのことはある。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2015-03-07 12:34 | カテゴリ:院内生活
(※5度目のスリップから19日目)
 満床の5ーB病棟では、退院する人と新たに入院する人の入れ替わりが激しい。退院待ちで待機している患者も多いそうだ。
 52号室では、料理でお世話になった中山さんが退院した。定年まで仕事を勤めあげて会社を退職し、現在は独り暮らしという中山さんだが、
「中山さんみたいな人は、もう飲んでもいいんじゃないの?」
 と、米窪さんが元も子もないことを言っていた。
 僕が入る53号室でも、周さんが退院した。外泊から奥さんと帰院して、そのまま荷物をまとめての退院だった。中国語と日本語の混じった会話で、奥さんとふたりで声をあげて笑っていたのが印象的だった。
「中国語で僕らの悪口言ってたりして」
 病室で周さんとお別れの挨拶をして見送ったあと、米窪さんに言った。
「お前らアル中と一緒にすんな、ってか」
 もしそうなら、それはそれで面白い。

 8人部屋の53号室はこの時点で、ベッドにふたつの空きができた。入口から向かって右手前廊下側から奥へ、黒部さん、僕、米窪さん、高津さん。左手奥の窓側が周さんの使っていた空きベッド、順に手前へ平嶋さん、浅尾さん、そして勝瀬さんが使っていた空きベッドという並びだ。
 僕は勝瀬さんの使っていた廊下側のベッドに移りたいと思っていた。この場所は共用ロッカーが置いてあり、その分スペースが多少広い。また、廊下側の左右ふたつのベッドだけ、なぜか個人用クローゼットが観音開きの大きなサイズになっていて、これまたスペースが広くなっている。それはそれでプラスなのだろうが、入口付近のこのベッドはデイルームや詰所に近くて騒々しいということもあり、寝付きの悪い患者には敬遠される場所でもある。
 僕は退院が近くなり、まただんだんと不安や焦りが強くなってきた。騒々しいのも限度はあるが、静か過ぎるのは僕にとってなんだか無性に心細い。気分をリフレッシュする意味もあるので、わがままを承知で金曜の夜に夜勤の牛本主任へ相談したところ、師長に許可を貰うようにとのことだった。

 周さんが病院を出たあと、空いたばかりの窓側のベッドがすぐに新しい患者を迎えるべく整えられた。廊下側の空きベッドはそのままだ。病室に来た前上看護師に訊いてみた。
「今日のお昼までに、すぐに新しい患者さんが入ります。サトウさんが廊下側のベッドに移動したがっているのは主任から聞きましたから、新しい患者さんはこっちの窓際のベッドにお迎えしようと思って。師長はもうすぐ来ますから」
 僕は正直、僕の希望を牛本主任がそこまで気に留めてくれているとは思っていなかったので、その素早い配慮に感謝した。その直後、53号室には新しい患者が入って来た。
 倉持さんという50代後半の男性患者は、小学校の元教員だそうだ。柏ノ丘病院には以前も入院歴があるという。窓側のベッドを案内され、小声で「あ、良かった…」と呟いたのが聞こえた。

 昼食前、沼畑師長が僕のところにやって来た。既に申し送りで聞いているらしく、僕から改めてお願いする前にベッドの移動を許可してくれた。
 僕は入院初日から文字通り寝食を共にしたこのベッドで、最後の食事をした。昼食のメニューは、入院7日目に僕がカルチャーショックを受けたカレー。ビーフではなくチキンカレーだった以外、丼ごはんで出てくる定食スタイルは変わらない。もちろん僕はもう何も驚くことなく、スプーンを駆使して小慣れた要領で、ごはんをカレーで少しずつさらって食べた。僕には少し辛口だったけれど、旨かった。

 移動というのはベッドごと入れ替えるため、厳密に言えば「寝食を共にするベッド」は退院まで変わらない。病室の人たちがわらわらと手伝ってくれてベッドを入れ替え、クローゼットの中の私物を移して引越しは完了した。
 思った以上にベッド周りのスペースが広い。これはいい感じだ。観音開きのクローゼットは、これまでの片開きのそれに比べてさぞかし収納量も倍近いだろう、と思ったら、奥行きがない。これまでのは70㎝ほどはあったのに、こちらのクローゼットはその半分程度だ。ハンガーが真っ直ぐかけられない。間口だけは広いので、ハンガーを斜めにかけることになる。おかしな隙間ができるので、電池やら飴やら剃刀の替え刃やら、こまごましたものをそこへ押し込む。いまいち美しくない。
 食事トレーなどを置く引きテーブルは、クローゼットの幅に合わせて65㎝とほぼ倍近くなったが、あろうことか引き出せる長さが30㎝もなく、トレーがぎりぎり置ける程度だ。それ以上引くと下の引き出しとの境目をつなぐケコミ部分の角材が外れてしまう。どういう設計になっているのか。
 ともあれ、自分から希望した以上文句は言えない。今日からここが僕の空間だ。もうカーテンを閉める必要は ―― たぶんないと思う。


 午後の月曜学習会は『④ 食事と身体』とのタイトルで、管理栄養士によるレクチャーが行われた。この栄養士さんは、米窪さんに肝臓食の説明をしているのを見たことがある女性だ。『肝臓を守る食事』と題されたプリントとスライドで、アルコール性肝障害や肝臓の働き、肝障害に良い食品についての解説を、最後に季節がら食中毒予防について説明があった。
 僕は今日も最前列の窓際に座り、眠気と闘いながら30分ほどの学習会に耐えた。3階病棟へ移った和代さんが、最後の最後に手を挙げてどうでもいい質問をしていたが、どうでもいいのでよく聞いていなかった。
 僕の学習会は来週で最後だ。


 今日の自助は、西町の「カッコー」に参加した。向かったのは優二さん、利根川さん、山形さん、関根さんと僕の5人だ。僕は大阪のテーマパークで夜勤をしていた頃に、酒で失敗して仕事をクビになった話をした。明日は19丁目教会の「つぐみ」へ3回目の参加予定だ。焦らず、徐々に慣れていこう。
 帰りの道すがら、木曜日に松ノ宮町の町民センターで行われる「ホオジロ」というグループのAAに行かないかと、優二さんから誘われた。「ホオジロ」は院内AAにもメッセンジャーを送っていないし、僕は足を運んだことがない。会場となる松ノ宮町の町民センターは、西町駅から電車で数駅行ったところにある。
 僕は木曜は実家に近い南町教会の「オオタカ」へ参加したあと、そのまま実家に外泊しようと考えていたが、「行ったことのないグループは、できるだけ今のうちに行ったほうがいい」と言っていた優二さんの誘いに従うことにした。退院までの残り日数で、どれだけの自助グループへ足を運べるだろうか。


 髪を切ったことで、看護師さんからの「受け」が俄然良くなったような気がする。褒められるのに慣れていない僕は、褒め上手の看護師さんの言葉にいちいちうろたえてしまう。それにしても、今までいかにむさ苦しかったかということだ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2015-03-06 18:44 | カテゴリ:AA
(※5度目のスリップから18日目)
 午前中に起きて、母が茹でてくれたざるそばを食べたあと、髪を切りに行った。平嶋さんが行ったという、スーパー柏ノ丘店近くの床屋が1,000円という話が病棟内に口コミで広がっているが、僕にしてみれば実家周辺の行きつけの店のほうがはるかにいい。
 とはいえ日曜日の午後ということで、子供ばかりで混んでいて、1時間半ほど待たされてしまった。
 父には散髪代を含めた当面のお金と、5月分の入院費を工面してもらった。5月分請求、105,000円余り。
 次の外泊は木曜日、南町教会でのAA「オオタカ」に参加して、そのまま徒歩で実家へ帰ることにした。家へ着くのは夜9時近くになると思うし、翌日は昼までに帰院する。仕事に復帰したあとの時間帯を想定した訓練だ。両親にもその旨を伝えた。
 プロ野球のデーゲーム中継が終わったところで、父に車で送ってもらい病院に戻った。母からはとうもろこしを1本持たされた。


 ゆっくり休む間もなく、早出しの夕食を済ませて優二さんと院外AAへ出かけた。今日は北東教会での「オオタカ」で、初めての会場だ。日曜日のこのミーティングは参加者も多いと聞いていて、僕が行きたいと言っていたのを優二さんが誘ってくれたのだ。
 西町駅まで病院バスで行き、電車で数駅移動する。会場となる北東教会の集会室は話に聞いていた通り広く、20~30人くらいが集まっていた。優二さんによると、中間施設の関係者も来ているという。
 日曜の「オオタカ」でのミーティングは、AAの書籍『ビックブック』を使ったミーティングだ。今日はAAの理念や精神について綴った『AAの12の概念』というチャプターを取り上げていたので、僕にはその内容が難しくて挙手をする余地もなかったのだが、司会を務めていたヤマさんの配慮で、「自由に話していいですよ」と突然僕が指名された。いつもは挙手制で発言するこのグループで、司会者から指名されるのはとても異例なことだ。
 僕はいつもの通り簡単な自己紹介と、集団が苦手なことを話したが、初めて自分のアノニマス・ネームを「サトゥー」と名乗った。「サトゥー」は大阪時代、僕が泥酔したときに現れるもうひとりの自分 ―― 芝居仲間から「邪悪の化身」と揶揄されて呼ばれたものだ。この名前を僕は、あえて僕のアノニマス・ネームにすることにした。「サトゥー」はもう邪悪でも何でもない、僕は僕だと自分に言い聞かせるためにだ。
 緊張すると掌から異常に汗が噴き出す、手掌多汗症のことも話した。僕を知ってもらえるいい機会だった。
 僕の話を受けて、初対面の仲間が温かく迎えてくれた。ナホさんからは、髪を切りましたねと声をかけてもらった。
 足を運んで正解だった。

 帰り道、優二さんに言われた。
「俺はどれだけ家から遠くても、自分に合う仲間がいるグループがいいと思っていろいろ回ってるんだよね。最終的には自分で決めることだけど、サトウさんもまだ行ったことのない会場やグループに、今のうちに行くのもいいと思うよ。ひとりじゃ行きづらいだろうし、声かけてくれたら一緒に行くから」
 僕は今日まで、3つのAAグループと4つの会場のミーティングへ足を運んだ。病院で貰ったAAの会場案内には、まだ9つのグループと12の会場が掲載されている。なるほど、まだまだ行けるところがあるはずだ。
「遠慮しないで言ってよ。俺もそうやって慣れていったんだし」
 優二さんはその気遣いを、見返りを求めない無償のギブアンドテイクだとして、それが自分への自信、ひいてはお酒を断つことにつながるのだと話す。
 もうひとつ、彼が僕に打ち明けてくれたのだが、優二さんは生まれつき『クローン病』という難病にかかっているそうだ。これは小腸や大腸などの消化管に潰瘍をつくる慢性の病気で、腹痛や下痢、血便などの症状や、体重減少、発熱、肛門病変などを伴うのだという。AA会場へ向かう際も、優二さんは頻繁にコンビニなどのトイレに寄って行くことが多い。
 こうした難病と向き合うことも、優二さんは「神様の試練だ」と言い切る。僕は神様がどうとかについては無関心だが、苦しいときだけ神頼みをする自己中心的な輩だ。それでも先日のバースデー・ミーティングで『1day メダル』を貰ったときには素直に嬉しかった。ただそれだけのことで、難しく考える必要はない。
 駅を降りて病院への道を歩きながら、優二さんがさらに言った。
「それにしても、サトウさんは変わったね」
 僕は嬉しくて、優二さんに心から感謝した。


 いい週末だった。夜、自分のベッドで母が持たせてくれたとうもろこしにかぶり付き、そんなふうに思った。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2015-03-04 16:11 | カテゴリ:院内生活
(※5度目のスリップから17日目)
 昨晩は珍しく、牛本主任が夜勤に入った。消灯後の夜12時、看護師巡回が終わるのを待って詰所のドアをノックした。木曜のSSTを中座したことをお詫びし、苦手な話題になったときに心の中でカーテンを閉じてしまう自分について話した。
「お父さんの話題は、やっぱり辛いですか?」
 牛本主任に訊かれた。
「…そうですね。とても卑屈な感情が湧いてきます。何も聞きたくなくなって、その場所からいなくなりたくなってしまいます」
「そうですか…」
 会話が止まってしまったので、話題を変えた。
「あの、あと3週間で1クールも終わりますけど、どうなんでしょう。病院側から退院を延ばしたほうがいいって言われることはあるんでしょうか。そういうのがない限り、3ヶ月きっかりで退院って考えて問題ないのか…いや、最終的に自分で判断するってことは分かってるんですが…」
 今週は回診がなかったためか、退院の時期についてまだ何も言及がないのは不安だった。回りくどい言いかたで尋ねてみた。
「うーん、そうですねえ…」
 僕が答えにくい質問をするからなのか、牛本主任は答える前にいつも言葉を探すような間を空ける。
「基本的には、よっぽどのことがない限り、こちらから退院の延期を提案することはないですね。個人的には…サトウさんはもう少し入院したほうがいいと思いますけど」
 これはなかなかの重大発言だ。即座に訊き返した。
「そう思いますか?」
「だって、今月何回もスリップしやがったでしょ」
 それを言われると辛い。それにしても主任は口が悪い。
「正直、退院はもの凄く不安です。でも、ただずるずる先延ばしするなら、退院するのがもっと怖くなりそうで…経済的なことももちろんあるんですが」
「そうですねえ…それはあると思います」
「いちおう、ARPでできることはやったつもりです。学習会とかサードミーティングとか、まだ残ってることもあるけど、1クール終了までには全部済むと思います。これ以上、何をしたらいいのか分からなくて」

 入院から今日まで、僕は院内・院外合わせて自助グループには40回近く参加した。レク、料理、創作、SSTなどのプログラムにもすべて参加している。最近はサボっているが朝のラジオ体操も、散歩も買い物も筋トレも、ARPに限らず入院中にできることは何でもやった。日記もつけているし外泊もした。カウンセリングをお願いして、カーテンを開けた。ミニバレーをやった。スリップもした。
 それでも不安は拭えない。

「退院が不安なのは当然ですけど、サトウさんはどのプログラムにも積極的ですしねえ…」
 それっきり、牛本主任も言葉が続かなかった。明確な答えなんか貰えるはずがない。これは僕の病気なのだ。僕は田村心理士から提案されたことを主任に訊いてみた。
「いまの話ですが、次のSSTで皆さんに相談してもいいですか?」
「そうですね。いや、全然問題はないです」
「でも、昨日みたいに変な振りかたはダメですよ。一宮さんから聞きました。ノープランで投げつけるのはやめてください」
「サトウさんがいい方法を知ってるっていうんで丸投げしたんですが…。そうなんです。僕はいつもノープランですよ」
 そう断言できることが、なんだか羨ましくさえ思えた。


 土曜日の今日は夕方まで何もせず、先週と同じように夕食を済ませて実家へ戻った。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2015-03-03 19:47 | カテゴリ:料理
(※5度目のスリップから16日目)
 今日は勝瀬さんの退院の日だ。なんだかナーバスになっている勝瀬さんに「何時頃に出発ですか?」と訊くと、
「まだ分かんないよ。カネ下ろしに行ったりとか、オレも結構忙しいんだ」
 勝瀬さんはベッドに寝転んで漫画を読みながら、僕にそう言った。

 午前中、一宮OTから昨日のSSTでのことを謝られた。演劇の稽古で使うトレーニングにはSSTのウォーミングアップにも応用できるものがあるかもしれないという、以前に僕と一宮さんの間で話に登ったことを彼女が牛本主任へ伝えたところ、
「それじゃあ次のSSTのウォーミングアップはサトウさんに進行してもらいましょう」
 と主任が言ったので、昨日のような運びとなったそうだ。
 昨日のあれは、牛本主任のムチャぶりだった。


 10時半からは、8人の患者と4人の病院スタッフとでシーフードカレーづくりが始まった。僕はOT研修生の女の子と、稲村さんという最近入院した50歳前後の男性患者と一緒にチャパティづくりを担当した。
 仕事の都合で中東のどこだかの国に赴任していたという稲村さんは、毎朝なんだか凄い器具を使って大層なコーヒーを煎れて飲んでいる。焙煎した豆を買ってきて、自分で挽いている。さすがにそこまでではないけれど、優二さんも頻繁に使い捨てのドリップにお湯を注いでコーヒーを飲んでいる。そうしたとき、デイルームは香ばしいいい匂いに包まれる。僕はコーヒーについては、インスタントにミルクと多めの砂糖を投入して飲むのが好きだ。こだわりはない。他人事だから思うのかもしれないが、そんなこだわりの飲み物がほかにあっても、アルコールに依存するのは不思議な気がした。それ以前に稲村さんの場合、そもそもイスラム教徒の多いアラブの国でお酒なんか飲めていたのだろうか。
 あれこれ訊きたかったが、チャパティづくりが余計な雑談を許してはくれなかった。
 生地を発酵させる必要のないチャパティは、全粒粉と塩と水と少量のサラダ油でつくることができるので、ナンよりも手早くできるらしい。全粒粉が手に入らなかったため強力粉での代用となったが、僕ら3人は格闘しながらひたすら生地をこねた。
 途中、丸投げする割にあれこれと口を挟んでくる洋子さんにまたしてもムッとしてしまった。気分もヘコみ、もう料理は今回で最後にしようとまで思ったが、洋子さんのほうが先に退院するため今日が彼女の最後の料理となっていたことをあとで知った。
 今回参加した患者のうち、中山さんも今日で退院のため、このままでは次回からまた人数が減ることになる。洋子さんのあとを引き受ける料理グループのリーダーを誰にするか、食後に話し合いが行われた。
 新参加の稲村さんと須藤さんは、入院して日が浅く勝手が分からないということでパス、今回復帰した節子さんは体調が不安定でお願いできない。僕はといえば木曜に行われる南町教会での自助参加のあと、徒歩で向かえる実家に外泊して金曜昼までに戻るという練習を優先したいので、来週の料理参加じたいを保留した。予定通り1クールちょうどで退院となると、金曜日はあと2回しか来ないのだ。
 必然的に、リーダーは草刈さんか山形さんのどちらか、ということになるのだが、草刈さんは所用のため食後すぐに中座してしまっていた。山形さんは来月から患者会の会長を務めるため、負担はできるだけ軽くさせたい。
 結局、後ほど草刈さんにお願いして、どうしても固辞された際は山形さんにリーダーを引き受けてもらう、ということに半ば強引に決まった。
「何でもかんでもオレかよー」
 とボヤくだけボヤいていた山形さんだが、少なくとも患者会の会長については自分から立候補していたと聞いた。何にせよ、普段から背中が痛いと言いつつミニバレーで汗をかいては死にそうになり、相変わらず日中は眠剤の影響で眼は虚ろ、呂律も回っていない山形さんは本当に大丈夫なのだろうか。
 ちなみに今日のカレーの出来だが、貴重なシーフードの存在感が大量のジャガイモに見事に負けていて、要するに「ごめんなさい」程度にイカだのエビだのがチラチラする具合だった。とはいえ、ブレンドしたルウでつくったカレーの味は旨かった。草刈さんお得意のあり合わせスープも節子さんのポテトサラダも美味しかったが、洋子さんのコーヒーゼリーはうまく固まらず、結局リベンジとはいかなかった。
 そして僕らがつくったチャパティだが、これはもう完全に惨敗だった。「不味くはないが旨くもない。それでいて大量にある」という、最も避けたい惨事を生んでしまった。数十枚はできてしまった。もの珍しさから、みんな1枚は食べてもそれ以上手をつけない。僕はつくった手前、意地でもチャパティに食らいついたが、食べても食べてもチャパティ。おまけに白ごはんもあるのだ。腹チャパティ胃チャパティ。何を言ってるのかよく分からないが、要はそれだけチャパティを頬ばったということだ。
 あとで知ったのだが、チャパティの生地というのは1㎜くらいに伸ばすのが正解らしい。僕らのは「宅配ピザのクリスピーじゃないほう」の生地に似ていた。誰も本場仕込みのチャパティを食べたことがないのだから仕方がない。ともあれ、ご馳走さまでした。


 料理の時間に、勝瀬さんは既に病院を後にしていった。ちゃんとしたお別れができなかったが、これは勝瀬さんの狙いだろう。これからデイケアに通う勝瀬さんだが、またいつスリップして病院に戻るかも分からない。華やかな見送りは恥ずかしいだけで、それを嫌う患者は勝瀬さんに限ったことではないのだ。


 チャパティで膨れあがったお腹をおして、7階アトリエの創作へ向かう。退院までの日数を考えると、この時間もあと3回しかない。
 一宮OTが用意してくれた白絵具と極細筆で、革細工のカードケースに手彫りしたコンビニチェーンのロゴを時間いっぱいかけて縁取りしたが、最後に再度ニス塗りしたら、甘乾きだったため白がほとんど消えてしまった。何やってんだか。次回はもう少し彫りを深くして再チャレンジする。

 夕食後は院内AA「はましぎ」に参加した。メッセンジャーは男性1名、ほかに浅尾さん、須藤さんと僕の計4人でのミーティングだ。僕以外は3人とも、もうすぐ60歳という同世代トリオだ。
 今日のテーマはいつかも挙がった「認める」。僕は改めて入院に至った経緯と、自分がいまだ節酒でいけると思っていること、そしてその考えは僕が自分を依存症と認めていないということではないかと最近気がついた旨のことを話した。
 最後にメッセンジャーの男性からコメントをいただいた。AAのテーマミーティングでは珍しいことだ。
「焦らないでください。『今日は飲まないでいける』と思ったときだけAAに来ていただいてもいいんです」

 焦りは敵だ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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