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2014-08-18 18:38 | カテゴリ:スリップ
(※5度目のスリップから5日目)
 久しぶりに朝のラジオ体操に参加した。僕のほかは福井さんと山形さんのふたりだけだ。最後の「よいしょー!」も、やっぱりやらなくなっていた。

 朝の申し送りのあと、日勤の牛本主任が僕のところへやって来た。外泊の結果は既に知っているはずだが、直接僕から感想を訊こうと真っ先に来てくれたのだろう。担当看護師としても、看護師主任としても、気を揉んでいたに違いない。
「お父さんは飲んでましたか?」
「飲んでましたけど、僕はそれで良かったと思います。外泊の日だけ飲まない、なんて特別なことされても意味ないですから」
 僕は僕の思った通りに答えた。牛本主任はホッとしているようだった。でも、今日はこれから大事な申告をしなければならない。
「主任。そのことはいいんですけど、ちょっと話があるんで、あとで時間貰えませんか?」
「え? あ、はい。今でも構わないですが…」
「午前中は買い物に行くんで、午後の学習会の前でもいいですか?」

 買い物に行くのは本当で、スリップの告白を午後にしようと思ったのは、外出制限をされる可能性があるからだ。どれだけの期間外出禁止になるかは分からないが、洗剤やら歯ブラシやら、どうしても今のうちに買っておかなければならないものがあるので、こういう算段になる。
 うっすらと雨の降るなか、11時半の病院バスで買い物に出かけた。薬局で洗剤と替え歯ブラシを、スーパー柏ノ丘店では1本45円の缶コーヒーを6本買い込んだ。

 夏祭りの期間ということで、今日の昼食は赤飯となぜか筑前煮だった。不自然なくらい幸福そうな笑顔で神輿を担ぐ男性のイラストが書かれた名刺大のカード、というかただの紙切れがトレーに載っているのは、こどもの日のときの昼食と同じだ。そういえば、あのときあとから食べようと冷凍しておいたデザートはアイスではなく、何やらゼリーのようなお菓子だった。僕はそれをずいぶん経ってから食べたのだが、凍らせたのが悪かったのかすぐに食べなかったのが悪かったのか、それともその両方だからなのか、何かが分離していて美味しくなかった。
 とにかく僕はまた、ベッドの枕元のパイプにその紙切れを貼りつけた。


 昼食後、毎週月曜のシーツ交換で病室を追い出されている間、牛本主任がやって来て、一緒にミーティングルームへ入った。僕はそこで、あらかじめメモしておいたスリップの詳細を主任に申告した。

② 6/4 昼食後 缶酎ハイ 350ml ×2本
③ 6/7 昼食後  〃   500ml ×2本
④ 6/10 夕食時  〃   500ml ×1本
⑤ 6/11 昼食後  〃   500ml ×2本

 いずれも2時間散歩の届けを出して外出、コンビニで酎ハイを買って公園で飲んだ。10日の「夕食時」というのは、空腹状態で飲みたいがために、先に食事トレーだけ自分のベッドサイドのテーブルに置いておき、外出から戻ったあとに病室へ直行して食事をするという周到ぶりだ。
 スリップの間隔は短くなっていて、散歩の時間に2時間という制約がなければ酒量が増えていくのは間違いない。いずれ1日外出で飲みだすことにならないとも限らない。ここで歯止めをかけなければ、僕は同じことを繰り返し、スリップはエスカレートしていくだろう。それに、例えこのまま隠れてスリップを続けることができたとしても、それで1クールが終わり、退院して何になるのか。回復なんてしていないし、3ヶ月の入院の意味などなかったことになる。このまま自分の中だけに収めておいては後ろめたさだけが残り、これ以上AAには通えなくなる。
 AAのミーティングでも、このことは告白しなければならない。ただそれなら、先に病院に言うのが筋だ。外泊取り消しになるのが嫌だから申告を遅らせたのはずるいとは思うが、でもおかげで外泊を飲まずに乗り切ることができた。言い換えれば、スリップのことを誠意を持って告白するには、この外泊で飲まなかったことが絶対的な条件になるのだ。

「なんというかアレですね…やりやがったな」
 牛本主任はこわばりながらも、笑うしかないという感じで笑った。とりあえず、今日と明日の外出禁止。当然今夜の西町教会でのAA参加も認められない。明後日以降も、僕の外出を送り出す看護師さんの目は厳しくなりそうだが、それは自業自得だ。


 午後2時からの学習会は『② ビデオ(1:アルコール依存症からの回復/2:酒なし生活術)』というタイトル通り、2本のVHSビデオを垂れ流しで観せられた。高津さんいわく、
「15年くらい前に見たのとおんなじやな」
 確かに古いビデオで、当時の厚生省が製作したものらしい。主人公の男性がアルコール依存症の回復のために入院するドラマ仕立てだが、登場するのは鉄格子のついた閉鎖病棟で、刑務所の独居房そのままだった。
 この病院の5ーB病棟とはずいぶん違う。柏ノ丘病院が開放的なだけで、ほかの病院はみんなあんな感じなのだろうか。それともちょっと前まではみんなあんな感じで、今は違うのだろうか。さすがに今はあんな露骨な閉鎖病棟はないような気がするが、本当のところは分からない。
 とにかく僕は、最後まで寝ずにビデオを観ることができた。


 病室へ戻ると間もなく、牛本主任が慌ただしくやって来た。渡辺先生が呼んでいるという。急遽診察室でドクターとの面談が行われ、僕はなぜ一連のスリップを申告したかを再度話した。
 先生は「正直ですね」とは言いながらも、
「厳しいことを言うようですが、ぐすっ、もしまた飲酒するようなことがあれば、病院にいてもらっても困る、ということになりますよ、ぐす」
 と厳重注意をくれた。治療の意思なし、と受け取られて当然ということだ。牛本主任からも、同じことを言われた。
 渡辺先生は「あまり薬に頼ってほしくはないのですが…」と前置きしたうえで、『飲酒欲求を抑える』なんとかという薬の名を挙げた。僕も聞いたことのある薬で、以前ほかの薬と併用したことのある町坂さんが、
「酒どころか何もする気がなくなって、死にたくなった」
 と言っていた。僕はいちおう、
「その薬のことかどうか分かりませんが、ほかに何もする気がなくなるって話を聞いたんですが…」
 と、恐る恐る訊いてみた。いよいよ最後の手段な感じがした。先生は、ドーパミンがどうのと少し難しい説明をしてくれたあと、
「眠気が起こる、というのはあると思います。ぐす、あと、僕が処方した患者さんの中では、ず、頭痛や下痢を伴った例が若干ありましたが、ぐす、鬱を引き起こした例はありませんでした」
 と見解を示した。眠気。それも厄介だ。
「とりあえず、現状は今のままでいかせてください」
 僕はそう希望を伝えた。そのままつい、
「自分では、そんなに飲酒欲求があったとは思えないんですが…」
 と、余計なことを言ってしまった。先生は「あ、これ説明まだでしたね」と誰に確認するでもなく、慣れた手つきでメモ用紙に簡単な人間の頭の絵を描き、脳が3層になっていることを説明し始めた。

「脳幹の部分つまり、の、脳のいちばん核になるところが、ぐす、呼吸をするといった、生きるための最低限の機能を司る『植物脳』です。い、いわゆる植物状態というのは、ぐす、この植物脳しか働いていないということになります。ぐす、その周りを覆うのが『動物脳』です。食べ物があったら食べる、メスを見たら手をつけるといった、ど、動物としての本能を司っているところで、ぐす、ネズミが特に発達しているといわれています。さ、最後にそれを覆ういちばん大きな脳、これは人間特有のもので、これが理性として動物脳をある程度抑制します。ぐすっ。だから食べ物を見てもお金を払わず勝手には食べない、といった行動ができるんです。でも依存症の離脱状態になると、アタマでは飲んではいけないのに、ほ、本能がお酒を要求してくるんです。サトウさんは、そ、その葛藤と闘っている状態にあるんだと思います。ぐす」

 学習会のビデオに出てきた、ドストエフスキーの言葉だ。
 ――神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-08-18 18:29 | カテゴリ:外出・散歩
(※5度目のスリップから4日目)
 朝9時頃にはベッドから起きて、コーヒーとパンで朝食を摂りながら、ワールドカップの日本対コートジボワール戦を観た。1-2。先制しておきながら見事な逆転負け。母は起きていたが、父は昼まで自室から出て来なかった。夏祭りの、町内の子供神輿のかけ声が外から聞こえていた。
 特に何をするでもなく過ごし、午後4時過ぎに父に車で送ってもらい病院へ戻った。長浜看護師や丹羽看護師から「大丈夫だった?」と声をかけられた。よほど危ないと思われていたのだろう。53号室で外泊に出ていた患者は、高津さんを除いて既に戻っていた。やがてその高津さんも「ちょっと門限より早かったっちゃね」と帰ってきて、一昨日と何も変わらない、5ーB病棟に戻った。

 夕食のおかずはサンマの煮物と白菜の和え物で、なんだかいつもより貧相な気がした。昨夜は自宅でたらふく食べたと覚しき勝瀬さんは文句を言っていたが、僕は義姉が作ってくれたおにぎりをラップに包んで3個ほど持ち帰っていたので、ひとつをレンジで温めて、丼に上乗せして食べた。


 食後は院内AA「アカゲラ」のミーティングに参加した。メッセンジャーは男性がひとり、参加者は勝瀬さん、米窪さんを含めてこちらも男性ばかりの6人だ。テーマは『仲間』だったが、最近入院したある患者が話をしている際、僕は米窪さんが病室でこの患者の口癖を真似るのを思い出し、笑いをこらえるのに必死だった。
 40代前半~半ばのこの男性は、鬱だのギャンブルだの糖尿だのいろいろ面倒なものを抱えてスリップを繰り返しているらしく、AAのミーティングでは飲酒欲求をノンアルコールビールで抑えているというエピソードが必ず登場する。言葉の節々に「あンのー」と、鼻に抜けるようなワンクッションを入れるのが癖で、米窪さんは前回のミーティングでその数をカウントしていたそうだ。院内AAも回数をこなすうちに、だんだん人の話を集中して聴けなくなってきた。
 僕はこのミーティングで、自分が芝居の「仲間」しか知らないこと、AAの「仲間」というものを本質的にまだよく理解していないことを打ち明けた。さらに、未だに節酒でいけるかもしれないとどこかで考えており、
「シラフでエッチをしたことがないので、断酒してしまうと困るんです」
 と冗談を言ったが、誰もクスリともせず見事にスベった。というより、ものすごく真面目に受け止められてしまったようだ。
 そんなものだ。明日は院外へ行くことする。


 とりあえず、初めての外泊は飲まずに戻れて、僕にとっては「成功体験」になった。明日、牛本主任から詳しく訊かれるだろうが、それよりも僕は2回目以降のスリップについて話さなければならない。再び外出禁止になってしまうかもしれないが、とにかく隠していることをすべて話さなければならないのだ。
 そうしないと、また次のスリップにつながってしまう気がする。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-08-18 18:15 | カテゴリ:外出・散歩
(※5度目のスリップから3日目)
 今日の昼食はあんかけ焼きそばだった。前にこのメニューが出たのは、入院3日目の昼食だった。「あん」がどうのと、どうでもいいことに驚いたことを思い出した。

 週末は外泊する患者が多い。53号室でも、周さんと高津さんが昨日から外泊に出ていて、平嶋さんと勝瀬さんも今日から出かけて行った。そしてついに僕も今日、外泊組のひとりになる。
 53号室は今晩、米窪さんと黒部さんのふたりだけだ。黒部さんは入院してまだ日が浅いが、米窪さんは未だに奥さんと子供のいる自宅外泊に踏みきれないでいる。外泊は退院後の生活を意識した訓練という位置づけだ。そのため朝から看護師さんに、そろそろ外泊を試してみるよう説得された米窪さんは、テンションが下がりまくっていた。


 僕は今日の午後2時から明日の夕方6時までを外泊申請していたが、あまり早く実家に戻っても、それはそれですることがないので、午後3時50分の病院バスでスーパー柏ノ丘店前まで行き、そこから15分くらい歩いて実家へ向かった。
 鍵を忘れて来たので、実家マンションの玄関ドアのチャイムを鳴らすと、母が出た。母の第一声は「あんた、髪伸びたねえ」。笑っていた。つい月曜に顔を出しているのに、その記憶はまるごとどこかに抜け落ちているようだった。
 病院からは、家族が患者の外泊時の様子を記入して提出するチェック票のような書類や、病院が実施する依存症患者の家族向け教室の案内、頓服薬として眠剤やジアゼパムを定量入れた封筒を預かっていた。僕は必要な書類と、午前中にコンビニでコピーしておいた心理検査の報告書を父に渡した。

 夕方、父はいつものように車で買い物に行き、自分が飲むための焼酎やらを買って来て、いつものようにいつもの座椅子に座って飲み始めたが、僕にはむしろそれで良かった。万一、父が僕に気でも遣って今日だけ飲まなかったなら、僕はかえって不安になったと思う。今日だけ父に我慢なんかしてもらっても意味はない。僕にとって重要なのは、退院後に「僕が」お酒とどう向き合うかなのだ。
 兄は今日、僕が戻って来る前に顔を出したそうだ。夕食は、義姉が作ってくれたおかずやたくさんのおにぎりをレンジで温めて、ナイター中継を観ながらつまんだ。
 父からは、いまのコールセンターの仕事について、「本当に自分に合っていると思って続けていくのか」考えてみるよう言われた。確かにその通りだ。僕は現在の職場が、というよりこの仕事そのものが自分に向いているとは思えない。喋る仕事に抵抗はないが、相手の怒りに触れないよう振る舞うのは神経をすり減らす。僕は常にびくびくしている。コールセンターは応答率が命で、建前では「お客様の満足に応える」とはいっても、ときには冷たいほどてきぱきと効率よくさばいていかないといけない。電話業務は、特技も資格も体力もない僕が、大阪時代から「何となく」選んでやっているだけだが、3社目となるいまの仕事は特に数字で評価される重圧を強く感じ、常に追い立てられている気がする。ましてや、1日の業務を終えたときの充実感など一切ない。ただ、逃げるように会社をあとにし、翌日朝までの時間を惜しむようにひたすら飲んだ。
「大阪での生活がそうだったように、お前がやりたいのは“モノをつくる”ことじゃなかったのか?」
 モノをつくるにもいろいろあるが、父の言うことはその通りだ。退院してすぐにとはいかないが、仕事についても考えていかなければならない。それが、僕がお酒と距離を置くうえでも大きく関わってくるはずだ。
「お前はあと30年は生きられるんだぞ。俺はもう先はないけどな」
 と、父は言った。相変わらず最後のひと言は余計だ。父の言う通りだと僕は70歳まで生きられない計算になるが、それでも今お酒をやめれば、確かにまだ僕には時間があるはずだ。焦ってはいけない。

 少しほろ酔いになった父は、義姉の料理のお礼を口実に兄へ電話をかけた。入院してから僕は、兄とは直接会話をしていない。父としては、兄と話をさせようという思いがあったのだろう。電話をかけ、簡単な挨拶とお礼を伝えた父は、電話の子機を僕に手渡した。
「…元気か?」
「まあ、ぼちぼち」
「仕事、とりあえずクビにならなくてよかったな」
「うん」
「あんまり親に心配かけんなよ」
 穏やかな口調ではあるけれど、叱責されて当然の言葉だ。
「うん」
「これ以上言うと説教になるから言わないけど、とにかく今はちゃんと休んで、あとはそれからだぞ」
「うん」

 夜9時。父は自室に入り、僕はテレビ放映の映画を観た。前にもテレビで観た邦画だが、そのときはもちろん酔っていた。
 念のためジアゼパムは飲んでいたが、ベッドに入る前に眠剤も飲むことにした。しばらくブログを書いていたが、間もなく眠気がやって来た。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-08-10 20:47 | カテゴリ:料理
(※5度目のスリップから2日目)
 午前10時半からの料理は、一宮OTと一緒にデザートの杏仁豆腐を担当した。中華の鉄人・陳健一の顔写真が載った、1箱5人前という市販の杏仁豆腐の素しか売っていなかったので、2箱買っておいたのを11人分にカサ増しする。低脂肪乳を多めに、先週のコーヒーゼリーで余ったフレッシュも投入して熱湯と混ぜ、缶詰の白桃をカットしてトッピングした11個の器に流して冷凍庫へ。本来なら冷蔵庫で2~3時間冷やすらしいが、そんな悠長なことはできないので冷凍する。ゼラチン状にちゃんと固まるか、前回のように上だけ凍ってしまうかはやってみないと分からない。陳さんを信じて待ったら、想像以上にいい具合に出来上がった。
 そのほか八宝菜、中華スープ、春雨サラダ、キュウリではなくなぜか白菜の浅漬けと、どれもすべて美味しく完成した。八宝菜に載せたウズラの卵は、こだわって生卵を茹でてみたものの、殻をむくのが至難の技だったようで、見事なまでにボロボロに崩壊していた。それも愛嬌のうちだ。
 料理は毎月第3週が休みのため、次回は再来週、メニューは王道に戻ってカレーに決まった。今日は最近入院した男性患者がふたり、見学に来ていた。今日で研修最後となる学生さんに合わせて参加していた勝瀬さんと中山さんが次回から抜けるため、また新しいメンバーの獲得が必要だ。


 午後1時半からの創作では、カード入れの表と裏を縫い合わせるための穴あけと、いよいよ染めに入った。一宮OTは「適当にごまかせばいいんですよ」と簡単に言うが、穴は不揃いで色ムラが激しく、なんだか汚い。もう少し巧くできるかと思っていたが、こっちのほうは想像以上に稚拙だ。ここから適当にごまかせるだろうか。
 勝瀬さんは2個目となるキーケースを、平嶋さんはタバコケースを、みんなそれぞれ器用に仕上げている。米窪さんは、駅前でやっていたフリーマーケットで買ったという、米軍イージス艦のプラモデルを作っていた。創作の時間なので、革細工以外に絵を描いてもいいし、別にプラモデルだって構わないのだ。もっとも、横で革細工の模様の刻印を木槌で叩くたびにプラモの細かいパーツが飛び散らかって、とても集中して作れる様子ではなかったのだが。


 午後3時半。久しぶりに柏ノ丘例会に参加した。参加者は迫さんなどの患者を含めて全員で11人。和代さんは欠席していた。米窪さん情報では、彼女は「今日は機嫌が悪い」とか言っていたそうだが、それが何か関係しているのかは分からない。
 僕は父と母のことを簡単に話し、明日、初めての外泊で実家に帰ることを伝えた。
「例えお父さんが飲んでいても、それに影響されず『飲まない』という思いを貫いてください」
 と、北股会長から激励された。


 夕食後は、毎月第2金曜の院内AA「ちかぷ」に出席した。メッセンジャーは男性ひとり、患者は僕と勝瀬さん、米窪さんのほかは、最近入院した人などで7人が参加した。
 申し訳ないが、僕はミーティング中はほとんどうつらうつらしていた。


 明日、いよいよ実家に一時外泊する。牛本主任から昨日、父へ電話で連絡をしたと聞いた。初外泊のときは、担当看護師から外泊先へあらかじめ確認の電話を入れる決まりなのだ。僕からも、夕方くらいまでに着くと直接伝えてある。
 絶対飲まないぞ。


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2014-08-08 11:44 | カテゴリ:診察・診断・回診
(※5度目のスリップ翌日)
 昨日の消灯後、喫煙室でひとりタバコを吸っていると、勝瀬さんが入って来た。僕は最初のスリップ以降、2時間散歩で外出してさらに4回お酒を飲んだことを話した。
「2回目からは、飲むことを目的に外出してます。間隔も短くなって、昨日も今日も飲みました」
 僕の唐突な告白に、勝瀬さんは一瞬驚いたような顔をしたが、「そうか…」とだけ言って頷き、それ以上あれこれ訊かれることはなかった。病室にいた米窪さんが、
「声が大きい。全部聞こえてる」
 と注意しに来てくれたので、この話はこれで終わった。土曜の外泊で、飲まずにちゃんと戻って来られたなら、これまでのスリップのことも看護師さんにすべて話すつもりだ。いま喋ってしまうと、週末の外泊を取り消される可能性が高い。ずるいやりかただとは思うけれど、この週末の実家への外泊を成功体験にしたい。1週間も先延ばしにしたくないのだ。僕の中で、ほとんど「飲むつもり」だった外泊という行為のありようが、何か大きく変化していた。
 それにしても、何のための1ヶ月半だったのか。今さら飲酒した後悔が押し寄せる。


 今日午前の回診で、渡辺先生から具合を尋ねられた僕は、不安、無気力、孤独感、苛立ちなどがあると正直に答えた。
「さ、サッカーは、ぐすっ、どうですか? あの、いよいよですが?」
「…興味湧かないですね」
 ワールドカップのブラジル大会は、日本時間で今日の深夜が開会式だが、この時点ではそんなことなど頭になかった。
「し、心理検査の結果も、は、拝見しました。検査結果は、あの、あくまで参考ですが、ぐすっ、やはり鬱傾向が強いようです。サトウさんのお話も合わせると、ぐすっ、少し心配ですね」
「週末に実家に外泊するので、不安なんだと思います」
 僕はそう答えた。診察室で先生のアシスタントについているのは葉山看護師だ。一昨日、小里看護師に「飲むかもしれない」と告白したことがどこまで伝わっているのか分からないが、渡辺先生は「そうですか…」とカルテに細かく書き込みをしながら言い、僕に向き直って、
「お勧めの薬があるんです」
 と、いきなり新しい提案をした。
「エビリファイという錠剤なんですが、ぐすっ、少量なら抑鬱の気分状態を、ひ、引き上げてくれる効果もありますし、ね、眠くなったりも、ぐすっ、しません。実は僕も使ってるんですよ」
「え?」
 先生自ら服用していると聞いて、思わず訊き返した。
「僕は、あの、チック症という、ぐすっ、症状があるんですが、こ、これを飲むと落ち着くんです」
 先生はそう言って説明してくれた。あまり落ち着いているようには見えないが、僕自身が試してみないことには始まらない。お願いします、と即答した。
「では1日1回、朝食後に3㎎出しますから、ぐすっ、い、一緒に飲みましょう」
 最後の誘い文句が何か変だが、とにかく僕は新しい薬を飲むことになった。毎朝1錠ということだが、早速今日から試したいという僕の希望を受けて、今日については昼食後の服用が許可された。必要なときに飲む頓服薬としてのジアゼパムは、これまで通り1日3錠までなら、院外の自助グループへ出かけるときなどに飲んで構わないということになった。
 回診後、丹羽看護師から8日分のエビリファイをまとめて渡された。朝食後に詰所へ行って貰うのではなく、自分で管理して服用するようにとのことだ。なぜそういうことになったのかは知らないが、とにかくそういう指示だった。


 午前10時半からのレクでは、今日もひたすらエアロバイクを漕いだ。負荷のあまりかからない台で、15㎞を30分で走った。
 ミニバレーは4人対4人で行われていたが、ゲーム途中で草刈さんがほかの患者と接触してアゴを切るアクシデントがあり、ちょっとした騒ぎになった。急遽草刈さんのアゴを縫ったのは院長らしい。精神科の専門医でもさすがに傷を縫うくらいはできるんだなと感心したが、泥酔して暴れる血だらけの患者を診るのはよくあることなんじゃないの、と誰かが言っていた。
 草刈さんとぶつかった相手の患者も頭を打ち、バレーはそのまま撤収となった。バレー組が解散してしまったので、レク終了の際にはエアロバイクをしていた僕や中山さん、卓球をしていた勝瀬さんや、様子を見に来た沼畑師長とで、モップがけなど体育館の掃除をした。いつも早めに体育館を出てシャワーを浴びるので、モップがけをするのは初めてだ。師長はいつもの師長らしく、
「あ、もうそんな感じでいいよー」
 と、適当だった。


 昼食後にエビリファイを飲み、明日の料理の買い物に出かけた。雨はほとんど降っていなかったが、いつ本降りになってもおかしくない空模様だったので、行きも帰りも病院バスでの移動となった。買い出し班は僕のほか、料理リーダーの洋子さん、中山さん、中山さんについている実習の学生さんの4人だ。八宝菜の材料と浅漬け用のキュウリ、デザートの杏仁豆腐の材料など、占めて税込み3,211円。11人分で予算3,300円なので、今回も金額はジャストだったが、明日はどんなものが出来上がるか。
 というより、僕がどう関われるか。


 午後3時からのSSTは、牛本主任と一宮OTを含めて13人で行われた。マジックテープのついたピンポン玉を的に当てて点数を競うゲームから始まり、いつもの、重い、結論の出ないミーティングへ続いていく。自然と『淋しさを感じるとき』というテーマになったが、僕は特に発言しなかった。主任から話を振られても「まあ、いろいろです」とだけしか答えなかった。
 SSTは僕が期待していたコミュニケーションのトレーニングとは違い、なんだか行き当たりばったりで少し無理やりなミーティングになっている気がする。議論も発展しないので、これまでも消化不良で終わっていた。先週も思ったのだが、いつまでもこんな感じなら、参加する必要はないかもしれない。
 初めて飲んだエビリファイのせいなのか、料理の買い物のときからずっと眠気に襲われていたこともあって、人の話をちゃんと聴く余裕もなかった。先生は「眠くならない」と言っていたのに、どういうわけだろう。あとで葉山看護師にそれとなく訊いたところ、
「やっぱり初めてのお薬は、どうしても眠くなってしまうこともあるかもしれないかも…」
 と、煮え切らない説明だった。
 午後4時少し前にSSTを抜けて、喫煙室でタバコを吸いながら田村心理士を待った。いつものように白衣の前ボタンをきっちり止めた彼女が迎えに来て、3階の心理面接室でカウンセリングが始まった。


 僕がお酒に依存するのはなぜか。どうして僕はお酒を飲むのか?
 心理検査の結果にもあるように、自分への不確実感、自信のなさが根底にあり、それが集団との関わりへの強い不安に変わり、現実逃避の手段としてお酒に頼ってしまう。自分が傷つきたくないために失敗を怖がり、他人にどう思われるか顔色を伺い、行動する前に考え込んでしまい、自分から積極的になることに躊躇するのだ。
 僕は自分に自信がない。この歳まで、自立した生活が何ひとつできず、両親はじめ周囲の人々に頼りっ放しで、ただお酒と芝居に明け暮れていただけだ。その間に祖父母は亡くなり、母も倒れた。16年ぶりにこの街へ帰っても、風景はすっかり様変わりし、僕が大阪にいる間に両親が老後のために買ったマンションが実家となり、僕には何の思い出もない。ただ居候しているだけの毎日だ。この街で新たに芝居をする気力も体力も失くしてしまった。自分に価値を見出せず、コンプレックスだけが強くなり、卑屈になっていく。
「自分を好きに思えるようになってね」――
 雪絵さんは僕にそう言葉をくれた。僕は自分を好きになるどころか、信じることさえできない。本当にお酒をやめようと、強い信念で臨もうとしているのだろうか。この期におよんでもまだ「断酒ではなく、節酒でイケるのでは」と心のどこかで思っている。
 それでいて僕は、空想の中でだけ、晴れわたる空を仰いでいる。

 田村心理士が求めた『この入院中に僕が具体的に目指すこと』――
 僕は、ARPでまだできていない「ミニバレーに加わること」と、入院生活でできていないこととして「ベッドのカーテンを開けること」のふたつを挙げた。
「サトウさんのなかで、より困難だと思うほうはどちらですか?」
 僕は前者と答えた。バレーに参加することは、失敗を怖がらず、自分から集団に入っていくための手段に過ぎない。参加する行為自体は簡単だが、その結果少しでもミスをしたり、周囲の足を引っ張るようなことがあれば「やっぱりやらなきゃよかった」とヘコむ可能性が高く、何よりそれが怖い。
 カーテンを開けるというのは、自分のプライベートスペースを開放することだ。落ち着かなくはなるが、それでいて僕はデイルーム真向かいのこの53号室を気に入っている。静寂よりも、人が集う賑やかさがそばにあるほうが安心するからだ。
「そうなんですか。私はカーテンのほうが困難とおっしゃるのかと思いましたが…。どうされます? 困難なほうとそうでないほう、退院までにどちらの克服を目指しますか?」
 そう言って彼女は、質問を楽しんでいるような、少し意地の悪い笑顔で僕に訊いた。なんと答えればいいのかは、その表情で理解した。
「どっちも目指します」
「あっ、そうなんですか!?」
 わざとらしく驚いてみせたあと、ふふふと笑った。
「バレー以外に、集団で何かに取り組むことはされていますか?」
 彼女がさらに僕に訊いた。
「まだ3回だけですけど、いちおう料理に参加してます」
「そうなんですか?」
「もっともあれも居場所があったりなかったりで、騙し騙しでやってますが」
「それでも、料理は参加できてバレーに参加できないのはどうしてなんでしょう?」
 そういえば、どうしてだろう。料理はいま、吊り橋を渡るような具合で参加している。自分が放っとかれているような気がして、やっぱり次回からやめようと思うこともしばしばあるが、なんとか踏みとどまってはいる。
 それなのに、ミニバレーに未だに参加できないのは何が違うのだろう。ゲーム中は気持ちを立て直す時間的余裕がなさそうだから。自分の失敗がより浮き彫りになるような気がするから。今日のレクのように、誰かにケガを負わせてしまう危険があるから ――
 どれもピンとこない。同じことは料理にだっていえるだろう。単にバレーが下手クソで恥をかきたくないだけか。でも料理だって下手クソだ。丹羽看護師は先週の料理でなかなかの料理下手ぶりを披露していたが、僕から見れば堂々としたものだ。僕にもそういうマジェスティックな一面が欲しい。

「カーテンのこともそうですが、サトウさんのお話を聴いているととても矛盾したものを抱えているように思えます。仲間に入りたいけど人と距離を置いてしまう。オープンにしたいのに自分だけの空間をつくって安心したくなる。料理とバレーの違いについても少し考えていただくとして、今日はこれくらいにしましょう」
 料理とバレーの違い。それはやっぱり、実際にバレーをやってみなければ分からないか。


 病室に戻り、早出しの夕食を済ませ、午後5時40分の病院バスでスーパー柏ノ丘店前まで行き、徒歩で南町教会のAA「オオタカ」のミーティングへ向かった。利根川さんと優二さんと一緒だ。傘をさすかささないかくらいの中途半端な雨の中の外出だった。
「オオタカ」のミーティングは挙手制のため、僕は今日は発言をせず、参加者の話を聴く側に徹した。土曜の外泊で、飲まずにちゃんと戻って来られたなら、次回はその報告でもしようと思う。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-08-06 20:03 | カテゴリ:スリップ
(※4度目のスリップ翌日)
 わけの分からない焦りから、苛立ちが増す。孤独感も強い。
 午前10時からのセカンドミーティングは、第④回『アルコール・薬物の生活への影響』だ。テキストには、
「あなたにとってアルコールを摂取する生活は、どんな良い点と悪い点がありますか?」
 という質問項目があり、飲酒生活の悪い点と良い点、お酒のない生活の悪い点と良い点をそれぞれ書き込んでいく。
 ―― こんなことをして、本当に意味があるのだろうか?
 お酒に逃げ続ける先に何があるのか、アタマでは分かっている。でも、コントロールできない。淡々と進められていくミーティングにも、どんどん虚しさを感じてしまう。週に1回、たかだか50分のミーティングで、いったい何がつかめるというのか。
 明日からは、このミーティングを担当している田村心理士のもと、僕のカウンセリングが始まる。これは僕がお願いしたことなのに、なんだか不安になってきた。僕が間違っていることも分かっている。でも、投げ出したくなる気持ちが勝ってしまうのだ。
 昼食後、2時間散歩を利用して例の公園へ向かった。コンビニで 500mlの酎ハイを今日は2本買い、公園のベンチで飲んだ。雨が落ちてきた。遊んでいた小さな子供たちが母親に連れられ公園をあとにしていく。僕はそのまま構うことなくベンチで飲み続けた。
 帰り道、スーパー柏ノ丘店の向かいで病院バスを待つ勝瀬さん、中山さんと実習の学生さんを見かけて合流した。散歩に出ていたそうで、米窪さんも一緒だった。ここからバスに乗って戻ったのは初めてだ。雨はとっくにあがっていた。


 午後4時、金曜の料理の打ち合わせをデイルームで行った。今回は病院スタッフを合わせて11人となる見込みで、前回「お誕生日会」で参加できなかった勝瀬さんも加わる。買い出しは明日の昼食後、午後1時のバスで、学生さんも一緒に出かけることになった。


 病院事務局から5月分の入院費の請求書が来た。105,000円と少し。限度額適用されてこの金額だ。10万円を越えると思っていなかった僕は、これでまたヘコんだ。父に連絡すると、「だいたいそんなもんだろう」と言っていた。
 週末の土曜日、一時外泊で帰宅することを併せて伝えた。日曜に兄が来られるかはまだ分からないという。
 問題は、土曜の夜に僕が飲まずにいられるかだ。牛本主任からは、院外自助グループのミーティングに参加して、そのまま実家に帰ることを勧められたが、それでは帰宅するのは夜10時近くになってしまう。父も母も寝ている時間だろうし、僕も何のために一泊するのかよく分からない。
「とりあえず、どんなかたちであれ成功体験をすることがいいんじゃないですか」
 と主任は言うが、僕にはそれが成功体験になるとは思えない。「ヤバいと思ったら、すぐに戻って来てください」と念押しされつつ、僕はとにかく外泊の申請をした。


 そのあとはベッドで眠ってしまった。夕食を取りに来ないので、心配した前上看護師が起こしてくれたのは午後7時過ぎだった。とりあえずベッドサイドにトレーを置いて、既に30分以上遅れて院内AA「ヒナドリ」のミーティングへ向かう。
 誰の話も聞こえてこなかった。僕も遅れたことをお詫びするだけで、特に話をしなかった。

 何かが違う。ズレている。
 たまらなくって、詰所でジアゼパムを貰って1錠飲んだ。
 その日の出来事をノートに書きとめるのも面倒になってきた。酔っ払っているときよりも、ノートの文字はのたうっている。何のために入院しているのか、分からない。
 

※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-08-03 23:10 | カテゴリ:スリップ
(※3度目のスリップから3日目)
 今日もベッドを出たのは午前7時過ぎ、ラジオ体操は参加できなかった。
 火曜日の僕のARPは午後1時半からのレクだけだ。空いていたエアロバイクの負荷が軽いため、いつもの倍のペース、30分で20㎞走破を目指す。ということは、時速40㎞でペダルを漕がなければならず、30分を少し越えてしまったが、いい具合に汗をかくことはできた。途中、一宮OTからバレーに誘われたが、今日も遠慮する。それにしても、ろくに目も合わさずに手を振るだけのぞんざいな断りかたをしてしまった。レク終了後、ほかの患者の用件でたまたま53号室を訪ねてきた一宮さんにお詫びしたが、
「また気が向いたら一緒にバレーやりましょうね、サトウさん」
 と言われ、今度は曖昧な返事をしてしまった。どうしても、自信が持てないのだ。

 土曜日に実家へ外泊しようと考えているが、飲まずにひと晩過ごせる自信はない。というより、正直僕はほとんど飲むつもりでいる。日本酒半升のパックくらいはいけるんじゃないか。
 ただ、外泊申請後に気が変わって外泊を取りやめたくなったときに、日曜だけの一日外出とかに変更することは可能だろうか。デイルームで、たまたま近くにいた小里看護師に訊いてみた。
「不可能じゃないですけど、きちんとプランが立たない状態で外泊申請するのはあんまり賛成できないなあ…」
 言われてみればその通りだ。僕は、初めての外泊で飲まない自信がないこと、そうはいっても退院後の生活を考えるとそろそろ外泊訓練をしないといけないと焦っていることを正直に話した。
「うーん…」
 と、戸惑いを隠すことなく小里看護師は少し考えたあと、
「土日の外泊申請は金曜昼までだし、木曜に回診もあるから、先生やほかの看護師にも相談してみてください」
 と答えた。いささか投げやりな感じがしないでもないが、看護師としては、飲むかもしれないと前置きしている患者を「そうですか」と外泊に送り出せるわけがない。彼女を困らせるだけで、余計な告白までしてしまったことを後悔した。

 今日は植中さんと久しぶりに西町19丁目教会のAA「つぐみ」へ足を運ぶ予定だった。僕が麻友美さんに誘われて行った、最初の院外自助グループだ。けれども昼過ぎから雨脚が強くなり、植中さんから「今日はやめようか」と言われてそれに従った。僕は雨でも一向に構わないのだが、最初に行った日以来顔を出していないグループなので、とてもひとりで行く勇気はなかった。

 ところがいざ夕方になると、雨はあがっていた。こうなると、良くない衝動にかられてしまう。夕食の時間になり、ベッドサイドのテーブルに食事トレーを置いたまま、「ちょっとコンビニへ」と2時間散歩の届けを渡して外へ出た。先週金曜の夕食の際、院内AAに行くのに使った「1時間以上かけて食事する」の悪用だ。食事は取り置きではないから、病棟へ戻ったときに詰所へトレーを受け取りに行く必要がない。お酒の臭いがしても気付かれる心配がないということだ。
 病院の隣にあるコンビニで、携帯料金の支払いをして、パンとチョコとそれから 500mlの酎ハイを1本買った。近くの小さな公園でそれを飲み、空き缶をまたコンビニのゴミ箱へ捨てて小1時間ほどで病院へ戻り、そして何もなかったように夕食を摂った。食事をすれば飲酒欲求がある程度収まることを分かったうえで、あえて食前での行動だった。

 ―― 俺は何をやっているんだ。


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2014-08-03 17:19 | カテゴリ:学習会
(※3度目のスリップから2日目)
 朝のラジオ体操は福井さんと洋子さん、少し遅れた僕の3人だけだった。
 初めて参加した頃に比べると、常連だった峰口さんも丸谷さんも清水さんも退院してしまい、ラジオ体操は淋しくなった。福井さんは体調が良くないうえ、同部屋の話し相手がいなくなってしまったためか、最近は元気がなく、体操後の「よいしょー!」もやらなくなってしまった。僕も寝過ごして休みがちだったので、なんだか盛り下げてしまった罪悪感がある。

 今日は午前11時のバスでスーパー柏ノ丘店前まで行き、そこから徒歩で実家へ顔を出した。実家に届いているはずの携帯料金の払込みハガキを取りに行っただけで、取り立てて両親に報告することもなかったが、久しぶりに仏壇に線香をあげ、久しぶりに実家のコーヒーを飲んだ。
 週末、外泊で戻る予定だと伝えると、日曜に兄が来るかもしれないと言われた。金曜の外泊を考えていたが、土曜日に外泊するほうがよさそうだ。
 父に車で送ってもらい、12時半頃には病院へ戻った。


 午後2時からの学習会は、ついに第1回に戻って院長の担当回になった。『① 慢性アルコール中毒(アル中)とアルコール依存症』というテーマだ。
 院長を知る患者の中には「今日は時間いっぱいまできっちりやるな」「早く終わることはないね」などと開始前から面倒臭そうに言う人もいたが、実際院長のレクチャーは1時間きっかり、しかも話の途中で終わった。院長のレクチャーはあと1回予定されているので、そのときに続きをやるという。ちなみにその回は4週先で、それが僕の最後の学習会になる。
 肝腎の、今日の学習会の内容だが、配られた資料には『アルコール依存症 何を病み、何を治すのか?』という別のタイトルがつけられていた。依存症にはアルコールや薬物、摂食障害などの「物質への依存」、ギャンブルや買い物、インターネットなど「行為への依存」があるが、もうひとつ「関係への依存」というのが挙げられ、恋愛依存やいわゆる共依存がこれに当たるという。なかでも共依存は、例えばギャンブル依存症者の家族が経済的な援助を行うことで、かえって本人の治療を遅らせてしまうような場合も指すことがあるというのだ。
 共依存とは単に、お互いに依存し合うことでしか生きられなくなるケースを指すものだと思っていた僕は、「共依存」のこうした捉えかたを聞いてにわかに怖くなった。今回、僕は父に相当な経済的負担を強いている。このことが、僕や父に新たな依存の種を蒔いていくことにはならないだろうか。
 少なくとも、僕はこの病気をなんとしても回復へ持っていくしかない。僕にできることは、それしかないのだ。

 院長によれば、依存症とは簡単にいうと「必要だけどちょうどよく使えなくて困っている状態」なのだそうだ。依存症者はたいてい「ちょうどよく使えない」ものを「ちょうどよく使える」ようにしようとして、それを治療と考える。アルコール依存症でいえば、飲む時間や量を決めたり、お酒の種類を変えたりすることで対応が可能と思ってしまう。けれども実際は、
「昼は飲まないって決めたけど今日は休みだし、まあいいか」
「明日飲まないから今日はその分飲んでもいいだろう」
 と妥協して、結局アルコールの依存からは脱け出せない。また、不安や怒り、悲しみ、孤独といった気分の落ち込みを変えるためにアルコールを利用し続けても、耐性が上昇して飲酒量が増える一方で、アルコール以外に気分を変える手段を見失ってしまう。その結果、常に飲まずにはいられないココロの状態が形成されるというのだ。
 身体がアルコールを欲する離脱症状は一般的に3~20日ほどで回復するそうだが、ココロがアルコールを欲する問題は、時間では解決できないという。つまり、依存症者が「必要だけどちょうどよく使えない」ものを「ちょうどよく使える」ようにすることは不可能なのだ。そのため、そもそも依存対象を「必要としない」生きかたを考えることが、医師の言うところの「治療」なのだという。

 院長のレクチャーはとても丁寧で、今日はそこで時間切れとなった。
 僕は今週も最前列に座って話を聴いていたが、それでも途中何度も睡魔に襲われた。昨日から薬の服用をやめているので、そっちのせいにはできない。すぐ目の前で話しているのが院長であれ総理大臣であれ、眠いものは眠いのだ。

 僕がアルコールを必要としない生活。それを考えなければならない。
 田村心理士にお願いしていたカウンセリングの1回目は、今週木曜の午後4時から50分間と決まった。1クール終了まであとひと月半。退院までに僕が具体的に目指すことは、今日の学習会で院長が言った命題と密接に関わっている。


 早出しの夕食を摂り、今日も昨日に続いて西町教会のAA「カッコー」へ足を運んだ。今日は利根川さんのほか、勝瀬さんと米窪さんも一緒だ。米窪さんは院外自助グループの参加は初めてで、体調が心配だったが点滴をやめたこともあり、最終的には本人の意思で決めたようだ。
 教会へ向かう途中、デイケアの帰りに駅前のショッピングモールへ買い物へ寄った峰口さんとばったり遭遇した。峰口さんはこの近辺にアパートを借りたそうだ。峰口さんにもAA参加を誘ってみた。ミーティング開始までまだ1時間近くあったので、「いったん帰って、あとで行くかも」ということでその場は別れた。
 今日は昨日より少し多い、10数名でのミーティングとなった。開始までの間は、お酒を断って26年、16年という方へ贈られる寄せ書きに、僕もそれぞれ一筆書かせていただいた。既に3度のスリップをしている僕には、16年だの26年だの、そんな年数におよぶ断酒など到底未知の世界だ。そこまで至っても「アルコール依存症」「アル中」のレッテルが消えないというのは、なんだか不思議な気もする。
 午後7時のミーティング開始から、やや遅れて峰口さんも姿を見せた。峰口さんは退院後のAA参加は2度目だという。保証人である別れた奥さんに迷惑がかからないよう、弁護士に頼んだ債務整理が片付きつつあることを語り、病院内外の人たちへの感謝を口にするとともに「今は幸せです」と短く話した。
 僕も以前一宮OTにアドバイスされたように父と母のことを話し、この週末に初めてとなる実家への外泊をすることを伝えた。

 これから少し、忙しくなりそうだ。


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2014-08-03 00:13 | カテゴリ:AA
(※3度目のスリップ翌日)
 昨晩は明け方4時頃までデイルームで起きていた。夕食後の薬は飲まなかったが、眠れなかったのではなく、起きていたのだ。その日の出来事や感じたことをノートに書き、誰が読むでもないブログをひと月以上のタイムラグでアップする。ほとんど死にかけたスマホで文字入力するため、なかなかはかどらない。これでけっこう忙しいのだ。

 朝食は取り置きぎりぎりの8時半過ぎに食べた。牛本主任に相談して、今日から薬を一時止めてもらうようお願いした。渡辺先生の許可も得られ、院外の自助グループに出かける際など必要なときにジアゼパムを貰うことになった。
 日曜はすることがないので、今日も例の公園で飲んでやろうと思ったが、外はあいにくの雨だった。昼になってもやむ気配がないので2時間散歩での外出は諦め、利根川さんが夕方から行く院外のAAに僕も行くことにした。
 西町カトリック教会でのAA「カッコー」のミーティングは、先週の月曜日に植中さんと一緒に参加している。今日は日曜なので開始時刻は午後6時15分からと少し早めだ。利根川さんはAAのメンバーと雑談する時間を持ちたいと、いつもの5時40分発よりも1本早い5時15分発の病院バスで向かうそうだが、5時に早出しされる夕食を済ませてバスに間に合わせる自信などとてもない僕は、40分発のバスでひとりで出かけることにした。利根川さんが先に行っているとはいえ、ひとりで院外自助へ向かうのはこれが初めてだ。
 出かける前にジアゼパムを2錠貰い、早速1錠を飲んだ。バスには優二さんも乗り合わせた。優二さんは市街地に近い北東教会でのAA「オオタカ」に参加するという。日曜日の「オオタカ」のミーティングは地の利があるせいか、木曜に僕も2度参加した南町教会でのミーティングよりも参加者が多く、多いときで30人ほどは集まるという。
「そのうちこっちも参加してみるといいよ」
 と、優二さんに誘われた。
 西町駅で優二さんと別れ、ひとりで西町カトリック教会へ向かう。雨はすでにやんでいたが、開始までまだ30分近くあり、早く着いてしまうことへの抵抗はまだ拭えない。途中、会場近くのスーパーでウーロン茶を買ってわずかに時間を稼ぎ、とろとろと教会を目指した。
 会場へ着いたのは開始10分前くらいで、ちょうどタバコを吸いに外へ出て来た利根川さんと入れ替わりに、ひとりで中に入った。10人ほどは集まっていただろうか、どこかのAAで見かけた人もいるが、やはり知らない人のほうが多いのだろう。というのも、実は顔をよく覚えていないのだ。
 僕は今日、公園でお酒を飲むつもりだったが天気に救われたことをそのまま話した。ミーティング終了後、早速メンバーの方から「また来てくださいね」と声をかけていただいた。
 しばらく、できるだけ院外のAAに通いたいと思った。と同時に、そろそろ外泊で「やらかしてやろう」という気持ちも湧き上がってくる。


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2014-08-02 10:00 | カテゴリ:スリップ
(※再スリップから3日日)
 眠気に勝てない。朝食も昼食も夕食も、すべて看護師さんに起こされて食べた。
 土曜日は院内のARPも特にないため、みんな思い思いに「休日」を過ごす。毎日が休みだといえばそうなのだが、平日はこれでなかなか忙しいのだ。患者の症状にもよるが、薬を飲んでのARPは、結構な負担になっている人もいるのではないか。
 週末は自宅に外泊する患者も多く、53号室でも勝瀬さん、周さんが今週も一時帰宅した。毎週末に自宅に帰っては「俺の居場所がない」と落ち込んで戻って来る勝瀬さんに至っては、今回こそは明るい兆しを見つけられることを願わずにはいられない。

 昼食後、散歩に出ることにした。今日は風もあり外は涼しそうだ。午後1時の病院バス出発まで喫煙室で時間を潰していると、利根川さんに声をかけられ、話し込んだ。
 元競輪選手の利根川さんは、15年のプロ生活で通算16回の優勝経験があるそうだが、競輪にまったく詳しくない僕にはそれがどのくらい凄いのかさっぱり分からない。優勝というくらいだから、なかなか凄いのだろうが、ただ、僕が本当に凄いと感じたのはその後の人生のほうだ。
 現在50代前半の利根川さんは、競輪の世界では中野浩一の少し後輩の世代にあたるそうだ。お酒に依存するようになった理由は「とにかく遊びたかった」という通り、賞金を飲み代に注ぎ込み豪遊していたそうだ。選手としてのピークを過ぎた30代には二日酔いのままレースに出たり、ひどいときにはウイスキーを飲んで出場したこともあったという。
 任意引退という形で競輪協会を事実上クビになり、土木関係の仕事に就いたが、アルコール依存はエスカレートしていき、やがて仕事もできなくなってしまった。入院と中間施設、スリップの繰り返しで、4年前に環境を変えるべく縁もゆかりもないこの街にある中間施設に入所したのだが、これは僕が大阪から戻って来たのと同じ時期だ。それから再起を図っていた昨年、よりによって自転車でひったくり事件を起こして逮捕され、いろいろあって再び入院の措置となったという話だ。なんというか、キリギリスを彷彿とさせる見事なまでの転げ落ちようには、言葉がない。
 現在はパニック障害と強迫神経症に悩まされ、大量の処方薬で持ちこたえているというが、「過去に戻りたい」という不可能な願望に縛られたり、例えば戸締りを何度しても、ガスの元栓を何度閉じても、強烈な不安に襲われて安心できないといった、明らかに生活に支障をきたす症状が治まらないのだという。
 退院の見通しは立っていない利根川さんだが、それでも院外のAAには多く足を運んでいる。話を聴く限りでは、精神的な症状は僕も似たようなところがある。何をもってして「回復」といえるのか、判断が難しいところも実に厄介なのだ。
 利根川さんは普段はとても穏やかで優しく、話好きな人だ。ただときどき、暗い表情で深いため息をつきながらうつむいていることがある。
「僕は土曜は完全休養に決めてるんですよ。明日はまた院外のAAに出かけます」
 そう言うと、利根川さんは静かにタバコの煙を吐き出した。

 利根川さんの話に聴き入ってしまい、1時のバスに乗り遅れてしまったので、徒歩で坂を下りてスーパー柏ノ丘店方面へ向かった。目的は最初から決めていた。公園で「飲む」ためだ。コンビニで酎ハイ500mlを2本買い、スーパーから少し住宅地に入ったところにある公園で缶を開けた。というか正確には、公園に着く前に歩きながらもう飲み始めた。水曜に飲んだときと同じ公園だ。今日は土曜日なので、キャッチボールをしている子供やベンチで休憩しているお年寄りの姿もあるが、そんなことは関係ない。再スリップからわずか3日で、入院して3度目となる飲酒だ。しかも今日は時間があるのをいいことに、前回よりも酒量が増えている。
 もともと飲むことを目的として出かけて行った。不愉快なこともあるが、それが今日飲んだことの直接の原因なんかじゃない。とりたてて飲酒欲求があったわけでもなく、自分でもよく分からない。
 ただ、飲むために外出したのだ。


 夕食後、夜勤の葉山看護師に薬を飲むよう促されたが「飲みたくない」と言った。今日は昼食のあとも千葉看護師に同じことを言ったが、あまりわがままを言って困らせても仕方がないのでこのときは結局素直に薬を飲んだ。
 けれども夕食後の葉山看護師には、僕が喫煙室にいたこともあり、「飲みたくない理由をあとで詰所で聞かせて」と言われ、放っておいたら結局そのままになった。
 薬を飲みたくない理由はふたつ。ジアゼパムもデパケンも、不安の抑制につながっていない気がするからだ。そもそも入院当初に比べて、いまの僕の不安なんて、薬に頼るほどのものではないのではないか。院外の自助グループに行くときや、退院が近づいたときには薬が必要になるかもしれないが、僕の身体が薬に慣れてしまうことが不安なのだ。不安を抑える薬を飲むことが不安という、へんてこな矛盾がある。
 もうひとつは、最近特にそうなのだが、日中とても眠いということ。どこまでが薬のせいか分からないが、残り半分の入院生活で残された時間は貴重だ。「昼間外出して公園で飲んでいる時間のどこが貴重だ」と言われると返す言葉もないが、それでもそんなことをしている時間も含めて、僕の時間は決して昼寝に充てたくはないのだ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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