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2014-06-28 22:35 | カテゴリ:料理

 早朝のラジオ体操からデイルームへ戻ると、和代さんが大声で料理グループの話をしていた。大田看護師からメンバーに誘われたが、どうするか揺れているというのだ。
 実際のところ料理グループは、米窪さんや丸谷さんらが抜けて、現在の正式なメンバーはリーダーの康平くんと節子さんのふたりだけだ。その康平くんも来週の回を最後に退院するため、このままでは活動休止を余儀なくされてしまう。
 僕は前回のリベンジということで再度見学させてもらい、買い出しにも付き合うことを康平くんに伝えていた。カナちゃんも正式に参加したいと言っていたので、そのことを和代さんに話した。
「でも、もっと人数がいないと料理なんてできないし、私迷ってるのよ」
 和代さんが心配しているのは、予算のことだ。料理グループの正式メンバーには、病院で出される通常食1食分に相当する、ひとり300円が割り当てられる。10人いれば予算3,000円でメニューを考えることができるが、3人や4人程度では1,000円前後でしか作れないことになる。ARPの一環として見れば、できるだけ多い人数と予算でそれなりのものに挑戦しなければ、活動の意味がないということだ。ちなみに白米は、予算に含まれずに使い放題なのだそうだ。また、食事制限のある患者もいるため、誰でもいいというわけにもいかない。

 康平くんは昨日、朝の瞑想の時間に料理リーダーとして参加の呼びかけをすると言っていた。が、今朝も7時15分から始まる瞑想に起きて来る気配はなかった。
 平日は毎朝、瞑想10分前になると詰所からの放送でデイルームへ集まるよう周知される。5分前にもなると、前日の夜勤から朝を迎えた看護師さんが病室を回り、まだ寝ている患者に「瞑想ですよー、起きてくださーい」と声をかけるのだが、康平くんはそこでいったん返事をして起きるふりだけを見せ、看護師さんが病室を出て行くと二度寝に入って瞑想をすっぽかす、という技を身につけている。なかには叩き起こして無理やり引きずり出してくる、掛川看護師のような強敵もいるが、そうでもない限りは決して起きない常習犯なのだ。
 節子さんが張り切っているようなので、僕はこのまま料理グループが活動できなくなるのは残念だとは思っていたが、僕自身が今すぐメンバーになって積極的に関わろうというつもりはなかった。前回「やっぱりダメだ」とあっさり逃げ出してしまったため、集団に入って行く勇気と意欲を少しでも持つことができたら、1回の見学で充分だった。
 和代さんは「迷ってる」と言ったが、迷うも何もメンバーが集まらなければ活動できないのだから、それはそれで仕方がない。康平くんに「退院までになんとかしろ」と丸投げするのも無茶な話だ。
 結局、康平くんは起きて来ないまま瞑想の時間が終わろうとしたとき、いきなり和代さんが手を挙げて発言した。
「料理グループの件ですが、メンバーの退院で人数が減っています。今回、ふたり新しく入って、私も誘われてるんですが、3人4人じゃたいしたこともできないので、正直なところどうしようか揺れています。ぜひ皆さん、料理グループへの参加を検討いただけないでしょうか」
 頼まれてもいないのに康平くんに代わって発言する結果になったが、自分が参加を決めかねているからほかの人に参加の検討を促すというのは、なかなか大胆というか正直というか、これはこれでたいしたものだと呑気に感心してしまったが、「ふたり新しく入って」とは誰のことだろう。
 ―― もしかして、俺とカナちゃんのことか? 俺はメンバーになるとは言ってないし、カナちゃんは2週間で退院の予定だから、来週1回しか参加できないのに。

 僕にはよくあることなのだが、自分の意思とは逆に話が進んでしまい、結果として混乱を招いてしまう。もっとも、僕が最初にしっかり意思表示をしないことが問題なのだけれども。
 その後、大田看護師から「とりあえずメンバーになって、作ったものを食べてみましょうよ。やめるのはいつでもできるから」と説得された。優柔不断な人間の背中を押すのは「とりあえず」と「やめるのはいつでも」という、なんとなく都合のいいキーワードだ。行きがかり上、メンバーとしての参加を断れなくなってしまった僕は、それならばと、今度は大田看護師と一緒になってメンバーを募る側に転じた。
 52号室の草刈さんは、僕より少し前にアルコール依存症で入院した50代の男性患者だ。今回で2回目の入院らしい。僕がここへ来た当初、散歩コースに柏山の展望広場を薦めてくれた温厚な人で、毎朝病院周辺の散歩やジョギングを欠かさない。院外SHGでは断酒会に積極的に出向いている。草刈さんを引き込まない手はない。
 甘言を弄してお誘いしたところ、「前にもいちど、やってるんだよなあ…」と、困惑されてしまった。
 草刈さんによると、入院が長期だったり、複数回におよぶ患者のほとんどは、たいていのARPをいちどは経験しているらしい。ほかにすることがないのだから、考えてみればそれはそうだ。いちど参加した人が現在はしていないというのは、それぞれに何かしらの理由があるわけで、そういう人を再び乗り気にさせるのはなかなかハードルが高いということになる。
 とはいえ、患者の顔ぶれは入れ替わるものだ。何も分からない入院ビギナーをただ待っていても始まらない。僕は大田看護師と猛烈なアプローチのすえ、「しょうがねえなあ」と半ば強引に承諾を取りつけた。

 いったん引き受けると、今度は草刈さんが積極的な姿勢を見せた。
「だけど、10人くらいは欲しいな」
 根拠はないが、なんだか頼もしい。
 あとで聞いたところ草刈さんは、とりあえず次回のお試し参加ということで勝瀬さんの勧誘に成功したそうだ。勝瀬さんは柏ノ丘初入院でARPにも積極的、食事制限もない。料理メンバーにはうってつけだと僕も目をつけていたのだが、「オレ、食べ物の好き嫌い激しいよ」という大人しからぬ抵抗に押し切れずにいたところだ。
 料理には大田さんか長浜さんのどちらかが、担当看護師として必ず立ち会う。また、リハビリ課から作業療法士も1名参加する。そうした病院スタッフや、現在看護実習に来ている学生さんも数に入れて構わないということで、患者だけで10人とまではいかなくても、なんとかグループとしての体裁は整いそうだ。場つなぎではあるが、即活動休止になるよりはマシだ。
 ただ、草刈さんがどんな手を使って勝瀬さんを引き入れたのかは、未だに分からない。


 昼寝をしないよう注意はしているが、それでも睡魔はやって来る。
 今日が2回目となるはずの革細工の創作は、昼のまどろみに時間を奪われ参加できなかった。僕はまだ退院まで2ヶ月あるからいいものの、来週退院の康平くんは今日が最後の創作だったが、彼もあえなく寝過ごして不参加となってしまった。もちろん朝の瞑想からずっと寝ていたわけではないようだが、午後1時半からという創作の時間帯は注意が必要だ。昼食後のまったりとした空気が、康平くんをベッドへといざなったのだろう。
 結局彼は最後の仕上げをすることなく、未完成のキーケースをお持ち帰りすることになった。「次に入院するときのために、アトリエで保管する」という選択もあるにはあるが、薬物依存を断つと決意した29歳にとっては笑えない冗談でしかない。


 午後3時半。先週に続いての断酒会『柏ノ丘例会』は、少し寝ただけあってすっきりした頭で参加することができた。
 アルコール依存症者のための自助グループには断酒会とAAのふたつがあるが、ARPで自助グループに参加する患者は、たいていどちらかに特化していく。
 断酒会については、まだ院外の集まりに足を運んでいないのであくまで聞いた話だが、会費負担のある会員制で組織としてのまとまりがかっちりしている反面、縛りがきついと感じる人には敬遠される向きもあるようだ。
 いっぽうAAは、来るも来ないも本人の意思に任せる、といった感じで匿名性も高い。それだけに、かえって断酒に結びつかないという落とし穴も多い気がする。アメリカ発祥だけあって、宗教的な色合いが濃いのも特徴的だ。
 どちらがいいとか悪いとかではない。僕は双方のメンバーの方から、自分に合ったほうを自分で見極めるようアドバイスをいただいた。そして入院中の自助グループ参加は、それを判断する貴重な機会ということになる。
 そうは言っても、最初に足を運んだグループの印象の良し悪しで一方に傾いた人もいる。和代さんは即断で、この街の中央地区で例会を開いている断酒会に正式に入会し、病室から通っている。
 また、今のところ入会はせずに院外の断酒会へ足を運んでいる草刈さんは、最初に行ったAAの印象がたまたま悪かったので、以来AAには行かないことにしたのだそうだ。普段温厚な草刈さんからは想像しにくいが、そのときは椅子を蹴飛ばして帰ってしまったというから、よほどのことがあったのだろう。もちろんAAも断酒会もそれぞれたくさんのグループがあり、たまたまひとつが悪かったからといって、すべてのグループが同じというわけではない。けれどもそこはやっぱり人間なので、第一印象で決まってしまうことがあるのも否めないことだ。
 利根川さんや植中さんなどは、束縛されないAAが性に合うようだ。ふたりとも特定のグループには所属はせず、あちこちのミーティングに出かけている。優二さんも院外AAには積極的だが、院内でのAAに参加しているのは見たことがない。人によって関わりかたも様々なのだ。
 どちらの自助にも参加したうえで「どっちも合わない」という患者もいる。この中には酒をやめる気があるのか疑わしい人もいるが、例えそうではなくても特に年輩の患者にとっては、体力的にも精神的にも自助に積極的になれない人が多いのも事実だ。さらには町坂さんのように「オレは自力で断酒する」と本気だか冗談だか分からないことを口にして、どちらにも参加しない人もいる。
 つまり結局は、人それぞれということだ。僕は退院まで、自分に合った選択をするため、できるだけ両方の集まりに参加するつもりだ。

 今日の柏ノ丘例会では、北股会長含めて14人が参加、入院患者では和代さんのほか、断酒会では珍しく植中さんの姿もあった。
 例会では冒頭、横断幕に掲げられた6項目から成る『断酒の誓(ちかい)』を、全員で起立して唱和するのだか、このうち最後のひとつに次の文言がある。

 一、私たちは断酒の歓びを、酒害に悩む人たちに伝えます。

 僕はこの、「断酒の歓び」というものを知らない。子供の頃、シラフの父と他愛のない会話で笑った記憶がない。舞台に立つシラフの父を「凄いなあ」と思ったことは何度もあるが、それは家での父ではない、別の誰かのようだった。
 中学に入ってお酒を知り、それが仲間を確認し合うことのできる便利な道具だと錯覚した。そして高校を出て実家を離れ、大阪で大学生活を始めた翌年、人間関係の悩みから連続飲酒に走り、38歳の今日まで至った。
 お酒を飲んで本音をぶつけることがコミュニケーションの本質だと信じ、お酒が飲めない人を気の毒だとさえ思っていた。いつしか、お酒がないとあらゆることを楽しめなくなり、不安や孤独や劣等感をすべてお酒でごまかすようになってしまった。
 僕には断酒をすることが、こうしたすべての苦痛を無条件で受け入れて、ただひたすら我慢するだけの、より大きな苦痛に思えて仕方がない。お酒をやめなければとは思いつつも、やめたところで今度はそういう苦痛に押し潰されやしないか。心の平穏が得られることなんて、僕に限ってないのではないか。本音を言えばそれが怖い。「断酒の歓び」など、想像もつかないのだ。
 前回、北股会長から「38歳という年齢は、断酒をするいちばんいいタイミング」と言葉をいただいた。確かに、失った時間や人間関係は取り戻せないが、もういちど生き直すことはできるかもしれない。生き直すに当たって、僕はぜひともこの「断酒の歓び」というものを知りたい。これまで断酒を続けてそれを知った人から、僕自身の歓びにつながるヒントを探したい。

 僕は今日、そんな発言をした。これを受けて、並木さんという60代半ば~後半くらいの男性が、自身の思いを語ってくれた。
「私はお酒のために、これまで夫らしいこと、父親らしいことを何ひとつやってきませんでした。残りの人生、断酒を続けることで、その埋め合わせをひとつずつしていき、失った信頼を少しずつ取り戻していけるよう、努力することが私の歓びです」
 痛切な後悔と反省の気持ちに立った言葉で、並木さんはそう断言した。
 また、50代と覚しい古国さんという男性はこう話す。
「今までは、命を削って飲酒してましたね。いってみれば、命をかけて飲んできたんだから、今後は命をかけて酒を断つんです」
 命をかける価値を見出だせるなら、それは歓びにほかならないはずだ。


 午後6時半から参加した院内AAは、先々週に続いて2回目となる「はましぎ」だ。メッセンジャーは50~60代の女性がひとり、雨の中を来られた。患者は僕を含めて5人が参加した。
 このミーティングで、福井さんの思わぬ発言が飛び出した。
「いや実は最近さ、みんなの話聴いでっと、オレぁアル中じゃねんでねか、って思うようになったンだワ」
 福井さんらしいカミングアウトに、教室は驚きと失笑に包まれたが、本人は至って実直に、自身の感じる疑問を話してくれた。

 アルコール依存症者には、その親もいわゆるアル中で、毎日のように酒に酔う父親や母親の姿を目の当たりにして育った人が多く、虐待を受けていたケースも少なくない。そういう、アルコール依存症者を親に持ったことが成長過程に影響を及ぼし、大人になっても感じかたや考えかたに偏りを抱える人たちのことを『アダルトチルドレン(AC)』という。けれども福井さんの両親はお酒を飲まず、福井さんがお酒を覚えたのも20歳になってからだそうだ。
 アルバイトでバーテンをしていた際、店の売り上げのため、あまり飲めないお酒を半ば強制的に飲まされたが、それでも連続飲酒につながることはなかったという。
 結婚後、晩酌はするようになったが、それでも当初は子供が塾から戻るのを車で迎えに行くのが日課で、帰宅してからお酒をたしなむ程度だった。やがて子供の塾通いがなくなると晩酌は早めになり、次第に酒量が増えたそうだ。2年前に体調を崩して倒れた際、娘さんから「お父さんはアルコール依存症だから病院へ行って」と言われ、初めて専門外来で依存症と診断された。診断書には「重度」と書かれていたという。
 ひと月程度の入院をしたが、断酒は叶わず2回目の入院となった福井さんは、その際も「自分の意思でいつでもやめられる」と依存症を認めなかった。AAや断酒会も拒否し、今度はわずか1週間で退院してしまったそうだ。以前、女性グループ「オリーブ」のミーティングの席で「AAが大嫌い」と言ったのは、このときのことだろう。今回は3度目の入院となった。
「今度で最後にすっぺと思って、1クールちゃんとやろう、ンだば、ちゃんと学習もしねばど思ってよ」
 福井さんは現在、AAに積極的に参加している。ほかの患者の話を聴きながら、福井さんなりに試行錯誤しているのだと思った。その試行錯誤の先に、福井さんが自身の問題を解決していくための何かがある。

 プロセスは人それぞれだ。ここに、解決のための方法を決して絞ることのできない難しさがある。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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2014-06-25 14:00 | カテゴリ:病棟の人々

 まとまった雨こそ降らないものの、曇天が続く。今日は夕方から植中さんたちと自助グループへ参加の予定だが、夜から40%の確率で雨の予報だ。
 麻友美さんは今日も姿を見せない。昨夜12時頃、詰所にかかってきた電話で掛川看護師が何か言っていた。麻友美さんからだろう。デイルームから詰所の様子が覗える小窓の向こうで、掛川さんが「いいから今日はもう寝なさい。電話くれるなら昼間にしなさい」と厳しい口調で話すのが聞こえ、電話を切ったあとにすぐ、どこかへ連絡を入れていた。


 午前10時からのフレッシュミーティングは、節子さんと僕のほか、カナちゃんという20歳を少し過ぎた女の子が新たに加わり、3人での参加になった。4月からこの病院に入ったという若いソーシャルワーカーの女性と、作業療法士の一宮さんも同席していた。
 カナちゃんは外来で、薬物依存症者を対象とした治療回復プログラムを受けていたが、覚醒剤の使用とアルコール依存が見られることから、身体から薬物とお酒を抜くための2週間の短期入院となった。とはいえ、一見どこにでもいるような、今どきの普通の女の子だ。
 僕のフレッシュミーティングは今回が最後ということで、進行役の沼畑看護師長の出した『回復に向けて』というテーマについて、余すことなく喋った。入院後ひと月のあいだに感じたこと、現状の不安、1クールを終えた段階で自分がどうなっていたいのか。そのために、残りの時間で取り組むべきことは何なのか。この数日、各ミーティングの場や個々の看護師さんに直接話したことと違いはない。

 カナちゃんが意見を求められ、遠慮がちながらもはっきりと答えた。
「サトウさんは、とても感受性の強い人なんだと思います。私も人前に出たりとか集団が苦手なので、自分の中に引き籠ってしまうんです。それでクスリやお酒がやめられなくなってしまったんですが、今回は先生以外にも、マトリックスで知り合った患者さんたちに勧められて入院することになりました。そういう人たちに応えるためにも、しっかりやめられるようにしていきたいです」
 初めて会った女の子に面と向かって「感受性の強い人」と言われ、なんだか恥ずかしくなってしまい、別に褒められているわけでもないのに「ありがとうございます」などとお礼を言ってしまった。

 マトリックスというのは『マトリックスモデル』という、外来治療を基本とした依存症治療プログラムのことで、アメリカで開発されたものらしい。柏ノ丘病院では薬物依存症の外来患者に取り入れられている。ワークブック形式の専用テキストを使って行う長期間の学習会みたいなもので、基本的に外来患者を対象としているが、康平くんのような入院患者も、入院中はもとより退院後も参加が必要とされている。毎週火曜日に行われていて、今週月曜に退院した丸谷さんも、翌日には顔を見せていたそうだ。

 節子さんは困ったことに、テーマに逆行して「1年でも2年でもここに居たい」と心境を吐露した。
 スナックをやりながらシングルマザーとして息子さんを育て、その後は調理師として働いていたが、息子さんが独立して疎遠になると、いわゆる『空(から)の巣症候群』と呼ばれる、虚無感や孤独感に襲われる状態に陥ってしまった。過剰飲酒で倒れ、一時は意識不明となって生死の境を彷徨ったという。スナック時代からお酒を飲むことはあったが、自身がアルコール依存症だとは当初なかなか認められなかったそうだ。
 そんな節子さんだが、現在は病院にいるほうが居心地がよくなってしまった。家に戻っても淋しいだけだが、入院している限りは話し相手もいるし、お酒も飲まずにいられる。5ーB病棟は閉鎖病棟ではないので自由度が高く、外出も可能だ。和代さんほどではないにしても、病院依存の傾向が強いのではないか。
 沼畑師長が言うには、こうした患者の場合、退院後の生活をどうするかということにフォーカスを当てていかなければならないという。そうしないと退院後にまた入院を望んで飲酒に走り、同じことを繰り返すからだ。
 
 節子さんが調理師の腕を振るう料理グループは、来週の回を最後に康平くんが退院するなど、メンバーがいなくなるという危機的状態を迎えている。前回見学に行って強く後悔した僕には抵抗があるが、リベンジしたい気持ちもあった。康平くんから誘われていたこともあり、とりあえず来週の回には買い物も含め、再度見学させてもらうことにした。そのうえで、やっぱりダメだと思ったらやめればいい。カナちゃんも、予定通りの入院なら1度きりの機会しかないが、料理に参加したいと手を挙げた。


 最後のフレッシュミーティングは、予定を10分ほど過ぎて終わった。これまでは木曜10時半からのレクと時間が30分重なっていたが、来週からはフルタイムでレクに参加できる。カナちゃんが様子を見てみたいと言うので、体育館へ案内した。3週間前、麻友美さんがまだ慣れない僕を引っ張っていってくれたことを思い出した。
 既にレク終了10分前になっていたため、今日はエアロバイクはできなかったが、福井さんに勧められて名前の分からないエクササイズマシンを試してみた。左右にスライドするペダルに両足を乗せて、立ったままの姿勢で脚を開閉する運動器具だ。
「これ50回やったらたいすたもンだァ」
 と、福井さんいち押しのマシンは、太腿内側とふくらはぎに確かに効く。次はこれもセットで筋トレに励んでもいいかな、と思った。


 森岡先生の回診では、自助グループへ出かけていくにあたって緊張や不安が増すことを訴えた。一昨日、夕食後の薬を飲み忘れて院外AAに行ったことは言わなかった。
 先生はジアゼパムをもう1錠、必要に応じて服用することを許可してくれた。

 回診後、デイルームで植中さんと夕方の出発時刻の確認をしていると、いきなり麻友美さんが現れた。点滴スタンドを横に立てた『点滴ロッカー』状態だ。細い腕に刺さって、だらんと伸びた管がなんだか痛々しい。
 彼女は取り繕うような笑顔で、
「迷惑かけてすいませんでした。今日退院することになったんで」
 と、早口に言った。
「そりゃまあ、お早い退院で!」
 こうなることを予想していたのか、植中さんはからかうように笑ったが、僕はまったくの予想外で、しかも突然の展開に何と声を返していいか分からず「そうなんだ…」としか言えなかった。麻友美さんはそれ以上は何も言わずに、喫煙室へ入って行った。

 僕は今朝洗濯しておいた、彼女のハンカチを取りにベッドへ戻り、喫煙室で点滴スタンドを邪魔臭そうにしながらタバコを吸っている麻友美さんに返しに行った。小洒落た輸入雑貨店に置いてそうな50㎝四方の木綿のハンカチで、刀剣のようなものを持った壁画調の男女がデザインされ「MADE IN INDIA」とプリントしてある。
「あー、それあげる。緊張すんでしょ? 自助行ったら。うははは」
 彼女は相変わらず早口で素っ気なく言い放ち、自分で笑った。そして小さく「でも私のなんか要らないか」と呟いた。僕はいったん彼女の膝の上に乗せて返したハンカチをもう一度手に取って、「ありがとう」とだけ言った。
 彼女はタバコを揉み消すと、よっこらせとばかりに立ち上がり、点滴スタンドをガラガラやりながら喫煙室を出て行き、そのまま隣の冷蔵庫にストックしてあった自分用の飲み物やら何やらを処分し始めた。その様子を喫煙室のガラス越しに見つめながら、僕はタバコに火をつけた。

 一昨日のあの日から、いったいどんなやり取りがあってこういう結論になってしまったのかは、僕が詮索する問題ではない。ただ、再入院とはいえ僕より1週間ほど早くここへ来た麻友美さんは、今度こそお酒を断つという明確な意思を持っているように僕には映っていた。お酒をやめる意思が本当にあるのか疑問に思う患者も、ここにはたくさんやって来る。その中で、1クール終了を待たずに彼女がここを去ることが残念でならなかった。と同時に、僕は取るに足らない患者のひとりに過ぎず、単なる自己満足と分かっていても、何の力にもなれないことを痛感した。
 ただの同情からくる患者の寄り合いは自助グループの集まりとは違う。自分の問題を克服する術を何も知らない者が他者に共鳴しても、かえって傷口を広げるだけだ。だから植中さんのように、笑って答えるしかないのだ。「何やってんだろうね、オマエは」と笑い飛ばして見送るしかないのだ。
 僕は入院こそ初めてだが、彼女と同じだ。ほかのどの患者とも同じだ。失敗を繰り返し続けているから、僕らはここにいるのだ。


 今日の自助グループは、午後6時45分から南町のカトリック教会で行われるAA「オオタカ」に参加する。僕が最初に救急車で運ばれた、あの丸い顔の先生のいる病院のすぐ斜め向かいだ。
 前回と同じ5時40分の病院バスに乗るのだが、途中のスーパー柏ノ丘店前で下車して、そこから徒歩で向かうという。一緒に行くのは植中さんのほかに利根川さんと、院外自助への参加は初めての勝瀬さんだ。
 歯茎の痛みのせいで食事に時間がかかる僕は、午後5時に早出しされる夕食までに、外出の準備を済ませておかなければならない。シャワーを浴びて洗面所へ出ると、ガラガラと点滴スタンドのキャスターの音を響かせて、麻友美さんがやって来た。どうにも歩行に不便なこの器具は、否が応でも病人ぶりを演出する。
「いやー、ホントごめんね」
 と、彼女はまた僕に詫びた。今日ここで、会う人会う人に同じように言っているのだろう。
「俺に謝らなくていいから。それよりも、ありがとう」
 本心からそう言った。一見荒っぽいようだが、その実細かい気配りで僕の背中を押したり、リードしてくれた彼女には、感謝してもしきれない。
「今日、もう行っちゃうんだね」
 ほかに言葉が思い浮かばず、訊くまでもないことを訊く。
「うん、最後に先生に会ってから。でもさあ、先生まだ来ないんだよねー」
 舌打ちするように言うが、それほど苛立っているようには見えない。彼女のいつもの物言いだ。
 5ーB病棟はすべての患者が任意入院なので、基本的に退院は自由だ。病院内での飲酒など、よほどの問題行為がない限り、強制的に退院させられることはまずない。つまりこの退院は、麻友美さんの意思なのだ。
「じゃあ…もう決めちゃったんだね?」
 僕は彼女に残って欲しかった。だから無駄だと分かっていても、最後に彼女の意思をはっきり確かめたくて訊いてみた。
「ほら、もう荷物まとめちゃったからさ」
 彼女は僕の質問には答えず、そう言ってごまかした。
「ねえ、麻友美さんって歳いくつなの」
「私? 34だけど。サトウさんは?」
「俺、38」
「そうなの? 私と同じくらいか年下だと思ってた。タメ口きいてごめんね、はは」
 全然心の込もっていない謝罪が出て、少しほっとした。


 夕食が来るまで、ベッドで外出の準備をしていると、室戸さんという薬剤師の女性が訪ねて来た。眼鏡にマスク姿なので表情がよく分からないが、喋り方から察すると30代前半~半ばくらいだろうか。
 インフルエンザなどの感染症に敏感な病院では、スタッフがマスクをしているのは当たり前だが、少なくとも5ーB病棟の看護師はそうでもない。これまであまり気にしていなかったが、ポロシャツにジャージかジーンズ、白エプロン姿が一般的で、看護師によってもばらばらだ。沼畑師長などは、STAP細胞があるとかないとかで有名になった例の人よろしく割烹着が定番になっている。ここは精神科病棟で、医療期間というよりむしろグループホームに近い性格のものなのだと改めて感じた。

「サトウさん、今まで飲まれている常備薬はありますか?」
 入院に際して何度も医師や看護師に答えた質問だし、それからひと月経った今、あえて同じことを訊く意味が分からなかったが、素直に「ありません」と答えた。室戸薬剤師は、現在医師より処方されている薬について書かれた『お薬の説明書』と題した写真付きの紙1枚を僕に渡してくれた。

○ジアゼパム 1錠 2㎎ /1日3回 毎食後
○デパケンR 1錠 200㎎ /1日2回 朝・夕食後
○ジアゼパム 1錠 2㎎ /不安時に服用

 説明書によると、ジアゼパムは精神や筋肉の緊張を和らげ、気持ちを落ち着かせて不安を抑える薬で、デパケンRは脳に作用して神経の過剰興奮を鎮める効果があるという。デパケンについては長期服用を続けると、服用をやめたときに不眠症状を起こす場合があるので、1日2回の処方となっているらしい。
 最後の「不安時に服用」とあるジアゼパムは、午前の回診で、自助グループへ参加する際に持って行っていいと言われた分で、必要に応じて飲む頓服薬だ。午前の回診の指示が、薬局の出すこうした説明書にもう反映されているのかと感心したが、よく考えたら「どうしても不安ならお薬出しますから」と前々から言われていた分だ。今日、回診で改めて先生にお願いしなくても、詰所へ足を運べばもともと貰えた薬なのだ。
 ちなみに眠剤については、今僕は飲んでいない。

 室戸薬剤師からは薬の効き目について尋ねられたが、正直効いているのかどうか分からないと答えた。
 僕がアルコールに依存するのは、不安や孤独感、自己否定、対人・対集団の緊張から解放されたいから、と自分では思うが、薬がアルコールの代用になるわけではない。薬剤師に言うことでははないかもしれないが、2ヶ月後に退院してもとの生活に戻ったとき、こうしたココロの問題に正面から取り組んでいけるよう、例えばカウンセリングを受けたりなど、何かしらの対応や訓練をしていきたい、と僕は話した。

 室戸薬剤師は、
「薬を処方するうえでサトウさんの考えを聴くことができて、こちらとしても良かったです。ジアゼパムについては、不安が強いときに追加で服用しても効果が見られないようなら、看護師に言っていただけますか? 私もときどき伺いますから」
 と言ってくれた。
 僕は長話になってしまったことを謝り、既に来ていた夕食を取りにいった。


 急いで夕食を済ませ、薬を飲み、頓服のジアゼパムをもう1錠を受け取ると、バスの時間まであと10分を切っていた。僕は女性専用の55号室の前まで行き、そっと中を覗いてみた。部屋の隅のベッドを覆い隠したカーテンのてっぺんから、点滴の薬液パックがはみ出している。
「麻友美さん、それじゃ行くから」
 と、声をかけた。「ぅあーい」というけだるい返事のあと、カーテンの隙間から麻友美さんが顔を出した。
「ハンカチ持った?」
「うん」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「気をつけてね」
「はーい」
 4歳下の彼女は、最後まで僕の保護者のようだった。


 スーパー柏ノ丘店から歩く。
 この界隈は僕の実家の近所だ。僕の知る限り、ここから南町へ徒歩で行くには結構な時間がかかると思っていたが、実際歩いてみるとそうでもなかった。心配なのは空模様で、帰る頃にはひと雨降り出しそうな雲行きだった。
 教会に着いたのは午後6時15分、ミーティング開始の30分前だった。
 会場となる南町カトリック教会は古い建物だったが、一昨日の19丁目教会よりはずっと教会らしかった。とはいえ、実際にミーティングを行う部屋はただの古びた会議室で、部屋の中にいる限り、ここが教会とは思えない。
 前回は食後の薬を飲んでいなかったこともあり半端ない緊張だったが、今回は薬のおかげか、前回に比べるといくぶん落ち着いていた。ただ、それでも不安は拭えない。隣に座った勝瀬さんも、あからさまに緊張している様子だった。
 ひとり、またひとりと、AAの参加者が集まって来る。みんな楽しげに雑談を交わしているが、場になじめない僕は孤立する。周囲からちらちらとこちらを伺う視線を感じる。意識過剰だというのは分かっている。でも、ミーティングが始まるまでのこの時間が、今の僕にはたまらなく苦痛なのだ。
「これ持っといたほうがいいよ」
 植中さんに言われてテーブルの上を見ると、ビジネス書サイズ程度だろうか、青い表紙の本が4、5冊積まれている。タイトルは『アルコホーリクス・アノニマス』。手に取って開くと、300ページ近くある。
『ビックブック』と呼ばれるこの本は、AAメンバーによって読まれている、プログラムの基本テキストというか、心得指南書というか、とにかくそういう本で、語弊があるがあえて言えば聖書のような、それくらいAAの根幹をなすものだ。院内のAAで貰ったハンドブックに掲載された文章は、このビックブックからの引用になる。

 最終的に、僕らを含めて10~12人くらいが集まりミーティングが始まった。ビックブックの中からひとつのチャプターを拾って読み上げ、その内容に基づいて行われる『ビックブックミーティング』というミーティングで、このグループでは話したい人が挙手をして話すため、指名されることはない。ひとりで何度も手を挙げて話しても構わない。話をせずに聴くことに徹してもいいのだが、自分から参加を申し出た僕にしてみれば、よきところで手を挙げないといけない ―― などと考えてしまい、勝手に焦る。
 いきなり勝瀬さんが、いちばん最初に手を挙げた。先を越された気がしたが、ここで早まってはいけない。しばらく様子を見ることにした。

 院内AAやARPのミーティングで勝瀬さんと何度も同席している僕は、彼の話す内容が一貫していることを知っている。支えてくれる奥さんのためにも、1日でも早くもとの生活に戻りたい。AAが、自分にとってお酒と訣別するための場になるのなら、とにかく何でもいいから参加しなけらばならない。入院以来、院内でのAAにほとんど参加してきた勝瀬さんの正直な気持ちだと思ったが、普段よりも明らかに、緊張で声がうわずっていた。

 その後は、参加者による挙手、発言が続いた。匿名性を重要視しているAAではメンバーが独自の呼び名を持っており、このアノニマス・ネームが大切だという意見や、参加者どうしを「仲間」と呼び合うAAに、自分の意思でお酒をやめられない依存症者が感じる意義のベースは何よりも仲間にある、といった考えが話されたりした。僕も適当なタイミングで手を挙げることに成功し、いつものように簡単な自己紹介から、軽い冗談も交えつつ、いつもと変わらない主旨の話をした。

 僕がこのミーティングで印象的だったのは、「ナホ」さんという進行役の女性の告白だった。現在30代と思われる彼女は、おとなしくて落ち着きのある聡明そうな女性に見え、とてもアルコール依存症とは思えない。驚いたことに、彼女はアルコールに依存しながら、かつて精神科の看護師をしていたという。「酒の臭いがする看護師がいる」と病院へ投書されるほどで、挙げ句には投薬や患者を取り違えたりと、あってはならないミスを繰り返し、言い訳のできない支障をきたしてしまったそうだ。
 彼女は当時、看護師という激務の中でアルコール漬けになりながら、どんな思いで患者と接していたのだろうか。

 もうひとり、長期にわたって断酒を続けている「カイ」さんという60代前半くらいの男性の一言が、心に残った。
「どうせ酒をやめなきゃならないなら、笑ってやめようと思いました」
 僕の本心を見透かされているようだった。僕が断酒に際して笑うとか笑わないとかいう話ではない。
 ぼくはそもそも、そこまで決断できているのだろうか。本気でお酒をやめる気があるのだろうか。

 徒歩での帰り道、心配していた雨は降らなかった。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-06-24 11:02 | カテゴリ:ミーティング

 朝からどんよりした空、雨の予報。ここ2日ほどは、快晴とはいえないが激しい雨も降っていない。桜は今日がピークと見て、晴れ間が覗いたときに写真を撮ってみる。


 今朝の瞑想でも、麻友美さんの姿はなかった。入院中の院外での飲酒は、酒量や酔いの状態にもよるが、病院には戻ることはできず、外泊をしてアルコールを抜くことを余儀なくされる。また一時的に別病棟に移される場合もある。
 彼女が5ーB病棟に戻って来るまでどれくらいかかるのかは分からないが、僕がやらなければならないのは、引き続き自助グループへ出向くことと、借りたハンカチを洗濯しておくことだけだ。


 午前中、牛本主任がベッドへ尋ねて来た。最近の調子を訊かれ、昨日自助グループへ参加したこと、そろそろ静養段階からトレーニングへ移っていきたいと思っていることを話した。
 僕が自助グループへ行ったり、先週のSSTに参加したことなどを、看護師主任がまさか聞いていないはずはないと思うのだが、あえて患者の口から言わせようとしているのか、それとも本当に知らないのか、ときどき疑いたくなるほど同じ話を繰り返している気がする。

「主任さんは、お酒飲みますか?」
 なんとなく訊いてみた。
「僕は…この仕事になってからは飲んでないですね」
 含みのある言いかただったので、さらに訊いた。
「前は飲んでたんですか?」
「かなり飲むほうでしたね。でも酔って上司と揉めたことがあって、それで今は飲まないようにしています。いや、僕は依存症じゃないですけど」
 訊いてもいないのに否定した。
「でも、職場の人と飲みに行くこともありますよね?」
「んー、そりゃまあ立場上、行かなきゃいけないこともありますよね」
「自分だけ飲まないで、楽しいですか?」
 牛本主任は「んー…」と、慎重に言葉を選ぶ素振りを見せながら、
「楽しくないですね。飲んだときの10分の1くらい」
 と思いきり正直な回答をした。植中さんとは真逆の感想だが、僕も主任に賛成だ。なんだか気の毒に思えてきたので、
「それはでも、あくまで自分で節制してるだけですよね。たまには飲んでみんなと楽しんだらどうですか?」
 と、患者の分際で上から目線で励ましてみた。
「でも僕、最近糖尿やっちゃってるんで。やっぱりお酒は控えたほうがいいかと」
 こと身体に関しては、僕のほうがよっぽど健康なようだ。

 午前11時からのビギナーミーティングも、僕は今回が最後だ。今週は10人前後が参加している。そういえば、5ーB病棟だけでもこのひと月でずいぶんと患者が入れ替わった。
 今日もギャンブル依存症の永塚さんら、男性患者3人が退院した。永塚さんは中間施設に戻り、通常1年~1年半にわたる共同生活の1日目からリスタートするという話だ。
 康平くんと立体四目並べに興じていた河原さんも、膵(すい)臓その他あちこちの疾患で先日、内科医療設備の整った中核病院へ転院していった。柏ノ丘へ戻って来るの予定は向こうの検査結果次第だという。
 反対に、新しい患者も増えている。自称、入院回数が20回を越えるという強者もいて、こうなるともう新しいんだか古いんだか分からなくなってくる。

 最後のビギナーミーティングは、沼畑看護師長の『最近の調子、体調について』というお馴染みのテーマと、和代さん提案の『依存症をいつ認識したか』について順番に話を聴いた。
 依存症の認識については先週のSSTでも話に上ったが、もともと自覚があって依存症と認識していた僕のようなケースよりも、例えば「人よりちょっと酒量が多いかも」程度の感覚で晩酌を何年も欠かさず続けていたら、ある日突然ぶっ倒れて運ばれた内科の病院で「依存症の疑いあり」と専門外来へ回されたり、あるいはストレスから過剰飲酒を始めて短期間でやめられなくなり、やっぱりある日突然ぶっ倒れて運ばれて「疑いあり」と回された専門外来で初めてアルコール依存症と診断されるケースのほうが多いようだ。
 この場合、特に年輩の患者はプライドの壁も手伝って「ほかのアル中と一緒にするな」という思いが強く、自分が依存症だと認めたがらない。当然医師や看護師の言うことも聞かないわけで、これまた当然「たちが悪い」ということになる。
 和代さんからは、鬱病と思い診察を受けたがアルコール依存症と告げられ、最初は反発しまくりだったが今は院長はじめここのスタッフに感謝している、だから病院を出たくない、という話を何度も聴いた。正直うっとうしいくらい聴かされたが、それだけ感謝しているということなのだろう。なんにせよ、自分が全幅の信頼を寄せることができる医師や病院に出会えたのはいいことだ。かといって、病院にしか居場所がなくなってしまうと、それはそれで問題だと思うのだが。


 午後6時半、3回目となる「ヒナドリ」の院内AAに参加した。今週も男性ふたりがメッセンジャーとして来ており、勝瀬さん、植中さん、利根川さん、福井さんと、先日から入院した男性ひとりが参加していた。
 この51号室に新しく入った男性こそが、入院20回を誇るという山形さんだ。生え際が後退した坊主頭に無精ヒゲ、パワーストーンのブレスレットをいくつもじゃらじゃらさせた山形さんは、肝機能低下で突き出たお腹と持って生まれたオヤジ体型で、とても42歳とは思えない、いかつい風貌だ。様々な疾患のほか不眠にも悩まされているそうで、眠剤のせいで日中もほとんど呂律が回っておらず、それでいて声がでかい。目も若干座っているが、とても温厚な人ではある。

 遅れて教室に入った僕は、申し訳ないことに居眠りをしてしまった。
 院内のAAに参加を続けて2週間。僕はその内容に、物足りなさを感じ始めているのかもしれない。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。

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2014-06-22 11:32 | カテゴリ:AA

 朝から何となく気分が重たい。朝食のあと、詰所へ薬を貰いに行くことなく喫煙室で桜を眺めていた。今日は雨の予報だ。
 薬を貰いに行かなかったのはわざとで、そんなもの飲んでも飲まなくてもどっちでもいい気がした。
 昨日から夜勤で詰めていた千葉看護師が、僕を呼びに来てくれた。実のところ、僕はそれを待っていた。どんどん詰所へ行きづらくなっているという話をかねてからしていた僕は昨夜、千葉看護師から「ここは、患者さんがただ待っていても回復していけるようなやりかたはとってないから」と、はっきり言い切られてしまった。自分でも駄々っ子みたいだと思うが、何か世話を焼かせたかった。
 千葉看護師は夜勤専門なのか、日勤で夕方帰宅する姿を見たことがない。子供さんも既に独立しているとかいないとか、とにかくそのくらいの年齢らしい。ただ、あとで高津さんから聞いた話だと、末のお子さんはダウン症なのだそうだ。5ーB病棟担当では数少ない、タバコを吸う看護師さんで、休憩時間にデイルームの喫煙室で患者に混じって一服している。

「薬、飲みたくないの?」
 素直に薬の小袋を受け取る僕に千葉看護師が訊く。小袋の中はジアゼパムとデパケンRという錠剤が1錠ずつ、どちらもいわゆる安定剤だ。
「…分かりません」
 自分でもどう答えていいか分からず、そう答えた。
「飲みたいか飲みたくないかが分からないんだ?」
「…そうですね」
 千葉看護師は、そうかぁ、と溜め息をつくような間を置いたあと、すべての看護師さんが一貫して口にすることを言った。
「どの看護師もお話を聴けるようにしてるから、いつでも詰所に来てちょうだいね」
 薬を飲んだ僕は、お礼を言ってベッドへ戻った。

 これ以上、看護師さんに何を言わせたいのだろう。僕は何をしたいのだろう。このまま引き籠り続けたいなら、一日中カーテンを閉ざしたままベッドに籠っていればいい。AAにも参加しなければいい。もとより強制されて入院しているわけではない。今すぐ退院すればいいのだ。
 でも僕は、ここにいる。ここにいてARPを通して感じ、考え、学び、実践して何かを得ることで、お酒に頼らず人と接し、集団を怖がらない自分になるための始まりにしたい。僕はそれが、雪絵さんの言っていた「自分を好きになる」ことにつながると信じる。だから僕は、ここにいるはずだ。
 今、ベッドのカーテンは閉め切ったままだ。だけど僕は、時折病室を出ては、看護師さんの視界に入ろうとしている。拒絶なんかしていない。自分がここにいることを知って欲しい。構ってくれ。
 残念なことに今の僕は、ただそれだけなんじゃないか。

 午前9時を過ぎ、日勤の前上看護師がベッドへ訪ねて来た。この病棟では基本的に毎日、出勤した看護師さんは申し送り(業務引き継ぎ会議)を済ませると各病室を回って患者ひとりひとりに挨拶を交わす。その際、患者の体調に変わりがないかを確認し、必要に応じて世間話をしたり、患者の相談に耳を傾ける。
 退院した野間さんの担当だった前上看護師は僕と同世代か、もう少し上だろうか。人当たりがよく優しい女性で、康平くんの担当看護師でもある。
 僕は前上さんに、この数日考えていたことを喋った。人とコミュニケーションをとるためのお酒、自分を大きく見せるためのお酒。楽しいことを増すためのお酒、淋しさを紛らわすためのお酒。そして、現実から逃げ出すためのお酒。僕はお酒を飲むことでしか自分を保ってこられなかった。それしか知らず、大人として成熟しない子供のまま今日まで来てしまった。失った時間は取り戻せないし、もう修復が困難な人間関係もある。だったら、今からでも新しい生きかたを見つけたい。創り直したい。
 自分から前に踏み出さないといけないことは分かっている。でもその1歩が出ない。出せないのか、出そうとしないのか、出しかたが分からないのか。いずれにしても、すべては僕のココロの中の問題だ。
 父のこと、母のことも話した。
 僕の両親も、明らかにアルコールに依存していた。子供の頃、近所の酒屋へ『サントリーレッド』を買いにお使いへ行くのは僕の日常だった。
 父は決して昼間から飲むようなことはなかったが、シラフの父とまともに会話をした記憶はまったくと言っていいほどない。夜、お酒を飲んで酔いが回った父は突然饒舌になり、そこからほとんど絡みに近い説教を続け、逆らえない僕はただじっと我慢するしかなかった。母とはよく喧嘩もしたが話もした。けれども僕が中学、高校の頃になると、母の酔いかたも尋常ではなくなってきた。父も母も、楽しいお酒を飲んでいるようにはとても見えなかった。
 母が50代で、いわゆる若年性認知症になったとき、大阪で堕落した暮らしをしていた僕は何もすることができなかった。僕自身が既にお酒に溺れていた。酔ったときの絡みかたが、父そっくりになっていることに気がついた。

 前上看護師は、ひたすら僕の話を聴いてくれた。掃除のおばちゃんにベッドを追い出されると、廊下に出て話を聴いてくれた。廊下にモップをかけるからどいてくれと言われると、デイルームに場所を移した。朝は掃除のおばちゃんの天下だが、そんなことは構わず僕は話を続けた。聴いて欲しいことが一気に溢れ出していた。

「ご両親への恨みはありますか?」
「それはありません」
 実際、両親を恨んだことなんかない。それよりも、こんな息子で申し訳ない、という後ろめたさでいっぱいだ。芝居という特殊な世界を見せてくれて、その魅力を教えてくれた父と母には感謝している。ただ、僕は両親の影響を受けて芝居に夢中になると共に、お酒との付き合いかたまで手本にしてしまったのは確かなのだろう。そしてその結果、親以上にお酒に依存するようになってしまった。
 けれどもこうなったのは結局のところ、僕のココロの問題なのだ。僕は未成熟なまま、お酒という便利な道具を知り、使いかたを誤り、それなしには何もできなくなった。見直すチャンスは何度もあったし、支えてくれる人もいたが、僕は常に問題を先送りし、せっかくの機会をことごとく、自ら潰してきた。
 ふたつ学年の離れた兄は、僕のようにはなっていない。しんどいことや悩みは当然あっても、少なくとも何かに依存したり逃げたりせずにしっかり向き合っているように、僕には見える。
 いっぽう僕は今、その酔った姿が嫌で仕方がなかった父の援助で、この病院にいる。僕がこうなったのは自業自得なのにも関わらずだ。


 正午前になって、両親がロビーに来ていると知らされた。入院費の限度額適用認定証の申請書が会社から届いたのだろう。昨日病院の事務局から渡された請求書を持って、僕は下へ降りて行った。4月分請求、97,000円弱。入院初月なので諸々の検査費用も含まれるのだろうが、半月でこれだけかかるとはさすがに気が重い。請求金額を見て、父が溜め息を隠さなかったのも無理はない。
 申請書は明日にでも会社へ返送すると父に伝え、そのまま玄関ロビーで両親を見送った。


 病棟へ戻ると、洗面所で麻友美さんに声をかけられた。
「今日、一緒に自助グループ行かない? 私も初めてのところなんだけどさ」
 病院外で定期的に行われているAAや断酒会を総称して自助グループと呼んでおり、『院外SHG(セルフヘルプグループ)』ともいう。AAや断酒会のメンバーが病院に来て行うARPとは違って、基本的に社会復帰している人たちが断酒継続のために集まるミーティングの場に、僕ら入院患者が自ら出向いて参加するのだ。退院後はこうした自助グループへの参加が必要になってくるので、それに向けてのトレーニングの意味も合わせ持っている。
 ミーティングの内容も、例えば院内のAAでは、テーマに沿って自分の経験や思いを順番に話し、ほかの人の話を聴くことを目的としたテーマミーティングのみだが、院外AAでは討論や議論をしたり、『ビックブック』と呼ばれるAAプログラムの基本テキストとなる書籍を使ったミーティングなど、多種におよぶそうだ。

 様々な自助グループが様々な場所でスケジュールを組んで活動していて、AAでは大半が夕方6時半ないし7時から1時間半程度、この街でも毎日どこかのグループがどこかの会場でミーティングを実施している。麻友美さんは今回の入院で、頻繁に院外AAに出かけていた。
 僕は院内で行われるAAや断酒会にひと通り参加したところで、ぜひ院外の自助グループにも足を運んでみたいと思っていたので、彼女のほうから誘ってくれたのは絶好の機会だった。迷うことなく、一緒に行くことにした。
「今日は植中さんも行くから。サトウさんも晩ごはんの申請しといて」
 移動を伴うため、いつもの午後6時に夕食を摂って病院を出ていては間に合わない。だから自助グループの参加で外出するときは、当日の午後2時までにデイルームにある専用のホワイトボードに名前を書いておけば、みんなに先立っていつもより1時間早い5時に夕食を出してもらえるのだ。
 病院から徒歩で行ける距離の会場もあれば、公共の交通機関を利用して向かう会場もある。親しいメンバーに車で送り迎えしてもらっている患者もいるようだ。ちなみに通常の交通機関を利用する場合、生活保護を受けていなければ交通費は自己負担だという。

 今日は西町の19丁目教会で、ここをホームに活動するAAグループ「つぐみ」のテーマミーティングに参加するという。病院の専用バスで西町駅まで行き、そこから1駅分徒歩で向かうそうだ。
「夕食後に呼びに行くから、準備しといてね」
 麻友美さんにそう約束され、僕はホワイトボードに自分の名前を書くためデイルームへ行った。


 午後1時半。体育館でのレクでは、みんなが相変わらずミニバレーに夢中になっていた。楽しそうではあるが、丸谷さんや米窪さんら比較的若い患者が減り、明らかにくたびれた中年患者の姿が目立つゲームを眺めながら、僕は今日もひとり、負荷をかけたエアロバイクで30分、10㎞を走って汗だくになった。


 午後5時。早めの夕食が来ても、病棟に麻友美さんの姿はなかった。
 一緒にAAへ行く植中さんが、彼女は2時間散歩に出てそのまま直接会場へ向かうのでふたりで行こう、と教えてくれた。
 AAは7時からとのことで、食事のあとも比較的のんびりしていたら、5時40分のバスに乗るというので、慌てて準備して病院を出た。食後の薬を飲み忘れたと気付いたが、まあいいか、とバスに乗り込んだ。

 54号室の植中さんは40代半ばくらいの男性患者で、東京の飲食店で働いていたが、連続飲酒の影響のためか、一時期白血球の数が異常に増えたことから、白血病の疑いがあると診断を受け、そのほか肝機能は丈夫だっただの、過去に大腸癌の摘出をしていたりだので、アルコール依存症の結論に辿り着くまで時間を費やしたという。アルコールが抜けると気分が悪くなる離脱症状に苦しめられ、地元のこの街へ戻って保護入院を含めた入退院を繰り返してきたらしい。本来なら今月下旬にも退院の予定だったが、もう少し延長を考えていて、今のところいつ退院するかは決めていないという。
 この病棟には治す気があるのかないのか、居心地の良さを理由に退院したがらない患者も多い。だけど植中さんに関しては、今回の入院で本当にお酒を断たなければいけないと考え、退院はまだ早いと判断しているようだ。だから麻友美さんなどと一緒に、院外AAには積極的に足を運んでいる。

「麻友美ちゃん、飲んじゃったらしいよ」
 駅前でバスを降り、会場へ向かって歩きがてら植中さんが言った。
「え? 外出先でですか?」
 昼間、彼女のほうから僕を誘ってくれたのに、何で、という思いでわけが分からなくなった。というより僕はこの時点で、それがどういうことを意味するのか理解していなかった。
「うん、さっき連絡があった。どうせバレるから詰所へ電話して、いちおう直接こっちへ来る許可は貰ったみたいだけど…ちゃんと来るかな?」
 ミーティングの開始までまだ時間があるので、僕らは会場近くの交差点で彼女を待つことにした。しばらくすると、麻友美さんが遠くから歩いてやって来るのが見えた。僕らの姿に気付くと、彼女は何に気兼ねしているのかバッグからマスクを出してつけ始めた。

 AAや断酒会などの自助グループは、もちろん断酒を続けることが目的だが、飲んだら来てはいけない、というルールが明文化されているわけではない。ペナルティがあるわけでもない。ミーティングの進行に支障をきたすほど泥酔していれば別だが、あくまで常識の範囲内での話だ。失敗をやらかしても、それを受け入れて前進していきましょう、という考えかたなのだ。

「やっちゃった。ごめんねー」
 開口一番、はにかんだ笑顔で麻友美さんが謝る。自分で誘っておいて申し訳ないと思ったのか、ことさら僕に謝ってくるのでこっちが恐縮してしまう。

 会場となる19丁目教会は、誰もが想像する教会とははるかにかけ離れた外観で、ほとんど貸し事務所に近い建物だった。ふたりに続いて中に入ると、既に4、5人の男女が集まっていて、会議テーブルに並べた椅子に座ってくつろいでいた。窓際の壁に付けられたテーブルには、電気ポットにインスタントコーヒー、マグカップが置かれ、明らかに「ご自由にどうぞ」と言っている。どこに座っていいか分からず隅っこに棒立ちでいると、メンバーのひとりがようやく「あ、どこでもいいから座ってください」と促してくれた。
 植中さんは席に着くや慣れた様子で自分用のコーヒーを淹れながら、見知ったメンバーと早速談笑している。麻友美さんも早々トイレを探したり、飲み物を買いに出たりと忙しない。集団に馴染めない僕の、いちばん辛い時間だ。
 思い出したように植中さんが「あ、コーヒーとか自由に飲んでね」と僕に言うが、ようやく着席した僕の半径30㎝のスペースから自由に動くことは自殺行為に等しい。ただ下を向き、先週のあの料理の見学のときのようにじっと存在を殺して、時間が過ぎるのを待つ。薬を飲むのを忘れたことを後悔した。
 麻友美さんが、冷えた飲み物を僕の分まで買って戻って来た。開始までまだ時間があるので、タバコを吸おうと僕を外へ連れ出す。親鳥のあとを雛ペンギンがぺたぺた追いかけて歩くように、僕は頭の悪さ丸出しで麻友美さんについて行く。
 教会の外、隣の建物との間の側溝のような狭い一画が喫煙スペースで、灰皿代わりの空き缶がひとつ置いてあるだけだ。ここでタバコを吸っている間にも参加者は徐々に集まって来る。
 ことアルコール依存症の入院に関しては僕なんかより格上の麻友美さんは、過去の入院で知り合ったと覚しき人との立ち話で早くも盛り上がっている。多少お酒が入っているとはいえ、初めて来たとは到底思えない貫禄ぶりだ。途中何度も「私マズいよねー。帰ろっかな」と言っては引き留められていた。
 僕にしてみれば心の中で、
「飲んじゃったのは仕方ないですけど、どうか私を置いて行かないでくだせえませ ――」 と、ヘタレ全開で懇願している有り様だ。

 まもなくミーティングということで、野ざらしにされた空き缶に吸い殻を捨てて、みんなぞろぞろと中へ入って行った。麻友美さんもそれに続いてタバコを揉み消しながら、
「ちょっと嫌なことあってさあ…もっと飲みたいんだよね」
 と、呟いた。
「じゃあ、このあと行こっか」
 反射的にそう答えると、彼女は「行く? ふふふ」と笑った。僕は一瞬、このまま全部忘れて飲みに行って騒ぎたい、と本気で思った。愚かで、浅はかな衝動。僕はこの衝動をコントロールできず、何度となく失敗を繰り返してきたはずなのに。
 麻友美さんが飲んでしまった「嫌なこと」には、決して単純ではない背景があるはずだ。僕はその複雑な事情を知らない。
 彼女にそんなつもりは毛頭ないだろうが、仮に万にひとつ、このまま彼女と飲みに行ったとしても、僕には何もすることができないし、かける言葉もない。ただお互いに傷をなめ合うだけだ。
 いま僕は、中途半端な同情をしようとしている。結局は僕も彼女と同じ、ただの患者なのだ。

 ミーティングが始まった。参加者は僕ら入院中の3人を含め、見たところ30代~60代の男女12人だ。一見した限りアルコール依存症とはとても思えない、おとなしそうな女性もいる。テーマは今日の麻友美さんにちなんで『スリップ』となった。
 アルコール依存症でいうところの『スリップ』とは「再飲酒」という意味で、入院中に飲酒欲求に耐えきれず、外出先などで飲んでしまったり、退院後一定期間お酒を断ち続けていたのに、何かのきっかけで再びお酒に手を出すケースを指す。

 この時点で僕は、麻友美さんに貰った飲み物をすっかり飲み干していた。麻友美さんは僕の隣に座り、あからさまに緊張している僕に「使う?」とハンカチを貸してくれたり、「飲む?」と自分の飲み物を差し出してくれて、ずいぶんとかいがいしく世話を焼く。お酒の臭いがした。どれくらい飲んだか小声で訊くと、500mlの缶ビールを3本と答えた。

 テーマミーティングは麻友美さんの挙手で、彼女の話から始まった。
「アル中のマユミです。今日はすいませんでした。今日病院で…ちょっと嫌なこと言われて…最近自助グループとかよく行ってんですけど、それがなんかどーしたこーしたとか、でもその人は、自助なんか行っても意味ないから行かないとか。行ってもないのにそんなこと言われて、なんかイラついて。今日は母の誕生日だったんですけど…そんで電話して。…うーん、元旦那は別れないでやっていこうって言ってくれたんですけど…向こうの親が絶対離婚しろって…それで、アレだったら、今も元旦那と、息子とも一緒に暮らしてるのかなって…あーダメだ、話まとまんねー。すいません! 以上です」

 まとまんないどころではない散らかりようだが、本人も整理がついていない様子なのだから仕方がない。
 ただ、彼女が足繁く自助グループに通うのを「どーしたこーしたとか」言われた、というくだりには思い当たる節があった。僕もその場に居合わせていた、あのときのやり取りだ、と直感した。麻友美さんと話していた相手に悪意があったわけではないとは思う。彼女はそのとき、相手の無神経な言葉をただ黙って聞いていた。でも、彼女は自分の努力を否定されたと感じて傷ついたに違いない。
 麻友美さんが自助グループに出向くのは、本気でお酒と訣別したいからだ。これまで何度もやめようと思っても、やめられなかった自分が許せない。失ったものの中で、取り戻したくてもどうしても取り戻せないものがある。それは分かっているけれど、後悔はいつでも押し寄せてくる。それでも、二度と同じ過ちをしないよう自分ができることを模索した結果、辿り着いたのが自助グループに行くことだったのではないか。
 今日、実際に行ってみて分かったことだが、自助グループのミーティングに足を運ぶのは、それなりに時間も労力もかかる。そこに価値を見出せなければ参加し続けることなんか絶対にできない。
 それを、行ったことのない人にとやかく言われたくない ――

 ともあれ、麻友美さんは今日お酒に口をつけてしまった。AAメンバーの誰ひとり、彼女を責めたりはしない。
 このあと、ミーティングはほかのメンバーの話へ移っていった。麻友美さんの携帯が何度か鳴った。メールだろうか。何人かが話を終えたところで、彼女は僕の手を取って挙手をさせ、僕に話を促した。
 話す側と聴く側の役割が決まっていれば、それは芝居の舞台と同じで、緊張の場は心地よい表現の空間に変わる。僕は基本的に、これまでに参加した院内AAで話していることを話した。

 僕はアルコール依存症はもとより、入院自体が初めての経験だ。一度だけ大阪で専門外来へ行ったことを除けば、アルコールが原因で医療機関の世話になったことは、電車で倒れたあの日まで一度もなかった。19歳で連続飲酒が始まってから、比較的早い段階で自分がアルコール依存症だと自認していたが、6年ほど前に当時の彼女に付き添われて初めて専門外来へ行き、晴れて医師から正式に依存症とお墨付きを貰った。
 結局病院へはそれっきり行かず、親身になって支えてくれた彼女も、当たり前だが僕の前から去っていった。
 それでも飲み続けた僕が、これまで倒れたことがなかったというのは、幸いにして身体が丈夫だったということなのだろうが、それは不幸にして強制されてでも断酒の機会を与えられなかったということにもなる。
 去っていった元彼女との関係を修復したいがために、自らひと月お酒を断つことに成功したが、それを記念して1ヶ月目にひとり焼酎でお祝いした。本末転倒の所業で、アホ丸出しというしかない。そして既に彼女との関係を取り戻すことができないところへ来てしまったことが分かると、再びもとの酒飲みに戻った。
 すべてを失くしてこの街へ逃げ帰ってからも、しばらくは実家でニート状態が続いたが、何とか仕事に就くことができた。それでも酒で失敗を繰り返し、さすがにこのままではまずいと思った。毎日のように「明日からは禁酒しよう」だの「せめて明日一日は飲まずにいよう」と飲みながら誓ったが、実行できるはずもなかった。そういう意味では、僕は毎日スリップしていたことになる。

 僕の話が終わると、麻友美さんはそそくさと帰り支度を始め、
「ちょっと呼ばれたから、先帰るわ。ごめんね」
 と、逃げるようにして出て行った。箍(たが)が外れれば歯止めは利かない。何せアルコール依存症なのだ。飲み直しに行ったか。
 あとで彼女を責めるのは、彼女自身だ。

 1時間半のミーティングを終え、植中さんとふたりで歩いて病院へ戻った。道すがら聴いたのだが、植中さんはもうかれこれ1年ほど飲んでいなかったのだそうだ。それなのに、何の気なしに「少しくらいいいだろう」と飲んだお酒が引き金になって、連続飲酒の再発につながったのだという。AAではよく耳にする話だが、それでもやはり「せっかく1年もやめてたのに」と思ってしまう。
 それにしても僕にとっては、1年間断酒に成功していることがまず驚きだ。
「断酒してるあいだ、友達どうしで居酒屋とか行く機会はありました?」
 興味深いので尋ねてみた。
「あったよ。でもずっとウーロン茶飲んでた」
「それで楽しかったですか?」
「うん、楽しかったよ。全然嫌じゃなかったなあ。カラオケ以外はね」
 カラオケはともかく、だったらなぜスリップするかね。1年飲まずに平気でも、ふとしたことで再飲酒し、以前の依存状態に戻ってしまう。
 完治不可能な「依存症」。この病気の問題はそれほど難しく、根深いのだ。


 午後9時半に病院へ戻ったが、麻友美さんはやっぱり戻っていなかった。
 今日の夜勤担当は石橋看護師と、長浜さんという女性看護師だ。子供みたいに小柄で年齢不詳の長浜さんは、高津さん情報によると50歳前後ということだが、とてもそうは見えない。柏ノ丘病院の過去に詳しい高津さんいわく、
「前にここ入院しとったとき、あん人看護師なりたてだったばい。あれいつ頃やったろなあ…そんときもうあん人、けっこう歳いっとったっちゃろうね」
 と、ひと言余計に付け加えて教えてくれた。
 飲み忘れた夕食後の薬を、僕が詰所へ貰いに行くと、その長浜看護師から自助グループの感想を訊かれた。僕は真面目に、テーマミーティングもいいが、もっと様々な自助グループへ出向いてディスカッションもしたい、と答えた。もちろんまだそんなところへひとりで行く勇気などない。ちなみに植中さんは、木曜の院外SHGにも誘ってくれた。
 それから僕は、今日の朝、前上看護師に話したこととほぼ同じことを喋った。「お休み前のおクスリ」を貰いに来る患者の出入りも多い時間で、長くなるので両親の話こそしなかったものの、入院以来いちばん多く喋った日だった。

 詰所の奥の席で、僕が長浜看護師に話しているのをじっと聴いていた石橋看護師が、衝撃的なことを言った。
「サトウさんは、鬱じゃないと思うよ」
「そうですか? じゃあ、何だと思います?」
「うーん、ただの…恥ずかしがりや」
「…え?」
 ―― 俺は鬱じゃないのか? じゃあこの気持ちの浮き沈みの激しさは何なんだ?
 ―― ただの、恥ずかしがりや。
 ―― 確かに俺は恥ずかしがりやだよ。でも、恥ずかしがって電車でぶっ倒れますか?
 ―― タダノ、ハズカシガリヤ。
 ―― 「ただの」とは何だ「ただの」とは。人がこんなに悩んでるのに。
 ―― タダノ、ハズカシガリヤ。

 だんだん恥ずかしくなってきたので、もう寝ることにした。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-06-20 13:01 | カテゴリ:診察・診断・回診

 丸谷さんが退院した。午前10時半の病院バスで出発するということだったが、僕は10時から2回目の心理検査か入っていたので、10時前に喫煙室でお別れをした。散歩の際やデイルームで聴かせてもらったことは、僕とはまったく違うプロセスを辿った丸谷さんの、貴重な話ばかりだった。


 2回目の心理検査は適性能力を診るということで、図形を並べたり口答の計算をさせられたりと、僕が特に苦手とする数学的な出題が多かった。昨夜は遅くまで日記を書いていて4時間ほどしか寝ていなかったが、たっぷり寝ていたところで結果はあまり変わらない気がする。

 心理士の田村さんから1時間半にわたって様々な出題をされたあと、最後に無地の画用紙と鉛筆を渡され「実のなる木」を描いてください、と言われた。
 僕は根の部分から真っすぐに伸びる高い木を1本描いた。
 牛本看護師主任から聴いた『アディクション・ツリー』が一瞬頭をよぎったが、どうしてもふんだんに実るという光景が浮かばず、木の高いところに伸びた枝にぶら下がる果実をひとつだけ描いた。果実はリンゴでも柿でもドリアンでも何でもいいが、それはとても大切な何かのイメージで、その実を木の下から見上げて立つ人物を加えた。何となく、大事に育てた木に実った柿を見つめるカニ ――
 昔話にあった、そんなシーンを想像した。サルがもっと親切だったなら、自分で木に登れないカニのために、柿の実を摘んであげられたはずなのに。
 僕の描いた木には、親切なサルも意地悪なサルもいない。木の下から果実を仰ぎ見る無機質なタッチの人物は、ただ実が落ちるのをじっと待っているだけだ。


 ひと通り絵を描き終えると、田村心理士が僕に細かい質問をする。
「この木はどれくらいの高さですか?」
「ビルの5階から…10階くらいでしょうか」
「けっこう幅がありますね?」
「具体的な高さは分かりません。でも高い木です」
「幹の太さはどれくらいですか?」
「両手を回して届くほど細くはないですが、それほど太くもないです」
「この人物の身長はどれくらいですか?」
「僕くらいでしょうか」
「木の樹齢はどうですか?」
「せいぜい40年くらい…陽射しと水があればすくすく育ちます」
「ここはどんな場所ですか?」
「周囲にも木はありますが、鬱蒼とした森ではないんです。陽射しが届く、ちょっとした林みたいな」
「地面に草のようなものも描かれていますが、これは何ですか?」
「草でも花でも構いません。ただ、地面にも陽射しが当たってるので、小さな植物も生えてるかなあ、と」

 最後のほうの質問の答えは完全に適当で、単に「陽射し」という言葉が気に入ったから何度も使ってみただけだ。それも含めての心理検査なのだろうか。

「絵はよく描かれるんですか?」
 と、田村心理士に訊かれた。僕と同い年で物言いがとても丁寧だ。思わず訊かれてもいないことまで喋ってしまった。
「小学生の頃は、兄と一緒に絵画教室に通ってました。でも絵は圧倒的に兄のほうが上手くて。先生はきっと、兄の才能を伸ばしたかったんで、僕はついでにくっついて来ただけなんでしょうね。負けたくないというのはあったけど、途中でこりゃ無理だと分かってやめました。それ以来、絵をまともに描いたことはありません」
 中学や高校の美術の授業で、少なからず絵を描くことはあったはずだが、僕にはその記憶がない。あの絵画教室が、僕がまともに絵を描いていた最後だ。
 来週、もう1回検査を行うという。


 あまり寝ていなかったうえ、予想以上に心理検査に脳みそを使ったため、ベッドに戻ると爆睡していた。午後1時半頃、シーツ交換に来たおばちゃんに叩き起こされた。毎週月曜日は1時から、順次すべての病室のシーツ交換があるため、本来この時間はベッドを空けていなければいけないのだ。

 午後2時からは恒例の学習会に参加した。先週は連休でお休みだったため、僕は今日が3回目となる。今回は『⑧ アルコールがつくる身体の病気』がタイトルで、渡辺先生というドクターが担当した。
 5ーB病棟の患者を受け持つ医師は、院長を含めて5名いるが、このうち僕の主治医の森岡先生以外の医師の姿を見たのは初めてだ。40代前半~半ばくらいだろうか、何だか喋りかたに落ち着きがなく、おどおどしているような感じの先生だ。精神科医には見えないが、緊張しているのだろうか。
 いざ学習会に入ると先生はやや落ち着きを取り戻したようで、タイトルの通り、アルコールによる肝臓、膵(すい)臓の疾患や、消化管、神経、循環器系その他、障害のリスクと症状について、スライドや資料を使ってのレクチャーが行われた。
 なかでも、初期段階では無症状のため、俗に「もの言わぬ臓器」と呼ばれる肝臓の疾患のなれの果てが、いわゆる肝硬変で、5年生存率が50%と聞けば到底穏やかでない話だが、直ちに飲酒をやめるとその数字は、なんと85%にまで上がるのだという。
 とは言え、どうも素人相手に数字のデータを持ち出されると、プレゼンする側のやりようでいくらでも説得の材料にできてしまう気がしてならない。要は「コノママデハ死ニマス。デモ今ナラチャンスハアリマス」感が見えすいているのだ。
 そんなふうに思ってしまう僕は、やっぱりひねくれ過ぎているのだろうか。


 僕の気持ちの浮き沈みは相変わらず激しい。
 今日は夜半から雨の予報だったが、降らずに済んだ。雨さえ降らなければ、ベランダ越しの桜はもうあと数日で満開になる。
 この遅咲きの桜が枝いっぱいに咲くのを見たとき、僕は何を思うのだろうか。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-06-19 01:48 | カテゴリ:入院食

 喫煙室から見える桜の木に、ピンク色の小さな花びらが目立つようになってきた。町坂さんは「ここは怨念が渦巻いてるから、なかなか花が咲かないんだ」などと笑えない冗談を言っていたが、雨さえ降らなければあと数日で満開になりそうだ。


 昼前に、雪絵さんが外来のついでに顔を見せにやって来た。この前の木曜にもいちど来ていたが、そのときはほとんど話す機会がなかったので、ずいぶん久しぶりな感じがした。喫煙室で「どうだい?」と、その後の僕の近況を尋ねる雪絵さんに、相変わらず「まあ、ぼちぼちです」と煮えきらない返事をする。
「せっかく来たのに、あの人寝てるんだけどさあ。こういうときどうしたらいいかな?」
「あの人」とは峰口さんのことだ。僕は未だにこのふたりの関係について知らないが、
「叩き起こしたらいいんじゃないですか? せっかく来たんだから」
 と無責任なことを言うと、「そうだね、行ってみる」と小走りに喫煙室を出て行った。
 しばらくして彼女は、ちょうど廊下から喫煙室の僕の姿を確認できる位置に立ち、両手で小さなマルをふたつ、笑顔の前につくって僕にサインを送った。峰口さんを叩き起こすのに成功したらしい。そのあとは、ふたりでデイルームでいろいろ話し込んでいたようだ。
 雪絵さんはすこぶる元気そうだったが、つい先週まで精神科病棟にいた人間がそうやすやすと元気な生活を取り戻せるものではない。僕には彼女が懸命に明るく振る舞い、空を仰いで前向きに生きようと努力している、そんなふうに見えた。


 入院して間もない、あんかけ焼きそばとカツ丼の件以降、入院食に衝撃を受けることは今のところない。むしろここの食事は基本的にどれも美味しく、ほかの患者にも概ね好評のようだ。
 それでも時折、ごはんとおかずの取り合わせが均衡に欠け、どうしても白ごはんが足りなくなったり、反対に最後に残ってしまった白ごはんをおかずなしで食べるはめになることがある。白ごはんは男性で最大 270g、お代わりはできないのだ。そういうときのためにみんなそれぞれ、食事制限がある患者は当然その許される範囲で、振りかけやら鮭フレークやらなめ茸やら『マイごはんのお供』を冷蔵庫に備蓄している。
 凝りだすと止まらなくなりそうなので、僕はそこまでする気はない。もっとも僕の場合、白ごはんが足りないケースがほとんどで、特に柴漬けと梅干しは鬼のような味の濃さだ。これ1品で丼1杯そのままいけてしまう。
 ただそれでもやっぱり、納豆についているタレだけでは味が足りないな、くらいは思うことはある。醤油をもうひと降りしたくなるのが人情というものだが、極力余計なことをしたくない僕は我慢してそのままいただく。あんかけ焼きそばに大胆不敵にも『酢たらし』を求めたことの、自分への戒めでもある。
 そんな僕だったが、さすがに味付けのりに醤油がついていなかったときには困惑した。入院して何日目くらいの頃だったろうか、少し前の話だ。いかに味付きとはいえ、味付けのりで白ごはんを食べるのに醤油が必要なのは少数派なのか。それともただの贅沢で非常識なのか。分をわきまえない不届き者なのか。
 腑に落ちないながらもデイルームに置かれた、好きに使っていい調味料類の中に、確か醤油があったことを思い出した。コンビニ弁当なんかに入っている、魚の容器じゃないほうの、四角い透明の小袋で「こちら側のどこからでも切れます」と書かれたそちら側を切ったら力加減が分からず中のモノが挑発的にぴっと飛び出す、あの醤油だ。
 ところが、その醤油が見つからない。あるのはウスターソースの小袋とアジシオだけで、以前見たときはコショウや一味の小瓶もあった気がするが、どうしたことだろう。
 思うにあのソースや醤油は、食事についてきたはいいが患者が使わなかったものを誰かが使えるように置いているだけで、常時備えてあるわけではないのだろう。プラスチックの小瓶に入ったアジシオこそ共用で、コショウや一味はたまたま使い果たしたばかりなのかもしれない。
 何にせよ、今の僕に必要なのは醤油だ。なるほど冷蔵庫には、コンビニで見かけるミニサイズの醤油ボトルや醤油差しが、各々の名前が書かれて何本もキープされている。『マイ醤油』だ。痛恨のミスだった。どういうわけかソースの小袋だけはふんだんにあるので、かくなるうえは本来お呼びでないこいつで代用を試してみるか考えあぐねていると、背後から麻友美さんに声をかけられた。
「何やってんの、醤油?」
 言うが早いか、麻友美さんは造作なく冷蔵庫を開けて適当な1本を取り出し「これ使いなよ」と僕に渡した。
「大丈夫、分かんないから」
 渡されたキッコーマンの醤油差しの、注ぎ口がついた赤い蓋には、マジックで大きく『優二』と書かれていた。

 その日の夕方、麻友美さんは僕に、
「醤油買って来たからさ、いつでも私のを好きに使っていいよ」と親切に言ってくれた。どこまで面倒見がいいのだろう。醤油すら自分で用意できないダメダメ感丸出しになってしまったが、好きに使っていいと言われて好きに使えるほど僕は素直じゃない。彼女の善意に乗っかる結果になったことが、またひとつ重荷になってしまった。

 結局その後今日まで、麻友美さんの醤油は未だ1度しか使わせてもらっていない。山芋の短冊がおかずに出た際、たまたま彼女の姿が見えないのをいいことにひと振りいただいた。もっともその山芋は酢和えになっていて、醤油をかける必要のまったくないことに食べてみて気がついたのだが。


 醤油の件はそれとして、今日の昼食で久しぶりに僕は悩むことになった。
 全粒粉の角食パンが2枚と、例の透明の小袋に入ったハチミツ、さらに照り焼きチキンと落とし卵、紙パックのオレンジジュース、そして言わずもがな、バナナというメニューだ。3切れほどにカットされたチキンの下にはレタスが敷かれ、付け合わせ的にコーン、人参、グリーンピースという、王道のミックスベジタブルが散りばめられている。
 僕が悩んだのは、まずこの照り焼きチキンが果たしておかずなのかということだ。これが角食ではなく白ごはんなら、誰が何と言おうとおかずだ。日本人ならそう考えるに違いない。けれどもこの袋詰めされた2枚の食パンを、丼に盛られた 270gの白ごはんと等しく捉えて、トレーの上に鎮座する容器の中で悠然と構えるチキンとその仲間たちをおかずと認めるのは、何だか理不尽な気がする。
 結果、僕はこの照り焼きチキンと付け合わせを、食パンのトッピングと考えることにした。まず角食の1枚にレタスを載せ、チキンを2切れ左右対称に置いたあと、その隙間にミックスベジタブルを箸で慎重に配置していく。やっていることはサブウェイの店員のようだが、こちらのほうがはるかに惨め臭さが漂う。
 作業は大詰めとなり、もう1枚のパンでサンドしようとした刹那、うっかりハチミツの存在を忘れていたことに気付いた。ここでパン2枚を使い果たすと、このハチミツはどうすればいいのか。こうなると、与えられたピースはきっちり使い切りたい。僕は食パン2枚によるサンド方式を諦め、パン1枚を二ツ折りにするという、難易度の高い勝負に出た。グリーンピースなんぞがこぼれ落ちないよう、包み込むような気持ちでパンを折り曲げ、リスクの高そうなところからかじりつく。こうなるともう、メキシコあたりの何とかというジャンクフードみたいになっていて、歯茎が痛いことも忘れて必死で喰らいついた。
 角食にトッピングを施すことで1枚を食べ切り、2枚目の角食へ進む。
 食パン1枚にハチミツ小袋ひとつは多過ぎるんじゃないか、と思ったが、実際パンの表面にまんべんなく垂らしてみると、ちょうどいい塩梅でハチミツを使い切った。この小袋ひとつがパン1枚分ということは、もう1枚の食パンはやはり、照り焼きチキンをトッピングして食すことが正解で、僕の食べ方は間違っていなかったと分かり、安堵の思いでハチミツパンを平らげた。
 パンと合わせてジュースも飲み干し、最後にバナナへ手を伸ばしたところでもうひとつ、まだ蓋さえ開けていない小鉢があることに気がついた僕は愕然となった。
 落とし卵。といっても、いわゆるポーチドエッグではなく、見た目は温泉卵そのままだ。この、ダシなのか何なのか分からない薄味のついた茹で汁に浮かぶ半熟卵は、いったいどのタイミングで食べるのだろう。チキンに載せたりパンに浸すのが正しかったのか、あれこれ思案した挙げ句、まるで生卵を飲むように流し込んだ。


 午後3時半頃、スーパー柏ノ丘店へ出かけた。『マイマヨネーズ』を買うためだ。醤油の件もあってのことだが、メインのおかずの下に敷いてあるレタスや付け合わせの千切りキャベツなどは、僕は無性にマヨネーズで食べたいたちなのだ。そこにちらっと醤油を垂らすのが、またさらに美味しい。
 柏ノ丘店へ向かう途中で、病院に出勤する葉山看護師とすれ違った。僕は帽子をかぶり、彼女は携帯をいじっていたので、普通の歩道でお互い向こうから歩いて来ているのに、気付かれることなくすれ違った。僕は未だに自分から挨拶すらできない。


 午後6時半。先週に続いて2回目となるAA「アカゲラ」のミーティングに参加した。このグループからは50~60代の男性ふたりが来られ、患者の出席は昨日と同じく勝瀬さんと僕のふたりだけだった。だんだん院内AAも、参加の回数をこなすだけになってきたような気がする。相変わらず気持ちの浮き沈みは激しいが、もう少しだけでも何か乗り出していかないと、このままでは変わらないし、変えられない。

 夜。喫煙室から見る桜は、朝見たときよりも確実に花が開きつつあった。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-06-19 01:01 | カテゴリ:外出・散歩

 今朝もまた、起きると午前7時を回っていた。今日はARPの予定のない一日。外泊に出ている人も多く、静かな週末だ。
 昼過ぎに、職場のマネージャーから携帯に連絡があった。入院費の限度額適用認定証の交付申請書を郵送してもらえるという。
 午後4時を過ぎ、2時間散歩で外出して実家へ顔を出す。認定証の件を父に伝え、何をするともなく実家をあとにし、父に車で送ってもらう。スーパー柏ノ丘店近くの食料品店で車を降り、夜食用のパンを買い、徒歩で病院へ戻った。

 夜食についてだが、夕食が午後6時のため、夜になると小腹をすかせてデイルームでカップ麺をすする人も多い。消灯前はそれでもいいのだが、深夜、明かりの消えたデイルームで鰹だしの匂いをそこはかとなく漂わせ、ズルズルと『どん兵衛』などを食らう人影は、なかなかにしてホラーな姿だ。糖尿や肝疾患などで塩分摂取を命じられている患者が、その後ろめたさから背中を丸めてこっそり食べているケースもあり、これはこれで哀愁を誘う。
 僕も夜中になると小腹がすくが、カップ麺を食べるほどではない。実家でろくに食事もせず飲んだくれていたときならいざ知らず、今は少なくとも栄養士の献立のもと3食を摂っている。小腹はすいても養分は充たされているはずだ。眠れないほどでもない。朝食の牛乳を冷蔵庫に取り置きして、その日の夜食代わりに飲む癖はついたが、パンは買い物先でたまたま特売だったり、たまたま旨そげだったものを購入した程度だ。そんな時だけ僕は、牛乳のお供にパンをかじる。

 何もない一日。このところ、入院患者らしからぬ忙しい日を過ごしているような気がしていたので、たまにはこんな日があってもいいんじゃないだろうか。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-06-17 02:07 | カテゴリ:断酒会

 目覚めると午前7時を過ぎていた。ラジオ体操に間に合わなかった。入院して以来、7時過ぎまで目を覚まさなかったのは初めてのことだ。
 朝の瞑想は、患者会の新会長となった54号室の町坂さんが今日から進行を担当する。副会長は52号室の利根川さんが務めることになった。


 午前9時半。心理士の田村さんが僕を呼びに来た。僕の性格とか能力とかの傾向を診る心理検査を行うためで、連休前にあらかじめ今日の日程を聞いていたのだが、すっかり忘れていた。
 心理検査を実施することについては、入院当初から説明を受けていたにも関わらず、いつまで経っても実施する気配がなかった。僕にしてみてもたかが心理検査、放っとけばそのうち声がかかるだろうとは思いつつ、何だか面白そうなのでちょっと楽しみにしている向きもあった。
 やがて、僕より遅く入院した迫さんなどが先に済ませたという話を聞いて、ひょっとして忘れられているのではと、それはそれで心配になり、何かの折にそれとなく看護師さんに訊いてみたところ、田村心理士から今日の実施を伝えられる運びとなったのだ。
 田村心理士は僕が最初に参加した学習会でレクチャーを担当した女性で、あとで訊いたのだが僕と同い年だそうだ。彼女が心理士の資格を取るべく勉強していたまさにその頃、僕は大阪で芝居にハマり、既に飲んだくれていたわけで、我ながら自分の人生の無駄遣いぶりに溜め息がでる。

 3階の『心理面接室』という狭い部屋のソファーに対面に座り、まずはいくつかの質問をされた。飲酒時の自分とそうでない自分についてだとか、どういうときに飲むかだとか、これまで何度も訊かれた質問の類だ。カルテを共有していないのか、それともこれも心理検査の一環なのかは知らないが、僕はこれまでミーティングや面談でしてきた話をそっくりそのまま繰り返して話した。
 1対1で、話す側と聴く側の分担がはっきりしていれば、芝居の舞台と同じ要領だ。そんなとき、僕はシラフでも実によく喋る。思った通り飛び出した「慣れましたか?」の問いにも、それを訊かれて僕がいかに戸惑うかを懇々と語り、自分のひねくれぶりを存分にアピールした。
 そのあとは、質問項目の書かれた用紙を渡され、チェック方式の性格傾向検査を行った。質問は100以上にのぼり、今日の検査は面談を合わせ1時間を越えて終了した。週明けの月曜日に2回目の心理検査、次回は能力傾向の検査を行うという。


 5ーB病棟へ戻ると、既に10時45分になっていた。昨日大田看護師に誘われた、10時半からの料理グループへ参加するため、会場の教室へ向かう。
 教室では、エプロンにヘアキャップをつけた康平くんたちメンバーが、せわしなくがちゃがちゃと動き回っていた。僕も大田看護師に促され、同じ装備に身を包む。
 2、3日前あたりから看護実習で病棟へ来るようになった学生の女の子ふたりも、ARP体験のため料理に参加していた。慣れない手つきで、デザートに使うフルーツ缶を缶切りで開けている。プルトップ式の缶詰が主流になって、缶切りを使ったことがほとんどないらしい。

 それはそれとして、僕はものの10分でここへ来たことを後悔し始めた。
 みんなで賑やかに楽しそうにやっている、その中へ入れない。僕が声をかけることで、しらけた雰囲気にならないか。何だか無性に怖くなり、ひとりで勝手に疎外感に襲われて、挙げ句に悲しくなってくる。
 ―― ここに来るのはまだ早い。調子に乗って安易に誘いを受けたのは間違いだった。
 かといって、今すぐエプロンを脱いで出て行くのも感じが悪いものだ。そういうときは、できるだけ存在を殺して時間が経つのをひたすら待つ。そして、逃げるのにちょうどいいタイミングを探すのだ。
「どうですか? だいたいいつも、こんな感じでわいわいやってるんですよ」
 大田看護師に声をかけられ、小声で正直に答えた。
「すいません、ちょっとまだ僕には無理みたいです」
「今日は見学ですし、ただ見てるだけで大丈夫ですよ。メンバーになってくれたら、どんどん手伝ってもらいますから」
 僕が役に立ってないので、恐縮していると思ったのだろう。大田看護師は明るくそう言ってくれたが、居心地の悪さは変わらない。
「でも、ただ突っ立ってるのもアホみたいですよね」
 思わず本音が口をついた。言動がそもそもひねくれている。
「じゃあすいません、まな板を洗って片付けてもらっていいですか?」
 不快な表情ひとつ見せずに、大田看護師が僕を手招きする。

 僕は結局、フルーツ缶をひとつ開け、まな板を2枚洗って戻し、ホワイトボードに書かれたレシピの分量通りに、合わせ調味料を作った。その間、大田看護師や作業療法士さんら病院スタッフは、まるでテレビの料理コーナーにゲスト出演した大物俳優に接するように「わざやざすみません」「ありがとうございます」などとしきりに僕を気遣うので、今度は何だか申し訳なくなってきた。

 最後の仕上げ前にタバコ休憩に入ったあと、いったん会場教室へ戻ったものの、限界を感じて大田看護師にエプロンを返した。
 せっかく誘ってくれたのに、途中で出て行くことを詫びると彼女は、
「大丈夫、私何度でも誘いますから」
 と明るく言って笑った。

 料理の見学が完全なフライングに終わったことに、僕はすっかりヘコんでしまった。
 このとき僕は知らなかったのだが、料理のメンバーは昼食を自分たちでつくって食べるため、事前に看護師さんの手配で、病院から出す通常の昼食をキャンセルしなければならない。それをしていない見学者はあくまで見学者であって、文字通りただ見ているのが原則だ。そして例え1回きりと分かっていても、前もって参加の意思表明をしたメンバーの人数でその回のメニユーの予算が決まる。つまり、今日僕がどれだけ酢豚をつくるのに貢献しても、見学者の僕は酢豚を食べられないのだ。病院スタッフしてみれば、そんな僕に手伝わせるのが忍びなくて「すいません」「ありがとうございます」と気遣う言葉が、必然的にでてくるのだ。
 そんなことなど知る由もない僕は、ただヘコんだ気持ちで通常の昼食を摂り、今日は大成功だったとあとで聞いても、ただ情けないのと申し訳ないだけで、酢豚の出来なんかどうでもよかった。1時半からの創作も見学に行こうと思っていたが、正直怖くなった。



 勝瀬さんにも勧められた創作ARPの革細工。考えてみればひとりでの作業だし、これなら大丈夫かと必死で気を持ち直して、7階のアトリエへ初めて足を運んだ。
 アトリエと聞くと、最近は小洒落た展示場のイメージを浮かべる人もいるかもしれないが、7階のそこはまさしくアトリエで、要するに作業場だ。
 5ーB病棟の患者数人が作業に勤しみ、大理石に載せた牛革に木槌で刻印を打ち込む音がゴンゴンと響いている。さっきまで酢豚やフルーツゼリーを作っていた康平くんや丸谷さんも既に作業中で、康平くんはキーケースを、来週退院で創作は今日が最後となる丸谷さんは「凝った何か」の仕上げに取りかかっていた。ほかにも勝瀬さんが黙々と手を動かし、福井さんは「オレァこの道何十年でよォ…」と相変わらす口を動かしていた。

 僕のような初心者向けに市販のキットも用意されているのだが、指導にあたる作業療法士の一宮さんに、過去に患者が仕上げた作品をお手本として見せてもらった。僕はその中のひとつを参考に、ちょっとした理由もあって、比較的簡単なカード入れを作ってみることにした。
 型紙に沿って牛革を切り取り、刻印で模様を打ち込んでいくのだが、ここでいきなりセンスを問われる。花や星や葉っぱといった絵柄のついた、いくつかある刻印の中から適当なものを選んで、犬が駈けているシンプルなデザインにしてみたが、木槌を叩く力加減やまっすぐ打ち込むのはなかなか難しい。離脱症状で手が震えてなんかいては、とてもできない作業だ。
 僕のイメージとしては、ベースはシンプルでも、裏面から折り返して留め口になる部分は独創的で、少し凝った模様にしたい。中央にボタンがつくことを加味してデザインを考える。失敗を恐れて何事にも慎重な僕は、余った牛革にいろいろと刻印の試し打ちをしてみる。そんなところで今週は時間となった。
 ―― これなら、俺でも参加できるかもしれない。
 そう思った。出来はともかくとして。


 午後3時半からは、断酒会の『柏ノ丘例会』に参加した。以前から和代さんに誘われていたもので、柏ノ丘病院のある西町の断酒会が週に1回、定例会合としてこの病院で行っている集会だ。西町地区だけでなく、この街にあるいくつかの断酒会のメンバーも参加している。
 アメリカ発祥のAAを参考に日本で創られたのが断酒会だが、AAとは対照的に会員制だったり会費の負担があったりと、内と外の線引きがはっきりしているようで、こちらはこちらでまたずいぶんと日本的な匂いがする。
 会員制といっても、ARPの一環でもある例会に参加する患者は会員じゃなくてももちろん構わない。今日は僕を含めて12名が参加していたが、5ーB病棟の患者は僕と和代さん、迫さんの3人だけだ。会員の座る席のテーブルには、三角柱の名札が立てられ、名前の横には所属の断酒会の名称が書かれている。本名を明かすところもAAとは異なる点だ。
 ちなみに和代さんは中央町の断酒会に既に入会済みで、彼女の席にも何だか誇らしげに名札が立てられている。また、5ーB病棟の入院患者ではないのに名札のない席に座っている女性もいるが、一般で非会員、つまりまだ入会に至っていないフリーの参加もOKなのだろう。

 会場となる教室の壁には断酒会の会旗が掲げられ、窓には『断酒の誓(ちかい)』という、6ヶ条の宣誓の文言を記した横断幕が吊るしてある。例会は一同起立して、この『断酒の誓』の唱和から始まるのだ。

 会長の進行で、ひとりずつ話をしていくのはAAと変わらない。議論の場ではないので、他人の話を否定したり、反論するのもAAと同じくNGだ。ただテーマは特になく、参加者は各自思い思いの話をしていた。
 和代さんは断酒会とAAの違いについて、
「断酒会では人の話が終わると拍手するでしょ? AAはそれがないから。だから私は断酒会のほうがいいのよ」
 と力説していたが、僕にはどうでもいいことだった。

 西町断酒会の北股会長は、60代前半~半ばくらいの上品な雰囲の男性で、一見するととてもアルコール依存症とは思えない。喉頭摘出をされたのだろう、いわゆる電気喉頭の装置を首に当てて食道発声し、会の進行を務めていた。
 僕はこの席でもまた同じ話を繰り返したが、僕が話し終えると北股会長は、
「あなたの年齢からすると、今がお酒を断ついちばんいいタイミングですから」
 と、声をかけてくれた。穏やかな表情の割に、何だか妙に迫力を感じた。


 夕食後、6番目となるAA「ちかぷ」に行ってみた。この病院では毎月第2金曜日のみミーティングを行っているグループだ。
 少し時間を過ぎていたが、会場教室のドアをノックして開けると、メッセンジャーの男性がひとりで待っていた。患者は誰も来ていない。いちばん恐れていた展開だ。わざわざ病院まで足を運んでいただいて、非常に気まずい思いがしたが、この際だから洗いざらい話して僕の独演会にしてやることにした。
「イザワ」さんというこのメッセンジャーの男性は50代だろうか。自身の話の中でこんなことを言っていた。
「アサヒの『スーパードライ』発売直前にお酒を断ったので、僕はあれを飲んだことがないんです。せめて一口飲んでからやめれば良かったですね、ははは」
 アサヒの『スーパードライ』が出て、世の中がドライブームになったのは、確か僕が小学校高学年の頃だ。30年近くも前だから、この男性はもっと年輩なのかもしれない。何にせよ、それだけ断酒を続けているのは凄いことだ。
 話の途中で勝瀬さんが入って来たため、結局僕は、またいつもと同じ話をした。テーマが『正直』だったので、かつて僕の断酒を支えてくれた人に「飲んでない」と飲みながら嘘をついたり、親元を離れてまさかアルコール浸けになっているとは言えるはずもなかったりと、正直でない自分について力点を置いたただけで、話の大筋は変わらない。

 AA「ちかぷ」のイザワさんは最後に、ある先輩の患者さんから聞いたこととして、次のような話をして結んだ。
「アルコール依存症は、入院1回で済むかが重要なんです。2回目があれば、10回入院するのも一緒だと。退院して家へ帰っても、まだ荷ほどきもしないうちに飲んでしまって、また病院に運ばれて来る。そういうことを繰り返してしまう人が、たくさんいるんです」

 今、既に何度目かの入院を余儀なくされている患者にとっては元も子もない話だが、勝瀬さんも僕もアルコール依存症の入院初心者だ。2度目の入院なんてあり得ない。例え断酒に失敗したとしても。

 AAのあと、喫煙室で勝瀬さんに話を聴いた。
 勝瀬さんは現役の美容師で、現在この街で奥さんとお店をやっている。営業中も焼酎が欠かせなくなってしまった勝瀬さんは、飲みながらマスクをしてお客さんに接していたという。どう考えても稚拙でかなり無理があるが、まともな思考を許さないところまでアルコール依存が進行していたということだ。
 子供はいないそうだが、今ひとりでお店を守っている奥さんのためにも「早くここを出たい」と話していた。そのために勝瀬さんは、AAに積極的に参加している。


 疲れた。
 今日1日で、心理検査と料理、創作、断酒会にAAと、駆け足で回り過ぎた感もある。ただこれで、この病院のARPで実施しているAAについては、6グループすべてに参加できた。このほかにも、断酒会の連合会や諸々のミーティングもあれば、院外の自助グループもある。AAにしても、1度や2度参加した程度ではよく分からない。
 正直僕の頭の中では、何がどれやらとっ散らかってきているのも事実だ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-06-14 11:38 | カテゴリ:SST

 午前9時の送迎バスで、米窪さんが転院のため病院をあとにした。転院先ではしばらく満足な食事は摂れないという。丸谷さんと康平くんと僕の3人で、3階玄関前のバス乗り場まで見送りに出た。10日~2週間後に米窪さんが戻って来たときには、このふたりはもうここを退院しているはずだ。


 僕のフレッシュミーティングは3回目となり、勝瀬さんと永塚さんのほか、節子さんという新しい患者が加わった。
 節子さんは、やはり独り暮らしの淋しさからアルコールに依存し、家族の奨めで先週入院してきた。自分を依存症と認めることができず、精神科への入院に抵抗を示していたものの、比較的自由な5ーB病棟の生活に、現在は落ち着いてきたという。
 あとで聞いた話だが、まだ50代だというのにずいぶんと老けて見える節子さんに、福井さんは「70歳ぐれェですか?」とにわかには信じられない失礼な質問をしたらしい。

 ミーティングについて僕は、参加を続けているうちにだんだん混沌としてきた。確かに人数が少なければ話の密度は濃くなるし、ほかの患者の話を聴くのも興味深い。けれども、自分が話す内容は当然同じものばかりになり、自分で自分の話に飽きてきた。ミーティングそのものが、どれも似たり寄ったりに感じ始めている。
 お酒に依存することで失うものがいかに大きいか。僕が引き返すことのできないところに来てしまったことは充分に分かった。僕が手に入れたいのは、お酒に逃げなくても集団に関わっていける自分、お酒に頼らなくても楽しいことを楽しいと思える自分だ。早く次のステップへ進みたいと、僕は焦っている。

 今週で勝瀬さんと永塚さんがフレッシュミーティングを終了する。永塚さんは来週ここを退院し、中間施設に戻ってまた一からやり直すそうだ。新しい入院ビギナーが入らなければ、次回は節子さんと僕のふたりだけが対象のミーティングになる見通しだ。


 ミーティング後のレクリエーションでは、先週に続いてエアロバイクをひたすら漕いだ。汗だくになりながら、30分で10㎞走破ができた。ミニバレーには当面参加できそうもない。しばらくはひとりで筋力トレーニングに励んでやる。


 木曜午前の森岡先生の回診は、今日も「どうですか調子は?」という質問から始まった。僕はいつものように、食べることと寝ることに問題はないと前置きしつつ、夜になると襲われる孤独感と不安についてと、自分程度の症状ではここにいてはいけないのではという思いが日増しに強くなっていることを、主治医に初めて直接打ち明けた。
「γーGTPが220以上というのは、立派に悪いです。中には2,000を越える人もいるけど、正常値は70以下なんだから」
 それは知っています、とは言えなかった。γーGTPが正常値に戻っても、僕の屈折したココロがまともになるわけではない。
「まあ不安になるのはもっともですが、そういうときは薬を飲んでいいですよ。2~3時間は効き目があります」
 ―― どうせなら、一生効くクスリが欲しい。頭の中だけで、無茶な要求をしてみる。
「焦らずに、しばらくは低空飛行をしてください」
 と先生は、一見分かるようで分かりづらい表現を使って診察を終えた。急激に高度を上げてもバランスを崩して墜落する、という意味だろうか。でも正直、僕は焦っている。呑気に低空を飛んでいては、山に衝突しやしないか。


 昼食後の薬を貰いに詰所へ行ったとき、大田さんという女性看護師から声をかけられた。僕と同じか、もう少し若いくらいの歳に見えるが、米窪さんによると40歳を少し過ぎているとかで、高校3年と2年、それに小学校5年の、3人の男の子の母親なのだそうだ。余計なお世話だが、ちょっとふくよかな看護師さんだ。
 病院スタッフはみんな僕なんかよりはるかにしっかりした大人だ。ちゃんと自立して医療に携わる立派な仕事をしているのだから当たり前なのだが、それにしても看護師さんの年齢は本当に分からない。大田看護師は実年齢より若く見えたが、多くの看護師さんは僕の印象より本当はもっとずっと若いのかもしれない。もっとも僕のような、年齢に中身が伴っていないアル中を基準に年齢が上だの下だの推測しても仕方がないことで、僕が勝手に見た目で判断している年齢はまったくの憶測で、あてにはならない。

「サトウさん。明日の料理グループなんですが、良かったら一緒にどうですか?」
 料理は作業療法のひとつで、第3を除いた毎週金曜午前10時半から、調理器具のある教室で行われている。予算内で入院食に代わる昼食のメニューをあらかじめ決めて、グループメンバーで作って食べる、という自主参加のARPだ。リーダーの康平くんをはじめ、現在のメンバーは丸谷さんら退院の近い人が多く、米窪さんもメンバーのひとりだったが一時転院となったため、このままではグループ存亡の危機なのだそうだ。
 まずは調理師免許を持つ節子さんを顧問的扱いで招き入れることに成功したものの、まだまだ厳しい人数にあるという。
「メンバーになったら、おいしいものがたくさん食べられますよ。まずは見学だけでも、ぜひ来てください」
 愛嬌のある笑顔で、そう誘われた。ちなみに明日のメニューは酢豚だという。康平くんも丸谷さんも、既に一緒に散歩に行って何度も話をしている。
 ―― このメンバーなら。見学程度なら。
 そろそろいろいろ挑戦してみなければと思い始めていた僕は、
「とりあえず、行くだけ行ってみます」
 と気軽に答えた。


 酢豚の材料を買い出しに行くという康平くんらと一緒に、午後2時の病院バスに乗った。バスは西町駅行きだが、途中のスーパー柏ノ丘店前で下車ができる。料理メンバーは少し離れた別の食料品店で買い物をするというので、僕は彼らと別れてひとりで柏ノ丘店で日用品を買い、ついでに夜食用のパンを買った。
 木曜は特売日とのことで、1個108円のパンに絞っていくつか選び、レジへ持って行ったが、合計金額が明らかにおかしく、高かった。
 何も言えずに支払いを済ませて帰ろうとすると、僕の表情でミスに気付いたのか、レジの女性店員が「すみませんお客様、間違えました」と呼び止め、会計をやり直してくれた。
 そのまま徒歩で病院に戻る途中、郵便局のATMへ立ち寄り、100円単位まで残りの預金をすべて引き出した。しめて42,000円程度。入院してからというもの、タバコの消費が異常に激しいので、今後は何とか切り詰めなければならない。
 何たって、先月はろくに出勤していないのだから、これ以降収入の当てなんかないのだ。


 病院へ戻り、少し遅れてSSTに初めて参加した。SSTとは『ソーシャル・スキルズ・トレーニング』の略で、要するに社会技能訓練のことだ。
 社会技能といっても、いわゆる職業訓練のことではない。頼みづらいことを頼んだり、お酒や薬物の誘いを断るといった具体的なシチュエーションを想定して、コミュニケーションを図るうえで苦手な部分を練習する、というARPだ。第3を除く毎週木曜の午後3時から行われている。
 ―― これこそ、俺が参加しないといけないプログラムじゃないか。
 デイルームに貼り出してあった、SST参加を呼びかける手書きポスターを見て、前から気にはなっていたが、看護師さんには「こういうのはおいおいでいいですよ」と、まずはミーティングなどの必須プログラムにきっちり参加するよう言われたため、それ以上特に訊くこともしていなかった。
 普段担当している牛本看護師主任がお休みになったため、今日のSSTがどうなるのかはっきりしていなかったようだが、買い物へ行く前に看護師の細池さんが病室へ周知に回って来た。
「今日のSSTですが、予定通り3時から行います。皆さん参加してくださいね」

 細池さんは5ーB病棟の看護師の中でも特に若い女性看護師だ。控えめで可愛らしく、少しぽっちゃりしているところを町坂さんなどによくからかわれている。
 先日僕がふさぎ込んでベッドに籠っていたとき、用事があってやって来た彼女に不意にカーテンを開けられて、心臓が止まるほど動揺した。神経過敏になっていた僕はつい感情的になり、泣きそうになりながら抗議すると、彼女は「お返事も聞かずに勝手なことをして、本当にすみませんでした」と、何度も僕に頭を下げた。
 そこまでさせてしまったことで、それ以来僕は、細池看護師に何となく後ろめたさを感じていた。

 そんな彼女の呼びかけにも、みんなはあまり関心を示さなかったが、
「主任がお休みなので、今日は小里さんと葉山さんが担当します」
 と伝えられると、途端に食いつきの度合いが変わった。

 少し遅れて会場の教室に入ると、丸谷さん、康平くん、福井さん、和代さん、勝瀬さんなど10人以上の患者が輪を組んで椅子に座っていた。長机は教室の隅に片付けられている。小里さんと葉山さんという、若い女性看護師のツートップが担当するとあって、聞くところの普段の人数より盛況のようだ。
 既に『ウォーミングアップ』なるものが一巡したところで、僕が着席すると、隣で進行を仕切る小里看護師に尋ねられた。
「今、皆さんに伺ってたんですが、今日の気分を色で例えて教えてくれますか?」
 SSTではいつも、本題に入る前にこうしたウォーミングアップでちょっとした遊びをして、緊張をほぐすらしい。僕は思いつくまま「グレー」と答えた。5月の風景がどんなに春を象徴する色を見せても、僕の不安定なアタマではくすんだグレーにしか映らない。

 本題に入り、小里看護師から『お酒を断った入院生活で何を感じるか』とかいった、どこかのミーティングでとっくに聞いたようなテーマが挙がったので、僕は前から訊いてみたかったことを逆に尋ねてみた。
「小里さんは、お酒飲みますか?」
「私ですか? 付き合いではありますけど…家では飲まないですね」
「じゃいつも、家では何してるんですか?」
 小里看護師は「うーん、何してるかなあ…」と、少し考え込んでしまった。
 自分に自信が持てない僕の場合、確かに人とコミュニケーションをとるために飲み、そして酔うために飲む。でもそれだけではなく、例えばレンタルしたDVDを観るときも、たまにカレーでも作るときも、飲めば楽しみを割り増しさせたり、気分を乗せることができる。僕のそんな申告に、勝瀬さんが「それはオレもよく分かる」と同調した。
 ただこれは、言い換えればお酒以外に、楽しいことをより楽しむための方法を知らないだけだ。あるいは、それが楽しいことであると、お酒を飲んで確かめたいのかもしれない。そして気がつくと、お酒がないと何もできず何も楽しめない、ただの病人になってしまった。
 一宮さんという、同席していた若い作業療法士(OT)の女性が、小里さんの代わりに答えてくれた。
「私は仕事が終わって家へ帰ると、とにかく母とよく話をします。他愛のない話でも、何でもです」
 僕は父や母と、飲まずに他愛のない話をしたことがどれだけあるだろうか。

 今日のSSTではほかにも、西尾さんというラジオ体操常連の男性患者から「皆さんに訊きたい」と話題が持ち上がった。
 60代半ばくらいの西尾さんは、好きな晩酌を日課としていたが、やがて周囲から飲み過ぎを指摘されるようになった。そこから入院に至るまでの詳細は聞いていないが、いろいろ紆余曲折があったのだろう。いざ入院となっても、自身のアルコール依存症をどうしても認められなかったという。節子さんと同じケースだ。
 依存症は一般的に『否認の病』といわれていて、自分は人より少し酒好きなだけ、などと考えて依存傾向に気付かない。自覚がないから周囲に相談することもないうえ、そうでなくても元来理解されにくい病気だ。その間も依存は進行し続け、ようやく家族などが気づいたときには、かなり深刻な状況になっていることが多いそうだ。それでも当人は、肉体的な疾患で内科の治療には応じても、ココロの病で精神科治療が必要な依存症とはなかなか認めたがらないという。
「皆さんは、いつ、どうやって依存症を認めるに至ったんでしょうか?」

 西尾さんの問いについて、僕は自分のケースを話した。
 僕は割と早くから、自分がアルコール依存者だということは認識していた。もともと意気地のない性格をフォローするのにお酒が有効と錯覚し、大阪での生活2年目の19歳から連続飲酒が始まって、それからいくらも経たないうちに、お酒がないと何もできなくなってしまったからだ。さっきスーパーでパンの会計を間違えられたのに指摘ができなかったのも「何もできない」ことのひとつだ。自慢にも何にもならないが、自覚だけはあった。6年前、当事の彼女に連れられてアルコール外来に行き、初めて医師から依存症と診断された。それでも僕は、それを放置し続けたのだ。

 ホワイトボードにみんなの意見を要約して書き出していた葉山看護師が言った。
「お酒に頼る理由として、自信がないとか弱いとか指摘できないとか、皆さん悪い部分を挙げてるけど、そういう悪いところも含めて、私はそれでもいいと思うんです」
 ――「それでもいい」とは、どういう意味なんだろう。僕にはよく分からなかった。

 通常SSTは、ウォーミングアップから始まり、課題を選出し、その解決方法について話し合い、ロールプレイを実施してみる、という流れになっているらしい。今日はミーティングに終始したが、西尾さんはこのSSTを「とても爽快で晴れやかになる、楽しみな時間です」と絶賛していた。その西尾さんは退院が近く、今回のSST参加が最後になるそうだ。来週は第3木曜のため次回は再来週、通常通り牛本主任が担当する。西尾さんのようにはいかないかもしれないが、僕は次回ももちろん参加するつもりだ。ミーティングもいいが、このプログラムがトレーニングである以上、僕にとってそれはそれで絶対に必要なものだからだ。


 午後6時半。先週は女性グループ「オリーブ」のAAに参加したが、第2~第5木曜は今日初参加となる「ぱはろ」のミーティングが行われている。といっても今日の参加者は、今日入院したばかりの40代と覚しき男性患者と僕だけで、メッセンジャーにはふたりの男性が来られていた。テーマは『お酒についての無力』。
 ここまでAAに出続けて思ったことだが、断酒という目的が明確である以上、どんなテーマでも全く同じ話でどうとでもこじつけることができる。だからなのか、特に話したいことがあればあまりテーマにこだわらなくて構わないということになっているのだが、今日も僕はいつものミーティングと変わらない話をした。
 例え『お酒とワールドカップ』『断酒と集団的自衛権』などとテーマを出されても、またいつもと同じ話で押し通せるような気がするが、いかがなものか。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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2014-06-13 10:24 | カテゴリ:ミーティング

 最近、5ーB病棟の一部患者の間で流行っているのが『立体四目並べ』だ。4列×4列に棒が突き刺さった正方形の木板に、穴がくり貫いてある白玉と黒玉をそれぞれ交互に通していき、自分の色で4つ並べて縦横斜めいずれか1列つくれば勝ち、というシンプルなゲームで、康平くんなどは日がな一日対戦相手を求めて彷徨っているときもある。
 僕はこの種のゲームがまるっきり苦手だ。次の一手二手、と先を読むことができない。つくづく戦国武将なんかに生まれなくて良かったと思う。またプレッシャーにも弱く、周囲にギャラリーなんかがいるとたちまち集中力を吸い取られてしまう。
 それでもときどき、奇跡を信じて康平くんや米窪さんの相手をするが、やっぱりほぼ勝った試しがない。


 水曜のビギナーミーティングは3回目を迎えた。新しく入った患者を含め、今日は11人の参加となった。沼畑師長からのテーマは『最近の気分、体調について』。
 このミーティングは他病棟の患者さんも参加しており、師長以外にリハビリ課の作業療法士(OT)さんや、ほかの看護師さんもサポートのため同席する。当たり障りのないテーマのときは患者に混じって発言もするが、連休明けのせいか、気分が乗らないだの体調を崩しただのと告白したのはむしろ病院スタッフのほうだった。人のケアしてる場合か。
 もっとも、ぼんやりとしながらも鬱屈を抱えているのは患者も同じで、ミーティングルームの何となく重く沈んだ空気がそれを示している。僕はその空気をさらに重くすべく、
「気持ちの浮き沈みが最近特に激しいです。日を追うごとにどんどん状態が悪くなってきている気がします」
 と、正直に心境を答えた。

「この季節はなんか、皆さんを憂鬱にさせるみたいですねー」
 師長はすべてを春のせいにしてこの話題を終わらせ、次のテーマを募った。
 麻友美さんから『飲酒欲求はあるか、あるとすればどんなときか』というテーマが挙がった。これについては概ね、飲みたいと思うことはあっても入院中は抑えが利くという人と、病院での生活では飲酒欲求は生じないという人に分かれた。
 ここは社会的生活から一線を引かれた場所で、患者もスタッフも「依存症」という病に理解がある。そうした意味ではストレスははるかに少なく、僕も今のところはお酒を飲みたい衝動に駆られることはない。ただ、ここを出てもとの生活に戻ったときに、お酒に逃げずに自分を維持できるとは、今の時点では到底思えない。僕はまだ、ココロの問題を解決するために何も前へ進めていないのだ。

 ミーティングが終わって部屋を出たところで、同席していた葉山看護師に呼び止められた。先日、僕が詰所に入れず結局何も話せなかったうえ、心配してわざわざ様子を見に来てくれたのに追い返してしまったことを気にかけてくれていたのだろう。
「さっきサトウさんが言ったこと、こないだはそういうことを相談したかったんですか?」
 僕はミーティングで「日を追うごとにどんどん悪くなってきている気がする」と言った。看護師さんにしてみれば、到底看過できない発言かもしれないが、僕は正直にテーマに回答しただけだ。でも、どうして僕はそう感じるのだろう。
 重い疾患を抱えたほかの患者を目の当たりにしたり、話を聴くうちに、いつの間にか僕は、自分の症状はとても軽度で、本来ここにいてはいけないのではないかと思うようになっている。それでもというか、だからこそなのか、孤独感や不安は日増しに強くなっていく。自分の力だけではどうにもならないことを痛感したからこそ、父に負担をかけさせてまで入院したのに、この期におよんでも自分から医師や看護師に打ち明けられないでいる。そして、すべてに後ろめたさを感じている。
 病棟廊下の壁に仲良く並んでもたれかかったまま、僕は自分よりひと回りも歳の若い女性看護師に、思いつく限りの言葉で今の気持ちを伝えた。
 ―― 俺、何やってんだろ。高校生か。
 情けないのはいつものことだが、恥ずかしさはなかった。彼女は僕なんかより、ずっと大人なのだ。
「詰所に来づらいようだけど、看護師のほうから、またお話を訊きに行くのはいいですか?」
 もちろんです、と答えた。本当は時と場合によるのだが、その優しさに思わずそう言った。


 葉山看護師の気遣いは嬉しかったが、いつものようにだんだん申し訳ない気持ちになってきた。僕は面倒な患者だ。
 昼食後も気分が晴れず、散歩に誘われても外へ出る気になれなかった。丸谷さんや米窪さんたちの外出後、喫煙室へ行くと福井さんがいた。
 てっきり一緒に散歩に行ったと思っていたので「散歩、行かなかったんですか」と訊くと、
「あれ、ナンだ。みんな行っちまったか。サトウちゃん行がねのか?」
 逆に訊き返された。
「そういう気分になれなくて、今日はちょっと」
 福井さんは「ンだか…」と呟き、少しの間何か考えたあと、努めて明るく僕に言った。
「だけどまあよォ、気分が晴れねンだば山でも行って、ベンチでぼーっとしてンのもいいぞォ。ベッドでじーっと考え込んでるよりずっといい。今から一緒に行ぐか?」
 外出する気になれないから散歩に出なかったという話をしているのに、気晴らしに山へ誘うというこのパラドックス。一見深いようだが読み違えてはいけない。これは「オレは脳が腐ってる」を自称する福井さんの、純粋な優しさと励ましだ。泣けてくるほど嬉しかったが、同時にまた、親子でもおかしくないくらい歳の離れた相手に気を遣わせていることが申し訳なくなり、何だかんだと理由をつけて、せっかくの誘いを断ってしまった。


 午後になって、野間さんの退院以来空いていた左隣のベッドに新しい患者が入院した。高津さんという50代後半の男性だ。例によってカーテン越しに聞こえる看護師さんとの会話では、過去この病院には6、7回の入院歴があるが、断酒はこの9年ずっと続いているそうだ。今回は「何だかまた飲みたくなった」ので、1クールの入院を希望したという。
 3ヶ月も病院のベッドで過ごす理由が本当にそれだけなら、何ともお気軽な話だが、いろいろ事情があるのかもしれない。看護師やら薬剤師やらソーシャルワーカーやらが入れ替わり出入りするのは、単に入院初日だからなのだろうか。
「あの看護師、名前何つったかなあ…今もおると? 俺が前に入院したときは、まだ看護師なりたてだったっちゃろ」
 九州訛りの物言いが、少し横柄な感じにも聞こえてしまうが、この街に来て25年になるらしい。そんな話も耳に入る。
 点滴なのか採血なのか、小里看護師が針を刺すのにうまくいかず、急いで替え針を取りに戻ったとき、カーテンの向こうから、
「…ここの看護師は相変わらず、注射下手クソやな…」
 と、舌打ち混じりの独り言が聞こえた。


 夕食後のAAは、水曜定例のグループ「ヒナドリ」に参加した。先週、雪絵さんに連れられて、僕がいちばん最初に行ったAAグループだ。前回はメッセンジャーとして夫婦が来られたが、今週は別の男性ふたりが来て、テーマは『無力』。僕のほかに丸谷さん、勝瀬さんと、利根川さんという患者の4人が参加した。52号室の利根川さんは50代前半の男性で、元競輪選手だそうだ。普段は病院外でのAAに出かけて行くことが多く、院内でのAAで僕と一緒になるのは初めてだ。
 AAの院内ミーティングで、例のハンドブックの一節を読んだあと、まずはメッセンジャーの方から自身の体験を話し始めることが多いのだが、今日は最初に発言したグループの男性がのっけから長々と語り、1時間強のミーティングのうち、ひとりで30分ほど喋り続けていた。
 20分を過ぎたあたりから、もうひとりのメッセンジャーの方がさりげなくメモを渡して話をまとめるよう促していたが、それでも終わる気配がない。自分でも話の着地点が分からなくなったのだろう。しまいにはあからさまに肩を叩かれる始末で、僕は笑いをこらえるのに必死だった。自身の生い立ちから半生を語られても、聴く側はただ黙って耐え忍ぶしかない。結局、いよいよ肝心のテーマ『無力』に言及しかかったところで巻きが入り、
「まあ、そんなこんなでいろいろありました、はい」
 と、もの凄い端折られ方で唐突に終わった。
「話すこと」と「聴くこと」。その役割があって、初めてAAが成立している。明日は毎月第2~第5木曜実施のAAグループに初参加する予定だ。


 夜のデイルームでは、男性患者11人がテレビに釘付けになっていた。IBF世界フライ級、ミニマム級タイトルマッチ。
 そんなボクシング好きのみんなをよそに、僕は喫煙室でひとり、不安と孤独感に包まれてタバコを5本、6本と続けざまに吸う。ラウンドの合間にCMが入るたび、一息つこうと誰かが喫煙室の入口を開ける。僕の様子を見て、声をかけてくれる人がいる。入院当初はなかったことだ。
「悩むことで悩むな」と平嶋さんが言う。この街で有名な国立大学の先生の言葉だそうだ。
「何とかなるさ、くらいの気持ちでいかないと」と峰口さんが言う。
 完全治癒することがない進行性の病気の患者が、同じ病気の患者にかける言葉は含蓄も説得力も持たない。だけどそこには、同じ辛さを経験した「共有」と「理解」がある。

 ここにいる限り、少なくとも僕は孤独ではないはずだ。まずは、この場所から始めなくてはいけない。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていすただいています。


【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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