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2014-05-31 23:20 | カテゴリ:外出・散歩

 昨日の夕方、両親が着替えを持って来てくれた。実家の部屋のクローゼットに眠っていたせいか何となくカビ臭かったので、午前中にそれらをまとめて洗濯した。
 入院してアルコールを断ってから、僕は人並みの清潔感をいくらか取り戻したような気がする。4年前に16年ぶりの実家暮らしに戻って以来、洗濯こそ母に頼んでいるが、シャワーを浴びることも、顔を洗うことも、歯を磨くことも面倒になっていた。
 お酒を飲んで酔っ払うと、身の回りのことすべてが億劫になる。部屋は散らかり放題で、ベッドの上の汚れた布団にくるまって寝ていた毎日。退院して新しい生活を迎えたとき、極めて当たり前で健全な、フツーの人のフツーの習慣を、僕は身につけているだろうか。


 午後3時。病院に隣接する柏山へ散歩に出た。正規のルートから入ると、いったん坂を下ってかなりの迂回をすることになるので、病院裏の敷地内から舗装されていない細い山道、というか獣道を登っていく。すぐに山中の遊歩道に出るので、そこから山の展望広場を目指すわけだが、時間はあるのでわざと遠回りしてみた。
 遊歩道があるとはいえ、高い樹木が生い茂る立派な山なので、登り下りの勾配はなかなかの運動になる。途中のベンチで高校生のカップルだろうか、男の子が女の子にギターを弾いて聴かせている光景に遭遇した。大きなお世話だが、純朴そうな彼らが将来僕みたいな依存症にならないことを切に願いつつ、歩みを進める。
 やがて山の中腹と思われるあたりまで歩いたところで、山小屋ふうの休憩施設に出た。
 すぐ真下が完全整備された広い駐車場になっていて、日曜日だけに親子連れの姿が行き交っている。そこから斜面に沿って造られた階段を上れば、ここまで一直線に来られるような設計だ。綺麗で整ってはいるけれど、人工的な感じは否めない。
 そう思いながらふと斜面に目をやると、一面にツクシが生い茂っていた。足場の悪い急斜面に無理な体勢でへばりつき、ビニール袋を片手にツクシを摘んでいる夫婦らしき中年の男女もいる。
 ―― ツクシなんて、何年ぶりに見ただろう。というより、何年ぶりにツクシを意識しただろうか。
 風に吹かれて小刻みに揺れるその小さな頭を、指でそっと撫でてみた。

 さらに 300mほど歩いて行くと、時計塔と鐘のオブジェが建つ展望広場へ出た。この広場自体が緩やかな斜面で、等高線のような段々状になっていて、階下には噴水があり、子供たちがはしゃいでいる。
 その先には、この街の中心部から隣町まで一望できる景色が広がっていた。

 既に陽は少し傾いていたが、日曜の午後を閑かに過ごす人は多かった。
 サッカーのパス練習や縄跳びで遊ぶ親子連れ、手をつないで仲睦まじくデートするカップル、ウォーキングを兼ねて犬の散歩をする夫婦。みんな幸福そうに見えて、自分だけがひとり、ぽつんと置いて行かれているような気持ちになる。
 僕の心は卑屈で、歪んだままだ。


 淋しくなってきたので、早めに切り上げて病院へ戻った。あの展望広場からの景色や、そこに集う人たちを見て、僕が本当に穏やかで微笑ましい気持ちになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-05-31 13:23 | カテゴリ:病棟の人々

 森岡先生は「どんなに運動で汗をかいても、不眠症の人は寝付けないものです」と言っていたが、病院周辺の坂道を歩き回った疲れからか、昨晩は薬なしでもあっさり寝付くことができた。どうやら僕は不眠症ではないらしい。

 土日はARPのミーティングがほぼ組まれておらず、とりわけ土曜日は外泊する患者も多いうえ、精神科には見舞いに来る人もめったになく、病棟内は静かだ。

 僕は相変わらす『空白のシャワータイム』を見つけては速攻でシャワーを浴び、1回 200円の共用洗濯機も空いている隙を狙って利用している。
 乾燥機は無料で使えるが、一度にたくさん放り込んでも乾かないので、こまめに洗濯する必要がある。天気のいい日はデイルームのベランダで日干しする人も多い。
 入院生活で洗濯が楽しくなったという、僕の右隣のベッドに入る40代前半くらいの米窪さんは当初、洗剤の代わりにボディシャンプーを投入して洗濯機を泡まみれにしたそうだが、今では洗面所でバケツに付け置きしての手洗いに勤しんでいる。

 少しずつ、少しずつではあるが、病棟内の患者さんたちと話す機会は増えてきた。喫煙室は何げない会話をするのに適している。
 それでも依然僕の情緒は不安定なようで、時折猛烈な不安と自己嫌悪に襲われる。ベッドのカーテンは、まだ閉めきったままだ。

 僕のベッドの左隣、野間さんという患者も、同じくカーテンを閉ざしている。たまにタバコを吸いに喫煙室へやって来るが、あまり姿を見かけない。1日中ほとんどベッドに籠り、大きなイビキをかいて寝ているか、ポータブルプレイヤーか何かでDVDを観ているようだ。ARPのミーティングに参加している様子もなく、朝の瞑想にもめったに出て来ない。歳は40代半ば~後半だと思うが、飲酒の影響で何か重い疾病を抱えているらしい。その割に、昼夜を問わずボリボリという何やらお菓子をむさぼり喰う音が、ベッドサイドのカーテン越しに頻繁に聞こえてくる。

 今日もカーテン1枚を隔てた先から、薬をきちんと飲まず、点滴もおとなしく受けようとしない野間さんを心配して、ちょくちょく様子を見に来る担当看護師さんとの会話が、はばかることなく漏れ聞こえてしまう。
 野間さんの担当看護師は、前上さんという僕より少し年上の女性だ。どこか擦れて投げやりな感のある野間さんと真摯に向き合う彼女とのやり取りは、ほとんどが他愛ない世間話なのだが、遠回しな人生相談のようにも聞こえる。
 不安を抱えた患者は卑屈にもなるし、横柄にもなる。自尊心を守るのに精一杯の人もあるかもしれない。そんな患者の話し相手になって、患者の気持ちを少しでも軽くする。
 ―― 患者が話をしづらい人というのは、看護師にはなれないなあ ―― などと考えながら、カーテンの向こうの会話に耳を傾けてみる。

「こないだ貸した『Lの世界』観た?」
「観ましたよー。ジェニファー・ビールスが良かったー」
「明日出勤なの?」
「うん。明日はねえ、夜勤です」
「俺、前上さんに手紙書いたから。後で読んでよ」
「えー嬉しい、ありがとうございますー!」

 看護師とは、ごくごく限定的な面においてキャバ嬢に似ている。真面目にそう思った。
 前上看護師に手紙を書いて渡した野間さんは、今月いっぱいで退院して、この街から 140㎞離れた地元へ帰るということだ。そのあとは、現地の専門内科への転院を勧められているらしい。


 病院内が乾燥しているせいなのか、栄養状態が急激に良くなってカラダが驚いているのか、顔がガサガサになっている。右手の甲には発疹もできて、とても痒い。お酒は断っても、僕にはまだまだ潤いが足りない。
 夜、歯を磨きに洗面所へ行くと、麻友美さんがいた。いつの間にか、背中まであった彼女の長い髪は、肩の辺りまで短くなっていた。
 僕は顔のガサガサや手の甲の発疹について、何気なく話してみた。彼女は僕の手を取って見ると、
「あ、これ結構イッてるねー。ワセリン塗ってもらいなワセリン」
 そのまま洗面所横の看護師詰所へつかつか入って行き、
「すいませーん。彼、なんか蕁麻疹みたいのできちゃってるんですけど」
 と告げるだけ告げて、後ろからおずおずと詰所へ入って来た僕を残してさっさと洗面所へ戻って行った。
 詰所にいた若い男性看護師は、何やら怪しげなチューブからクリーム状の塗り薬を僕の手の甲にぼっとり落とし、すり合わせてよく塗り込むよう指示してくれた。
 こんもりと盛られたクリームをもて余しながら洗面所へ戻ると、麻友美さんが声をかけてきた。
「何塗ってもらった? 顔は? 顔やってもらわなかったの? 顔ちゃんと変えてもらわないと」
 この人はせっかちなのか、ときどき日本語が意味不明になる。それでいて面倒見がよく、今度はもうひとりの夜勤の女性看護師を呼びに行ってくれた。
 すぐに飛んで来てくれたベテランの千葉看護師は、他に発疹が出ているところがないか、女性らしい気配りで僕の首やら背中やらをチェックしてくれた。
 けれども、何やらだんだん話が大袈裟になっていくのが恥ずかしくなってきた僕は、この際だとばかりに歯茎が腫れて痛い、と話題を変えた。

 せめて食事のあいだ、奥歯で穏やかに、レンコンだのタケノコだのを噛みほぐせればありがたい。僕としてはその程度の些細な訴えにすぎないのだが、これについても、夜も眠れずにのたうち回って苦しんでいるようなAクラスの症状を前提にされるものだから、気を抜くとすぐに話が大袈裟になってしまう。医療従事者の性なのだろうか。
 病院に限ったことではないのだが、僕が「ちょっとした相談」が苦手なのは、そういう怖さがあるからだ。

「寝る前のおクスリ」は止まったが、この夜から僕には1日3回、「お食事1時間前のロキソニン」が許された。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-05-29 00:01 | カテゴリ:外出・散歩

 ごはんが美味しい。
 あんかけ焼きそばもカツ丼もビーフカレーも、何だかんだいって美味しかった。とりわけ、白ごはんが旨い。お酒を断ってから、みるみる食欲が出てきた。
 だが残念なことに、歯が痛い。
 奥歯の歯茎が腫れて、ものを噛むと痛いのだ。せっかくごはんの旨さに気づいたというのに、歯が痛いのは悲惨すぎる。
 憂鬱は、いろんなところからやって来るものだ。


 今日は僕の担当看護師の牛本さんと面談を行った。入院から1週間経過というタイミングで、僕の現在の体調確認と今後の入院生活のあり方について話し合うための面談だ。
 牛本看護師は、ほぼスキンヘッドの坊主頭に眼鏡にヒゲという、似顔絵に描きやすそうな風貌が特徴の長身の男性で、看護師主任を務めている。
 僕よりひとつ下という牛本主任は高校時代、父親が商売に失敗して多額の借金を背負ったため、学費が安いという理由で看護師の道へ進んだという。幼い頃の母親の躾が関係してか、女性に対して深層心理の中でトラウマがあり、まだまだ女性が多い看護師の職場では苦労も少なくないと、僕に打ち明けてくれた。

 身の上を語る看護師と、それを聴く患者。一見立場が逆だが、それは患者が自ら話を切り出すためのひとつの方法なのだろう。というよりむしろ、テッパンなのかもしれない。患者が現在の症状や今後のあり方について、自ら喋らないことには前に進まないのだから、まずは牛本主任自身が率先して自分のことを語り、患者が話しやすい空気をつくっているのではないか。

 ただ僕の場合、今感じている不安ははっきりしている。牛本主任にはそれをそのまま伝えた。
 まず、他の多くの患者さんと違って、僕は肉体的には健康と判った。
 検査でも、γーGTPの値が高いとはいえ内臓は比較的丈夫で、今のところ糖尿でも高血圧でもない。これについてはラッキーというか恵まれているというか、とにかくいいことなのだろう。
 ただ精神的には不安定で、自己否定のネガティブな思考に絶えず陥ってしまう。人と交われず、人と接することに強い不安と抵抗がある。だから自分だけの世界へ逃げてしまう。そしてこの十数年、お酒を飲むことでごまかし続けた結果、アルコールが手放せなくなってしまった。
 ―― この1クール3ヶ月の入院で、例えお酒に頼らない生活を築くことができたとしても、歪んでしまった僕の精神構造も一緒に建て直していかなければ、またアルコールに逃げてしまうんじゃないだろうか。或いは、新たに薬物やギャンブルなんかに手を出してしまうんじゃないだろうか。

 牛本主任いわく、今の僕の精神的な不安定さは、断酒による一種の離脱症状の要素が大きいそうだ。アルコールは脳にも影響を与えるため、深刻なケースでは幻覚や幻聴、自傷行為を引き起こすこともある。そうなるともう、麻薬や覚醒剤と変わりない。
 昨日、森岡医師との面談で言われたことを思い出した。
「これからは、お酒をお酒ではなく、アルコールという薬物だと思ってください」

 離脱症状は一定期間を経て離脱期を越える。だからアルコールを断ってひと月もすれば、精神的にも安定してくるものらしい。
 牛本主任の説明を聞いて、ひと月後に僕もそうなることをただ願った。

 昨日のフレッシュミーティングでは、アルコール依存症のほかにも薬物やギャンブル依存の患者も参加していたが、この病院ではそういった患者も受け入れて、人数こそ少ないがこの5ーB病棟で一緒に入院しているという。
 牛本主任によると、依存症というのは何にでも起こり得るものだそうだ。
「趣味の領域と、依存症の線引きはどこにあるんでしょうか?」
 答えの想像はついたが、何となく訊いてみた。
「一概に線を引くのは難しいんですが、やっぱり生活の破綻でしょう」
 そう言うと、主任はポケットから出した何かの用紙の裏に、1本の木のイラストを描いて説明してくれた。『アディクション・ツリー』という、依存症の構図について分かりやすく示したものらしい。アディクションとは『嗜癖』という意味で、習慣化した嗜好がやめられない状態、まさに依存そのものを指す。

 1本の樹木の、地中に伸びる根の部分はその人のトラウマを、幹は成育過程や家族関係といった、個人特有の環境を表している。そして、生い茂る枝葉には多様な嗜好の果実が生り、これが依存に変わり得るのだという。
 酒、薬物、ギャンブル、買い物、セックス、万引き ―― なかには趣味や嗜好とは言い難いものもあるが、依存症を呼び起こす材料は多岐にわたり、最近ではネットやゲームの依存症も増えているそうだ。

 主任が続ける。
「僕は自転車が趣味なんですが、だからといって自分の収入を越えるほどのお金を自転車に注ぎ込むようになれば、生活は破綻しますよね? それでも抑制が利かなければ、それは依存症ということになります。サトウさんは分かっていてもお酒がやめられないのだから、やっぱり依存症です」
 あっさり指摘されたが、事実なので仕方がない。
「と言っても、病院でサポートできるのは基本的にこの、根っこの部分だけなんです」

 幹の部分、つまり患者の環境面に至っては、家族の理解や協力を病院側で求めることはあっても、限界がある。患者個人の人間関係に踏み込むことは難しいし、ましてやその成育環境を物理的に遡ってただすことなど不可能だ。

「結局、患者さん自身で立ち直るしかないんです。ひとつの依存を断ち切っても、ほかの何かに依存することで逃げることは簡単ですから。そうならないよう、心の回復も大切です」
 ―― 今僕が抱えている不安、まんまじゃん。
 いっそのこと、幹ごと木をスパーッと切り倒したらすっきりしますね、と言いそうになったが、さすがに抑えた。看護師さんはみんな、親身になって支えてくれている。
 しかしこれはあくまで、僕の問題なのだ。

 最後に牛本主任から、意外なことを言われた。
「でもサトウさんには、生きようとする力を感じます」
 生きようとする力。そんなこと、人に言われたのは初めてだ。
「周囲に負担や迷惑をかけるばかりで、自分の力では生活できてませんけど」
「それも含めて、いい意味でも悪い意味でも生命力、タフさを感じます。こんなに自分の状況をきちんと捉えて話せる人は、そうはいませんよ」


 今日からちょっとした外出が認められるようになった。直前に申請すれば、午前と午後、それぞれ2時間以内の外出が可能だ。
 といっても病院周辺に商業施設は皆無なので、病院からもっとも近いが歩けば40分はかかる西町駅とを結ぶ専用バスを利用して駅前で買い物をしたり、病院裏手の柏山を散歩やジョギングする人が多い。2時間を越える遠出や外泊を希望する場合は別の手続きをすればいいのだが、僕についてそっちの申請が解禁になるまではあと1週間必要ということだ。

 午後3時半、入院以来初めて1階正面玄関から外へ出た。柏ノ丘病院に来たのはあの日が最初で、街の中心地から西へ向かった郊外の上り坂の途中にある、という漠然とした位置情報以外、病院周辺の景色の記憶は曖昧だった。
 少しは何かあるだろうと思っていたが、坂をちょっと上ったところにコンビニが1軒、ぽつんとあるだけで、ものの見事にほかは何もなかった。
 仕方がないので、あてもなく坂をひたすら上って行きながら携帯で地図を確認すると、西町のだだっ広い総合公園の西側外周に沿って上り下りの坂道が延々と続いている。間違いなく2時間では戻れないと思い、適当な横道から住宅地を通って今度は坂を下って行った。
 平日の午後だからか、庭の手入れをする暇そうなお年寄りの姿を何度か見かけた。もの凄い急勾配に家が建ち並んでいるが、この人たちはちゃんと生活できているのだろうか。
 余計な心配をしながら坂を下りきると、見知った風景に出た。僕はそこからさらに歩き、大手スーパーマーケットの柏ノ丘店へ辿り着いた。このスーパーは僕の実家からさほど遠くなく、これまでは自転車でしばしば買い物に来ることもあった。お酒はその度に買っていた。
 今日は替え歯ブラシやボディシャンプーなど、入院生活に必要な日用品を購入して病院へ戻ったが、お酒売り場を通ることなく買い物をすることは、街で見かけた知人を無視して素通りするような、何だか妙な感覚だ。


 この日から、僕の「お休み前のおクスリ」が止まった。昨日の森岡先生の診断を受けてのことらしい。看護師さんからは「眠れないようなら薬を出しますから、詰所へ言いに来てくださいね」と言われた。
 睡眠に関しては入院から快調だったが、薬がなくても眠れるだろうか。もとより、眠れないときに僕は、それをはっきり言えるだろうか。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-05-27 07:42 | カテゴリ:診察・診断・回診

 入院からちょうど1週間。今日は午前10時からフレッシュミーティングに参加した。
 柏ノ丘病院に初めて入院する患者を対象としたプログラムで、それぞれ入院生活の不安や不満、悩みなどを挙げて話し合う。昨日のビギナーミーティングと違って、ほかの患者の発言に対して感想や意見を言っても構わない。4回の参加が必要で、これも沼畑師長が担当する。

 ミーティングルームに集まったのは、見たところ30~60代くらいの患者が6、7人ほどだが、意外だったのは薬物やギャンブル依存症の患者も一緒に参加していることだ。
 アルコールのみならず、複数の依存が絡まって負のスパイラルに陥っている患者もいるようだが、詳しいことはまだよく分からない。
 何にせよ、様々なケースで入院を余儀なくされている人たちが、ここにはいる。

 ミーティングでは、共同生活のストレスから極度の不眠を訴える声や、入院ではなく外来での治療を望む声、また処方薬についての注文など、患者それぞれの思いの丈が率直に語られた。
 どの患者も自分の症状をよく理解していて、どこがフレッシュなんだと思うほど、治療のステップや薬についても詳しかった。
 僕の番になった。特に話すべきこともなかったが、仕方がないので、集団に馴染めず人と距離を置いてしまう自分が、周囲を不快にさせているのではないかという不安を打ち明け、そして詫びた。
「そんなことは、全然ないですけどね」
 同じ53号室の勝瀬さんという、50歳を少し越えたくらいの男性がぽつりと言った。
 康平くんという、やはり同室の若い患者が「そうですよ」と賛同する。
 僕のこういう発言に始まるこういう流れでは、こういう優しいフォローしか返って来ないであろうことはおおよそ分かっている。分かっていても、気持ちは少し軽くなる。
 つまるところ僕は、優しくされたいのだ。

 ミーティングは予定の1時間より10分ほど早く終わった。
「私、いつもミーティング早く終わらせ過ぎちゃうんですよねー」
 と、沼畑師長はよく分からない自慢をして笑っていたが、僕には少し物足りないミーティングのような気がした。

 退席際に、河原さんという男性に声をかけられた。隣の54号室の患者で、僕より少し歳上に見える。彼は入院から4週目ということで、フレッシュミーティングは今日が最後だそうだ。
「11時半まで体育館でレクやってるから。あと40分くらいだけど、行ってみたら?」
「はあ…ありがとうございます」


 僕はその「体育館」がいったいどこにあるのか、まだ知らなかった。すぐに訊けばいいのに、困ったことにそれができない。
 また今度でいいか ―― と思いつつ、喫煙室でひとりタバコを吸っていると、麻友美さんが入って来た。
 患者会の会長を務める彼女は、平日朝の例の瞑想の時間を仕切っているのだが、今朝は開始直前になって看護師詰所からひどい過呼吸状態で飛び出して来ると、そのまま自分の病室に駆け込んで行った。すぐに掛川看護師があとを追いかけて病室へ入って行ったが、デイルーム前の廊下で円椅子に座って瞑想待ちをしていた僕は、その様子をただ唖然として見ているだけだった。
 何だかよく分からないが、みんなそれぞれいろんな事情を抱えている。

 いつもはそんなことないのだが、喫煙室の沈黙に耐えかねて何となく声をかけてみた。
「体育館って、どこにあるんですか?」
 答えはすぐに返ってきた。
「同じ階。一緒に行く?」
「見学だけなら、サンダルのままでも大丈夫ですか?」
「あー全然大丈夫」
 そう言うと彼女は、吸いかけのタバコをせわしなく揉み消して立ち上がった。

 5ーB病棟をさらに奥へ進んだ突き当たりに、体育館はあった。市民センターなんかにありそうな、少し狭いけれど普通の体育館だ。
 入口側にはエアロバイクが数台置いてあり、既に何人かが快調にペダルを漕いでいる。エアロバイクの利用は中高年層の患者が多いようだ。
 体育館奥はステージになっていて、降りている緞帳の向こうからドラムの演奏が聴こえる。緞帳をくぐってステージに上がってみると、上手袖にはドラムセット、下手袖には電子ピアノが置いてあり、自由に弾いて構わないらしい。
 ドラムを叩いているのは康平くんで、僕に気づくとスティックを揃えて差し出し「やりますか?」の合図をくれたが、演奏なんてとてもできない僕はもちろん遠慮した。

 ステージ前にはミニバレーのネットが張られ、6人対6人でゲームをしている最中だった。1ゲームが終わったところで、患者に混じって一緒に参加していた葉山さんという若い女性看護師が、僕に気を遣い「サトウさん、入りませんか?」と交代を持ちかけたが、やっぱり遠慮した。
 ピアノを弾くのにゲームから抜けた丸谷さんという男性患者に代わり、麻友美さんがバレーに加わった。僕はステージサイドから腰を降ろし、次の1ゲームを見守った。必然的に、かつ自動的に、おんぼろの得点スタンドをめくるのは僕の役目になっていた。

 そのゲームが終わったところで僕は、見学はここまでと、ひとり体育館を出た。出た途端、最後までみんなと一緒にいればよかったと後悔した。
 ―― どうせほかにすることもないのだ。見学であれ何であれ、できるだけみんなと一緒にいて、仲間に入る努力をすることが、今の僕には大事なんだ。せっかくいい流れだったじゃないか。
 今さら後悔してみたところで、わざわざ戻って行く気にもなれなかった。


 レクリエーションのすぐあと、木曜日の午前11時半からは、主治医の森岡先生の回診がある。
 病院から貰った資料を見ると、5ーB病棟の入院患者を担当するドクターは合わせて5名おり、この中で患者の担当が決められている。森岡医師が僕を含めた何人の患者の主治医になっているのかは知らないが、とにかく僕は初回診ということで、昨日、一昨日の検査結果について説明があった。

 結果結果によると、心電図は極めて正常、レントゲンも気になるところはなし。期待していた脳のCTは、前頭葉付近にやや萎縮が疑われるという程度で、僕は思いのほか健康だった。
 ただ脳波については、やはり精神的に不安定な傾向にあり、引き続き療養が必要との診断だ。そのあと眠剤やら向精神薬やら『各種取り揃えております』的にそれぞれの効能やリスクについて説明を受けたが、萎縮した僕の前頭葉ではよく分からない。
 要するに、薬物依存を避けるため、できるだけ薬に頼らず経過を見ていくことを奨められている、と僕は理解したのでそれに従うことにした。

 午後からも森岡先生との面談で、改めて主治医の立場からアルコール依存症についての基本的な説明を受けた。
 森岡先生は割と紋切り型の口調が印象的で、有名人の実際の症例や、デンゼル・ワシントンがアル中のパイロットを演じた映画『フライト』の話題などを盛り込みながら、アルコール依存症が治療を要する立派な精神疾患であることを重ねて説明してくれたが、
「僕もこの街の精神科医の中でも指折りの酒好きなんですよ」
 と、患者に言うべきことなのかよく分からないカミングアウトまでされたので、正直なところ戸惑った。
 ただ、今はジム通いにハマっているとかで、他に健全な楽しみを持つことが大切なんだと、独特の口調ではあるが懇切丁寧に説いてくれた。
 僕は先生の話をしおらしく聴きながら、ペンを持つその指が小刻みに震えているのをできるだけ見ないようにしていた。
 ジム通いにハマっても、お酒をやめたわけではないらしい。


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2014-05-25 23:44 | カテゴリ:ミーティング

 いつからか、朝の瞑想が1分間になった。これまでは20~30秒くらいだったと思う。
 瞑想の正しい定義について僕は知らないが、少なくともこれくらいで晴れて「瞑想」と呼んでいい最低所要時間のラインに達したんじゃないかとは思う。


 今朝、僕の食事だけワゴンに載っていなかった。
 結局のところ僕は今日、CT検査が朝から入っていたので、検査前の飲食ができず、当然いつもの時間に朝食は用意されなかった。ただそれを、前もって看護師さんが僕に伝え忘れただけのことだ。
 経緯が分かってしまえば「だけのことだ」で済む話なのだが、被害妄想と強迫観念に病みきっている僕は、自分の朝食がないことに気づいた瞬間、激しく動揺する。
 ―― やっぱり俺、病院のスタッフにも相手にされてないのか。いや、いいもん別に。
 心の中で勃発した革命的なパニックを悟られないよう平静を装うのに必死で、ましてや周囲に訴えでもしてひと騒ぎなんか起きたら大変だ。挙げ句、回れ右して自分のベッドへ直帰する。
 苛められた子供が泣きながら家へ帰るように、カーテンで仕切られた僕だけの安全地帯に、一目散に逃げ帰って来るのだ。
 ―― 大丈夫、別にお腹はすいてないから。大丈夫、大丈夫。
 人に忘れられている淋しさを打ち消すため、何度も「大丈夫」と自分に言い聞かせる。でも、誰か気づいて欲しいとどこかで願いながら。

 まもなく、ミスに気づいた看護師さんのほうからやって来て、CT検査の連絡が漏れていたこと、朝食は検査後になることを説明して僕に詫びた。これだけ患者がいて対応も多様なのだから、仕方のないことだと思う。僕はもちろん納得、了承した。

 こんなことは、誰にでもよくあることだ。
 ファミレスで自分の注文したメニューだけ来ない。コンビニで会計のレジに立っても店員に気づいてもらえない。チーズバーガーなのにチーズが入っていない ――
 普通、そういうときは当たり前の主張をするものなのだろう。中には普通じゃない主張をする人もあろうが、とにかく主張することは普通のことだ。普通のことができない僕は、目的を放棄して一刻も早くその場を離れ、自分だけの安全空間に避難する。そこで膝を抱えて丸くなり、ひたすら「大丈夫」と言い聞かせるのだ。
 そんな僕の姿は、周囲の目にはただ「すねてる」としか映らない。


 CT検査を受けるのは初めてで、看護師さんからは「サトウさんは、腹部CTとレントゲンを撮ります」と言われた。
 ―― あの…、腹部もいいけどアタマも撮ってください。学習会でも説明してたでしょう。僕の脳ミソがいまどれだけ縮こまってるのか教えて欲しい。
 もちろんそんな思いは口にできず、1階のレントゲン室とCT室でそれぞれ撮影をした。
 僕はCTとMRIを混同していたが、大雑把にいうとどちらも似たようなものらしい。いわゆる輪切り。CTはX線を使い、MRIは使わない。検査する身体の部位によって、それぞれ向き不向きがあるらしい。

 ズボンを半分くらい下ろして、CTのベッドに仰向けになる。頭をベルトで固定して、例のドーナツ状のトンネルみたいなのにベッドごとスライドしていく ―― あれ、アタマで止まった。何やら小刻みに動いている。なんだ、脳のCTも撮ってくれてるのか。
 続いて腹部撮影のため、ベッドがさらにスライドする。
 BGMやら効果音があればちょっとしたアトラクションになると思うのだが、ここは病院なので当然そんな演出はされない。演出も何も、ここは精神病院なのだ。
 ときどき僕は、自分がどこにいるのかうっかりすることがある。


 午前11時。今日からミーティングが始まった。ミーティングは大きくビギナー、セカンド、サードの3ステップに分かれており、それぞれ4回ずつ、ARP(アルコール・リハビリテーション・プログラム)の一環として組まれている。
 僕はもちろんビギナーからスタートで、5ーB病棟の看護師長が50分のミーティングを担当する。
 当たり前だが、患者によって入院時期はばらばらなので、「前回の続き」という体では行われない。担当の沼畑看護師長は毎回その場で自らテーマをひとつ、患者からもテーマをひとつ出してもらい、それについて思うこと、感じることを順番に発言していく。患者の発言については、すべて師長が回答やフォローをし、ほかの患者が反論や質問をするのはNGというのがルールだ。

 ミーティングルームに集まったのは、別の病棟の患者も含めて10人ほど。まず師長から『この1週間を振り返って』とのテーマが出された。沼畑師長は40歳を少し過ぎた、ざっくばらんな感じの女性だ。
 彼女はまず「仕事以外のことですが、ゲームにハマり過ぎて、受験生の子供に注意されちゃいました」と、自身のことを挙げてミーティングをリードした。それから順番に、この1週間を振り返って発言する。
 再入院でこうしたミーティングに慣れているのか、僕を除く全員、とてもビギナーとは思えない。
 僕はいちばん最後に、外来からその日のうちに入院が決まった経緯と、お酒の力を借りないと人のコミュニティに入っていけない現状だけを短く話した。

 次に『焦りについて』というテーマが、患者のひとりから挙がった。「早く仕事に戻りたい」「今回こそ依存から抜け出したい」といった焦りを口にした患者のほか、焦りはないという患者もいた。
 僕も、あの日あんなことがあって入院に至る、それまでの毎日がまさに『焦り』の日々だったので、「今はほっとしている」と正直に答えた。
 もちろん、ほっとしている反面、自分では何ひとつできない情けなさ、申し訳なさ、後ろめたさから来る自己嫌悪や、これから先のことについては不安でお腹いっぱいだが、それはここでは言わなかった。


 正午の昼食は、あんかけ焼きそば以来密かに目をつけていたビーフカレーだ。朝食の件やら検査やらですっかり忘れていた。
 朝食は検査後に遅れて摂ったが、お昼になると食欲は戻っていた。
 ビーフカレー。
『洋食』という日本語が実によく似合う。「海鮮五目炒飯」や「和風手ごねハンバーグ」などにはない、ど真ん中ストレートのメニューであり、誰しもが思い浮かべる正解はただひとつ ――
 ビーフカレーとはそういうメニューだと僕は思っていたが、入院食のそれはやはりひと味違っていた。
『ひと味』といっても、それは文字通りの味のことではない。いや、味はフツーに美味しかった。ただ入院食のビーフカレーは、自らが入院食という本分を決して見失うことなく、ライスはいつもの丼に、カレーはメインのおかず用の器に盛り分けられていた。その他、サラダの小鉢、福神漬けとらっきょうが入った小鉢、そしてトレーにごろんと転がる入院食の王道、バナナだ。
 一見しただけでは、いつもの食事と変わらない。これはひとつのフェイクだ。銀食器とは言わずとも、いわゆるカレー皿に盛られた姿を素直に想像した自分を思わず呪った。
 またしても迂闊だった。入院食とは『丼ごはんとカレーシチューのセット』を指して「ビーフカレー」と言わしめるものなのだ。

 でもまあ…本格を気取ったカレー屋なんか、ルーはライスとは別に魔法のランプみたいなやつに入って出て来るし、丼めしとカレーというのも見様によっては、和の威厳に満ちた高尚なお膳、という気がしないでもない。
 丼にカレーをかけるか、カレーに白ごはんを放り込むか、ちょっとした悩みどころもまた愛嬌だ。そう考えると今日の昼食は「当たり」な気がして、僕は迷わずごはんのほうをカレーにぶち込んだ。
 そしてお箸でそれをかき込み、またひとつ学んだのだ。
 ―― スプーンを用意しよう。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-05-24 19:54 | カテゴリ:院内生活

 入院からまもなく1週間。
 看護師さんから僕にかけられる言葉は「眠れましたか」と「慣れましたか」のふたつにほぼ絞られる。ほかの患者さんからもだ。
 もっとも、僕のほうから話しかけることがないわけだから、向こうとしてもそれくらいしか話の振りようがないのだが、合い言葉のように登場するテンプレートである。
 そしてそれがときどき僕には、僕に対して何となく「生きていますか」と訊かれているように思える。

「眠れましたか」の問いかけには「はい」と答えればいいので問題ない。実際、周囲のイビキがどんなに大音量でもさほど気にせず眠れているし、夜中に何度も目が覚めることも、3日目くらいからなくなった。
「お休み前のおクスリ」のおかげだろうが、少なくともお酒を飲んで寝ていたときよりも大きな変化だ。ただし「はい、眠れました」とただ答えても、「そうですか」となるだけで、それ以上話は続かない。

 困るのは「慣れましたか」という難問だ。
 訊くほうにしてみれば「今日は暖かいですね」ほどじゃないにしても、ある種のご挨拶程度の何げなさを含む問いかけなのだろうが、これにはおいそれと「はい」と答えるわけにはいかない。
 なぜなら、慣れてないんだもん。
 慣れるどころか、どんどん不安になっていくんだもん。
 いや、確かに「あー、やかんのお茶は自由に飲んでいいのか」「朝刊はここにあんのね、ふーん」など、細かい経験値を重ねて自然に得られる『慣れ』はある。そういう意味であれば「だいぶ慣れてきやした。へい、おかげさんで」とも答えられよう。しかしそれは所詮〈きょうボクは、ひとりでばいてんへいけるようになったよ。〉という類の「慣れてきました」でしかないのだ。
 誰の目から見ても集団生活に溶け込めていない僕が、こんな危険な誤解をはらんだ「慣れてきました」を安易に口にすることは決してできない。

 ―― では、何と答えればいいのか?
 いちど、看護師さんに「そろそろ慣れました?」と訊かれて、だいぶ食い気味に「慣れません」と即答した。途端に「そんなに早く慣れるワケねーだろバカ、なんて暴言吐いちゃったよ」的な後味の悪さに包まれた。
 以後僕は、「慣れましたか?」が出るたびに「いやあ、まあ…」という、曖昧でじれったく、答えになっていない答えを口にするようになった。


 今日は午前9時40分、脳波と心電図の検査を行った。脳波測定は初めてだと思う。頭のあちこちに電極をつけて、びろーんとしたクラゲみたいにさせられる例のアレだ。
 臨床検査技師とかいう人なのかそれとも医師なのか知らないが、とにかく担当にあたった男性の先生から、頭にジェルを塗りたくられてクラゲにされ、検査室のベッドに仰向けになった。目を閉じて10分ほど計測している間、過去の出来事がなぜか頭を駆け抜けて行った。

 大阪の大学へ入って間もない頃の新鮮な記憶。演劇に夢中になり、その後留年して大学を辞めたが、それでも芝居を続けた。
 多くの仲間と出逢い、お酒を飲んだ。僕のお酒のせいで、多くの人が離れていった。それでも、ぎりぎりまで僕を助けようとしてくれた人がいた。僕はそんな人たちまで裏切り、最後には愛想をつかされた。
 僕の大阪での16年は何だったのだろう。いつから誤ったのか。いつからやり直せばよかったのか。違う。チャンスはいつでもあったんだ。頼むから、お願いだから、時間を戻して欲しい ――

 ちょっとだけ涙が出た。仰向けになっているから、そのまま目尻を滑りこぼれた。検査の先生はモニターでも凝視しているのか、そんなことには気づかず「サトウさん、けっこう緊張してる?」と訊いてきた。
 僕はまた「いやあ、まあ…」と曖昧に答えた。


 毎週火曜日の午後1時半からはレクリエーション、略して『レク』の時間だ。未だどこにあるのか僕は知らないが、院内の体育館でミニバレーやエアロバイクなどをして汗を流す。
 食べてミーティングして寝るのが基本の生活サイクルだから、こういう時間は当然必要だろうが、僕にはそんなプログラムに参加する余裕はまだない。
 運動については、外出申請をして散歩やジョギングを日課にする人もいるようだが、入院から1週間は外出禁止のため、この病院に隣接する唯一のコンビニにすら、僕はまだ行くことができない。

 カーテンを完全に閉めきった自分のベッドからもそもそと抜け出て、僕が向かうのは喫煙室だけだ。
 デイルームの隅に間仕切りで分けられた喫煙室には、ふたつのスタンド灰皿と7脚の丸椅子が置かれ、それだけの人数が入れば満員という狭いスペースだが、病院の施設内で、しかも僕の病室のすぐ真向いのデイルームの中にあるのはとてもありがたい。
 デイルームにはベランダへ出られる引き戸がふたつあり、ひとつが喫煙室内の奥に位置している。ガラス窓からベランダ越しに1本だけ、幹の細い桜の木が立っていて、備え付けの白熱外灯で夜はライトアップされるが、春の訪れが遅いこの街ではまだこの時期、桜の蕾が変化を見せる兆しはない。

 この喫煙室でも今日、例によって「慣れました?」と声をかけられた。雪絵さんという40代前半くらいの、ショートヘアで小柄な女性だ。
「いやあ、まあ…」
 僕は愛想笑いで答え、いつものように会話が途切れる。ふと、自分でも意外な言葉が口をついて出た。
「すいません。なんか僕、暗くて」
 僕の唐突なお詫びにほんの一瞬、驚いたような間が空いた。
「僕、飲んでないと喋れないんです」
「全然、全然そんな。みんな最初はそうだし、ねえ?」
 彼女は懸命にフォローしつつ、隣でタバコを吸っていた峰口さんという男性に同意を求めた。このふたりはどういう関係なのか、デイルームでいつも一緒にいる。
 50代前半くらいで小太りの峰口さんは、僕に特に目をやるわけでもなく、小さく頭を振りながら「…俺もシラフじゃ、日本語ワカリマセーン」と、分かるような分からないような相槌を打った。
 このときはこれまで。
 僕の人との接し方はぎこちないにも程があるが、まだ3ヶ月の時間的余裕があることに、初めて楽観的になれた気がした。
 ほんの少しだけれど。


 夕方、両親が着替えを持って来てくれた。
 僕は一昨年、僕のアルコール依存を理解し、心配してくれた唯一の女友達が住むマンションの玄関ガラスを、泥酔して粉々に割ってしまった。その件については管理会社へ謝罪して、僕が分割して全額弁償することで話がついたのだが、このところ支払いが滞っていた。
 もちろんこんな話は両親には言っていなかったが、保険会社から届いた督促請求を見られてしまったのだ。
 父にとっては寝耳に水だったろうが、お酒にもお金にもルーズ過ぎるバカ息子の、新たに判った事実について、もう僕にあれこれ訊くことはしなかった。
 去年の暮れ、無職になって加入した国保未払い金の督促についてもそうだ。父はこのふたつの督促状をバッグにしまい「これは俺が持っておく」とだけ言い、現在会社で加入している社会保険がどうなるのか、至急確認するよう念押しして帰って行った。
 38歳にもなって経済的に親に依存し、やるべきことが何ひとつできない自分。ただ情けなく、恥ずかしい。それでいて、今僕はここにいる。


 脳波検査で頭に付けられたジェルが、髪にねとついて気持ちが悪かったので、両親を見送りがてら3階大浴場へ向かった。
 火曜日は男性入浴日で、午後1時半~4時半まで利用可能だ。まだ4時前くらいだったと思うが、2~3人ほどしか入っていなかった。

 ふと見ると、サウナやスーパー銭湯では必ず入場お断りの背中をお持ちの人が隣で体を洗っていた。5ーB病棟で見かけた、清水さんという患者だ。60代後半くらいに見えるが、もっと若いかもしれない。ガスを止められ、大阪・富田林の銭湯へ自転車通いをしていた頃を思い出した。


 夕食後、洗面所で歯を磨いていたら、僕の右隣で誰かが髪を洗い始めた。麻友美さんという髪の長い女性で、歳は僕と同じくらいか、もう少し上にも見える。入院初日の夜にも洗面所で声をかけられ挨拶した人だ。患者会の会長もしている。
 しばらくすると今度は、左隣で長身の男性が髪を洗い出した。優二さんという、54号室の患者だ。目つきの鋭さが姜尚中とかいう政治学者に似ている。
 左右で洗髪。洗面所の中央で歯ブラシを口に突っ込んだまま棒立ちの僕の両脇で、男と女が競うように髪を洗っている。
 何か変な画が、正面鏡に映っている。
 特に女性がその長い髪を振り上げ、決してその用途に向いているとは言えない共用洗面所のステンレス排水槽へ不自然な低さで頭を押しやり、シャンプーで髪を揉みしだす様は正直、怖い。

 それでもタオルを頭に巻き、素っぴんであることなど意にも介さない様子で顔を上げた麻友美さんと鏡越しに目が合った途端、また思いがけない言葉が出た。
「…僕もシャンプーしよっかな」
「あ、する? シャンプーもリンスも私のこれ、使え使え」
 既に風呂あがりだ。別に本気で髪を洗いたいわけじゃない。ただ『3人並んでシャンプー祭り』の光景を想像しただけだ。
「ドライヤーもあるよ」
 優二さんが言った。

 結局僕は、シャンプーとトリートメントとドライヤーを借り、この日2度目の洗髪をした。


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2014-05-23 00:10 | カテゴリ:学習会

 柏ノ丘病院は、街の郊外に位置する柏山の中腹に沿って建てられ、周囲を丘陵に囲まれている。
 だから『5ーB病棟』が5階にあるといっても、デイルームの窓からは緩やかな坂道を徐行する病院関係者の車が同じ目線で伺える。シャワー室やトイレの窓から見える景色もそうだ。
 1階正面入口からロビーを抜け、奥のエレベーターでいったん3階まで上がり、そこからさらに奥へ進む。別のエレベーターで5階へ上がり、降りたところを左へ行くと5ーB病棟に辿り着く。
 エレベーターを降りて右を行くと5ーAなのかCなのか、それともまったく違う何かなのか、それは知らない。とにかく、僕の入った病棟はそんなところにある。

 3階から5階へ行くエレベーター前には小さな売店があり、日用品やタバコ、カップ麺やお菓子などが売られている。売店の横には自動扉の玄関があり、ここは病院裏手にあたる。
 売店はちょくちょく利用するため足を運ぶことも多いが、わざわざエレベーターを待つのは面倒なので、移動はおもにすぐ横の階段を使う。途中、4階にもまた謎の入口がある。外から見ると、3階裏玄関から少し傾斜を上ってすぐに4階玄関が並んでいるような具合だ。
 建物外観から間取りの想像はまったくつかないが、もっとも、中にいたところで外観の想像がつくわけでもない。

 僕は今日の時点で、自分のいる病棟から3階の売店と、その脇の通路横にある大浴場までを僕の行動範囲としている。
 1日目にびくびくしながら入って来たあの正面玄関ロビーへ、迷子にならずに自力で行って戻って来られる自信はまだない。


 今日、平嶋さんという中年男性が入り、53号室の患者は再び8名となった。再入院らしく、顔見知りの患者さんも多いようで、すぐに病棟に馴染んでいる。その姿を見て僕はというと、ますます周囲を避けて溶け込めなくなってしまう。
 詳しくはまだよく分からないが、ここにいる患者さんたちは、お酒の飲み過ぎで深刻な疾病・疾患を抱えている人が多いようだ。病院なのだから当然といえば当然なのだが、点滴スタンドを片手にガラガラやりながら歩く人もいる。
 年齢も見たところ30~60代と幅が広いが、僕のようにココロが病んでいる人もいるのだろうか。


 午前中、僕の担当となった下地さんというソーシャルワーカーがベッドに訪ねてきた。40代半ばくらいだろうか、穏やかな感じでやたらに背が高い男性だ。
 これで主治医、担当看護師、担当ワーカーとそれぞれ顔を合わせて挨拶したものの、正直僕はこの方たちともどう接すればいいのか、何をどう相談していけばいいのかも分からないのだ。
 気分の落ち込みがひどいことを打ち明けると、下地さんはジアゼパムという薬を1錠飲ませてくれた。不安な気持ちを軽減させる安定剤だという。
 いつも食後に飲んでいる薬も「不安を抑える薬」と看護師さんが言っていたけれど、何がどう違うのだろう。それも分からない。


 午後2時から、学習会に出席した。入院後、初めてのARP参加だ。
 学習会は、アルコール依存症の実害やリハビリなどについて学ぶ全11回のプログラムで、毎週月曜日に行われる。その回のテーマに応じて、医師や看護師、心理士などがレクチャーを行うという形式だ。
 今日の内容は心理士による『⑥ アルコールがつくる心の病気 ~その2~』。

 いきなり『その2』って言われても、と一瞬思うが、どの回が初回になるかは患者の入院するタイミングによって違うのだから、各回に連続性はないらしく、『その2』のあとに『その1』が来ても問題はないようだ。
 今回は全11回の6回目だが、11回目終了の翌週はまた1回目に戻るから、僕の場合は3ヶ月後に予定の『⑤ アルコールがつくる心の病気 ~その1~』で学習会を終えることになるわけだ。
 まあ連続性がないとはいえ、タイトル的に何かすっきりしないローテーション、ではある。

 気になる学習会の内容については、適度な量の飲酒時から泥酔、ブラックアウト(記憶が飛ぶ)に至るまでの脳への影響をイラストで示した資料で説明したり、アルコール依存による脳萎縮で様々な能力が低下し、社会生活や対人関係に深刻な影響を与えますよー、という一般的な解説で、タイトルの『心の病気』にはあまり言及していなかった。
 別の病棟の患者も合わせ、40~50人くらいが参加していたが、50代以上の年齢層がほとんどだと思う。僕と同世代くらいの女性心理士が担当していたが、必要以上に難しい解説はかえって意味がないのかもしれない。

 最後は、脳の機能低下を予防・改善するトレーニングとして、不規則に並ぶひらがなの文字列の中から、あ・い・う・え・お、など特定のひらがなだけを拾い上げて○印をつける『かな拾い』や、朝日新聞なんかの日曜版でも見かけるお馴染みの『間違い探し』などをみんなで行い、1時間の学習会は和気あいあいと終了した。


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2014-05-22 16:43 | カテゴリ:院内生活

 入院してから3日半。5ーB病棟には51~55号室まであり、現時点で男性が30名弱、女性3名ほどが入院生活を送っているらしいことが分かってきた。
 今日まで、看護師以外の患者とはほとんど喋っていない。
 カーテンを閉めきった自分のベッドで携帯をいじるか『鬼平』を読むか、寝るか。
 あいにく寝るといっても、目を閉じても様々な不安が頭をよぎり、眠ってしまうということはない。
 ―― アルコール依存を克服できても、この慢性的な不安感と社会への恐怖心、自己嫌悪と倦怠感から脱け出せなければ、また同じことの繰り返しになるんじゃないか。今度はギャンブルやクスリに逃げ出すんじゃないだろうか。

 どきどきふらっとベッドから起きて、喫煙室でタバコを吸う。マイルドセブンとわかばを立て続けに1本ずつ。3本目に手が伸びることもある。先に誰かが一服していても、あとから誰かが入って来ても会釈を交わす程度で、僕のほうから話しかけることはしない。できない。
 何度か話しかけられ返答しても、あとが続かない。一応、会心の笑顔で答えているつもりだが、まともに相手の顔も見られない。そして、「…」しか出てこなくなる。
 それが自分でもしんどくなり、いつしか『話しかけないでオーラ』みたいなモヤモヤが僕の頭の周囲を覆っているように見えるのだろう。
 僕が僕から人を遠ざけるのに、時間は一切かからない。


 ベッドと喫煙室の往復だけではもちろん生活できないので、洗面所やトイレ、食事を受け取りに行くときは、時間をずらすことにした。
 大浴場は3階にあり、他病棟の患者も利用するため、一般の銭湯と同じと思えば問題ないのだが、利用できる曜日や時間が限られているため不便でもある。そんなときは、毎日朝の6時から利用できる病棟専用のシャワー室を使えばよい。よいのだが、このシャワー室は当然共用である。
 シャワー室を使う際はドアノブに吊るされたホワイトボードに自分の号室と名前を書き、「いま私が入ってますよ」とお知らせする。「次、私入るねー」という人は、シャワー利用中の人の名前の下にやっぱり自分の号室と名前を書いて「予約」する。
 シャワーから出た人は、ボードに次の利用待ちの人の名前を見つけると、「○○さーん、シャワーOKですよー」と、直接呼びに行かなければならないのである。
 この「共用」というアットホームこの上ないシステムは、今の僕には何とハードルの高いことか。誰が誰だかも分からないまだ見ぬ患者の病室へ『女将さーん、時間ですよ』ばりに直接声をかけに行くことが、どれだけ恐ろしいか。

 それでもどうしても、せめて頭くらいは洗いたい僕は今日、朝食後のややまったりした病棟の光景に、たまたま『空白のシャワータイム』を見つけたような気がして、実に迅速に初シャワーをやってのけた。
 まるで何かの罰ゲームのような勢いで身体を洗い、洗髪も完了。床のタイルに淫らな毛のひとつでも流し忘れていないか素早く確認し、高速で身体を拭き、高速で着替え。タオルやシャンプー、脱いだ下着などを手早くまとめて撤退準備が整うと、恐る恐るシャワー室のドアを開けて、ホワイトボードを確認 ――

 次の順番を待つ名前はなかった。安堵。僕は人と交われないのだ。


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2014-05-21 21:05 | カテゴリ:入院食

「瞑想」は土日はお休みだ。昨日父に持って来てもらった充電器のおかげで、携帯は心配ない。

 僕のアルコール依存を心配してくれている女友達に、入院したことをLINEで伝えた。安心した、3ヶ月は長いけど頑張れ、と励まされた。僕が連絡をするような相手は、彼女しかいない。
 あとはただ、ベッドで『鬼平犯科帳』――

 朝食は午前7時45分、昼食は正午、夕食は午後6時に、病棟廊下に運ばれて来る配膳ワゴンから、自分の名前のプレートが載ったトレーを各自で取りに行く。
 患者の症状にもよるだろうが、プラスチック樹脂のトレーには、ご飯の丼、メインのおかず、お椀、小鉢といったものが並ぶ。至って普通の入院食だ。だから、朝食には決まって牛乳が付いており、昼食の際はメニューの趣などに構うことなくバナナがごろんと、トレーの端に無造作に置かれていたりして、なおいっそう「入院食感」を演出している。

 入院してから既にたった5食で、これから続く長い長い入院食生活に諦めを感じていた。もともと歯の調子も悪かったし、さしたる期待もしていなかった。
 が、今日の昼食は、あんかけ焼きそば。
 いきなり期待度高し。とはいえこんな、ビールでも飲みたくなるようなメニューでいいのだろうか。
 デイルームには共用電子レンジもあるから、病院食の欠点のひとつ「冷めてる」はこれでカバーできる。早速活用している患者もいる。また、共用で醤油やアジシオ、コショウ、一味といった程度の調味料も置いてあるので、自分好みにワンポイントな味付けを施すこともできる。一般的な入院食との違いだ。
 僕は、あんかけには適度な酢が欠かせない『酢たらし派』なので、ひょっとしたらと思い恐る恐る物色してみたが、さすがに酢はないようだった。
 そりゃ酢は贅沢というものか、と自分に言い聞かせ、配膳ワゴンから自分のトレーを取りに行く。トレーはデイルームへ持って行ってテーブルで食べてもいいし、自分のベッドで食べてもいい。
 僕はもちろん頑なに、自分のベッドで猫のように食べる。カーテンを閉ざして。

 さて、『酢たらし』こそ叶わないもの、入院食でのあんかけ焼きそばとは?
 期待と興味と不安にかられて器のフタを持ち上げた途端、衝撃が走った。
 ―― あんがない。
 文字にすると何かヘンだが、事実「あんかけ」の「あん」がかかっていないのだ。目を疑いながらとりあえず食べてみると、
「ん?」確かにあんかけ焼きそばの味が…することはする。「あん」も麺に絡んでいる。
 ―― あんはあるよ。
 そこで気がついた。これは「あん」が麺に混ざりきっているのだ。運搬中に奇跡の攪拌が起きたはずもない。これは調理の段階で、まるで『一平ちゃん』のからしマヨネーズを無粋にもトップギアから絡め散らすかの如く、徹底的に「あん」を麺およびその他の具に混ぜ合わす工程が存在している。なぜ?
 ①「あん」を喉に詰まらせないための配慮 → ここは高齢者施設ではない。それならそもそもメニューに出すな。却下。
 ②「あん」が飛び散って汚い → 患者をナメてる。もっとキレイに食える。却下。
 ③「あん」のとろとろが、飲酒欲求を誘発する → だからそれなら出すなよ。これも却下。
 ④混ぜたほうが、美味しい → …うーむ。

 確かに、よく噛んで食べてね。って思いが込もっている気がしないでもない。


 僕が衝撃を受けたあんかけ焼きそばより、ほかの患者の多くが興味を注いでいたのは、夕食のカツ丼だった。
 昼も過ぎたあたりから「今夜はカツ丼だよ」「カツ丼っていってもねえ…」「どうせ薄いんだよ」「ハムだよ」などと、ある種どこか牧歌的で微笑ましい、至って呑気な会話か聞こえる。
 ただ、僕はこのカツ丼に関しては、始めから完全に期待のスタメンから除外していて、せいぜい二軍落ちしないでいてくれよ程度にしか考えていなかった。侮ってはいけない「入院食」。そこに満を持して、丼界の王道たる「カツ丼」が名を連ねるのだ。
 ―― 肉が厚かろうわけがない。多かろうわけがない。衣がサクサクであろうわけがない。ハムはまさしくいい例えだ。完全にアウトだが魚肉ソーセージも疑わねば。
 と、まあこれくらい精神的にネガティブバリアを張っておけば、期待を裏切られたところでがっかりすることもあるまい。

 午後6時。そういう殊勝な心持ちで「カツ丼」を銘うたう丼のフタを持ち上げた途端、僕はいきなり動揺した。
 カツは細く、薄く、硬く、主役の体をなしていない。それは想定していたことだが、卵がすべて、まさかの「そぼろ」だった。
 カツ丼なのに。

 食後、喫煙室で語られる夕食の話題。
「やっぱり薄かったね」「3枚だけ」―― 肉以外の感想は皆無だ。みんな知っているのだ。入院食の卵に『ふわとろ』はあり得ないということを。入院ビギナーの僕が迂闊だったのだ。

 食事の献立は、デイルームに数日分が貼り出してあるので前もって確認できる。疾病や疾患などによる制限で別メニューの患者もいるが、僕は今のところ通常食だ。
 早くも来週、23日の昼食「ビーフカレー」に着目している。期待しない程度に。


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2014-05-21 15:59 | カテゴリ:入院生活

 1日目は午後8時に就寝のベッドに入ったが、病棟内の電気はついたままなので、ずっと『鬼平犯科帳』をベッドで読んでいた。と言っても、これからの不安が常に頭をよぎり、全然集中できなかったのだが。

 そもそも消灯について、スケジュールを知らないまま昨日は寝た。
 午後8時以降、概ね10時くらいの間にみんなわらわらと就寝に向かうようだが、就寝前には基本的に「お休み前のおクスリ」を飲まなければならない。なんせ日中寝てる人はずっと寝てるもんだから、深夜から翌朝6時の起床まで、不眠に悩まされる人が多いということらしい。
 今日の朝、看護師さんに貰った入院のしおりには、
〈21:30~消灯(部屋・廊下)〉
〈22:00~完全消灯(各自のベッドランプもお願いします。TV延長時は、それに合わせて完全消灯します)〉
 とあり、「就寝」とはどこにも書いていない。午後10時になったら直ちに寝ろ、というわけではなく、周囲に迷惑がかからなければ電気の消えたデイルーム(共同リビングのような中心部屋。空席があればここで食事をしてもよい)で雑談していても構わないようだ。デイルームの隅にある喫煙室の利用時間も、午前6時から消灯後の午後11時となっている。
 ちなみに「お休み前のおクスリ」を貰えるのが早くても午後8時以降なのは、午後6時の夕食後に飲む患者それぞれの薬との服用間隔を考えてのことだろう。

 ところで今朝になって看護師さんから貰ったARP(アルコール・リハビリテーション・プログラム)の資料に〈AM7:15 瞑想〉というのがあり、慄然とした。
 いきなりみんなの輪に交じっての瞑想。
「今日一日、何をやるか目標をたてるんです」
 ―― ないです、そんなの。皆さん各々瞑じてください。俺はないです…。
 泣きそうになっている僕を察した看護師さんは、
「デイルームに全員入りきらないっていうのもあるんですが、外の廊下に丸椅子を置いて座ってる人もいますんで、サトウさんは慣れるまでそれでやってみましょう」
 と言っくれた。

 午前7時15分。そわそわ、びくびく「瞑想」――
 信念を持たず、心の安寧とはかけ離れた歪んだ精神しか持たない僕のメイソウは、ただ視線のやり場に困り、早く終われ、でしかない。
 で、そんな瞑想のあとは、患者会の役員が進行してのホームルーム。シャワー室の使い方、冷蔵庫の飲みさしのペットボトルがどうの。患者会の会費の積み立てがいくらになった、云々。
 ―― 興味ない。俺、こんなとこでやってけんのか。不安が増す。早朝から増す。ベッドに籠る。『鬼平』に籠る。


 昼過ぎ、僕と入れ替わりに同室の患者さんが退院準備をしているところに、父と母が着替えや日用品を適当に詰めて持って来てくれ、すぐに帰って行った。タオルやトランクスは洗濯で使い回せそうだが、Tシャツが足りない。その割に靴下だけやたらに多い。
 まあ、おいおい考えよう。そう思っていたら、夕食前に父から携帯に電話が入った。心配でかけてきてるのだろうが、あろうことか泥酔していた。僕が黙ってたら、父のほうから言ってきた。
「俺は飲んでるからな。はっはっは。俺は怒ってるから飲んでんだ」

「怒ってるから」。それだけでもう、不安と緊張、自分が無価値である申し訳なさが噴き上げてきた。―― やっぱり来なきゃよかった。

 今日は僕の担当看護師が決まり、軽く最初の面談を行った。
 3階の大浴場とやらに恐る恐る足を運び、ヒゲを剃って少しさっぱりしてみた。そのあとの、父からの電話だった。

 午後10時半。消灯後の喫煙室でタバコを吸った。

 
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