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2015-03-03 19:47 | カテゴリ:料理
(※5度目のスリップから16日目)
 今日は勝瀬さんの退院の日だ。なんだかナーバスになっている勝瀬さんに「何時頃に出発ですか?」と訊くと、
「まだ分かんないよ。カネ下ろしに行ったりとか、オレも結構忙しいんだ」
 勝瀬さんはベッドに寝転んで漫画を読みながら、僕にそう言った。

 午前中、一宮OTから昨日のSSTでのことを謝られた。演劇の稽古で使うトレーニングにはSSTのウォーミングアップにも応用できるものがあるかもしれないという、以前に僕と一宮さんの間で話に登ったことを彼女が牛本主任へ伝えたところ、
「それじゃあ次のSSTのウォーミングアップはサトウさんに進行してもらいましょう」
 と主任が言ったので、昨日のような運びとなったそうだ。
 昨日のあれは、牛本主任のムチャぶりだった。


 10時半からは、8人の患者と4人の病院スタッフとでシーフードカレーづくりが始まった。僕はOT研修生の女の子と、稲村さんという最近入院した50歳前後の男性患者と一緒にチャパティづくりを担当した。
 仕事の都合で中東のどこだかの国に赴任していたという稲村さんは、毎朝なんだか凄い器具を使って大層なコーヒーを煎れて飲んでいる。焙煎した豆を買ってきて、自分で挽いている。さすがにそこまでではないけれど、優二さんも頻繁に使い捨てのドリップにお湯を注いでコーヒーを飲んでいる。そうしたとき、デイルームは香ばしいいい匂いに包まれる。僕はコーヒーについては、インスタントにミルクと多めの砂糖を投入して飲むのが好きだ。こだわりはない。他人事だから思うのかもしれないが、そんなこだわりの飲み物がほかにあっても、アルコールに依存するのは不思議な気がした。それ以前に稲村さんの場合、そもそもイスラム教徒の多いアラブの国でお酒なんか飲めていたのだろうか。
 あれこれ訊きたかったが、チャパティづくりが余計な雑談を許してはくれなかった。
 生地を発酵させる必要のないチャパティは、全粒粉と塩と水と少量のサラダ油でつくることができるので、ナンよりも手早くできるらしい。全粒粉が手に入らなかったため強力粉での代用となったが、僕ら3人は格闘しながらひたすら生地をこねた。
 途中、丸投げする割にあれこれと口を挟んでくる洋子さんにまたしてもムッとしてしまった。気分もヘコみ、もう料理は今回で最後にしようとまで思ったが、洋子さんのほうが先に退院するため今日が彼女の最後の料理となっていたことをあとで知った。
 今回参加した患者のうち、中山さんも今日で退院のため、このままでは次回からまた人数が減ることになる。洋子さんのあとを引き受ける料理グループのリーダーを誰にするか、食後に話し合いが行われた。
 新参加の稲村さんと須藤さんは、入院して日が浅く勝手が分からないということでパス、今回復帰した節子さんは体調が不安定でお願いできない。僕はといえば木曜に行われる南町教会での自助参加のあと、徒歩で向かえる実家に外泊して金曜昼までに戻るという練習を優先したいので、来週の料理参加じたいを保留した。予定通り1クールちょうどで退院となると、金曜日はあと2回しか来ないのだ。
 必然的に、リーダーは草刈さんか山形さんのどちらか、ということになるのだが、草刈さんは所用のため食後すぐに中座してしまっていた。山形さんは来月から患者会の会長を務めるため、負担はできるだけ軽くさせたい。
 結局、後ほど草刈さんにお願いして、どうしても固辞された際は山形さんにリーダーを引き受けてもらう、ということに半ば強引に決まった。
「何でもかんでもオレかよー」
 とボヤくだけボヤいていた山形さんだが、少なくとも患者会の会長については自分から立候補していたと聞いた。何にせよ、普段から背中が痛いと言いつつミニバレーで汗をかいては死にそうになり、相変わらず日中は眠剤の影響で眼は虚ろ、呂律も回っていない山形さんは本当に大丈夫なのだろうか。
 ちなみに今日のカレーの出来だが、貴重なシーフードの存在感が大量のジャガイモに見事に負けていて、要するに「ごめんなさい」程度にイカだのエビだのがチラチラする具合だった。とはいえ、ブレンドしたルウでつくったカレーの味は旨かった。草刈さんお得意のあり合わせスープも節子さんのポテトサラダも美味しかったが、洋子さんのコーヒーゼリーはうまく固まらず、結局リベンジとはいかなかった。
 そして僕らがつくったチャパティだが、これはもう完全に惨敗だった。「不味くはないが旨くもない。それでいて大量にある」という、最も避けたい惨事を生んでしまった。数十枚はできてしまった。もの珍しさから、みんな1枚は食べてもそれ以上手をつけない。僕はつくった手前、意地でもチャパティに食らいついたが、食べても食べてもチャパティ。おまけに白ごはんもあるのだ。腹チャパティ胃チャパティ。何を言ってるのかよく分からないが、要はそれだけチャパティを頬ばったということだ。
 あとで知ったのだが、チャパティの生地というのは1㎜くらいに伸ばすのが正解らしい。僕らのは「宅配ピザのクリスピーじゃないほう」の生地に似ていた。誰も本場仕込みのチャパティを食べたことがないのだから仕方がない。ともあれ、ご馳走さまでした。


 料理の時間に、勝瀬さんは既に病院を後にしていった。ちゃんとしたお別れができなかったが、これは勝瀬さんの狙いだろう。これからデイケアに通う勝瀬さんだが、またいつスリップして病院に戻るかも分からない。華やかな見送りは恥ずかしいだけで、それを嫌う患者は勝瀬さんに限ったことではないのだ。


 チャパティで膨れあがったお腹をおして、7階アトリエの創作へ向かう。退院までの日数を考えると、この時間もあと3回しかない。
 一宮OTが用意してくれた白絵具と極細筆で、革細工のカードケースに手彫りしたコンビニチェーンのロゴを時間いっぱいかけて縁取りしたが、最後に再度ニス塗りしたら、甘乾きだったため白がほとんど消えてしまった。何やってんだか。次回はもう少し彫りを深くして再チャレンジする。

 夕食後は院内AA「はましぎ」に参加した。メッセンジャーは男性1名、ほかに浅尾さん、須藤さんと僕の計4人でのミーティングだ。僕以外は3人とも、もうすぐ60歳という同世代トリオだ。
 今日のテーマはいつかも挙がった「認める」。僕は改めて入院に至った経緯と、自分がいまだ節酒でいけると思っていること、そしてその考えは僕が自分を依存症と認めていないということではないかと最近気がついた旨のことを話した。
 最後にメッセンジャーの男性からコメントをいただいた。AAのテーマミーティングでは珍しいことだ。
「焦らないでください。『今日は飲まないでいける』と思ったときだけAAに来ていただいてもいいんです」

 焦りは敵だ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-08-10 20:47 | カテゴリ:料理
(※5度目のスリップから2日目)
 午前10時半からの料理は、一宮OTと一緒にデザートの杏仁豆腐を担当した。中華の鉄人・陳健一の顔写真が載った、1箱5人前という市販の杏仁豆腐の素しか売っていなかったので、2箱買っておいたのを11人分にカサ増しする。低脂肪乳を多めに、先週のコーヒーゼリーで余ったフレッシュも投入して熱湯と混ぜ、缶詰の白桃をカットしてトッピングした11個の器に流して冷凍庫へ。本来なら冷蔵庫で2~3時間冷やすらしいが、そんな悠長なことはできないので冷凍する。ゼラチン状にちゃんと固まるか、前回のように上だけ凍ってしまうかはやってみないと分からない。陳さんを信じて待ったら、想像以上にいい具合に出来上がった。
 そのほか八宝菜、中華スープ、春雨サラダ、キュウリではなくなぜか白菜の浅漬けと、どれもすべて美味しく完成した。八宝菜に載せたウズラの卵は、こだわって生卵を茹でてみたものの、殻をむくのが至難の技だったようで、見事なまでにボロボロに崩壊していた。それも愛嬌のうちだ。
 料理は毎月第3週が休みのため、次回は再来週、メニューは王道に戻ってカレーに決まった。今日は最近入院した男性患者がふたり、見学に来ていた。今日で研修最後となる学生さんに合わせて参加していた勝瀬さんと中山さんが次回から抜けるため、また新しいメンバーの獲得が必要だ。


 午後1時半からの創作では、カード入れの表と裏を縫い合わせるための穴あけと、いよいよ染めに入った。一宮OTは「適当にごまかせばいいんですよ」と簡単に言うが、穴は不揃いで色ムラが激しく、なんだか汚い。もう少し巧くできるかと思っていたが、こっちのほうは想像以上に稚拙だ。ここから適当にごまかせるだろうか。
 勝瀬さんは2個目となるキーケースを、平嶋さんはタバコケースを、みんなそれぞれ器用に仕上げている。米窪さんは、駅前でやっていたフリーマーケットで買ったという、米軍イージス艦のプラモデルを作っていた。創作の時間なので、革細工以外に絵を描いてもいいし、別にプラモデルだって構わないのだ。もっとも、横で革細工の模様の刻印を木槌で叩くたびにプラモの細かいパーツが飛び散らかって、とても集中して作れる様子ではなかったのだが。


 午後3時半。久しぶりに柏ノ丘例会に参加した。参加者は迫さんなどの患者を含めて全員で11人。和代さんは欠席していた。米窪さん情報では、彼女は「今日は機嫌が悪い」とか言っていたそうだが、それが何か関係しているのかは分からない。
 僕は父と母のことを簡単に話し、明日、初めての外泊で実家に帰ることを伝えた。
「例えお父さんが飲んでいても、それに影響されず『飲まない』という思いを貫いてください」
 と、北股会長から激励された。


 夕食後は、毎月第2金曜の院内AA「ちかぷ」に出席した。メッセンジャーは男性ひとり、患者は僕と勝瀬さん、米窪さんのほかは、最近入院した人などで7人が参加した。
 申し訳ないが、僕はミーティング中はほとんどうつらうつらしていた。


 明日、いよいよ実家に一時外泊する。牛本主任から昨日、父へ電話で連絡をしたと聞いた。初外泊のときは、担当看護師から外泊先へあらかじめ確認の電話を入れる決まりなのだ。僕からも、夕方くらいまでに着くと直接伝えてある。
 絶対飲まないぞ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-07-14 23:16 | カテゴリ:料理
(※スリップから7日目)
 朝6時半、もういいだろうと勝手に判断して、4階玄関前のラジオ体操に久しぶりに参加した。今日で退院するカナちゃんも一緒だった。
 実際、朝食後に詰所で確認したところ、僕の外出制限は飲酒申告のあった先週月曜から1週間ということで、一昨日には解禁になっていたということだ。

 5月14日でビギナーミーティングが終了したため、今日は少し早い10時からセカンドミーティングに参加した。先週は4階に移されていたため、今日が初参加となる。事前に100円で購入したテキストを使ってのミーティングで、第①~⑧回までのチャプターに分かれている。セカンドミーティングでは第①~④回まで、第⑤回以降はサードミーティングで進めていく。
 今日は第②回『回復について』の項で、学習会と同じく第④回の翌週はまた第①回に戻るという仕組みだ。担当は理科の教師みたいな男性心理士で、入院して間もない先月末の学習会で『私はどんな人?』のプリントを書かせた心理士と同じ人だと思われる。
 参加者は10人前後で、一行ずつテキストをを読み上げさせ、淡々と進行していく。タイトル通り回復のステップについて書かれたものだが、このワークブック形式のテキストにはいくつかの質問と回答欄があり、各々に記入させて発表を促し、回復のありかたや具体的な目標について考えていく学習プログラムの様相が強い。無理もないことだが、正直テキストにはごく一般的な内容しか書かれていない。患者の回答も、心理士が発言させて一方的に見解を述べていくような展開で、充実しているとは思えなかった。


 ミーティングが始まる直前、廊下でカナちゃんに会った。これからすぐ退院だという。2週間という短い期間だったが、精神科の病棟で21歳の女の子と寝食を共にする機会はそうそうない。僕が言えた立場ではないが、二度と同じ失敗で戻って来ないで欲しいと思いつつ、それは口には出さずに彼女と別れた。

 昼食後には、勝瀬さん、米窪さんと散歩へ出た。徒歩でスーパー柏ノ丘店まで行き、ふたりの買い物に付き合って戻っただけだが、久しぶりに歩いた外の空気は、もうすっかり初夏の陽気になっていた。


 午後4時。金曜の料理の打ち合わせをデイルームで行った。米窪さんと山形さんは師長から参加ストップがかかり、患者のメンバーは新しくリーダーになった節子さん、今回から加わった洋子さんと、草刈さんに僕、さらに作業療法士の一宮さんが集まった。看護師さんふたりを加えると7人、活動継続が微妙な状況だったが、「じゃあ俺もやるよ」と平嶋さんが加わり総勢8人、予算は2,400円となんとか体裁を保てる格好となった。
 先週の青椒肉絲のあと、節子さんの提案で決まった『鱈のミートソースがけ』だが、鱈が高ければ鮭で代用しようという節子さんに対し平嶋さんが、
「安いのは鶏だよ、鶏にしたらいい」
と言い出した。魚から鶏という、もはや別物の料理の話へ方向転換していった。
 確かに鶏、特にムネ肉なら安いのだろうが、先週のグループメンバーで決めたのは何だったのか。節子さんも、
「もしモモ肉が安かったらモモにして」
 と、早くも当初の魚プランを捨ててしまったようだった。
 それでも最初に決めたことにこだわる僕は食い下がった。
「まあ、もし鱈が安かったら鱈、次の候補は鮭、鶏モモ、ムネの順で一応いきましょうよ」
 平嶋さんはそれでも「魚は高いって」と譲らなかったが、結局は店頭で判断することで押し切り、内科の回診がある平嶋さんと、脚の悪い節子さんを除いた草刈さんと洋子さん、それに僕の3人で買い出しへ行くことになった。
 実際、僕もこの予算で鱈が8人分も買えるとは思っていなかった。ただ、いったんみんなで決めたことを、あとから参加した人があっさり覆そうとするのが気に入らなかったのだ。結果的に鶏になろうがカマボコになろうが構わないのだが、いちおう当初のプランを優先させるのが筋だろうに。店頭で確認もしないで妥協したくなかったのだ。
 正直僕は、自分の判断で買い物をしそうな平嶋さんが買い出しに加わらなくてホッとしてしまった。


 米窪さんは、昨日から肝臓食の制限メニューになっている。転院先の病院での食事はストローで吸えるような重湯程度だったそうだが、柏ノ丘での肝臓食は塩分は抑えられるものの、メニュー自体は通常食と大差はない。それでもあんパンだのカップ麺だの間食は厳禁ということだ。当たり前だが。
 昨日、管理栄養士の女性が米窪さんのベッドを訪ね、肝臓食について説明しているのをカーテン越しに聞いていた。ふと、どんな栄養士さんなのか気になって、さりげなくチラ見してみた。マスクをしていて表情はよく分からなかったが、パッチリした目の美人で、スマートな女性だった。
 ぱんぱんに太ったり、ガリガリに痩せた栄養士なんているのだろうか。米窪さんによると、今までそういう栄養士には会ったことがないそうだが、
「もし会ったら、あんたで大丈夫かって俺は訊くよ」
 と言っていた。


 夕食後の院内AAは『ヒナドリ』グループのミーティングに参加した。男性がふたり来られていて、患者の参加者は僕を含めた7人だったが、このところ体調を崩して咳がひどい福井さんが途中で退席した。
 進行を担当したメッセンジャーの男性は現在63歳と言っていたが、もっと老けて見えた。現在は温和な顔立ちだが、お酒を飲んでの問題行為から刑務所に服役していたそうだ。出所後にこのAAグループを紹介されたがすぐに通わなくなり、お金がないのに飲酒欲求を抑えきれず万引きを繰り返し、挙げ句に警察に突き出された。その際、これは依存症という病気が原因なのだと熱心に説明、擁護してくれたのがAAグループのメンバーだったという。そのおかげで刑務所へ逆戻りすることなく、真剣に断酒と向き合うようになったという話だ。
 また、仕事の面接では開き直った気持ちで、自分がアルコール依存症であることを正直に伝えたところ、面接担当者が「私の姉もアル中で苦しんでいる」と告白され、それが縁で採用に至ったという。
 すべての依存症者がこの男性のようにいくわけではない。この方は最後にこう結んだ。
「同じように酒に溺れたかつての仲間は、みんな亡くなりました。私は奇跡の回復なのだと、私自身そう思っています」


 今日も最後はオヤジどうしで大富豪となった。いつものメンバーのうち、いちばん強かった患者さんが今日退院したため、4人でのゲームになった。
 今夜僕は『革命』を起こし、そして勝った。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-06-28 22:35 | カテゴリ:料理

 早朝のラジオ体操からデイルームへ戻ると、和代さんが大声で料理グループの話をしていた。大田看護師からメンバーに誘われたが、どうするか揺れているというのだ。
 実際のところ料理グループは、米窪さんや丸谷さんらが抜けて、現在の正式なメンバーはリーダーの康平くんと節子さんのふたりだけだ。その康平くんも来週の回を最後に退院するため、このままでは活動休止を余儀なくされてしまう。
 僕は前回のリベンジということで再度見学させてもらい、買い出しにも付き合うことを康平くんに伝えていた。カナちゃんも正式に参加したいと言っていたので、そのことを和代さんに話した。
「でも、もっと人数がいないと料理なんてできないし、私迷ってるのよ」
 和代さんが心配しているのは、予算のことだ。料理グループの正式メンバーには、病院で出される通常食1食分に相当する、ひとり300円が割り当てられる。10人いれば予算3,000円でメニューを考えることができるが、3人や4人程度では1,000円前後でしか作れないことになる。ARPの一環として見れば、できるだけ多い人数と予算でそれなりのものに挑戦しなければ、活動の意味がないということだ。ちなみに白米は、予算に含まれずに使い放題なのだそうだ。また、食事制限のある患者もいるため、誰でもいいというわけにもいかない。

 康平くんは昨日、朝の瞑想の時間に料理リーダーとして参加の呼びかけをすると言っていた。が、今朝も7時15分から始まる瞑想に起きて来る気配はなかった。
 平日は毎朝、瞑想10分前になると詰所からの放送でデイルームへ集まるよう周知される。5分前にもなると、前日の夜勤から朝を迎えた看護師さんが病室を回り、まだ寝ている患者に「瞑想ですよー、起きてくださーい」と声をかけるのだが、康平くんはそこでいったん返事をして起きるふりだけを見せ、看護師さんが病室を出て行くと二度寝に入って瞑想をすっぽかす、という技を身につけている。なかには叩き起こして無理やり引きずり出してくる、掛川看護師のような強敵もいるが、そうでもない限りは決して起きない常習犯なのだ。
 節子さんが張り切っているようなので、僕はこのまま料理グループが活動できなくなるのは残念だとは思っていたが、僕自身が今すぐメンバーになって積極的に関わろうというつもりはなかった。前回「やっぱりダメだ」とあっさり逃げ出してしまったため、集団に入って行く勇気と意欲を少しでも持つことができたら、1回の見学で充分だった。
 和代さんは「迷ってる」と言ったが、迷うも何もメンバーが集まらなければ活動できないのだから、それはそれで仕方がない。康平くんに「退院までになんとかしろ」と丸投げするのも無茶な話だ。
 結局、康平くんは起きて来ないまま瞑想の時間が終わろうとしたとき、いきなり和代さんが手を挙げて発言した。
「料理グループの件ですが、メンバーの退院で人数が減っています。今回、ふたり新しく入って、私も誘われてるんですが、3人4人じゃたいしたこともできないので、正直なところどうしようか揺れています。ぜひ皆さん、料理グループへの参加を検討いただけないでしょうか」
 頼まれてもいないのに康平くんに代わって発言する結果になったが、自分が参加を決めかねているからほかの人に参加の検討を促すというのは、なかなか大胆というか正直というか、これはこれでたいしたものだと呑気に感心してしまったが、「ふたり新しく入って」とは誰のことだろう。
 ―― もしかして、俺とカナちゃんのことか? 俺はメンバーになるとは言ってないし、カナちゃんは2週間で退院の予定だから、来週1回しか参加できないのに。

 僕にはよくあることなのだが、自分の意思とは逆に話が進んでしまい、結果として混乱を招いてしまう。もっとも、僕が最初にしっかり意思表示をしないことが問題なのだけれども。
 その後、大田看護師から「とりあえずメンバーになって、作ったものを食べてみましょうよ。やめるのはいつでもできるから」と説得された。優柔不断な人間の背中を押すのは「とりあえず」と「やめるのはいつでも」という、なんとなく都合のいいキーワードだ。行きがかり上、メンバーとしての参加を断れなくなってしまった僕は、それならばと、今度は大田看護師と一緒になってメンバーを募る側に転じた。
 52号室の草刈さんは、僕より少し前にアルコール依存症で入院した50代の男性患者だ。今回で2回目の入院らしい。僕がここへ来た当初、散歩コースに柏山の展望広場を薦めてくれた温厚な人で、毎朝病院周辺の散歩やジョギングを欠かさない。院外SHGでは断酒会に積極的に出向いている。草刈さんを引き込まない手はない。
 甘言を弄してお誘いしたところ、「前にもいちど、やってるんだよなあ…」と、困惑されてしまった。
 草刈さんによると、入院が長期だったり、複数回におよぶ患者のほとんどは、たいていのARPをいちどは経験しているらしい。ほかにすることがないのだから、考えてみればそれはそうだ。いちど参加した人が現在はしていないというのは、それぞれに何かしらの理由があるわけで、そういう人を再び乗り気にさせるのはなかなかハードルが高いということになる。
 とはいえ、患者の顔ぶれは入れ替わるものだ。何も分からない入院ビギナーをただ待っていても始まらない。僕は大田看護師と猛烈なアプローチのすえ、「しょうがねえなあ」と半ば強引に承諾を取りつけた。

 いったん引き受けると、今度は草刈さんが積極的な姿勢を見せた。
「だけど、10人くらいは欲しいな」
 根拠はないが、なんだか頼もしい。
 あとで聞いたところ草刈さんは、とりあえず次回のお試し参加ということで勝瀬さんの勧誘に成功したそうだ。勝瀬さんは柏ノ丘初入院でARPにも積極的、食事制限もない。料理メンバーにはうってつけだと僕も目をつけていたのだが、「オレ、食べ物の好き嫌い激しいよ」という大人しからぬ抵抗に押し切れずにいたところだ。
 料理には大田さんか長浜さんのどちらかが、担当看護師として必ず立ち会う。また、リハビリ課から作業療法士も1名参加する。そうした病院スタッフや、現在看護実習に来ている学生さんも数に入れて構わないということで、患者だけで10人とまではいかなくても、なんとかグループとしての体裁は整いそうだ。場つなぎではあるが、即活動休止になるよりはマシだ。
 ただ、草刈さんがどんな手を使って勝瀬さんを引き入れたのかは、未だに分からない。


 昼寝をしないよう注意はしているが、それでも睡魔はやって来る。
 今日が2回目となるはずの革細工の創作は、昼のまどろみに時間を奪われ参加できなかった。僕はまだ退院まで2ヶ月あるからいいものの、来週退院の康平くんは今日が最後の創作だったが、彼もあえなく寝過ごして不参加となってしまった。もちろん朝の瞑想からずっと寝ていたわけではないようだが、午後1時半からという創作の時間帯は注意が必要だ。昼食後のまったりとした空気が、康平くんをベッドへといざなったのだろう。
 結局彼は最後の仕上げをすることなく、未完成のキーケースをお持ち帰りすることになった。「次に入院するときのために、アトリエで保管する」という選択もあるにはあるが、薬物依存を断つと決意した29歳にとっては笑えない冗談でしかない。


 午後3時半。先週に続いての断酒会『柏ノ丘例会』は、少し寝ただけあってすっきりした頭で参加することができた。
 アルコール依存症者のための自助グループには断酒会とAAのふたつがあるが、ARPで自助グループに参加する患者は、たいていどちらかに特化していく。
 断酒会については、まだ院外の集まりに足を運んでいないのであくまで聞いた話だが、会費負担のある会員制で組織としてのまとまりがかっちりしている反面、縛りがきついと感じる人には敬遠される向きもあるようだ。
 いっぽうAAは、来るも来ないも本人の意思に任せる、といった感じで匿名性も高い。それだけに、かえって断酒に結びつかないという落とし穴も多い気がする。アメリカ発祥だけあって、宗教的な色合いが濃いのも特徴的だ。
 どちらがいいとか悪いとかではない。僕は双方のメンバーの方から、自分に合ったほうを自分で見極めるようアドバイスをいただいた。そして入院中の自助グループ参加は、それを判断する貴重な機会ということになる。
 そうは言っても、最初に足を運んだグループの印象の良し悪しで一方に傾いた人もいる。和代さんは即断で、この街の中央地区で例会を開いている断酒会に正式に入会し、病室から通っている。
 また、今のところ入会はせずに院外の断酒会へ足を運んでいる草刈さんは、最初に行ったAAの印象がたまたま悪かったので、以来AAには行かないことにしたのだそうだ。普段温厚な草刈さんからは想像しにくいが、そのときは椅子を蹴飛ばして帰ってしまったというから、よほどのことがあったのだろう。もちろんAAも断酒会もそれぞれたくさんのグループがあり、たまたまひとつが悪かったからといって、すべてのグループが同じというわけではない。けれどもそこはやっぱり人間なので、第一印象で決まってしまうことがあるのも否めないことだ。
 利根川さんや植中さんなどは、束縛されないAAが性に合うようだ。ふたりとも特定のグループには所属はせず、あちこちのミーティングに出かけている。優二さんも院外AAには積極的だが、院内でのAAに参加しているのは見たことがない。人によって関わりかたも様々なのだ。
 どちらの自助にも参加したうえで「どっちも合わない」という患者もいる。この中には酒をやめる気があるのか疑わしい人もいるが、例えそうではなくても特に年輩の患者にとっては、体力的にも精神的にも自助に積極的になれない人が多いのも事実だ。さらには町坂さんのように「オレは自力で断酒する」と本気だか冗談だか分からないことを口にして、どちらにも参加しない人もいる。
 つまり結局は、人それぞれということだ。僕は退院まで、自分に合った選択をするため、できるだけ両方の集まりに参加するつもりだ。

 今日の柏ノ丘例会では、北股会長含めて14人が参加、入院患者では和代さんのほか、断酒会では珍しく植中さんの姿もあった。
 例会では冒頭、横断幕に掲げられた6項目から成る『断酒の誓(ちかい)』を、全員で起立して唱和するのだか、このうち最後のひとつに次の文言がある。

 一、私たちは断酒の歓びを、酒害に悩む人たちに伝えます。

 僕はこの、「断酒の歓び」というものを知らない。子供の頃、シラフの父と他愛のない会話で笑った記憶がない。舞台に立つシラフの父を「凄いなあ」と思ったことは何度もあるが、それは家での父ではない、別の誰かのようだった。
 中学に入ってお酒を知り、それが仲間を確認し合うことのできる便利な道具だと錯覚した。そして高校を出て実家を離れ、大阪で大学生活を始めた翌年、人間関係の悩みから連続飲酒に走り、38歳の今日まで至った。
 お酒を飲んで本音をぶつけることがコミュニケーションの本質だと信じ、お酒が飲めない人を気の毒だとさえ思っていた。いつしか、お酒がないとあらゆることを楽しめなくなり、不安や孤独や劣等感をすべてお酒でごまかすようになってしまった。
 僕には断酒をすることが、こうしたすべての苦痛を無条件で受け入れて、ただひたすら我慢するだけの、より大きな苦痛に思えて仕方がない。お酒をやめなければとは思いつつも、やめたところで今度はそういう苦痛に押し潰されやしないか。心の平穏が得られることなんて、僕に限ってないのではないか。本音を言えばそれが怖い。「断酒の歓び」など、想像もつかないのだ。
 前回、北股会長から「38歳という年齢は、断酒をするいちばんいいタイミング」と言葉をいただいた。確かに、失った時間や人間関係は取り戻せないが、もういちど生き直すことはできるかもしれない。生き直すに当たって、僕はぜひともこの「断酒の歓び」というものを知りたい。これまで断酒を続けてそれを知った人から、僕自身の歓びにつながるヒントを探したい。

 僕は今日、そんな発言をした。これを受けて、並木さんという60代半ば~後半くらいの男性が、自身の思いを語ってくれた。
「私はお酒のために、これまで夫らしいこと、父親らしいことを何ひとつやってきませんでした。残りの人生、断酒を続けることで、その埋め合わせをひとつずつしていき、失った信頼を少しずつ取り戻していけるよう、努力することが私の歓びです」
 痛切な後悔と反省の気持ちに立った言葉で、並木さんはそう断言した。
 また、50代と覚しい古国さんという男性はこう話す。
「今までは、命を削って飲酒してましたね。いってみれば、命をかけて飲んできたんだから、今後は命をかけて酒を断つんです」
 命をかける価値を見出だせるなら、それは歓びにほかならないはずだ。


 午後6時半から参加した院内AAは、先々週に続いて2回目となる「はましぎ」だ。メッセンジャーは50~60代の女性がひとり、雨の中を来られた。患者は僕を含めて5人が参加した。
 このミーティングで、福井さんの思わぬ発言が飛び出した。
「いや実は最近さ、みんなの話聴いでっと、オレぁアル中じゃねんでねか、って思うようになったンだワ」
 福井さんらしいカミングアウトに、教室は驚きと失笑に包まれたが、本人は至って実直に、自身の感じる疑問を話してくれた。

 アルコール依存症者には、その親もいわゆるアル中で、毎日のように酒に酔う父親や母親の姿を目の当たりにして育った人が多く、虐待を受けていたケースも少なくない。そういう、アルコール依存症者を親に持ったことが成長過程に影響を及ぼし、大人になっても感じかたや考えかたに偏りを抱える人たちのことを『アダルトチルドレン(AC)』という。けれども福井さんの両親はお酒を飲まず、福井さんがお酒を覚えたのも20歳になってからだそうだ。
 アルバイトでバーテンをしていた際、店の売り上げのため、あまり飲めないお酒を半ば強制的に飲まされたが、それでも連続飲酒につながることはなかったという。
 結婚後、晩酌はするようになったが、それでも当初は子供が塾から戻るのを車で迎えに行くのが日課で、帰宅してからお酒をたしなむ程度だった。やがて子供の塾通いがなくなると晩酌は早めになり、次第に酒量が増えたそうだ。2年前に体調を崩して倒れた際、娘さんから「お父さんはアルコール依存症だから病院へ行って」と言われ、初めて専門外来で依存症と診断された。診断書には「重度」と書かれていたという。
 ひと月程度の入院をしたが、断酒は叶わず2回目の入院となった福井さんは、その際も「自分の意思でいつでもやめられる」と依存症を認めなかった。AAや断酒会も拒否し、今度はわずか1週間で退院してしまったそうだ。以前、女性グループ「オリーブ」のミーティングの席で「AAが大嫌い」と言ったのは、このときのことだろう。今回は3度目の入院となった。
「今度で最後にすっぺと思って、1クールちゃんとやろう、ンだば、ちゃんと学習もしねばど思ってよ」
 福井さんは現在、AAに積極的に参加している。ほかの患者の話を聴きながら、福井さんなりに試行錯誤しているのだと思った。その試行錯誤の先に、福井さんが自身の問題を解決していくための何かがある。

 プロセスは人それぞれだ。ここに、解決のための方法を決して絞ることのできない難しさがある。


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