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2016-05-23 09:25 | カテゴリ:スリップ

 8月1日、金曜日。僕の復職初日は寝過ごして遅刻という大失態からスタートした。
 前日夜、僕は麻友美さんの部屋でふたりしてお酒を飲み、朝帰りしたあとで二度寝してしまったのだ。

 99日間の入院生活を通して「アルコール依存症」という病気についてたくさんのことを学んだはずの僕が、実家での生活に戻ってから再び飲酒に走るまで時間はかからなかった。
 退院直後こそお酒から遠ざかり、趣味を持とうと家電量販店で数千円出してプラモデルなんぞを買ってもみたが、すぐに「一杯だけならいいだろう」という誘惑に負け、酎ハイに口をつけた。それが1本から3本、4本となり、結局元の酒飲みに戻った。これまで何度も耳にしてきた実例に漏れず、僕も完全にスリップとなったわけだ。

 麻友美さんとは何度か連絡を取っており、このままではいけないとは思いながらも、中途半端な飲み友達の関係が続いた。お互いに淋しさを紛らわせたいだけの僕らは、たいていの場合は単なる傷のなめ合いに終始していた。


 日々は過ぎる。上司にこっぴどく叱られて最悪の始まりとなった仕事のほうも、現場に戻った秋口には過剰なストレスを余儀なくされていた。僕のココロは弱いままだった。会社に居場所を作ることができず、毎日逃げるように帰宅し、夜が明けるのを拒むかのようにお酒を飲んだ。
 それでもAAには通ってスリップを告白していたが、そのうちミーティングの帰り道でもコンビニで酎ハイを買って飲むようになり、煩わしさと後ろめたさから次第に足が遠のいていった。


 年が明け、2015年になった。月に一度の外来も、2月を最後に行かなくなった。渡辺先生の「飲んでますか?」という質問に正直に答えても再入院を勧められるだけなのだが、経済的な事情や両親の手前、それは無理な選択だった。だから飲んでないとか少しだけ飲んだとか、そういう空しい嘘をつく。けれどもやっぱりそんなことは後ろめたくなるだけで、結局最後には足が向かなくなった。カウンセリングに至っては、一度も行かずじまいだった。
 アルコールを摂取しているため、安定剤や眠剤もきちんと飲んでいなかった。会社の出勤前と休み時間に、食事の代わりにジアゼパムやエビリファイを飲んだり飲まなかったりするだけで、処方された薬を飲みきると、あとはひたすら我慢の日々しかなかった。

 会社も休みがちになった。給料日のあとは歓楽街の居酒屋やキャバクラを徘徊し、数日で何万も使ったが、泥酔しているのでまるで覚えていない。少ない給料を一晩でほとんど使ってしまったこともあった。
 すべて悪いほうに転がり落ちていくのを感じていた。


 2015年11月。この月も給料日直後にその大半をキャバクラで使い果たしてしまった。記憶もない。自分でもコントロールできない状態に、激しい自己嫌悪が重なる。それでも部屋で酎ハイを飲み続けたある日、酔った勢いで柏ノ丘病院へ電話をかけた。
 僕の担当ワーカーだった下地さんと話をすることになったが、実のところ何を話したかよく覚えていない。とにかくもう一度、病院で治療をお願いしたいが経済的にそれができない、という相談だったと思う。
 その後、この街の独立支援センターの窓口へ相談した。下地さんに教えていただいたのか自分で自治体へ問い合せたのかは定かではない。ほどなくセンターから担当の方が実家を訪ねて来た。無論、父には僕の口から現状を伝えることとなり、両親を交えての面談となった。
 担当の方からは生活保護を勧められ、11月の末には役所の保護課へ、両親とセンターの方に付き添われて相談に訪れた。実家を出る世帯分離が生活保護を受ける事実上の条件となることを説明され、父の同意のもと部屋探しとなった。11月いっぱいで会社を依願退職し、自分で見つけた家具家電付きのワンルームマンションに転居、年内に晴れて生活保護の申請が下りたのだった。

 ここまでにかかった引越し費用は、大阪から実家へ逃げ帰ったときと同様、父に負担してもらった。この2年近くの間も母の認知症は緩やかに進行し、父も鬱状態になっているようだった。実家でも、僕が父と会話することはほとんどなくなっていた。


 2016年になった。1月8日の外来で、渡辺先生による久しぶりの診察を受け、14日からの再入院が決まった。即日入院が可能なのは5ーA病棟だったが、僕が拒否して5ーB病棟に空きができる14日にしてもらったのだ。
 それから入院当日を迎えるまでは、ただひたすらお酒を飲んだ。この期に及んでも僕は、お酒を完全に断つ覚悟ができていなかった。


 1月14日。2年ぶりとなる柏ノ丘病院の5ーB病棟、同じ53号室。かつて周さんや倉持さんが使っていた窓際のベッドが僕の新たな「引き籠りスペース」となった。
 別の病室に入院していた米窪さんと、まさかの再会をした。米窪さんは昨年の秋口から入院しており、僕と入れ替わるように明日退院するのだという。
 あとで別の患者から聞いた話によると、米窪さんは外出先での飲酒常習者となっており、閉鎖病棟送りや強制退院も何度か喰らっているのだという。駅前ショッピングモールの 100均で買った雑貨を院内で転売して小遣い稼ぎをしたり、夜中に冷蔵庫を蹴り飛ばして叫んでいたりと、僕の知っている米窪さんとは別人の話を聞いているようだった。
 そんな米窪さんは退院準備で忙しかったらしく、ほとんど僕と話すことなく病院を後にしていった。

 僕の担当看護師は、東郷さんが受け持つことになった。沼畑師長も牛本主任も元気そうで、詰所の看護師さんで知らない顔はひとりだけだったが、長浜看護師が別病棟に移り、小里看護師、大田看護師が退職していた。またリハビリ課でも、一宮OTの姿がなくなっていたことに淋しさを感じた。

 僕の再入院生活は焦りの日々だった。退院後は一日も早く生活保護から抜け出て、一般職に就かなければいけない。今の状況は恥ずべきことで、僕は社会のお荷物に過ぎない。
 そんな思いが、僕を余計に殻に閉じ籠らせた。
 正直、院内のAAとレクのバレーにこそ出ていたものの、どのプログラムも参加するのが億劫だった。焦りが先に立ち病棟の患者に溶け込めない。山形さんが入院していたが、ほとんど話すこともなかった。
 孤独で、淋しさばかりを募らせていた。ベッドのカーテンは閉めきったままだった。


 入院後、2週間で全日外出が可能になる仕組みは変わっていなかった。2月末に入り、僕は外出届けを出して自宅へ戻り、酎ハイを飲んで帰院した。当然のことながらこの飲酒は看護師さんにバレることになったのだが、1週間後、行動制限が解かれた日に再び同じことをやってしまった。渡辺先生から下された指示は、6階閉鎖病棟への移動か、さもなければ治療の意思なしと見なされたことによる強制退院だった。
 前回の入院で都合5回スリップしている僕としては、この結果は予想しておらず、面喰らった。正直に認めることなく、飲んでいないと最後まで嘘をついたことが問題だった。完全に甘く見ていた。
 6階の閉鎖病棟へ移ることは、恐怖でしかなかった。今よりもっと孤独が増して、頭がおかしくなってしまうのでは、と本気で感じた。同時に、もうどうでもいいのだという諦めから僕は、
「退院します」
 と答えた。


 2月末日、その日をもって急遽自宅へ帰された僕は、それから1週間、浴びるようにお酒を飲んだ。完全に自暴自棄になっていた。気持ちが悪くなって部屋で嘔吐したが、掃除するのも面倒で、そのまま放置してまた飲み続けた。40歳の誕生日を迎えたが、そんなこともどうでもよくなっていた。

 病院を強制退院になったことについて、父にも兄にも言えなかった。どうすればいいのか、自分で判断できなくなっていた。孤独に苛まれてキャバクラへ行ったと思うが、それもよく覚えていない。
 泥酔して、携帯電話に登録してある知り合いの番号に片っ端から電話をかけまくった。もちろん出る人はほとんどいない。病院の詰所に長電話をかけて夜勤の高木看護師の仕事を邪魔したりもした。
 挙げ句の果てに、何をとち狂ったか 110番へ電話をかけた。3月6日の日中だった。

「これからですねえ、街で騒ぎを起こすかもしれない人間をですねえ、捕まえることはできますかあ?」
 酔っ払っているとはいえ、支離滅裂だ。かといってこれは穏やかではない。放っておくこともできないのだろう、ほどなくしてふたりの警察官が部屋にやって来た。ひとりは僕より少し年上くらい、もうひとりは20代と思われる若いお巡りさんだ。
 年長のお巡りさんが僕の携帯電話から父と兄へ直接連絡をして、今回の失態が知られることになった。仕事を抜け出して部屋へ駆けつけた兄からはこっぴどく叱責され、閉鎖でも何でもいいからもう一度頭を下げて入院させてもらうよう強く言われた。
「次やらかしたら、もう縁切るからな」
 お巡りさんが引き上げ、兄とふたりだけになったとき、最後にこう言われた。

 申し訳ない気持ちがあった。ついさっきまで自暴自棄になっていたのに。ココロがまるで安定していないことが自分でよく分かった。
 ―― 何をやってるんだ、オレは。


 翌日の外来で、渡辺先生に再度入院させて欲しいとお願いした。閉鎖病棟を覚悟していたが、意外にも先生は5ーB病棟での入院を許可してくれた。
 こうして僕は、さらに翌日の3月8日から3度目の入院となった。
「強制退院から1週間で開放病棟に戻れるなんてことは、他の患者さんに与える影響もあるので通常はあり得ないケースなんですからね。次はもうないんだから、今日が新たな誕生日だと思って一からやり直してください」
 看護師さんからはそう念を押された。病室は今回も同じ53号室の、同じ窓際のベッドだ。ひとりで閉じ籠らず、カーテンを常に開けておくことを約束させられた。

 僕が強制退院になっていた間に、福井さんが新しく入院していた。やっぱりお酒は止められなかったらしい。そしてその福井さんから、勝瀬さんの死を知らされた。勝瀬さんがあのあとすぐ再入院したことは知っていたが、その後病院で知り合った女性と親密になり、アルコールに薬物摂取が加わるようになったらしい。いわゆる「クロスアディクション」というケースだ。奥さんとはどうなったのだろう。
 詳しい理由は噂の域を出ないが、いずれにしても勝瀬さんが亡くなったことは紛れもない事実で、それについては東郷看護師からも聞いた。僕は改めて、この病気が死と直結していることを痛感した。回復していくには相当の努力と決意が必要だが、堕ちていくのは簡単なことなのだ。

 3月17日。平日にも関わらず、兄が仕事先から両親を連れて病院にやって来た。時間は午後6時。渡辺先生と面談を行うためだ。夕食の忙しい時間とぶつかっていたが、たまたま夜勤だった東郷看護師もわざわざ立ち会ってくれた。
 依存症は回復可能だが完治はできない、一生向き合っていかなければならない病気であること。社会復帰までには年単位の時間を要すること。これについては、患者である僕自身がいくら叫んでも、再飲酒するための言い訳にしか聞こえない。せめて家族には、然るべき立場の医師や看護師さんから説明して欲しい。兄や父の理解を得るために、僕が病院と兄にお願いしていたことだ。
 先生は2年前に両親に話したように、病気のメカニズムや家族の接し方についてイラストや参考資料のコピーを用いて実に懇切丁寧に説明してくれた。特に、身近な人が知らず知らずのうちに依存症者の病気の進行を助長してしまう「イネイブラー」にならないよう、家族のあるべきスタンス ―― 突き放すべきときは突き放し、依存症者に自己責任を徹底させることなどについては、兄も熱心に聞いていた。チック症で落ち着きのなかった先生の喋り方も、この2年ですいぶんと穏やかになっていたことは、話に説得力を持たせてくれた。

「サトウさんの場合、社会不安傷害の傾向が見られます。周囲が自分の悪い噂をしているんじゃないか、などと思い込んでしまうような症状です。閉鎖病棟に入れてしまうよりも、現在のような環境で少しずつ、コミュニケーションの訓練をしていくほうがいいと思います」

 1時間近くの面談を終え、家族を病院玄関まで見送りに出たとき、兄が言った。
「生活保護でも何でも、とりあえず利用できる制度は利用していけや」
 その言葉だけで充分だった。



 現在僕は、6月の退院に向けてリハビリプログラムを続けている。峰口さんや小千谷さんら、知った顔の患者もいれば、新しく知り合った患者もいる。人間関係に悩むことはあるが、詰所の看護師さんや先生、田村心理士に余すことなく思いをぶつけている。
 退院後はデイケアに通い、その後は作業所での仕事を経て、2~3年後に社会復帰できるよう、焦らず確実にやっていくつもりだ。
 今度こそ、本当に空を仰いで生きていけるように ――


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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2014-08-18 18:38 | カテゴリ:スリップ
(※5度目のスリップから5日目)
 久しぶりに朝のラジオ体操に参加した。僕のほかは福井さんと山形さんのふたりだけだ。最後の「よいしょー!」も、やっぱりやらなくなっていた。

 朝の申し送りのあと、日勤の牛本主任が僕のところへやって来た。外泊の結果は既に知っているはずだが、直接僕から感想を訊こうと真っ先に来てくれたのだろう。担当看護師としても、看護師主任としても、気を揉んでいたに違いない。
「お父さんは飲んでましたか?」
「飲んでましたけど、僕はそれで良かったと思います。外泊の日だけ飲まない、なんて特別なことされても意味ないですから」
 僕は僕の思った通りに答えた。牛本主任はホッとしているようだった。でも、今日はこれから大事な申告をしなければならない。
「主任。そのことはいいんですけど、ちょっと話があるんで、あとで時間貰えませんか?」
「え? あ、はい。今でも構わないですが…」
「午前中は買い物に行くんで、午後の学習会の前でもいいですか?」

 買い物に行くのは本当で、スリップの告白を午後にしようと思ったのは、外出制限をされる可能性があるからだ。どれだけの期間外出禁止になるかは分からないが、洗剤やら歯ブラシやら、どうしても今のうちに買っておかなければならないものがあるので、こういう算段になる。
 うっすらと雨の降るなか、11時半の病院バスで買い物に出かけた。薬局で洗剤と替え歯ブラシを、スーパー柏ノ丘店では1本45円の缶コーヒーを6本買い込んだ。

 夏祭りの期間ということで、今日の昼食は赤飯となぜか筑前煮だった。不自然なくらい幸福そうな笑顔で神輿を担ぐ男性のイラストが書かれた名刺大のカード、というかただの紙切れがトレーに載っているのは、こどもの日のときの昼食と同じだ。そういえば、あのときあとから食べようと冷凍しておいたデザートはアイスではなく、何やらゼリーのようなお菓子だった。僕はそれをずいぶん経ってから食べたのだが、凍らせたのが悪かったのかすぐに食べなかったのが悪かったのか、それともその両方だからなのか、何かが分離していて美味しくなかった。
 とにかく僕はまた、ベッドの枕元のパイプにその紙切れを貼りつけた。


 昼食後、毎週月曜のシーツ交換で病室を追い出されている間、牛本主任がやって来て、一緒にミーティングルームへ入った。僕はそこで、あらかじめメモしておいたスリップの詳細を主任に申告した。

② 6/4 昼食後 缶酎ハイ 350ml ×2本
③ 6/7 昼食後  〃   500ml ×2本
④ 6/10 夕食時  〃   500ml ×1本
⑤ 6/11 昼食後  〃   500ml ×2本

 いずれも2時間散歩の届けを出して外出、コンビニで酎ハイを買って公園で飲んだ。10日の「夕食時」というのは、空腹状態で飲みたいがために、先に食事トレーだけ自分のベッドサイドのテーブルに置いておき、外出から戻ったあとに病室へ直行して食事をするという周到ぶりだ。
 スリップの間隔は短くなっていて、散歩の時間に2時間という制約がなければ酒量が増えていくのは間違いない。いずれ1日外出で飲みだすことにならないとも限らない。ここで歯止めをかけなければ、僕は同じことを繰り返し、スリップはエスカレートしていくだろう。それに、例えこのまま隠れてスリップを続けることができたとしても、それで1クールが終わり、退院して何になるのか。回復なんてしていないし、3ヶ月の入院の意味などなかったことになる。このまま自分の中だけに収めておいては後ろめたさだけが残り、これ以上AAには通えなくなる。
 AAのミーティングでも、このことは告白しなければならない。ただそれなら、先に病院に言うのが筋だ。外泊取り消しになるのが嫌だから申告を遅らせたのはずるいとは思うが、でもおかげで外泊を飲まずに乗り切ることができた。言い換えれば、スリップのことを誠意を持って告白するには、この外泊で飲まなかったことが絶対的な条件になるのだ。

「なんというかアレですね…やりやがったな」
 牛本主任はこわばりながらも、笑うしかないという感じで笑った。とりあえず、今日と明日の外出禁止。当然今夜の西町教会でのAA参加も認められない。明後日以降も、僕の外出を送り出す看護師さんの目は厳しくなりそうだが、それは自業自得だ。


 午後2時からの学習会は『② ビデオ(1:アルコール依存症からの回復/2:酒なし生活術)』というタイトル通り、2本のVHSビデオを垂れ流しで観せられた。高津さんいわく、
「15年くらい前に見たのとおんなじやな」
 確かに古いビデオで、当時の厚生省が製作したものらしい。主人公の男性がアルコール依存症の回復のために入院するドラマ仕立てだが、登場するのは鉄格子のついた閉鎖病棟で、刑務所の独居房そのままだった。
 この病院の5ーB病棟とはずいぶん違う。柏ノ丘病院が開放的なだけで、ほかの病院はみんなあんな感じなのだろうか。それともちょっと前まではみんなあんな感じで、今は違うのだろうか。さすがに今はあんな露骨な閉鎖病棟はないような気がするが、本当のところは分からない。
 とにかく僕は、最後まで寝ずにビデオを観ることができた。


 病室へ戻ると間もなく、牛本主任が慌ただしくやって来た。渡辺先生が呼んでいるという。急遽診察室でドクターとの面談が行われ、僕はなぜ一連のスリップを申告したかを再度話した。
 先生は「正直ですね」とは言いながらも、
「厳しいことを言うようですが、ぐすっ、もしまた飲酒するようなことがあれば、病院にいてもらっても困る、ということになりますよ、ぐす」
 と厳重注意をくれた。治療の意思なし、と受け取られて当然ということだ。牛本主任からも、同じことを言われた。
 渡辺先生は「あまり薬に頼ってほしくはないのですが…」と前置きしたうえで、『飲酒欲求を抑える』なんとかという薬の名を挙げた。僕も聞いたことのある薬で、以前ほかの薬と併用したことのある町坂さんが、
「酒どころか何もする気がなくなって、死にたくなった」
 と言っていた。僕はいちおう、
「その薬のことかどうか分かりませんが、ほかに何もする気がなくなるって話を聞いたんですが…」
 と、恐る恐る訊いてみた。いよいよ最後の手段な感じがした。先生は、ドーパミンがどうのと少し難しい説明をしてくれたあと、
「眠気が起こる、というのはあると思います。ぐす、あと、僕が処方した患者さんの中では、ず、頭痛や下痢を伴った例が若干ありましたが、ぐす、鬱を引き起こした例はありませんでした」
 と見解を示した。眠気。それも厄介だ。
「とりあえず、現状は今のままでいかせてください」
 僕はそう希望を伝えた。そのままつい、
「自分では、そんなに飲酒欲求があったとは思えないんですが…」
 と、余計なことを言ってしまった。先生は「あ、これ説明まだでしたね」と誰に確認するでもなく、慣れた手つきでメモ用紙に簡単な人間の頭の絵を描き、脳が3層になっていることを説明し始めた。

「脳幹の部分つまり、の、脳のいちばん核になるところが、ぐす、呼吸をするといった、生きるための最低限の機能を司る『植物脳』です。い、いわゆる植物状態というのは、ぐす、この植物脳しか働いていないということになります。ぐす、その周りを覆うのが『動物脳』です。食べ物があったら食べる、メスを見たら手をつけるといった、ど、動物としての本能を司っているところで、ぐす、ネズミが特に発達しているといわれています。さ、最後にそれを覆ういちばん大きな脳、これは人間特有のもので、これが理性として動物脳をある程度抑制します。ぐすっ。だから食べ物を見てもお金を払わず勝手には食べない、といった行動ができるんです。でも依存症の離脱状態になると、アタマでは飲んではいけないのに、ほ、本能がお酒を要求してくるんです。サトウさんは、そ、その葛藤と闘っている状態にあるんだと思います。ぐす」

 学習会のビデオに出てきた、ドストエフスキーの言葉だ。
 ――神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-08-06 20:03 | カテゴリ:スリップ
(※4度目のスリップ翌日)
 わけの分からない焦りから、苛立ちが増す。孤独感も強い。
 午前10時からのセカンドミーティングは、第④回『アルコール・薬物の生活への影響』だ。テキストには、
「あなたにとってアルコールを摂取する生活は、どんな良い点と悪い点がありますか?」
 という質問項目があり、飲酒生活の悪い点と良い点、お酒のない生活の悪い点と良い点をそれぞれ書き込んでいく。
 ―― こんなことをして、本当に意味があるのだろうか?
 お酒に逃げ続ける先に何があるのか、アタマでは分かっている。でも、コントロールできない。淡々と進められていくミーティングにも、どんどん虚しさを感じてしまう。週に1回、たかだか50分のミーティングで、いったい何がつかめるというのか。
 明日からは、このミーティングを担当している田村心理士のもと、僕のカウンセリングが始まる。これは僕がお願いしたことなのに、なんだか不安になってきた。僕が間違っていることも分かっている。でも、投げ出したくなる気持ちが勝ってしまうのだ。
 昼食後、2時間散歩を利用して例の公園へ向かった。コンビニで 500mlの酎ハイを今日は2本買い、公園のベンチで飲んだ。雨が落ちてきた。遊んでいた小さな子供たちが母親に連れられ公園をあとにしていく。僕はそのまま構うことなくベンチで飲み続けた。
 帰り道、スーパー柏ノ丘店の向かいで病院バスを待つ勝瀬さん、中山さんと実習の学生さんを見かけて合流した。散歩に出ていたそうで、米窪さんも一緒だった。ここからバスに乗って戻ったのは初めてだ。雨はとっくにあがっていた。


 午後4時、金曜の料理の打ち合わせをデイルームで行った。今回は病院スタッフを合わせて11人となる見込みで、前回「お誕生日会」で参加できなかった勝瀬さんも加わる。買い出しは明日の昼食後、午後1時のバスで、学生さんも一緒に出かけることになった。


 病院事務局から5月分の入院費の請求書が来た。105,000円と少し。限度額適用されてこの金額だ。10万円を越えると思っていなかった僕は、これでまたヘコんだ。父に連絡すると、「だいたいそんなもんだろう」と言っていた。
 週末の土曜日、一時外泊で帰宅することを併せて伝えた。日曜に兄が来られるかはまだ分からないという。
 問題は、土曜の夜に僕が飲まずにいられるかだ。牛本主任からは、院外自助グループのミーティングに参加して、そのまま実家に帰ることを勧められたが、それでは帰宅するのは夜10時近くになってしまう。父も母も寝ている時間だろうし、僕も何のために一泊するのかよく分からない。
「とりあえず、どんなかたちであれ成功体験をすることがいいんじゃないですか」
 と主任は言うが、僕にはそれが成功体験になるとは思えない。「ヤバいと思ったら、すぐに戻って来てください」と念押しされつつ、僕はとにかく外泊の申請をした。


 そのあとはベッドで眠ってしまった。夕食を取りに来ないので、心配した前上看護師が起こしてくれたのは午後7時過ぎだった。とりあえずベッドサイドにトレーを置いて、既に30分以上遅れて院内AA「ヒナドリ」のミーティングへ向かう。
 誰の話も聞こえてこなかった。僕も遅れたことをお詫びするだけで、特に話をしなかった。

 何かが違う。ズレている。
 たまらなくって、詰所でジアゼパムを貰って1錠飲んだ。
 その日の出来事をノートに書きとめるのも面倒になってきた。酔っ払っているときよりも、ノートの文字はのたうっている。何のために入院しているのか、分からない。
 

※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


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2014-08-03 23:10 | カテゴリ:スリップ
(※3度目のスリップから3日目)
 今日もベッドを出たのは午前7時過ぎ、ラジオ体操は参加できなかった。
 火曜日の僕のARPは午後1時半からのレクだけだ。空いていたエアロバイクの負荷が軽いため、いつもの倍のペース、30分で20㎞走破を目指す。ということは、時速40㎞でペダルを漕がなければならず、30分を少し越えてしまったが、いい具合に汗をかくことはできた。途中、一宮OTからバレーに誘われたが、今日も遠慮する。それにしても、ろくに目も合わさずに手を振るだけのぞんざいな断りかたをしてしまった。レク終了後、ほかの患者の用件でたまたま53号室を訪ねてきた一宮さんにお詫びしたが、
「また気が向いたら一緒にバレーやりましょうね、サトウさん」
 と言われ、今度は曖昧な返事をしてしまった。どうしても、自信が持てないのだ。

 土曜日に実家へ外泊しようと考えているが、飲まずにひと晩過ごせる自信はない。というより、正直僕はほとんど飲むつもりでいる。日本酒半升のパックくらいはいけるんじゃないか。
 ただ、外泊申請後に気が変わって外泊を取りやめたくなったときに、日曜だけの一日外出とかに変更することは可能だろうか。デイルームで、たまたま近くにいた小里看護師に訊いてみた。
「不可能じゃないですけど、きちんとプランが立たない状態で外泊申請するのはあんまり賛成できないなあ…」
 言われてみればその通りだ。僕は、初めての外泊で飲まない自信がないこと、そうはいっても退院後の生活を考えるとそろそろ外泊訓練をしないといけないと焦っていることを正直に話した。
「うーん…」
 と、戸惑いを隠すことなく小里看護師は少し考えたあと、
「土日の外泊申請は金曜昼までだし、木曜に回診もあるから、先生やほかの看護師にも相談してみてください」
 と答えた。いささか投げやりな感じがしないでもないが、看護師としては、飲むかもしれないと前置きしている患者を「そうですか」と外泊に送り出せるわけがない。彼女を困らせるだけで、余計な告白までしてしまったことを後悔した。

 今日は植中さんと久しぶりに西町19丁目教会のAA「つぐみ」へ足を運ぶ予定だった。僕が麻友美さんに誘われて行った、最初の院外自助グループだ。けれども昼過ぎから雨脚が強くなり、植中さんから「今日はやめようか」と言われてそれに従った。僕は雨でも一向に構わないのだが、最初に行った日以来顔を出していないグループなので、とてもひとりで行く勇気はなかった。

 ところがいざ夕方になると、雨はあがっていた。こうなると、良くない衝動にかられてしまう。夕食の時間になり、ベッドサイドのテーブルに食事トレーを置いたまま、「ちょっとコンビニへ」と2時間散歩の届けを渡して外へ出た。先週金曜の夕食の際、院内AAに行くのに使った「1時間以上かけて食事する」の悪用だ。食事は取り置きではないから、病棟へ戻ったときに詰所へトレーを受け取りに行く必要がない。お酒の臭いがしても気付かれる心配がないということだ。
 病院の隣にあるコンビニで、携帯料金の支払いをして、パンとチョコとそれから 500mlの酎ハイを1本買った。近くの小さな公園でそれを飲み、空き缶をまたコンビニのゴミ箱へ捨てて小1時間ほどで病院へ戻り、そして何もなかったように夕食を摂った。食事をすれば飲酒欲求がある程度収まることを分かったうえで、あえて食前での行動だった。

 ―― 俺は何をやっているんだ。


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2014-08-02 10:00 | カテゴリ:スリップ
(※再スリップから3日日)
 眠気に勝てない。朝食も昼食も夕食も、すべて看護師さんに起こされて食べた。
 土曜日は院内のARPも特にないため、みんな思い思いに「休日」を過ごす。毎日が休みだといえばそうなのだが、平日はこれでなかなか忙しいのだ。患者の症状にもよるが、薬を飲んでのARPは、結構な負担になっている人もいるのではないか。
 週末は自宅に外泊する患者も多く、53号室でも勝瀬さん、周さんが今週も一時帰宅した。毎週末に自宅に帰っては「俺の居場所がない」と落ち込んで戻って来る勝瀬さんに至っては、今回こそは明るい兆しを見つけられることを願わずにはいられない。

 昼食後、散歩に出ることにした。今日は風もあり外は涼しそうだ。午後1時の病院バス出発まで喫煙室で時間を潰していると、利根川さんに声をかけられ、話し込んだ。
 元競輪選手の利根川さんは、15年のプロ生活で通算16回の優勝経験があるそうだが、競輪にまったく詳しくない僕にはそれがどのくらい凄いのかさっぱり分からない。優勝というくらいだから、なかなか凄いのだろうが、ただ、僕が本当に凄いと感じたのはその後の人生のほうだ。
 現在50代前半の利根川さんは、競輪の世界では中野浩一の少し後輩の世代にあたるそうだ。お酒に依存するようになった理由は「とにかく遊びたかった」という通り、賞金を飲み代に注ぎ込み豪遊していたそうだ。選手としてのピークを過ぎた30代には二日酔いのままレースに出たり、ひどいときにはウイスキーを飲んで出場したこともあったという。
 任意引退という形で競輪協会を事実上クビになり、土木関係の仕事に就いたが、アルコール依存はエスカレートしていき、やがて仕事もできなくなってしまった。入院と中間施設、スリップの繰り返しで、4年前に環境を変えるべく縁もゆかりもないこの街にある中間施設に入所したのだが、これは僕が大阪から戻って来たのと同じ時期だ。それから再起を図っていた昨年、よりによって自転車でひったくり事件を起こして逮捕され、いろいろあって再び入院の措置となったという話だ。なんというか、キリギリスを彷彿とさせる見事なまでの転げ落ちようには、言葉がない。
 現在はパニック障害と強迫神経症に悩まされ、大量の処方薬で持ちこたえているというが、「過去に戻りたい」という不可能な願望に縛られたり、例えば戸締りを何度しても、ガスの元栓を何度閉じても、強烈な不安に襲われて安心できないといった、明らかに生活に支障をきたす症状が治まらないのだという。
 退院の見通しは立っていない利根川さんだが、それでも院外のAAには多く足を運んでいる。話を聴く限りでは、精神的な症状は僕も似たようなところがある。何をもってして「回復」といえるのか、判断が難しいところも実に厄介なのだ。
 利根川さんは普段はとても穏やかで優しく、話好きな人だ。ただときどき、暗い表情で深いため息をつきながらうつむいていることがある。
「僕は土曜は完全休養に決めてるんですよ。明日はまた院外のAAに出かけます」
 そう言うと、利根川さんは静かにタバコの煙を吐き出した。

 利根川さんの話に聴き入ってしまい、1時のバスに乗り遅れてしまったので、徒歩で坂を下りてスーパー柏ノ丘店方面へ向かった。目的は最初から決めていた。公園で「飲む」ためだ。コンビニで酎ハイ500mlを2本買い、スーパーから少し住宅地に入ったところにある公園で缶を開けた。というか正確には、公園に着く前に歩きながらもう飲み始めた。水曜に飲んだときと同じ公園だ。今日は土曜日なので、キャッチボールをしている子供やベンチで休憩しているお年寄りの姿もあるが、そんなことは関係ない。再スリップからわずか3日で、入院して3度目となる飲酒だ。しかも今日は時間があるのをいいことに、前回よりも酒量が増えている。
 もともと飲むことを目的として出かけて行った。不愉快なこともあるが、それが今日飲んだことの直接の原因なんかじゃない。とりたてて飲酒欲求があったわけでもなく、自分でもよく分からない。
 ただ、飲むために外出したのだ。


 夕食後、夜勤の葉山看護師に薬を飲むよう促されたが「飲みたくない」と言った。今日は昼食のあとも千葉看護師に同じことを言ったが、あまりわがままを言って困らせても仕方がないのでこのときは結局素直に薬を飲んだ。
 けれども夕食後の葉山看護師には、僕が喫煙室にいたこともあり、「飲みたくない理由をあとで詰所で聞かせて」と言われ、放っておいたら結局そのままになった。
 薬を飲みたくない理由はふたつ。ジアゼパムもデパケンも、不安の抑制につながっていない気がするからだ。そもそも入院当初に比べて、いまの僕の不安なんて、薬に頼るほどのものではないのではないか。院外の自助グループに行くときや、退院が近づいたときには薬が必要になるかもしれないが、僕の身体が薬に慣れてしまうことが不安なのだ。不安を抑える薬を飲むことが不安という、へんてこな矛盾がある。
 もうひとつは、最近特にそうなのだが、日中とても眠いということ。どこまでが薬のせいか分からないが、残り半分の入院生活で残された時間は貴重だ。「昼間外出して公園で飲んでいる時間のどこが貴重だ」と言われると返す言葉もないが、それでもそんなことをしている時間も含めて、僕の時間は決して昼寝に充てたくはないのだ。


※文中における、病院および病院関係者氏名・団体名、地名等については、すべて仮名とさせていただいています。


【ジャンル】:心と身体 【テーマ】:禁酒
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